7話 第十四居住区(1)

 精霊とは、一見すれば人間と変わりない姿をしている。しかし、彼らは心を持っていない。心を持っているように見えるのは、人間の行動を真似しているからだ。


 ―――これは、精霊術士を志す軍人のたまごが、軍学校で必ず教えられる文言だ。

 精霊は心を持たない。

 人の真似をしている、エネルギー体。

 電気やガスのように、消費するもの。

 そして、火薬の類が一切通用しないアポストロに、僅かでも怪我を負わせることができる、唯一の力。


 誰もが教えられたとおりの事を鵜呑みにしている。

 現実から目を逸らしている人間が幾人もいることを、イライナは知っていた。

 人間に捕えられた精霊は、どこか悲しい目をしていた。人を憎むような視線を送ってきた。それでも誰もが、自身に言い聞かす。


―――これは、人間の為なのだから。

―――自分たちが生き残るためなのだから、仕方が無いことだ。

 だから、困ってしまう。


「たく、この虚弱体質!もう少し体力をつけろ!」

 前方を歩く上背の、がっしりとした体格の、凛々しい青年の姿をした精霊が、怒鳴っている。

 まるで、人間のようだ。


 更に言うならば、精霊が背負っているのは、貧弱そうな人間の少年の姿をしたアポストロ―――いわゆる人類の敵だ。

 アポストロたちによる人間の大量虐殺により、世界の居住区の人間の総人口は急下降の一途を辿っている。一人のアポストロの襲撃により、死亡する人間の数はおよそ千から一万ほど。老若男女問わず、殺されていく。

 アポストロたちは嘲笑しながら、人間を未知の力で嬲り殺す。まるで、実力差を見せつけるように。

 イライナが初めてアポストロを見た時、彼らの恐ろしさと身の内に巣くう醜悪な感情に、吐き気をもよおした。嫌悪すべき敵だということを、直感的に理解した。

 だというのに。


「うっさいなぁ。僕はお前にマナを渡して、疲れて疲れてたまらなかったんだぞ。そこにこの長い坂道だ。そりゃ、体力尽きるよ」

 なんとも情けない声を出して、精霊の背中に張り付いて休みを決め込んでいる、男か女か今一分かりにくい、顔立ちだけはしっかりと整った子供。彼がアポストロだ、と言われても、未だ現実味が薄い。

 困った。本当に困った、とイライナは頭を抱え続けていた。


 精霊術士のイライナ、部下であるジークハルト、そして精霊の青年・アデルとアポストロを名乗るモノ・雪路は、居住区で捉えられたアポストロが移送された先へ向かい、山道を歩いていた。

 やや傾斜が厳しく、体力をじわりじわりと奪っていく山道で、早々に雪路は音を上げて、アデルに背負ってもらっている。そのことに対して、アデルは文句をたらたらと口にしている。


「今後、お前にマナとやらが戻らなかったらどうするんだ?俺だっていつも背負ってやれるわけじゃないんだぞ」

「だぁから、体力つけたくてもつかない体なんだってば!元の設定値を弄らなきゃどうにも!自然と成長するお前らと一緒にすんなっての!」

 雪路はアデルの言葉に、唇を尖らせて反論する。まるで子供のように。


「……兄弟みたいッスね、あの二人」

 こそりとジークハルトが耳打ちをしてくる。

「……そう、だな」

 舌打ちをしながら、イライナは部下であるジークハルトの言葉を素直に認めた。

 傍から見れば、何処にでもいそうな面倒見の良い兄と、我儘な弟そのものだ。


 だから調子が狂う。

 道具として扱ってきた精霊。化け物として敵視してきたアポストロ。どちらも随分と人間らしい表情を見せるものだから。

(いや、だからといって惑わされるな)

 イライナは自分に言い聞かせた。


 彼らを居住区へ連れて行くのは、アポストロの殺し方の糸口を見つけるためだ。

 雪路が話す内容が全て本当だとすれば、アポストロの周囲を護る“防護壁”を破壊できれば、彼らは人間と同じように重傷を負えば死亡する。

 もし、アポストロが殺せるようになれば、人間の現状を覆せる。

(嘘であったなら、その時は捕らえるまでだ)

 話を聞いたところ、雪路は十分な実力が出せない状態であるらしい。これも嘘ならば少々面倒ではあるが、それでも居住区内に引き入れるだけの価値があると、イライナは判断した。


