8話 氷剣(1)

 第十四居住区に光の柱が出現する少し前。


 雪路は居住区の繁華街を、あんパンを食べながら、一人ふらふらと歩いていた。実際に背後に二人の精霊術士がついてきていることは、しっかりと気づいていた。

(だぁから、精霊の気配を感じ取れるって説明してんのに……あれで隠れているつもりかなぁ、あいつら)

 呆れ果てていた。


 道行く人々は皆、様々な表情で歩いている。真面目な表情。笑顔。苦痛、疲れたもの。全てどの世界でも見られた、ごく普通の顔だ。

 雪路が今歩いている場所だって、普通の繁華街だ。建物があって、洋服などの店がある。人々は行きかって、様々な話が飛び交っている。


 ただ一つ。

 食事をする場所が一つも見当たらないこと以外は、ごく普通の繁華街だ。

 食べ歩きをしている人間は見かけるが、皆、棒状の固形物を食べているばかり。いかにも機械的に食べているその姿は、到底食事を楽しんでいるようには見えなかった。


「―――おっと」

 左右に行きかう様々な人間ばかりを見ていたせいで、前から歩いてきた小さな姿に気が付かなかった。雪路の腰のあたりまでしかない小さな女の子だ。

「ごめんね、お嬢さん」

 雪路が謝ると、女の子は頭をぺこりと下げて、それから雪路が手に持っているあんパンを、物珍しそうに見つめている。


「……それ、なに?」

「パンだけど」

「パン?」

 女の子は小首を傾げる。

「それって、ジンガイさんがたべるものだよね」

「ジンガイって?」

 雪路がしゃがみ込んで、女の子と視線の高さを合わせて尋ねた。

「しらないの?」

「勉強が苦手でさ」

 尤もらしいが、微妙にずれた返事をする。要は女の子に意味が伝わればいい。女の子には実際、今の言葉の意味が通じたらしく、うーん、と少し説明に悩んでから答える。


「ジンガイって、かべのそとに住んでいる、人みたいなかたちをしたイキモノのことだよ」

 ジンガイ。人の外。人外。

 外国の人、という意味を持つ外人とは、また違う意味であると推測され、

(ああ、そういう認識をする世界か)

少しだけ雪路は理解した。


 この世界は、いや、この世界に住む人々は、一見平和そうに見える。平等そうに見える。何処にでもいる、ごく普通の人間たちのように見える。だが、歪みまくった階級制を良しとしている。

「……ん……?」

―――僅かなマナの振動に、雪路は顔を上げた。

 何が起こったのかはその時点で理解して、酷薄な笑みを浮かべた。

「おねえちゃん?」

 女の子が雪路の表情を見て、不思議そうな声を出す。雪路は女の子の頭を二、三度、優しく叩いて。


 直後、その背後で光の柱が立つ。

 大気の熱量が増す。否、確実には大気中に含まれるエネルギー物質……おそらく、アデルたちから言わせば無意識精霊、と呼ばれる、雪の結晶のようなものの活動が、活発になった副産物か。

「なんだ、あれ?」「軍支部の方向じゃないか?」

辺りは騒然となる。そんな中。


「馬鹿だなぁ、アイツら。きちんと忠告してやったのに。今回は自分たちで尻拭いをしろよ、人間共」

 雪路は呟いた。呆れた様子で。困ったように。そして、腰の剣の柄を静かに握る。


「貴様、何をやった!」

 慌てた様子で、今まで雪路の後をつけてきていた二人の精霊術士が迫って来る。二人は顔立ちがよく似た男女であり、一発で双子であることが分かる。槍の構え方は一緒。槍に宿る精霊の気配だけ別。その精霊たちの気配には覚えがあった。会議室にて、雪路とアデルに襲い掛かろうとしていた、人間たちに捕えられた精霊だ。

 と、いう事はある程度の事情は理解している筈だ。


「別に、何もやってないよ。やったのは、お前らの上司」

 雪路はわざとらしくため息を吐いた。

「僕は何もするなって言ったのに、お前らの上司は言うことを聞かなかった。そんだけ」

「そ、それは……!」


 あからさまな動揺が見え隠れする返答。短絡そうな見た目に違わず、かなりの正直者で、分かり易い青年だ。やはり最初から約束を守る気は無かったな、と雪路は男の精霊術士の反応を見て確信した。

