5話 イルス村(5)
その泣き声は、悲痛なものだった。
何かを求める声でもあった。
誰のものであるのかは―――雪路は容易に想像できた。
「あっち」
声がする方を、雪路はアデルの背中から指をさした。
「あっち行って」
「命令すんな」
アデルは不服そうに舌打ちをして、それでもいう事を聞いてくれて、声がする方へと向かう。その先には、雪路が予測した通り、サリナが大泣きをしていた。涙は瞳からぼろぼろと零れ落ち、鼻水が口を伝って顎まで垂れていた。それらを拭くことなく、サリナは泣きじゃくり続ける。
「どこにもいないよ!どうしよう、どこにもいない!」
彼女は叫ぶ。
「お父さん!お母さん!」
サリナは辺りを見渡しながら叫んだ。当然ながら返事などは無い。
「サリナ、何を言っているの!お父さんたちはもう……」
姉であるビアンカは、戸惑った様子でサリナを説得しようとして、口が動かなくなる。息を詰まらせ、それ以上の言葉が零れ出ないように、必死に堪えている。瞳が震える。悲しみからくるものだ。
「可哀想に。まだご両親が亡くなったことが理解できていないのね」
「しかもあの化け物を見た後だもの。ショックで思い出してしまったのだろう」
周囲の村人たちの推測ばかりの言葉には、全く真実は含まれていない。
サリナは今でも探している。
幽霊となっても傍に居てくれた両親を。
その両親の魂は、既に白い砂となって消えていった。
雪路が彼らを使ったから、ここにはもういない。
「……アデル」
こそり、と小声で雪路がアデルに耳打ちをした。
「お前って、大地の精霊……なんだよね?」
「そうだが」
雪路がなぜ、今それを問いかけるのか。アデルは理解していない様子で怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「それならさ。例えば……花を咲かせること、できる?」
「花……?」
「そう。この種の花」
雪路はポシェットから一個の種を取り出した。
それを見たアデルははっと閃いた様子で、目を見開いた。
「確かにできるが……一応これは、「神の遣い」と言われるほど神聖視されている花だ。おいそれを咲かせるわけには―――」
「そういうもんなの?意外だな。もしかして神様とか信じる人?」
「神を殺したと言っているのに、神が居ないとか言い出すつもりか?」
雪路は口の端を歪めた。
“神の遣い”とは、別の言い方をすれば神の代行者だ。代行者とは別の言葉でアポストロと呼ばれる。
自らをアポストロという陳腐な言葉で名乗るのはあまり気乗りがしないが。
「そうだね。僕は神様を殺したことがある、“神の遣い”だからね。そんな僕が言う言葉は、神様の言葉っていう解釈ができるけれど?」
「……屁理屈だな」
アデルは静かに笑う。笑いながらぼそぼそと口の中で何かを呟いた。途端―――大地に僅かに力が漲るのを、雪路は確かに感じ取った。墓場に蒔かれた死者を弔う花の種が根付き、芽を生やし、成長し、蕾をつけ、そして花開く。眩しいほどに真っ白な花だ。それが墓場一面どころか、そこかしこに花開き始めるのを、村人たちは目を瞠って見つめていた。
花から零れ落ちる花粉が、宙に舞う。山の隙間から僅かに覗く太陽の輝きに当たって金色に輝く。花の香りが徐々に村中を満たしていく。
咽かえるような、強く甘い香り。その香りに、僅かに酩酊し始めた頭に、雪路は顔を顰めた。
(この臭い……まさか……)
「奇跡だ……」
感嘆の声が人々の口から漏れ出した。中には泣き出す者までいた。祈るように手を合わせる者もいた。
「なんと……」「こんなことが」
死者を弔うために蒔くという種。死者が無事に転生を遂げたことを告げるとされる花の種。それが一斉に芽吹き、花を咲かせるなど―――それこそ、奇跡として人間の目に映るだろう。
