5話 イルス村(4)

 雪路が手に持った桑から、罅割れる音が聞こえてくる。音は少しずつ、しかし確実に増えていき、やがて無数の罅が桑に入り、ぼろぼろと地面へ落ちていく。


(やはり調律には耐え切れなかったか)


 雪路は軽く手を払う。それから、呆然と立ち尽くす中年女性の姿をしたアポストロに視線を向け直す。

「とっとと皮を脱いだらどう?」

「なぜだ?」


 提案に問いかけが返って来る。その声は中年女性のものではなく、若い男性と女性、そして老人の声が混じり合った声だった。


「なぜ分かった?」


 そんなものは決まっている。

 男の骨を雪路が持ち帰った時、墓地から持ち去られたものだと証言した。実際には村人たちには、墓地は掘り起こされた痕跡すら分からないように、結界で視覚と嗅覚を誤魔化していたというのに。


 つまり、普通の村人にとって、墓地はいつも通りの場所。土が掘り起こされたことなど知る由もない。例え今まで偶然にも、墓地が掘り起こされていると村人たちが気づいていなかったとしても、ビアンカたちが葬儀をつい先ほど行っている。その時に彼女たちが墓地の異変に気付いていなかったのだから、尚更に。

 墓地が掘り起こされて、それが一体誰の墓であるのか、理解しているのはおかしなことだ。

 しかし、雪路は具体的な“答え”を敵に与えるつもりは一切ないので、ただ一言、返すに留めることにした。


「推理小説の犯人役でも、もう少しうまく証拠を隠すと思うけど」

 雪路は肩を竦めてコメントした。

「推理小説ぅ……?」


 馬鹿にしたように中年女性の口が笑う。そして、その口の端が裂けた。口だけではない。背中も、腕も、足も、全ての皮が裂けて、その中から別の生物が現れる。

 手足が長く、地面に届くほど。胴が短い上に頭が三つは、人の形が歪になった醜いという言葉がぴったりだ。そして、本来その背に美しく生えている筈の翼が半ばで折れ、羽すら無残に抜け落ちていた。

 その姿は、どこか古跡にいる古跡獣に似ているが、それよりも見た目が醜悪で、人間であるならば、本能的な嫌悪を持つだろう。


 彼は、人の形を模そう試みた人形のようなもの。不器用な誰かが作ってしまった失敗作。

 そして、人の負の感情を押し込めて捨てられた、“廃棄物”だ。


 辺りでアポストロの姿を見た村人たちが悲鳴を上げ、急いでその場から逃げ出した。そんな村人たちの反応を、三つあるうちの頭の一つは忌々し気に舌打ちをしながら、

「貴様、何者だ?」

残りの頭についている瞳は、雪路を睨んでいた。


「“結界”という概念を、この世界の人間は知らない筈だ」

「そこまで知っているのならば、大体の予測はできるだろう。その三つの頭の中に詰まっている脳はお飾りかな?」


 雪路は自身のこめかみを指でつついて、小ばかにして答える。すると、

「処分しにきたのか?」

「……はい?」

「このオレを、処分しに来たのか?うまくオレを作れなかったからって、捨てたのに。だから頑張って自分の体を完成させるために努力していたのに。お前たちはオレを処分するのか」

 勘違いが加速していくのを、雪路は黙って聞いていた。

 目の前の“廃棄物”の境遇は、その見た目から予測できていたが、見事な独白だ。


「ふざけるな」

 嘆きと憎しみと、それから怒りの色が混ざった、唸るような声だった。

「ふざけるな!お前たちの勝手で!殺されてなるものか!」

 頭に完全に血が上った、金切り声が三つの頭のそれぞれの口から発せられた。開かれた口はそのまま閉じられず、口内に生えている歯が、牙というに相応しい姿へと変わっていく。姿勢が低くなり、地に付けている手足の指先が、雪路の方へ向いた。


(来る)


 ただ、雪路はそう直感だけして。

 剣の柄を指で二回、軽く叩いた。

 途端、冷気が辺りを包み込み、“廃棄物”の足元の地面を一瞬にして凍らせる。今まさに踏み出そうとしていた“廃棄物”は、その足を止めることができず、凍り付いた大地に足を滑らせ、その場に倒れた。


