7話 第十四居住区(2)

 蒼い瞳がイライナを射抜く。強い圧に震えた。

「エベンスロ二等精霊術士?答えを」

 声が冷たい。氷のようだ。太陽の柔らかな光が注ぐ室内は、彼女の声だけで冷え切ったようにすら思えた。


 サフィール・ノイシェ。若干三十代で統一軍の少将にまで至った、特級精霊術士。イライナの上司であり師匠である。


「私は精霊を捕えろ、と命じました。それなのに、捕らえた様子もなく、支部の入口を共に通って来た時には、驚きを隠せませんでしたよ。いつから精霊とお友達になったのかしら?」

 サフィールはアデルに背負われている雪路へと視線を向ける。

「そちらの子供は違法精霊術士かしら。その子供が居たから、精霊を捕えられなかった、というわけかしら。合っていますか?間違っていますか?」

 静かに責められる。


「そ、れは……」

 イライナは視線を下へと向ける。

 サフィールの声は静かなのだが、その中には強い怒りを感じる。上司から発せられる重いプレッシャーが、イライナの声を潰していく。

 それでも、言わなければ。

 まずは。

 一つ、大きく息を吸って吐く。それから姿勢を正しサフィールを真正面から見据えた。


「……彼らをここまで連れてきたのは、地下に捕えているアポストロに用事があったからです」

「統一軍がアポストロを捕らえていることは、秘密事項の一つであったはずですが?」

 う、とイライナは唸った。アポストロについて、迂闊に話したことがばれた。

「も、申し訳ありません……。あの、けど、その……」


 言葉がうまく続かない。最優先で言わなければならない言葉は何だろうか。サフィールは苛立っているようで、今にも怒鳴りそうで怖い。とても怖い。だから、興味を惹くことを言わなければ。

「……その子供は、人間じゃなくてアポストロらしいんです!」

「ちょっと待て!そっちを先に暴露するの、お前!」


 勢いのままに明かした事実に、雪路のツッコミが入った。言われて気が付いた。確かに順序が違う。

 すう、と更に室内の空気が冷えた。緊張感が増し、そこに殺気が入り混じる。出所はもちろんサフィールだ。


「……エベンスロ二等精霊術士。その話が本当であるならば、罰だけでは済みませんよ?人類の敵であるアポストロを支部に引き入れるとは……人類を裏切ることに等しい」

「いえ、事情が……!」

「ちょっとイライナ!もう少し考えて発言して!行き当たりばったりじゃなくてさ!全く、育ちが良さそうだから大丈夫だろうと思った僕が馬鹿だった!」

 体を震わせたイライナに、雪路の文句が飛んできた。そんな雪路をサフィールが睨んだ。

「随分とよく喋りますね。今はエベンスロ二等精霊術士と話しているのです。口を挟まないで下さいますか?」

 僅かな敵意が含まれた視線だ。雪路はむっと機嫌を損ねた様子で口をへの字に曲げた。


「そりゃ失礼。けどね、こちらにも予定というものがあるからさ。身内の話は追々、ということで客人の話をまずきっちりと聞くべきだと思うよ?」

「呼び寄せておいて申し訳ないのですが、貴方を客人として招き入れたわけではありません。違法精霊術士として逮捕するために、招き入れたのです」


 丁寧な口調ながら、サフィールが会議室へと招待した理由を告げた。僅かではあったが、イライナはショックを受けた。上司であるサフィールに詳細を説明していなかったものの、イライナは彼女に、『話を聞いて欲しい』と願い出た。しかし、最初からサフィールは、話を聞くつもりは無かったのだ。