いや、もしかしたら。実際に、映っているのかもしれない。
サリナもまた、ぽかんと口を開いて、目の前の奇跡のような光景を見つめていた。
「きれい……」
その小さな口から、声が漏れ出した。そうして徐に傍に立っていた姉のビアンカの顔を見た。
「おねえちゃん……?どうして、ないてるの……?」
とある一点を見つめていたビアンカの瞳から、大粒の涙が零れ落ちていた。彼女はそのまましゃがみ込んで、サリナを抱きしめた。
「サリナ……。お姉ちゃんは……サリナの傍からいなくならないからね……。絶対に、絶対によ……」
その言葉には強い気持ちが――――誓いが込められていた。
言葉の中に含まれた意図や、省いた説明を口にすることはない。それでも姉の声に含まれた感情を感じ取ったのか、サリナは少しだけ笑いながら、姉の頭を小さな掌で優しく撫でた。
「やだなぁ、おねえちゃん。なき虫だなぁ」
「うん、そうね。お姉ちゃんは実は、泣き虫なのよ」
妹の言葉を肯定し、ビアンカはサリナを更に抱きしめる。
白い花が舞い散る中、人々は奇跡だなんだと口々に笑い続けている。先ほど化け物に襲われ、怯えていた人間たちとはとても思えない。
その切り替えの早さが、また人間の特徴と言うべき部分でもあるが。
「アデル。この花って……」
「ん?ああ、綺麗だろう?」
「……」
アデルは特に気にする様子がない。と、いうことはこれが白い花の正常な機能なのだろう。
「一本採って」
「は?なんでまた……?」
アデルは首を傾げながらも、雪路の言う事を大人しく聞いてくれた。地面に生えている一本の白い花を摘み取って、雪路に渡す。雪路は花の臭いを嗅いだ。それだけで吐き気が胃の底から込み上げてくる。
「よくもまあ、こんなものを嗅いでいられるよね……」
ため息交じりに呟いて、ポシェットから一本の小さな瓶を取り出し、花を瓶の中に入れ、そのまま仕舞う。
「それ、どうするんだ?」
「後から成分を調査する。後、頭がほんわか状態の村人からも幾つか話を聞かなきゃいけないかな。……なーんかあまりよろしくないお花みたいだからね。お前はなんともないの?」
「何がだ?」
どうやらアデルには全く影響がないらしい。実に奇妙な話だ。人間にだけ効果がある花なのだろうか。それとも、精霊にだけ効果がない花なのだろうか。現状、何とも言えない。
まあいいや、と思い、雪路は話題を変えることにした。
「ところでアデル、なんで突然戻って来たの?あの出来損ないのアポストロの気配でもキャッチした?」
「だから気配だのなんだのっていう感知は、俺は専門外だ。ただ、森の中に死体の山があってな。嫌な予感がしたから戻って来ただけだ」
「へえ、死体の山」
「おそらくはこの村の……墓から掘り出し持ち出されたものだ。半分以上が腐っていたし、部分的に欠損していた。かなりひどい状態だった」
墓に戻してやらなければな、とアデルが付け足したのを聞いて、更に雪路が言葉を付け足した。
「じゃあ、燃やそう」
「……燃やす?」
アデルが怪訝そうに眉根を寄せた。遺体を燃やすなど、あまりこの世界にはない習慣なのだろうか。神だのと言っている時点で、遺体にはやがて魂が戻って来る場所だとか、そういう発想を持っていそうだ。
敢えて雪路はしっかりと説明をすることにする。
「腐った肉ほど不衛生なものはない。伝染病の温床にもなる。さっさと燃やして骨に戻してから、適当に墓に戻そう」
森の中の死体の山は、村人たちの了承をとってから、燃やすことにした。
彼らに一応の説明はしたが、彼らがその話をしっかりと聞いていたかどうか、そこは定かではなかった。ただ、むせび泣いたり笑ったり、忙しなく、心ここにあらず、と言った様子だったからだ。
雪路が村人たちから、今の症状の話を聞いている間に、アデルの力に巨大な部屋を死体の山の周囲に作ってもらった。簡単に言えば、火に強い土で寄せ集めて作られた、火葬場だ。出来上がった急造の火葬場にて、雪路は死体を燃やした。