 今、向かっている第十四居住区には、軍の中でも腕利きの精霊術士が二人、常駐している。何人ものアポストロを捕まえてきた経験もある彼らならば、どれ程の実力があるかは分からないが、雪路と名乗るアポストロを捕らえることもできるはずだ。

 それに。個人的な用もある。

 イライナの視線を自然と、雪路の腰にぶら下がる、白い鞘の剣へと集中していく。


(あれは、なんとしても取り戻さなければ……)

「おい、あれか?」

 アデルの声に、イライナは顔を上げる。

 山道の、やや小高い場所に四人は至っていた。道の先を見下ろせば、高い壁に囲まれた都市が見えてきていた。


「ああ。そうだ。あれが第十四居住区。あそこに、この間捕らえたアポストロが収容されている」

「へぇ、安心した。嘘じゃないみたい」

 イライナの言葉を聞いた雪路は、薄く笑いながら感想を告げる。

「本当に弱い気配だけど、確かにいるや」

「ああ、それはよかった。取り敢えず無駄足にはならなそうだ」

 雪路の言葉に、アデルは安心したように呟いた。


 二人のやり取りを聞いて、ジークハルトが一言。

「……信頼されてなかったんスね」

「……そのようだ」

 イライナも認めた。

 どうやら、互いに半信半疑でありながら、利点を取って行動しているだけの間柄、となっているらしい。

(いや、それでもいい。それでも……)

 気持ちが前に向くように、イライナは前を見る。

 アデルと名乗る精霊の後姿が目に入る。そうして、少しだけ後ろめたくなって、視線を逸らす。




 第十四居住区は、統一軍の支部が置かれている居住区の一つだ。他の居住区と比べ、強度がある壁に囲まれ、背の高いビル群が立ち並ぶ。行きかう人々も軍関係の人間が多く、また、精霊術士の養成施設も存在する。


「―――精霊が多いな」

 だから、アデルは率直に感想を告げたのだろう。

「人間も多いね。この間の居住区よりも」

 しかし何故、雪路がそのような感想を述べたのかは分からない。居住区内に入った所感なのだろうか。

「あー、精霊術士の養成施設がありますからねぇ、ここ。精霊を収容する施設もあるんスよ」


 わざわざ精霊の目の前で暴露するジークハルトの背中を、イライナは思い切り張り手をかます。悲鳴を上げてジークハルトが前にのめる。気にせずイライナは、口早に喋る。


「アポストロを捕らえているのは、統一軍支部の地下だ。まずは支部へ向かおう」

「先に他の軍人に連絡を入れておいて、支部に入ったら剣を向けられる……とかいうのは止めてね」

 雪路がまるで釘を刺すように言って来る。

「ああ。それは勘弁してほしいな。切り抜けるのに骨がいりそうだ」

 捕まったらたまらない、という発想が出てこないあたり、アデルはどうやら、精霊術士に囲まれても切り抜けられる自信があるらしい。

 さすがはAランクの力を持つと目された精霊だ。


「安心しろ。そんな事はしない」

「ホントかなぁ?騙りは人間の得意な事の一つだからね」

「少しは信用してくれないか?私も貴様の話を、ある程度は信じようと思ったのだから」

 やけに慎重な雪路に対し、イライナはやや疲れた声で物申す。

 互いに口約束をしている関係で、信頼できる証拠など殆ど揃っていない状態だ。そこで重要になってくるのは、互いが信頼する心であるだろう、とイライナは個人的に思っている。

 だが、雪路は鼻で笑った。

 馬鹿にするように。


「僕はこれでも、一万年以上生きているから。人間を信用しようとして、痛い目を見たことがある。無条件で人間を信じるのは危険だと脳髄にまで焼き付いているんだ。“こいつは信用してもいい奴だ”と判断するまでは、僕はお前たちを決して信用しない。お前たちが僕を信用するのは勝手だとしてね」

「なんだ、随分と間抜けな奴なんだな、貴様は」

 馬鹿にするように笑い返せば、雪路はまた笑う。

「そうだねぇ、馬鹿だったんだよ。そんでもって、過去の経験から人間は基本的に嫌いだし、信用しないと決めている。―――だから忠告」

 雪路はイライナの鼻先に向けて指を真っすぐに指した。


 表情から笑みの一切が消えている。真剣な眼差しがこちらを向いている。それは、イライナを射竦めるのに十分な、心臓を貫くような眼差しだった。

「お前がもし、僕らを捕えようと考えたのなら、その時点で僕はお前らを信用しない。この場からとっとと立ち去るよ。結局のところ、アポストロなど適当に見つければいいのだし、僕らにはお前たちに協力しなければならない絶対の理由が存在しないのだから」