「体はどうして凍らせられなかった?」

 雪路は小声で剣の中に宿った精霊に尋ねる。

―――体内に高温の物質が存在しています。足元も数秒で溶けてしまうと思われます。

 真摯な少女の声が直接脳内に返って来て、雪路は目を細めた。


「アイツの中のマナが異常活動をしているのか……」

 マナとは、端的に言えばエネルギーだ。エネルギーは活動すれば熱を発する。但し、通常はマナを使用しても、人肌ほどの温度しか発しない。“廃棄物”ならではの、異常なマナの活性化が、氷の精霊の力を上回り、体そのものの凍結を防いでいるのだ。


 そうこう考えている内に、“廃棄物”の足元の氷すら溶け、大地が剥き出しになった。

 “廃棄物”は勝ち誇った笑みを浮かべ、再び腰を落とす。それを見て、“廃棄物”の次の行動を予測した雪路は、剣の内に封じられた精霊の少女へ指示を出す。


「氷の壁で、僕の目の前に突っ込んで来れるように、道を作ってやってくれ」

―――すぐに溶かされるのでは?

「アイツは短気だ。どうせすぐに突っ込んでくるのだから……」

 雪路は腰の剣を引き抜いて、“廃棄物”を睨み据えた。


「数秒間の氷壁で十分だ」

 予測通り“廃棄物”は一直線に雪路へ突進を仕掛けてきた。その両脇を、まるで導くかのように分厚い氷が地面から生えるようにして現れ、“廃棄物”の動く先を制限していく。

 道が出来上がる。雪路へと続く氷の壁による道だ。向かって来る三つの顔は憎しみと怒りと快楽にそれぞれ歪んでいる。

 そんな哀れな生き物を、引き付けて、引き付けて、ぎりぎりまで引き付けて。

 構えた剣の、その先がぴくりと動く。


 その直後に分厚く作られた氷の壁すら破壊して、強靭な腕が“廃棄物”を横から殴りつける。ただそれだけの事なのに、“廃棄物”の体は面白いほどに吹き飛ばされて、周辺の氷の壁を突き抜けて、地面を転がっていく。


「……えぇ……」


 雪路は呆れ果てて、間抜けた声を思わず漏らした。

 アデルだ。眉間に皺を寄せて、ただえさえ厳めしい顔が更に厳めしくなっている。般若―――というよりは、ヤクザのようだ。怒る顔の、ガラが悪い。


「出鼻を挫くなよ……っておい!」

 文句を口にしたがアデルの耳には届いていないらしく、彼はそのまま地面に倒れ伏している“廃棄物”へ駆け寄って、重い一撃を更に加えた。

 嫌な音が辺りに響き渡る。図太い骨が折れる音。それが幾重にも重なっていく。留めとばかりに両手を組んで、“廃棄物”の首筋に強烈に殴打する。


 首の骨すら折れる音が聞こえた。

「容赦ないなぁ、アデルの奴」

―――少しやりすぎでは!?

 剣の中の精霊の少女の指摘に、雪路は頭を掻いた。

「どうだろ。アイツもそれなりに人間の死体を弄んでいたのだろうし……」

 アデルはおそらく、その現場を見たのだろう。汚いものを見るような目で、その場に倒れ伏した“廃棄物”を見下している。

 やはり人間の事、本当は好きなんじゃないか、と雪路は思う。

 思いながら、言葉を続ける。


「……副産物が合成獣……もとい、あり得ない姿の獣なのだから、まあ、それなりの報いは……」

 そこまで言って、雪路は口を止めた。

 アポストロは、不死とまではいかないが、ベースが生き物である以上、首の骨を折れば死ぬ程度の脆弱さを持ち合わせている。その脆弱性を超再生能力で補う器用なアポストロもいるのだが、マナの扱いに本当に長けている者に限る。

 ましてや、“廃棄物”はマナの暴走が目立つ欠陥品。再生能力などは早々備わっていないと踏んでいたのだが。


 アデルの前に、三つの頭それぞれの首の骨が折れても尚、笑いながら起き上がる“廃棄物”が居た。

「こいつ……まだ生きて……!」


 アデルは素早く体の前に拳を作る。アデルの周辺の空中には砂塵が集まっていき、先が鋭く尖った礫へと変化していく。

「いけっ!」

 アデルが叫んだ。まるで誰かに指示を出すように。同時に、礫が“廃棄物”の脳や目、首筋、心臓、生き物の急所に深々と突き刺さった。体の各部からはダラダラと青い血が流れ、地面を濡らしていく。それでも“廃棄物”は笑っている。

