6話 ヴォールカシヤ遺跡(2)

 どのくらい走り続けただろうか。やがてドーム状の広い部屋に出た。辺りの水路に流れる水は大分綺麗で、その空間だけ何か別のものを感じたのだが―――とりあえず重かった、肩の荷物、即ちイライナを乱暴に降ろした。


「あいた!ちょっと、思いやりをもって降ろしてくれないか!」


 早速文句を言う彼女を無視して、アデルはドーム内を見渡した。

 天井には絵画。柔らかい翼を持つ女神。飛び交う色とりどりの輝きは、かつての精霊たちの姿。始原の神話。精霊たちがまだ、人間の姿を獲得する以前の話。その全てが積み重ねた年月により、やや色あせながらもはっきりと描かれている。ドームの中心には、顔や体の欠けた人間の像は、神と呼ばれた者の一人を模したものだ。腕に赤ん坊を抱いている所を見ると、地母神か。


「……精霊信仰か。懐かしいな」

 アデルは懐かしそうに呟いた。


 遠い、遠い昔。人間が科学を得る前に存在した、精霊たちを祀り、崇める信仰だ。その頃の人間は精霊を神々の使いと信じ、彼らへ向けて祈りを捧げていた。その見返りに、精霊たちは人間に力を貸していた。

 いわゆる、ギブアンドテイクの関係は限りなく良好だった。


 だが、信仰は徐々に薄れていき、今では。

「―――命じる。我が名はイライナ・エベンスロ」

 背後から奇襲をかけるようにして呟かれるのは、契約術とは名ばかりの、精霊を私有化するために、人間たちが考えた呪いの言葉。


 イライナがチェーンをアデルに向けつつ、口早に唱えていた。

「今この時より、汝の父であり母であり、そして主人である。汝は力果てるまで我が命を護り続けよ。大地の精霊―――汝は今よりマイン―――我が鎧である!」

 向かって来るのは力の鎖。精霊を捕縛する、人間には視えない忌々しい鎖の蛇だ。生き物のようにうねりつつ、アデルを捕えようと襲い掛かる鎖。それを見て、アデルはため息交じりに口を開く。ただ一言。とある文言を口にするために。

しかしながら、アデルがとある文言を口にするより前に、鎖の蛇は見えない壁にぶつかったかのように、弾けて消え去った。


「―――む?」

 今のは何か。理解できずにアデルは目を瞠った。

「嘘!」

 イライナの手元のチェーンが砕け散った。それを見て驚きの声をイライナは上げた。


「何をやった!貴様!」

「いや、何もしてねぇ」

「何もしていないのならば、なぜ契約術が壊れたんだ!」

「知るかよ」


 乱暴にアデルは答えた。

 イライナの言葉遣いは、おそらく上流階級のそれであり、アデルにとって非常に苛立たせるものだった。


「くそ、もう一度……!今度こそ!こんな強力な精霊を手に入れられるなど、滅多にないことなのだから……!」

 ポシェットから新しいチェーンを取り出し、もう一度契約術を行使しようとする。なので、アデルは鋭く一言、忠告した。


「今度お前が契約術の動作に入ったら、即座に殺す」

 しかし、アデルの直接的な脅しに対し、イライナは鼻を鳴らす。馬鹿にしたような笑いに、少しだけアデルは苛立ちを覚える。

「ふん。古跡の中では精霊は思う通りに力を行使できないことを、私が知らないとでも思ったのか?」

「力を思い通りに使えない状態でも、先ほど古跡獣を殴り飛ばした程度の力は出せる。お前が剣を抜くのが先か、俺が拳でその脳天を破壊するのが先か……試してみてもいいが、どうする?」


 アデルは拳を強く握りしめ、イライナを睨んだ。

 相手が動こうとすれば、いつでも応戦できるように。一撃で殺せるように、用意だけはしておく。イライナは視線を彷徨わせたが、

「……くっ……」

小さく唸って、大人しくポシェットにチェーンを仕舞った。

 アデルは少しだけ安堵する。いざとなれば人間を殺す覚悟はできているが、出来る限りは殺したくない、という感情が少しだけ、常に持ち続けている。それは、単に人間の事をなぜか大切に思っている、妹を想っての感情であるのだが。