 信頼されていなかった―――。


「ひどい話だ」

 雪路は言い捨てた。

「部下の話をしっかりと聞き入れるのは、上司の務めだろう」

「……は」

 “ひどい話”という言葉が、自分に向けての同情であったことに、イライナは気づいて思わず雪路を見た。雪路はつまらなそうにサフィールを見つめている。

「部下の話をまともに聞き入れず、挙句には室外に控えさせている十人の精霊術士を使って、僕らを捕まえようとしているっていうトコロかな?」

「―――!」


 サフィールが青い瞳を大きく見開いた。その反応だけで、今しがた雪路が言った言葉が、本当であることに確信できる。

「よく分かったな」

 アデルが周囲を鋭く睨みつけながら見回す。室内は整然としており、人の気配はまるでない。

「いや、人間の気配は物凄く弱っちくて感知しにくいけれどね。精霊は割と分かり易い」

 そういうものなのか、とアデルは呟いて、首を傾ける。コキリ、と骨が鳴る音がした。


「ならば、取り敢えず精霊術士十一人を退ければいいか」

「あー、そういう事になるか。いやはや、無駄足になっちゃって残念」

 アデルと雪路の会話は、いつの間にかこの場をどう切り抜けるか、というものへと変化していた。雪路の言葉に、アデルはため息交じりに呟いた。

「仕方がないさ。人間などそういうものだ」


 諦めが顕わになった言葉が、アデルの口から出て。

 人間は信頼ならないものだと、云われているようなもので。

「そ、それは違う!」

 イライナの感情は口から滑り出る。急いでアデルとサフィールの間に割って入って、膝を着いて床に額を擦りつけるようにして頭を下げた。

「お願いします、サフィール少将!話を聞いて下さい!彼らをここまで連れてきたのは、アポストロの殺し方が分かるかもしれなかったからです!」

「―――それは、本当か?」

 僅かに興味を持ったらしく、サフィールの声が降って来た。


 この世界の人間の誰もがアポストロの殺し方を知りたがっている。だから、僅かな可能性があれば、それに噛みつく。

「一体誰からの情報だ?」

 イライナはう、と唸った。情報の信ぴょう性を問われれば、果てしなく零に近い。アポストロがアポストロの殺し方を教える、という図式は傍から見れば疑わしいことこの上ない。

「あー、僕、僕だよ」


 どうやって答えようか今度はしっかりと悩んだイライナだったが、答えたのは雪路だった。相変わらずの緊張感がない声色で、あっさりと手を挙げて。

「ただ、まあ、僕が殺し方を教えたところで、お前らが実践できるとは到底思えないから、あまり希望を持たれても困るのだけれど―――というか」

 ぽりぽりと首筋を掻きながら、雪路はぼそりと低い声で零す。


「下手すれば絶望するかも」


「……それは、私たちではアポストロを殺せないかもしれないから、という……精霊を無理矢理従えているから、本来の精霊術を使えないから、という話か?」

 イライナは無意識のうちに質問する。

「けれどならば、精霊たちに協力を請うだけだろう。アデルの例がある。アポストロに個人的な恨みを持っている精霊がいないとも限らないじゃないか」

 人間に様々な性格や過去があるように、精霊にも多種多様な種類が居るはずだ。イライナがこの間契約した精霊は大人しかったことに対し、アデルがやや乱暴な性格をしているのと同じように。


「俺はお前たちに協力はせんぞ」

 心外そうにアデルは舌打ちをする。

「なぜだ?貴方は妹をアポストロに攫われたのだろう?ならば、協力した方がいい場合もあるかもしれないじゃないか」

 本当に心からの疑問だった。―――数秒後、イライナは心からの疑問を口にしたことを後悔することになる。

「精霊から力を奪うことしか知らない文明人とは名ばかりの貴様らと組もうとは考えていない」


 僅かに声にこもった侮蔑の念。ただそれだけに気圧された。何か言い返せばよかったのだろうが、明確な事実だけを突き付けられて、それに反論できるだけの言葉も真実も、持ち合わせていなかった。だから、イライナはまた、押し黙った。


「なんか勘違いしているみたいだけど、精霊術云々の問題じゃないよ。アポストロ側の問題なのだけれど……まだ確信が持てていないんだ。だから僕もどこまで介入するか決めあぐねているのだけれど……」

 疲れたように雪路はため息を吐いた。

「とりあえず、この建物の地下に捕らえられているアポストロの所まで連れて行ってよ。情報を聞き出すから。で、その後にアポストロの殺し方をアデルに教える。別に部屋に入るな、とかは言わないからさ。勝手に立ち会えばいいんじゃない?」