 人の心を見透かすかのような、紫色の瞳。威圧されて、イライナは無意識に息を呑んだ。その事実に気づいて、慌てて精一杯の虚勢を張るために尋ねる。


「逃げ切れると思っているのか?」

「うん」

 あっさりと雪路が答えた。何の迷いもない。自信があるとも違う。ただ、自然とそうなる、とでも言うかのような。


 見下されているのは明確で、だからこそイライナは舌打ちをした。

「人間を舐めていると、今に後悔するぞ」

「後悔ならばとうにしたさ。だからこそ、間違わないように念を押しているんだ」

 僅かに笑った、今度の雪路の表情には、少しだけの物寂しさが含まれていた。

 イライナは鼻を鳴らして踵を返し、早足で統一軍支部のビルへ向かう。

(ああ、もう……。どう接していいのか分からん!)

 内心では、人間のような顔をする精霊とアポストロに、かなり戸惑いながら。




 統一軍とは、人間の秩序と平和を護るために設立された、世界で唯一の軍隊の名前である。

 かつては国というコミュニティが各自所有していた戦力を、軍隊と称することもあったというが、今の時代に国という概念は存在していない。

 あるとすれば、居住区、居住外区、部族という三つの区分だけ。統一軍はこのうち、居住区と居住外区の人間を護っている。

 統一軍は居住区五つにつき一つ、“支部”を設置。周囲五つの居住区の安全を護る要とし、日々、人々の安寧を護ろうと努力を続けている。

 第十四居住区の統一軍支部は、居住区の中心に位置する、鈍色の十階建てのビルだ。敷地は広く、昼前はベンチに腰掛ける統一軍の職員がちらほらと見られる。


「結構な所にビルを建てているな」

 アデルは地面を見ながら、感想を述べた。

「軍の支部は、人類の護りの要だ。第十四居住区の全てを見渡せられるよう、居住区の中心部に設置するのは当然だ」

「いや、そういう意味ではないのだが……まあ、分からないか」

 当たり前のように言ったら、諦めたような言葉を口にされた。

「そうか……」

 イライナは話を流そうとしたが、

―――精霊は人間を諦めている。

アデルの以前の言葉が脳裏に過る。


(ここで無関心を装ったら、余計に呆れられるのでは?これ以上人間の評判を落とすのは、非常に不本意だ!)

 軍人としてではなく、一個人の感情が膨れ上がり、イライナは声を上ずらせて質問する。

「き、気になることがあったら、是非とも言ってくれ!ていうか知りたい!」


 少し前のめりに尋ねると、アデルは目を丸くしていた。目つきが悪いアデルの目が丸いということは、今の態度はかなり驚かれたようだ。イライナは慌てて身を引いて、俯いた。

「あ、ああ、すまない……。少々、声が大きすぎた……」

 なんだかとても恥ずかしい。ちらと視線を再びアデルへと向ければ、彼は特に気にした様子もなく、黙々と前を向いて歩いている。代わりに彼の背中で相変わらず背負われている雪路が、どこか愉快そうにイライナを見つめている。

「見るな、糞チビ」

「あー、はいはい」


 くつくつと喉を鳴らしながら雪路はイライナから視線を外した。が、どうにも心の中を読まれているような、不快な気分が消えない。

(ていうか、アポストロって人の心を読めたりしないだろうな……)

 今更ながらの不安が過ったが、それはない筈だ、と自分に言い聞かせて、統一軍・第十四居住区支部のビルの自動ドアを通り抜ける。


 すう、と涼しい風が辺りを包み込む。

 ビルの室内は相変わらず清潔感を重視した、解放された空間だった。吹き抜けは五階まで続き、そこまでは一般人に開放されている、公共施設も揃っている。スーツ姿の人間から軍服を着用した人物まで行きかう人の職種は様々だが、全員が武具を体のどこかに装着し、有事に備えている共通点を持つ。