 不誠実は犯したくない。

「よし。じゃあ、しばらく精霊術は使わず、大人しくしていろよ。いいな?」

「なぜ精霊なぞに、命令をされなければならないのだ……」

 文句を呟くイライナに、アデルは仰々しくため息を吐いた。

「いいな?特にお前が縛りつけている、その炎の精霊はかなりの高齢だ。古跡で能力を使おうものならば、ぽっくり死んでしまうかもしれん。注意しろよ」


「……高齢?」

 イライナは首を傾げた。

「何を言っているんだ。精霊に年齢や死は無いだろう?」

 当然のように、自分たちが決めつけた常識を口にしてくる。苛立ちと共に嫌悪感がこみ上げてきて―――感情をそのまま声に混ぜ合わせて睨む。

「それはお前たちが勝手に決めつけているだけだろう、この糞共が」

 口調はやや荒々しく、殺気がこもった。イライナが目を丸くして、アデルを見つめてきている。よくもまあ、この状況で見つめ返す根性があるものだ、と憎々しく思えば。


「じゃあ、精霊には寿命があるのか?」

 前のめりになりながら、イライナが尋ねてくる。

「どのくらい精霊は存在し続けられるんだ?」

「生きると言え」

「あ、ああ」

 イライナは頷いて、咳払いをして仕切り直す。

「すまない。精霊は寿命があると言ったが、どのくらい生き続けられるんだ?やはり自然環境によって寿命が決定するのか?それとも能力差?属性の違い?今先ほど、この精霊武具の中に宿っている精霊が高齢だと言ったが、どうして分かった?」


 質問攻めである。ぐいぐいと尋ねてくる。全くの遠慮もない。ただ、彼女は好奇心を口から漏らし続けている。

(へ、変な人間だな……)

 つい先ほどまで、精霊の話など聞く耳持たない、という態度だったのに。

 アデルは腕を組んで、少し黙った。その間も、好奇心の眼差しをイライナは向けてくる。この視線に耐えられるか。いや、耐えられない。薄く息を吸い、ゆっくり

と吐く。


「……精霊に決まった寿命はない。基本的に何事も無ければ、永遠に生き続けられる」

「そうなのか」

「だが、俺たち精霊は命ある存在に変わりはない。命が尽きる条件は当然ある」

「ほう。それは?」

「……一つ、人間や他の生き物と同様に、重症を負うこと。失血死もある」

「血が流れているのか?精霊に?」

「二つ目は病気。精霊のみに流行る病も存在し、それに罹れば死亡する可能性は十分にあり得る」

「……病気にもなるのか」

「そして、三つ目。過度に能力を……精霊術を断続的に使用すること。俺たち精霊は、精霊術を使う際にエネルギーを消費する。走り続ければ体力が尽きるように、エネルギーはしっかりと補給しなければならないし、休息も当然必要だ。もし補給も休息もせずに精霊術を使い続ければ、死ぬ」

「……精霊術が……」

「お前たち人間が契約術と称して精霊を武器に縛りつけ使っている精霊術も、精霊のエネルギーを消費している。無理強いをすればするほど、精霊の寿命は縮まり、何百年と生き続ける事が出来た筈の精霊が、僅か数年で死亡することは少なくない」

「……」


 イライナが黙り込んだ。表情は完全に固まっている。

 本当に感情が分かり易い人間である。

 精霊たちは、人間に契約術で縛りつけられることで、その寿命を急激に縮ませている。契約術は際限なく精霊術を行使できる。精霊の命を削ってでも、人間が望んだ通りの精霊術を引き出す、悪徳極まりないものだ。

 それは。


「まさか、知らずに使っていたのか?」

 一般の精霊術士たちには伝えられていない事実。伏せられている事実である。

 アデルは敢えてイライナにその事実を突きつけた。これは単なる意地悪であり、八つ当たりでもある。


「…………だが、精霊術無しでは……我々はアポストロに、対抗すらできず、嬲り殺されるばかりだ……」

 吹けば消えるような声で、僅かながら反論をイライナは述べてきた。

 当然それは人間の言い分である。


「そうだな。そうやって言い訳を作って、生きるためには何かを犠牲にするのが人間だ。精霊たちはとうにお前たちをそういうモノだと認め、諦めている。だからこそ、俺たちはお前たちに協力することを止めたんだ」