 軽い口調で雪路はさらさらと喋った。おそらく最初から考えていたことなのだろう。

 それにしてもこの少年、矢鱈と口調が軽すぎる。


「僕のことを信頼できないというのならば、それで全然いいよ。人間など猜疑心の塊なのだから、仕方が無いだろう。人間がアポストロに殺されているのだから、そりゃ怖いだろうさ」

 怖い、という単語にサフィールがむっと表情を曇らせた。それに気づいている筈なのに、雪路は続ける。

「けどね。殺したのは僕じゃない。僕はこの世界に来て一人もまだ殺していない。殺したのは他のアポストロだ。お前たちは人間が人間を殺したら、人間すべてを憎むかい?それと同じように考えて欲しいかな」

 ある意味では納得できる話だった。よくあるたとえ話でもあった。

 人間が人間を殺せば、人間すべてが憎くなるかと言われればそうではない。確かにそうだ。それでも雪路というアポストロに警戒心を抱かずにいられないのは―――。


「ま、得体の知れないものを怖がるな、と言うだけ難しいから。別に広い心を持てとは言わないよ」

 雪路は欠伸をしながら、その場にいる人間たちに問いかける。

「それで、どうするの?僕らを攻撃する?それとも地下のアポストロの所まで案内するの?どちらにしてもリスキーだとは思うけれど」


 室内に静寂が訪れた。燦々と降り注ぐ太陽の光が、僅かに室内を暖めているだけで。冷酷な色へと変貌し始めていたサフィールの瞳が一度閉じられ、顔を手で覆って、彼女は深く長いため息を吐いた。

 それから顔から手を離し、雪路を睨む。


「……妙な真似をしたら」

「それは聞き飽きた。勝手にすれば?」

 釘を刺そうとしたサフィールの言葉を遮って、雪路はへらりと笑う。全く緊張感の無い笑みに、少しイライナは苛立った。

「但し、そっちが僕らの邪魔をしたら、その時は分かっているよね?」

 軽い口調から放たれる言葉の内容は、脅迫に他ならない。非常に安っぽい。脅威とも思えない。


 サフィールはつい、と視線を背後や左右へと動かした。おそらく、壁の向こう側に控えているだろう部下たちの位置を確認している。

 小さなため息が聞こえる。どこか観念したような、少し気持ちを整えるような。そのための意識的なひと区切り。

 サフィールは雪路を睨んで言う。


「分かった。連れて行こう」

「もう少し迷うと思ってた」

 正直な感想なのだろう。雪路が苦笑する。対し、サフィールは本当に憎々しそうに歯ぎしりをした。

「……人間の現状は刻一刻と悪化するばかりだ。アポストロが現れてから、居住区の人口だけでも、ここ三十年ほどで三十パーセントは減っている。早急に対処しなければならないのは事実だ。僅かな希望にでも悪にもで、縋ってでも生き残るために、倫理も正義など斬り捨てなければならないんだ」

 人間は今、焦りを感じている。襲撃者であるアポストロに対する決定的な駆除方法は見つからず。嬲り殺されるばかりの日々。彼らアポストロは爆弾だ。その気になれば、人間へ総攻撃をかけて滅ぼすことができる。

 だから焦りを感じる。恐怖を感じる。

 いつ、どのように自分たちの命が散るのだろうか、と。

 ならばそれらを払しょくしなければ。

 絶望に縋りついてでも。何を犠牲に払ってでも。


「先ほどは少し感情的になって、叱ってしまって悪かった、イライナ・エベンスロ二等精霊術士」

 サフィールの口から謝罪が滑り落ちた。

「私も結局君と同じ選択をした。しっかりと謝らせてくれ」

イライナは耳まで真っ赤にして感極まった。自分が肯定されたこと。それが何より嬉しかった。

「―――いえ、その、私も……もう少し慎重に行動すべきでしたので……」

 しどろもどろに口を動かすイライナは、


「お前らの現状とか全く興味ないから。さっさと案内してよ」

空気を読まない雪路を、今すぐに殴り飛ばしたくなった。

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