 適当に約束をして、それを破って、もしも失敗したら雪路に全ての罪を擦り付けて殺す。そんな筋書きか。なんとも粗い。

 愚かしく、バカバカしい。


「とにかく、てめぇは拘束する!」

 短気そうな男の方の精霊術士が、槍を振おうとした。だが、それよりも早く雪路の剣から冷気が噴き出して、あっという間に氷を形成し、振るわれた槍を弾き飛ばした。

 男は後ろへとよろつき、体勢を立て直す。


「―――こいつ、アポストロの癖に精霊術を……!」

「だから僕じゃないってば」

 宥めるように剣の柄を軽く撫でながら、雪路は、今度は大きく欠伸をした。

「ヒョウカちゃんも落ち着いてね。どうせこいつら、このままだとここで死ぬのだから。わざわざ君が殺す必要はないよ」

 挑発になると知りながら、敢えて雪路は口に出す。


「何を決めつけてんだ、てめぇ!」

 すぐ頭に血が上るらしい男が、ムキになって怒鳴ったが、

「そんじゃあ、お前らはアポストロに勝てたことがあんのかな?」

雪路の返しにすぐさま閉口する。

「余程の事が無い限り、今の人間たちじゃ、アポストロには勝てないさ。ましてや、あのマナの量。イライナはよりにもよって“枷”を壊したから……マナ切れはあまり期待しない方がよさそうだ」


 光の柱は細くなって消えていく。それでも未だ、溢れ出る禍々しいと言うに相応しいマナの気配。

 全てを憎む感情が、枷によって抑えられていたアポストロが生前よりずっと持ち続けている邪念が、溢れ出ている。

 さて、どうするか。

 雪路は足元で呆然と空を眺めている子供を見た。子供は感覚が大人よりも鋭い。本能的に命の危機を察知しているのかもしれない。青い顔をして、縋るように雪路の服の裾を掴んでいる。

(弱ったなぁ……)

雪路は小さくため息を吐いて、双子へと視線を送る。


「ねえ。光の柱が出現した場所からなるべく人間たちを遠ざけておいて。あと十分ほどで瘴気……毒素が発生するからさ」

「「はっ……?何をいきなり……!」」

 雪路の提案に驚いたのか、双子の声が揃う。

 そんなに驚かなくてもいいだろう。憮然とした表情のまま、雪路はとつとつ、とこれから起こることを丁寧に説明してやった。


「あのねぇ、毒素が発生するって言ってんでしょ。人間が吸い込めば、もがき苦しみながら死ぬ呪いのようなものなんだよ。血反吐を吐き、死にたいと泣き叫ぶ子供の姿を、僕は見たくないから、親切心から忠告してやってんのに。―――お前ら、まさか今度も僕の忠告をはねつけるつもりなのか?」

双子はぐっと息を呑んだ。


罪悪感があるだけまだマシだ。後ろめたさがあるだけまだ、何とかなる。

反省し、前へ進むのは人間の得意技の一つだろう。


「間違った方法であろうと、“自分たちは人を守るために僕との約束を破った”とか阿呆らしい大義名分を掲げるのならば、今、何をすべきかしっかりと見極めろ、考えろ。一つでも多く救おうとしろ」

「何を、偉そうに……」

「待って」


 食って掛かろうとした青年を手で制止して、双子の片割れ、女性の方が前に進み出てくる。槍の穂先は上に上がったままで、警戒をしていることは明確だ。

 それでも、

「あなた、随分と子供には気遣ってくれているみたいね。どうして?」

「それ、今聞くこと?」

 雪路は僅かに肩を震わせて嗤う。

「真面目に聞いているのよ」

「……」

 この双子の女性は、イライナたちとは異なり、この世界の人間にしては、やや直感が鋭い方。気配から察した雪路は、正直に答える。

「僕はこう見えても立派な大人でね。子供が死ぬ姿を見て喜ぶほど、生物として歪んじゃいない。お前らが弱い者を守ろうとするのと同じように」

 本当はもっと複雑な理由があるのだが―――時間もないので詳細は省くとする。

 これで気持ちは通じたのだろうか。

 双子の女性は目をすうっと細めてから、胸元に取り付けていた無線機のスイッチを押す。


「こちら、メリア。支部に発生した光に、強力な毒素が含まれている可能性があるとの情報を手に入れた。至急、市民を安全な場所へ避難させるように、対応をお願いします」

『―――その情報はどこから……?』

 疑わし気な声が、無線機の中から聞こえてくる。だが、メリアと名乗った女性は、強い口調でひたすらに繰り返す。

「確かな情報です。仔細は時間がないので省きます。とにかく、十分以内に毒素が発生します。早く住人の避難を開始してください」

 強い口調に加えて、強気な言い方だ。そうしてメリアと名乗った女性は、長い金髪を掻き上げながら、雪路を見た。


「これでいいのかしら?」

 雪路は苦笑しながら肩を竦めた。

 いいのか、と問われればどうだろうか。

「まあ、お前ら人間ができる最大限は、避難が限界だろうねぇ」

 現状はかなり人間側の不利であることは変わりない。

 敵は暴走を開始したアポストロ。おそらく理性が吹き飛んだ化け物に成り始めている。対して、人間側でアポストロが常時自らの身を守るために張っている結界を解除できるのは、一人だけ。

 雪路の忠告を無視した、イライナ・エベンスロ、ただ一人。


(僕としては、甘やかすつもりはないのだけれど……)

 頭の中で、二人分の声が、先ほどからずっと鳴り響き続けている。

 議論している。

 人間を助けるべきか、それとも見捨てるべきか。

(あー、もう。早めに結論出してね)


