11話 オグドアード(6)

 黒い肉の塊―――雪路の言うところのアポストロの出来損ない、というものが一体どういったものなのか、アデルは未だにしっかりと理解はしていなかった。

 だが、本能的にここであれを抑えつけなければ、この土地は死ぬ、ということを理解した。

 精霊とは、いわば自然の代行者だ。

 今世界にある自然に有る命を護ることを優先する、しなければならない使命を持つ。


「いくぞ」

 小さく呟いた。語り掛けた。

 無意識精霊たちがアデルの声に応え、集ってぶつかり合って弾け、瞬時に地中から無骨な太い槍を生やし、黒い肉の塊を刺し貫いた。

 アポストロの悲鳴が辺りに響き渡る。黒い血液が傷口から滝のように流れ出て、地面を黒く染め上げる。

(だが、これだけじゃ駄目だ)

 アデルは自分に言い聞かす。


 以前、イルス村で雪路が相対した“出来損ない”は、強力な不死性を有していた。“死の概念”―――人であるならば脳や心臓など、生命体としての急所の概念そのものが歪められ、急所を刺し貫いても、全身をずたずたにしても死ななかった。アレを死に至らしめるには雪路の気味の悪い能力が必要だった。

 今、雪路は精霊サリファの胸元を開き、難しい顔を作りながら、穴の開いた胸に手を翳している。そこからは、淡い光と白い帯が流れ出て、サリファの胸元に吸い込まれていく。

 何をしているかは分からないが、おそらくは救命行為だ。この地上に残った数少ない同胞を助けてくれているというのに、邪魔をするわけにはいかない。

 アポストロが突き刺さった石の槍から、体が千切れることも厭わずに無理矢理抜け出した。幾つか大きな肉片が散らばるが、体の欠損は徐々に回復していく。


(ならば……より長く足を止める!)

 大地から引き出すのは、細かな粒子だ。それらは柔らかで弾力のある網へと変化し、アポストロを絡めとって動きを止めた。

 悔し気にアポストロが声を上げる。人間と獣が混じったような、不快な声だった。

 闇雲に暴れ回って、なんとか網を引き千切ろうとするが、強力なゴムの質感を持つ網は、暴れれば暴れるほどアポストロに絡みついて離さない。

(本当にあれがアポストロの出来損ないだと?)

 アデルは発動している自らの術を、より強く引き絞めながら、疑問を心の中で呈する。


 以前、アデルの『妹』であるコハクを攫ったアポストロは、人間の姿をした、知性を感じる生き物だった。

 第十四居住区で暴れ回ったアポストロは、外面は人間の姿をしていて、実際の見た目は、丁度、目の前の“アポストロの出来損ない”によく似た―――元人間だ。

(もしや、アポストロとは全て、本当はあの姿をしているんじゃないのか?)

 人の姿をした、生物とも言えない化け物である、と。

 今までの経験上、アデルはアポストロを定義づけるしかない。

(そうなると、アポストロと古跡獣には共通点が―――)


「――――――ウォォ、ォォォォン」

 苛立ったかのようなアポストロの咆哮が、アデルの思考を止めた。アポストロのだぼついた脂肪に亀裂が入り、裂けて口が姿を見せる。更にそこから、浅黒い人間の肌色の肉の塊が落ちる。本体であるはずの黒い肉の塊は、電池が切れたかのように動かなくなった。

 代わりに、黒い肌色の肉塊に魂が宿ったかのように蠢き始める。人間の腕が生える。足が生える。中心となる肉塊は、筋肉質の人間の胴へと変化していく。

 なんだ、これは。


「―――急げ!」

 雪路の鋭い声が聞こえてきた。

 急速に青色の無意識精霊が地面へと潜り込んでいくのを、アデルは確かに視た。

 明らかに水の精霊によるものだ。

「ほら、もっとしっかり!」

「あい!」

 サリファに叱咤され、イーゼが片頬を赤く腫らせている。

何かあったのだろうか、アイツ。

 ともあれ、サリファのほうは、どんどんと無意識精霊に呼びかけを行い、イーゼは術式を高速で組み込んでいく。

 二人によって、精霊としての真価を発揮する精霊。

やはり、あの二人は“オグアード”。二人で一つの精霊――原初より存在している精霊か。


 地面の奥底のほうから、急速に吹き上がって来る気配がした。と、地面を割って突如として大量の水が噴き出して、辺りに一瞬にして満ちた。更に周辺の空気が冬を思わすものへと一変していく。噴き出した水は冷えていき、白く変色する。飛び散った水滴は氷に、そして地面を満たした水も、また凍り付いていく。