 三つの顔から発せられる声は不協和音となって辺りに響かせた。辺りで隠れている数人の恐怖に慄く感情を雪路は感じ取った。


「おい、雪路!どうなってんだ!首を折ったのに、急所を突いたのに、なぜ死なない!」

 アデルが苛立った様子で雪路へ怒鳴る。

「まさかお前と一緒で、この奇妙なアポストロは不老不死とでも言うんじゃ―――」

「いや、それはあり得ない」


 真っ先に雪路は否定する。

「それは絶対にあり得ないよ、アデル。アポストロは不死になれない。必ず死ぬように設計されているんだ」

 断言できるのは、アポストロの生体と成り立ちをよく知っているからこそ、である。

 さすれば、目の前の“廃棄物”は、何故死なないのか。


 いや、死ねないのだろう。


「それでもあいつらにとって、不死は理想の一つだからね。コイツはおそらく実験体だ。不死の体を作ろうとした、どこかの馬鹿によって出来てしまった……“死の概念”が捻じ曲げられた存在だ」

 断言する。

 特に権力など一通りの力を手に入れた知能が高い生き物は、何故かどいつもこいつも、不老不死に縋る。それは強力な力を手にして、ありとあらゆる生命を根絶させるために作られたアポストロも一緒だ。


 口を開いてアポストロがアデルに襲い掛かった。その広い肩に食いつこうとしたらしいが、下から飛び出た突起物によって、顎を貫かれる。

 それでも死なない。

 アデルは舌打ちをし、手を地面へとかざす。


「せぇっの!」

 掛け声と共に地面がアデルとアポストロの間にある地面が盛り上がった。そのまま地面は高い壁へと一瞬で変化する。代わりに、村の広範囲で地面が僅かに陥没した。

 何もない所から理を無視して捻り出す魔術や魔法とは全く異なる力が、この場に働いていた。


(これが、この世界に於ける精霊の力か)

 巨大な建造物を作るために、その元となる資源をそこら中から引っ張り上げてこなければいけないとは、なんと面倒な。


 土の壁が大きく揺れた。壁を壊そうとアポストロが躍起になっているのだ。その巨体で、体当たりでもしているのだろうか。


「おい、“死の概念”ってなんだ!」

 アデルが怒鳴って来る。それだけで大気が震える。とんでもない大声だ。

 なんと説明すれば分かり易いか。一瞬だけ考えた。

「その生命体が死ぬ条件のことだよ。人間は心臓や脳を貫けば死ぬでしょ?彼は心臓や脳を貫いても死なないけれど、確実に死ぬ条件がどこかに必ずあるよ。ただのアポストロの……しかも出来損ないだからね」

「じゃあ、あいつの体をバラバラにすれば、何れ死ぬのか?」

「いや。心臓を貫いてしなないってことは、循環器系全てを壊してもしなない。脳を壊しても死んでないから、脳に全ての生命維持活動が集中している可能性もかなり低い」

「じゅ、循環器系って……お前、科学者や医者のような事を言うんだな……」

「一応勉強したし、資格も持っているからね。……そんなことより、彼は身体の損傷が死に直結する可能性が低いから、最も確実な手段で殺すしかないね」

 雪路は息を細く吸った。


「僕の今の状態だと、しばらく体が動かなくなると思うけど……まあ、仕方がないか」

 呼吸をしているということは、首の骨が折れれば、息が苦しい筈だ。

 それでも生きようと必死な彼に対して、非常に申し訳なくはあるのだが。

「アデル。彼を僕の目の前まで寄越してくれ。一瞬で良い。寧ろ思い切り僕の方へ投げて」

 雪路は声音を抑えつつ、アデルに頼んだ。

「一瞬で終わらせる」

 アデルは雪路の顔をじっと見た。それはほんの数秒のことだった。辺りには壁を殴る音がひたすら響き渡っていて、地面は絶えず揺れている、そんな中。


「――――分かった」

 アデルの声は、妙に力強く、よく辺りに響いた。


 ひと際大きな音が、辺りに轟いた。土の壁に無数の罅が入り、ガラガラと崩れ去っていく。その先には勝ち誇ったような笑みを浮かべる“廃棄物”が立っている。

「行くぞ!」

 アデルは叫んで、そのまま“廃棄物”に向かって駆けて行った。一歩踏み込むたびに地面が抉られていく。それほど足裏に力を込めているのだろうか。彼の一歩は跳ぶように長い。“廃棄物”は頭を振ってアデルの姿を視界に捉えようとするが、折れた首ではうまく顔を動かすことができず。