 やかましくなった頭の中の声達に呟いてから、こめかみを軽く叩き、雪路もまた、考える。雪路としては、そも、人間にそこまで肩入れをする義理はない。

 今のところ、彼らは雪路に対して利益を一切齎していない。それどころか、雪路の善意の忠告を完全に無視して、この事態を招いた。

ならばこれは、人間たちで何とかして解決すべき事案だ。

 だが―――。



 イライナはその場に膝を着いていた。

 呆然と、それでも目の前で起こっていることを必死に理解しようとした。

 今の今まで、自分は地下牢に居た。そして、アポストロの周囲に回る、術式―――とでも言おうか、それらしき帯を一本斬り裂いた。

―――笑った。アポストロが。

 そう思った時には、アポストロの体が光り輝き始めて。


 気づいたら、そこは地上だった。青空が眩しい。視線を僅かに動かせば、僅かに傾いた軍支部の建物がある。

 ―――地面が隆起して、地上へとイライナたちを押し上げた。

 やっと理解した。

 助けられた、と。


「だから忠告しただろう、イライナ・エベンスロ」

 地面を隆起させることで、イライナたちを救ったお人よしの精霊―――アデルが、呆れた様子で冷たく言い放ってくる。

「人間とは、本当にどうしようもない奴らだな」


 アデルの表情はいつも以上に厳しい。碧い瞳が真っすぐに、“敵”を見据えていた。

地面が剥き出しになった、元地下牢の中心に、蹲っている人間の姿をした何かがいる。

 アポストロ。人間の敵。彼女は青い空を睨みながら、口元にうっすらと笑みを浮かべている。

 人々が建物から続々と避難している。非戦闘員はそのまま別に場所に構えられた緊急通信本部へ。戦闘員は武器を手に集まってきて、

「動くな!」

一斉に武器の切っ先をアポストロに向けていた。

「全員、油断をするな!光線を打つ予備動作に入ったら、一斉に精霊術を作動させろ!」

 サフィールの鋭い指示が辺りに響き渡る。


 戦闘員が握る、剣や槍、銃などから僅かに黒い靄のようなものが噴き出した。

(なに、あれ……?)

 イライナは目を瞠る。今までに見たこと無い現象。見れば他の人間たちが気づいている様子はない。つまりはイライナにだけ見えている現象であるということで。それは、雪路が施した不思議な術の影響に他ならないだろうが―――。


 武器を向けられたアポストロは、緩やかに首を傾げる。

 簾のようになった前髪の隙間から覗くのは、爛々と輝く赤い瞳。それが自分に武器を向けてくる軍人の姿を一つ、捉えて。


 その軍人の首が跳ね跳んだ。

「は―――?」

 首が跳ね跳んだ軍人の隣に立っていた男性が、ぽかりと口を開いた。

 つい先ほどまで首があった場所に、黒い刃のようなものが乗っている。黒い刃は長く、どこから伸びてきているのかと思えば―――それは、アポストロの背中から生えていた。

 脈打っている。正真正銘、体の肉で作られた刃。


 首が無くなった軍人の体が地面に倒れる音に、その場に居た殆ど全員が肩を震わせた。

「……?」

 普段アポストロが生やしている翼ではない。剥き出しの伸縮自在の刃。今まで一度も目撃されていないだろうアポストロの攻撃方法だった。


 アポストロは普段から、高威力の光線のようなものを放って攻撃を繰り返している。その攻撃の際には、予備動作と、やや長めの発動時間がある。その隙を突けば、アポストロに僅かながらダメージを与えられる。

 だからこそ、その場の全員が油断していた。

 あんなもの、聞いていない。聞いたことが無い。

 一気に目の前のアポストロが得体の知れないものへと変化した。場の空気は凍り付いていく。


「―――死んで」

 そして、項垂れるように俯いた、アポストロの口から、声が流れ出た。

 だが。


「死ンで……よ……」

 声が震えている。

「アタシを馬鹿にして……のけ者にして……! 」

 アポストロの背中に、次々と刃が生えていく。一つ一つが意志のある生き物のように蠢いて、切っ先を戦闘員たちに向ける。まるで、品定めをするかのようだ。

「皆を……見殺しにシて……!」

 絞り出される声に苦痛が混ざる。

「化け物共が……!悪魔どもが……!」

 苦痛に笑い声が含まれていく。


 アポストロが顔を上げる。

 満面の笑みが浮かんでいる。嗜虐的な笑みだ。嬉しくて仕方が無さそうな、歪んだ醜い笑みだった。


「醜い人間共!全員、私が殺してやる!」


 楽しそうに笑うアポストロの背に生えた、刃の翼が天へ向かって伸び上がる。太陽を背にして大きな影が地面に落ちた。

「総員、防御態勢!」

 サフィールのやや焦ったような叫び声が響き渡った直後。


 肉体で形成された刃が、一斉に戦闘員たちに向かって降り注いだ。

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