「これは……」

 過度に低くなった空気の中心。凍った地面の上に、儚げな少女が立っていた。肌も白く、髪は銀色で、瞳も銀。雪のような、という言葉があまりにも似合う彼女は、一度、アデルは見たことがある。

 アデルの住処の近くにある第八居住区。コハクが攫われた街で、人間に捕えられ、無理矢理契約を結ばされ、イライナの二対の内、白いほうの剣に宿された少女だ。

 彼女はまるで祈るように指を組んで、ただ真っすぐに動きが鈍くなった人間のようなものを瞬きもせずに凝視している。

 どんどんと、どんどんと、黒い人間は凍てつく大気によって動きを鈍らされ、制止し、そして―――。


 また、黒い人間は蠢き始める。環境に適合したかのように動きが徐々に滑らかになっていく。

 甲高い声が、黒い人間の口から飛び出した。見た目は成人した人間の姿であるだけに、その声色はあまりにも似合わない。まるで、赤ん坊が生まれたときに上げる声のようだ。

 そうして、まるで思い出したかのように、両手を地面につける。両足の裏を地面について、手を使って立ち上がる。自身の腐りかけの肉が落ちるのを厭わずに、重力に逆らう。更に声を上げる。

 ぼやり、と何かが地面から舞い上がった。


(あれは……)

 ひやりとした冷たい汗が、アデルの背中を伝った。

(死魂……)

 無数に噴き出した淡い輝きが、死んだ生き物の魂であることを、アデルは知っていた。ただ、通常は認識できないように、噴き出さないように、現れないよう、強固な封印が施されていることも知っていた。

 空間の封印が、強制的に解かれたのか。

 通常ではあり得ない現象だ。

 丁度黒い人間の傍に現れた死魂が、吸い込まれるようにして黒い人間の中へと消えていく。と、黒い人間の左目にあたる部分の、のっぺらぼうな黒い顔の表皮が剥がれる。その下から、青い瞳が現れた。


「っ!」

 瞬間、アデルは全ての予測をつけて、柏手を打って、アデルの命令を今か今かと待っていた無意識精霊たちに合図を―――命令式を送った。

 死魂に覆いかぶさるように、無意識精霊たちを大気中に敷き詰め、更に、通常の生物には使用しない命令式を組み上げる。


 アデルは息を強く短く吐き出して、力を瞬時に組み上げて、放つ。地面を突き破るようにして現れたのは、石造りの槍でも、弾力のある網などでもない。鋼鉄で出来た鈍く輝く太い鎖だった。何百本もの鎖は一つ一つが意志を持ったように蠢いて、小さな刃となった鎖の先が、一斉にアポストロへ向き、襲い掛かる。

 全身に巻き付きながら肌を破り、肉を貫き、アポストロをそのまま地面に繋ぎ止める。


 やはりアポストロは無理矢理、体を傷つけることを厭わず鎖から逃げ出そうとする。だが、幾重にも捲かれた細かな鎖の檻から逃げ出すのは、先ほどの弾力のある網よりも困難を極める。

 アポストロが吠えた。

 今度は子供ような甲高い悲鳴だ。

(なんだ、なんだコイツ……、人に近づいている、のか……?)

 そう思わずにはいられないほどのアポストロの変容。

 アデルは息を詰めた。

 こいつは―――。


「よそ事考えずに、あの子の動きを止めることに集中!」

 鋭い声が、アデルの思考を止めた。雪路がいつの間にかアデルの背後に立っていた。

「氷華ちゃんはそのまま大気中の気温を下げて!サリファちゃんとイーゼは、湿度を更に上げて!無意識精霊をあの子の周りに集中させて!」

 チカチカと、大気中の無意識精霊たちが瞬いて、アポストロの周辺へ急速に収束していく。

「何をする気だ!」

「いいから!見て、しっかりと覚えておけ!」

 雪路はアデルの背に手を当てる。

「コレが、アポストロの殺し方だ」


 瞬間。

 背にあてられた雪路の掌からアデルへ、冷たい感触の力が流れ込んでいく。それはそのまま、アデルが発している命令式へと浸透し、書き換えていく。アデルの命令式を伝って、雪路が今しがた放った異質な命令式が、アポストロを捕らえる鎖へと到達する。鎖から大気中に散っている、水の精霊たちの無意識精霊にも伝播していく。

 突然書き換えられた命令式は、とてつもない情報量であり―――無意識精霊たちが膨れ上がり、繋がり―――突如として、一つの巨大な水の龍の咢へと変化した。


「な―――、これ、は―――!」

 見覚えのある無意識精霊たちの変貌に、アデルは思わず息を呑んだ。

 咢に付いた二つの水の瞳が凝視する先には、生きているとも死んでいるとも言えない、アポストロと呼ばれるこの世界にとっては明らかに余分な存在が居る。それを廃するために、龍の咢は、巨大な口をぐわりと開き、そして突進。