 ため息交じりにアデルが一つの結論を告げた。


―――人間は諦めよう。


 契約術が完成し、精霊たちが捕えられ始めてから少しの後。とある精霊の長が一つの結論を下した。


 かつて、精霊は人間に信仰の対象とされていたが、あくまでかつての話である。今はもう、科学が発展し、人間たちは精霊たちが齎した恵みを忘れ、信仰の祈りは居住区を中心に途絶えていった。

 それでも人間は自然の中に生きるモノであり、精霊にとっては加護の対象でもあったが―――精霊が齎した優しさすら忘れ去り、人間は精霊を道具として、奴隷として扱うことを覚えてしまった。


 さすがに呆れ果てて、精霊は人間を見捨てることを是としたのだ。

 精霊が人間を見捨てれば、何れ彼らが滅び果てることを知っていたから。


 それは、精霊から人間に向けての最大の復讐だ。

 精霊の長たちの総意で決められた、人類という生命の結末だった。


「……その、なんというか……」

 ぼそぼそ、と口の中で言葉を紡ごうとして、しかしうまい言葉が見つからなかったのか、イライナは結局息を呑みこんで、数秒。

「……………すまない…………」

 彼女は絞り出した精一杯の言葉は、本当にか細いものだった。

 そして。


「……おそらく我々は……人間は、そして私も、今しがた貴方が語ったことを知ったとしても、契約術の行使を辞めることはできない」

 契約術に使用されるチェーンをもう一度、ポシェットから取り出し、アデルへと向ける。蒼い瞳は迷いを僅かに浮かべながらも、真っすぐアデルを見据えている。

「私は上司より、貴方の確保、及びあのチビが盗んでいった私の精霊武具の回収を命じられている。アポストロの攻撃は年々、激しさを増してきている現在、より強力な精霊の確保は、人間にとって最優先事項だ。人を護るために、貴方たちには人柱になってもらう他ない!」


 自分に言い聞かせるような声に震えは無い。決意に変わりはない。人間を護るために精霊を犠牲にするという誓いも、おそらく彼女は変えない。

「お前がその立場を変えないと言うのならば、俺も相応の対応をするだけだ」

 アデルは指に力を込める。自らの“声”が大地に届かない以上、肉弾戦で戦うしかない。しかしながら、イライナという女性の剣術は、見たところ並である。昨今の軍人とは、精霊術への適性を重視するばかりで、本人の戦闘技術を軽視する傾向がある。おそらく、目の前の女性も、例外に漏れず、精霊術の適性が高かったからこそ、若くして軍人の階位を与えられた存在だ。


ましてや、雪路の阿呆みたいな剣術を見た後だ。人間の剣術は最早、霞んで見える。

 両者は睨み合う。イライナの全身に緊張が奔った。

 来るか。

 アデルは迎撃すべく、そしてイライナに重い一撃を加えるべく、体に力を込めて。


「ケンカ?」


 妙に幼い声が辺りに響き渡ったことで、別の緊張感がドーム状の室内を一気に満たした。

 息を詰め、声がした方向へと視線を向ける。

 ドームの中心の、体の各所が欠けた地母神像。その胸に抱かれた白磁の赤ん坊の目が蠢いた。


「ケンカ、ダメ」

 口が動いた。

「な、なんだ……?」

 イライナがぶるりと震えて、剣を白磁の赤ん坊に向ける。


「―――古跡獣……」

 アデルの口は、言葉を零す。

「な、何を言っている?古跡獣というのは、なんだかよく分からない、人間の成り損ないみたいな形をした白い獣のことだろう?」

 信じられない、とイライナは声を上げる。

「ここまでヒトの形を保っているものは……」

 地母神の像の腕から逃れるように、ずるりと落ちた白磁の赤ん坊は、ぐるぐると目玉のみを蠢かし、やがて目玉はぴたりとイライナの姿を捉えた。


「生まれたんだよ!今、この場で!」


 ぶくりと赤ん坊が膨らんだ。みるみるうちに巨大化していき、五メートルほどの白い肉の塊へと変貌していく。他の古跡獣に違わず、体の各所に顔が浮き出るが、それは全て年端のいかない子供のものばかりだ。