「ここで待っていてくれ。上司に繋ぐ」

 指示を出すイライナは、受付へと向かう。イライナの姿に気づいた受付嬢が、軽く会釈をする。

「お久しぶりです、イライナ様。一体また、どうして……?」

「いや。少し紹介したい者たちが居てな。……ノイシェ少将はいらっしゃるか?」

 イライナの言葉に、怪訝そうにアデルと雪路を見つめながらも、受付嬢は手元のパソコンを確認する。そして、備え付けの電話の受話器を取り、内線を繋いだ。

「……ええ、そうです。イライナ様が、ご用事があると……。今、代わります。……どうぞ」

 差し出された受話器を受け取る。なるべく声が厳かになるように意識しながら、イライナは声を出した。


「お久しぶりです、イライナ・エベンスロです。今、少々お時間をいただけますか?かなり緊急のお話がありまして。はい、“探し物”は見つかったのですが……少し意外な展開になったので。お部屋で是非とも少し、お話をしていただきたく……」

 この場で全てを話すわけにはいかないため、イライナは簡単な説明を行う。

 アデルは強力なAランクの能力を持つ精霊であり、既に要捕縛対象として軍に指名手配されている。ただ、一般人にそのことを知られ、万が一にも違法な精霊狩りに奪われないように、アデルのことは“探し物”と軍人の間では称されている。


 電話口から声が聞こえる。やや低い、どこか機械的な女性の声だ。

『分かりました。お話を伺いましょう。第四会議室までいらしてください』

「はい。分かりました」

 そこまでで会話は終わり、イライナはゆっくりと受話器を置いて、息を深く吐いた。

 ああ、緊張した。

「おい、ついてこい」

 イライナが再び指示を出すと、アデルはやや剣呑な目つきになった。

「目的は地下だ。直接地下で、ということでいいんじゃないのか?何より時間が勿体ない」

「いやいや、組織だった人間っていうのは、手続きとか面会とか会議とか、そういった情報交換の場を設けないと、何故か相手を信用しないものだから。ここは一応、待ってやろうよ」

 やたらと上から目線の雪路が、アデルを宥めることに、イライナはやや意外に思いつつ、エレベーターに乗り込んだ。ガラス張りのエレベーターは、外の様子がよく見えた。今日は快晴。太陽の光が心地よい。

 イライナは、六階と八階のボタンを押して、さて、と次はジークハルトへ指示を出す。


「私は今から、サフィール少将へ会いに行く。お前は帰参報告書を書いておいてくれ」

「うへぇい」

 やる気の無い返事が、ジークハルトの口から漏れ出した。この新しい部下は、素直であることでは好感を持てるが、やる気の無さに関しては苛立ちを覚える。

 そうこうしている内に、エレベーターは六階まで来て、停止した。ジークハルトは重い足取りでエレベーターを降り、雪路たちに手を軽く振った。

「そんじゃ、雪路くん、アデルさん。頑張ってな」

「そっちも、死なない程度に頑張りなよ」

 雪路の言葉にジークハルトは苦笑しながら、ふらりふらりとフロアへ去って行く。


 エレベーターのドアが閉まる。機械の駆動音が妙に大きく聞こえる。会話が無い。すぐに八階に到着し、イライナたちはエレベーターを降りた。イライナが先導して長い廊下を歩き、あっという間に第四会議室の前まで辿り着く。


「失礼の無いようにな」

「それはそちらの出方次第だ」

「礼儀を欠く相手に、礼儀を尽くしたくはないよねぇ」

 イライナは釘を刺そうとしたが、失敗する。それどころか、少しでもこちらの応対の仕方を失敗すれば、彼らが自分たちを敵と見なすと、実に簡単に脅された。


(上等だ。その時は……実力行使だ)

 特に雪路に対しては。アポストロに対しては、個人的な恨みもあるわけだし。

 イライナはやや重い扉をノックし、開いた。

 第四会議室はやや小さいながらも、調度品はそれなりに高価な物が揃っている。室内は南向きであるために明るく、開放感が味わえるようにと、天井まで届く広い窓が壁にはめ込まれている。

 そして。窓の前には、一人の女性が立っていた。長く黒い髪を腰まで垂らした、眼鏡を掛けた軍服の、妙齢の女性。

 彼女はアデルを見て、イライナを静かな緑の瞳で射抜いた。その視線の圧に、イライナは息を呑む。


「……これは、どういうことですか?説明していただけるのですよね、イライナ・エベンスロ二等精霊術士」

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