 アデルの接近をあっさりと許してしまう。


「さて」

 雪路は剣の中の精霊へ語り掛ける。

「これから生き物を斬るよ。嫌だったら眠ってて」

―――大丈夫です。

 緊張した声色が、剣の中から返って来る。

―――私も、沢山の人間を今まで殺してきていますから。

「そうか」


 彼女が答えた言葉の内容。その意味や理由を詳しく問うことはなく、息を吸った。


 そして、『意識回路』を切り替えた。

 繋がるのは、かつて契約を交わした人物。その能力の源流。

 瞳は赤く輝き始める。見える景色は瞬時に変化する。生命が、形ある色として雪路の瞳に映るようになった。生きる者は黒く、死んだ者は白く。辺りには数十もの人間の霊が立っていた。生きる者に寄り添う死者も居る。まるで、護るかのように。


 この村の人間たちは、不仲ではないらしい。

 誰かを思いやり、心配するが故に昇天できない死者が居る程度には。


「さあ、みんな。やろうか」

 誰に言うまでもなく、雪路は剣を下段に構えた。

 ざらりと死者の姿が崩れ行く。白い砂の粒子ようなものとなって、剣へと集まっていく。


 その一方、“廃棄物”の懐へと駆けこんだアデルは、その長い手を掴んでいた。かと思えば、“廃棄物”の胸倉の肉を掴み、

「どおっら!」

そのままあらん限りの力を振り絞って雪路の方へと“廃棄物”を投げ飛ばした。雪路に向かって真っすぐに“廃棄物”が向かって来る。それを見て、雪路は少しだけ笑った。


「馬鹿力だな」

 雪路の瞳には今、生命が見える。

 なので、“廃棄物”の生命の核―――壊せば死ぬ個所も、色となって見えていた。それは、虹色に輝く心臓のようなもの。しかし、周囲に錆びた色がこびりついた、ひどく歪んだ色の、生命の核。


 その核に目がけて、雪路は剣を振るった。剣の刃は“廃棄物”の肉体にめり込んで。剣の周囲の白い砂が肉体の表面を削り、温度を上げていき―――炎となって肉を溶かす。それは傍から見たら、剣そのものが発火したようにしか見えないだろう。

 かくして核へ向かって加速していく剣の刃を防ぐ手立ての無い“廃棄物”は痛みに悲鳴を上げる。その声を煩わしく思いながら、雪路は剣を振り切った。


 核はあっさりと剣によって二つに割れた。その瞬間、雪路は『意識回路』を元に戻す。どっ、と汗が全身から噴き出てきて、雪路はその場に膝を着き、息苦しさに咽込んだ。


 雪路の前には真っ二つに裂けて既に事切れた“廃棄物”が横たわっている。三つの顔の表情は何れも穏やかなものへと変わっていた。


「お、おい!大丈夫か?顔が真っ青だぞ!」

 アデルが駆け寄って来て、雪路の顔を覗き込む。

 雪路は呼吸を何とか整えながら、声を絞り出す。

「……マナの代わりに生命力を無理矢理燃やして“神威借り”……あー……僕のオリジナルの能力なんだけれど……それを使ったからね……。しばらくは歩けないかも……」

「おぶってやる、おぶってやる」

 言いながら、アデルはひょいと雪路を背中に乗せて立ち上がる。


 それからやっと、死んだ“廃棄物”へと視線を向けた。

「それにしても、お前は今、何をやったんだ?こんなあっさりと殺すなんて」

「……魂そのものを斬った。大抵の奴はそれで死ぬ」

「なんだそりゃ。魂って斬れるものなのか?」

「いや、これは借り物の力で……」

 説明するのもしんどくて、雪路は大きくため息を吐いた。どっと眠気が押し寄せてきて、もうこのまま寝てもいいかもな、などとも思ったが。


 寝させてくれない、甲高い泣き声が辺りに響き渡った。

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