 ばぐん、と。

 アポストロを一口で呑み込んだ。


 水の龍なので、無論消化器官などは持っていない。だが、水の水圧により圧死させることは容易である。水の龍の咢の中に閉じ込められたアポストロは、数秒の後、ぐちゃりと潰れて圧縮され、消え失せた。

 文字通り、不要なものと断じられ、この世界から消え失せたのだ。

 ぐるりと水の龍の瞳が蠢いた。視線の先には、雪路が先ほど氷華と呼んだ少女が居る。

 まずい。

「ま―――」

 制止をかけようとしたアデルの隣で、雪路がよいしょと軽い声を上げて、爪先で二度、地面を叩いた。


 途端、水の龍の内にあった命令式が崩れる。

 命令式とは、無意識精霊たちに意味と力を与える命令のことを指す。それが崩れれば、当然、無意識精霊たちは意味を失い、散り散りになって自壊する。よって、水の龍を構成していた無意識精霊たちは、命令式の崩れと共に地面に落ちた。

 水の龍を呼び出した代償として、力尽きたのだ。

 無意識精霊たちはそのまま地面へと吸い込まれていき、消え去っていく。

 それを見届けてから、アデルは雪路を睨んだ。敵意と警戒を以て。

「お前……」


 あの水の龍は、本来ならば呼び出せないものの筈だった。アデルたちが抑えつけている危険な存在の一つだ。存在すら隠しているものだった。それをよそ者が引き出して、敵を殺すための道具として使用した。

 雪路が今しがた行った行為は、アデルにとっては全て許せない事柄だった。

「僕はお前たちができる方法で、アポストロの殺し方を捻り出しただけだよ。そうそう睨まれることをした覚えはないんだけど」

 雪路はいつも通りの調子で、飄々とアデルの視線に、薄く笑いながら答える。


 さらに問い詰めようとアデルは口を開くが、

「このおバカさんが!」

「ほべぇ!」

「この、おバカさん!おバカさん、なんでいつもこう、もっと頭を使おうとしないの!」

「ごめん、べ、ごめんて、うべぇ!」

 イーゼの悲鳴とあまりに小気味よい痛快な連続音に、思わず言葉を止めた。

「……」

「……」

 見ればイーゼがサリファに、何度も何度も繰り返しビンタされている。イーゼの頬は真っ赤に腫れあがり、一応伊達男の顔立ちが見るも無残に変化していく。


「……とりあえず、話は保留にしていい?」

「……ああ」

 見かねたのか雪路が申し訳なさそうに尋ねる。アデルも見てはいられないので、了承した。

「……サリファちゃん?さすがにそろそろ勘弁して……」

 雪路がおそるおそる、サリファに語り掛けた時、


「雪路様ぁぁぁぁぁ!」

 甲高い奇声を上げながら氷華が雪路に突進。そのまま雪路を掴んで抱き着いて押し倒した。

「怖かった、とても怖かったです!けれど私、とっても頑張ったんです!どうかどうか、褒めてくださいな!できればキッスも、ご褒美のキッスも欲しいです!」

「空気を読め、空気!お前、ほんっとうにうるさい女だな!」

「はい、私はとてもうるさい女なのです!ていうか、雪路様、私を女として見てくれるのですね!嬉しいです!」

「やかましい!」

 大人しそうな見た目とは裏腹に、中々積極的な氷華に、雪路が苛立った様子で怒鳴る。


「あ、あの……」

 氷華の背後に忍び寄るようにして、いつもの威勢の良さとは打って変わってやや遠慮気味に、イライナが寄って来て、声を掛けた。

「お前が……私の剣に宿っていた……精霊?」

 イライナからしてみれば、無理矢理、精霊契約を交わした相手と事実的な初めての会話となる。今まで、精霊契約とは何たるか、真実を知ってしまった彼女にとっては、氷華は贖罪の相手にあたるのだから、やや腰が引けるのも頷ける。

 それでも、気まずさに声を掛けないことを選択せず、会話を試みようとするのは、勇気ある行動だ。


 が。

「黙れ。貧乳と話す言葉はない」

「ひ、貧乳……。ひん……」

 氷華が、あろうことかイライナの体形を貶めて、会話を断ち切った。悪質だ。

 イライナは絶句した後、自らの平に近い胸元を見て、「ひんにゅう……」と呟いて呆然と黙り込んでしまった。


 その間にも氷華は雪路に好意のアタックを繰り返し。

 サリファはイーゼにビンタを繰り返し。

 混沌とし始めたこの場で、何から手をつければいいのか分からなくなったアデルは、取り敢えずほとぼりが冷めるまで静観することを心に決めるのだった。

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