始めのうちは肉が焼ける不快な臭いが辺りに漂ったが、それもすぐに消え去っていき、黒い煙が煙突を通って、ただひたすらに、青い森の中から立ち昇っていく。
その様子を眺めながら、アデルがやや遠慮がちに、雪路に尋ねてきた。
「お前、生命力を消費して、よく分からん力を使ったって、言っていたな」
「うん、まあ」
「……生命力というものは、戻るものなのか?」
奇妙な事を聞く。
雪路は肩を竦めた。
「当然だろ。生きる力が生命力だ。そいつが生きている限り、生命力は無限に湧き続ける。それでも生き物が死んでしまうのは、決められた摂理の中で、生きているからだよ」
アデルは低く唸った。それから、少しゆっくりとした口調で―――おそらく言葉を選びながら、問いかけてくる。
「では、古跡が……生命力が枯れかけた大地が蘇らないのは……どうしてだと思う?」
古跡。生命力が枯れかけた大地。成程、以前訪れた時に感じていた違和感はそれか、と雪路はやっと納得する。
「古跡とその周辺の土地は、ぎりぎりだが確かに生き続けている大地だ。生きている限り生命力が湧く、というのなら、あの大地は何故、何時まで経っても蘇らない?既に湧いてくる生命力の源泉そのものが、尽きているからなのか?」
「……いや、どうなんだろうね」
雪路は頭を掻いた。割と真剣に尋ねてくるのだから、アデルにとってかなり重要な案件なのだろう。しかしながら、答えがさっぱり分からないので、雪路はこう答えるしかない。
「生きている限り生命力が湧くというのは、確かな情報だから。もし大地が蘇らないのならば、生命力の源泉から湧いてくる量が極度に少ないのか、或いは―――」
一度、言葉を止める。少しだけ躊躇った。けれど、だからこそ。あまりあっては欲しくない現象を口にした。
「この惑星そのものが既に生きる気力を失っているか……大地を枯れさせるほどの強力な“死”が巣くっているか、そのどちらかが可能性としてあり得るかな」
惑星も生きている。あり得ない事ではない。
「惑星そのものが生きる気力を失っている、というのはなんとなく分かるのだが……“死”が巣くうとは、どういう事だ?」
「ああ―――。それは……」
僅かに雪路の口角がつり上がる。そうして微かに嗤う。
「破壊神が世界を滅ぼすんだよ、“私”の経験上では……だけどね」
全ての生命を嘲るように。
やがて、イルス村に普段通りの静寂が訪れた。
突如やってきた少年と青年が立ち去り、村人たちは彼らが言い残した通り、骨だけになったかつての村人たちを、丁重に弔った。
そして。森の中に放置された、巨大な熊の死骸が姿を変える。まるで着ぐるみを脱ぐような気軽さで。内側から掌ほどのサイズの十代前半の少年が―――分類としては非常に力の弱い精霊が現れた。
―――第五話 居留守村 エピローグ
「ふぅい、あのヘンテコなアポストロは、あのとんでもなく強い精霊が始末してくれたようだな。良かった、良かった」
精霊が安堵の息を吐いた。それから視線をふらりと動かして、むっとした表情を作る。
「だって仕方がないだろう!オレたちはとっても弱い精霊だからさ。アポストロになんて勝てやしない。せいぜい切欠を作るしかできやしないんだからよぉ!……ん?なに?森の中を車が走って行った?」
怪訝そうに精霊は眉根を寄せる。
「統一軍……赤髪の精霊術士?」
幾度か頷いてから、精霊は何者かに対して答える。
「まあ、大丈夫だろう、オレたちは。奴らにとっては雑魚も同然、取るに足らない力の精霊だから。それでもこの土地は護らなければいけない。何れ戻って来る“あの方”の為にね」
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