「ケンカ、シナイデ」

「イヤダヨ」

「オカアサン」


 全ての顔が一斉に騒ぎ始めた。まるでインコのオウム返しのように、一つの顔につき一つ、同じ言葉をただひたすらに繰り返し始める。

 そして、言葉が揃う。


「「「シンデシマエ」」」


 イライナへ向かって転がるように、古跡獣が襲い掛かる。生まれたての古跡獣の特徴である、太く短い手足はまだ、体を支えて走るには不十分だ。

 速度は遅い。イライナは剣を構え、

「炎を……」

そこまで言ってから、彼女の動きが止まった。いや、躊躇った。


 その一瞬、彼女の中で何が駆け巡ったのだろうか。

 剣の中に封じられた精霊が、高齢だということをアデルが伝えた。その言葉から、多大な負荷がかかる古跡で、精霊術を行使することが、精霊にとって命に係わる事柄だと理解して。

 精霊術を失うことが恐ろしくなったのか。それとも、精霊という命を喪うことが恐ろしくなったのか。


「何をやってんだ!」


 アデルは怒鳴ると同時に、人間には決して聞こえない命令を発した。自身の力が弱まっている現在、アデルから下される命令に従う“大地の力”は少なかったが―――それでも確かに応えてくれた。

 古跡獣の視界に薄く、しかし広く砂塵が集まった。砂は古跡獣が目標としていたイライナを数瞬隠す。その間にアデルは拳を握りしめ、古跡獣を持ち前の腕力で殴り飛ばした。肉特有の弾力が僅かにアデルの拳を押し返そうとしたが、それは敵わず、生まれたての古跡獣は地面をゴロゴロと転がり、壁にぶつかって制止した。

「す、すまない……」

 再度謝るイライナには目もくれず、アデルは女神像を睨む。

 女神像の腕は優しく赤ん坊を抱きかかえる形をとっている。その腕の中に、火花が散る。黒い火花だ。火花は徐々に形を成していき、今再び、白磁の赤ん坊を―――古跡獣を生み出しつつあった。


 アデルはイライナの腕を力強く引っ張る。

「とにかく逃げるぞ!ここは屍胎だ!」

「こ、ここが……?」

 イライナは息を呑んだ。


 屍胎―――古跡獣が生まれる古跡の通称。

そこは、人間にとって危険な場所だ。倒しても湧き出で来る古跡獣たちは皆、怪我の治りが異様に早く、何よりも、屍胎にて生まれた古跡獣は、執拗に人間の命を狙ってくる。


 かくしてアデルはイライナと共にドーム状の部屋から逃げ出す。生まれたての古跡獣がわらわらと追って来る。口から発せられる赤ん坊の声が幾重にも重なって、辺りに響き渡っていく。


 二人は追って来る古跡獣から少しでも距離を取るために、長い廊下をひたすら走り続ける。


「けど、どうやって、あいつらから逃げるんだ!」

 走りながら、イライナはアデルに問いかける。

「ここは、湖の真ん中の古跡だぞ!」


 廊下に取り付けられた窓ガラスの無い窓。そこから覗く外の景色は、茶色く濁った湖の姿だ。陸地までの距離は、少なくとも跳んで届くものではない。泳いで渡るとしても、アデルは直感で、湖全体が古跡の領域だと感じ取っていた。なので、古跡獣は湖の上でも追って来ることができる。

 一方のアデルはカナヅチで、イライナは人間だ。水の中では圧倒的に移動速度が落ちる。


 逃げ出すのは困難か。

 いや。

 もう一つの脱出手段を、今しがたアデルは思いついた。


(雪路を見つけられれば……)

 たった一度しか見たことがないが、雪路は背中に翼を生やすことが可能だ。アポストロと同じ性能を持っているとすれば、彼は空を飛べる。空を飛べれば、この場から脱することは可能だ。


「ママ」「オカアサン」「タスケテ」「オナカスイタヨ」「クルシイヨ」


 背後から迫る声の数々を振り払いつつ、アデルは視界を必死に巡らせ、心の中で呼びかける。

(雪路……。一体、どこにいるんだ……!)

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