4話 アスハ古跡(4)
夜の帳が落ちる。
古跡から車を走らせ続けて十時間。すっかりと辺りは暗くなり、人工の明かりは見当たらなくなった頃。
アデルは奇妙な物を手にすることになった。
丈夫な紙のカップに沸いたばかりの湯を注ぐ。それだけで、中にある揚げられた麺が柔らかくなり、スープが染み出した。香しい香りが夜空へと上っていく。フォークで一口、麺をすすれば、
「……ラーメンだ」
「だからラーメンって言ったじゃん」
未だ顔色が僅かに青い雪路が、唇を尖らせて答えた。
「え、どうなってんだ、これ?揚げてある麺がこんな短時間で柔らかくなって……しかも旨い」
「やっぱこの世界にもカップ麺ないんだ。精霊やらの神秘が残る世界では、やっぱり発明されないものなのかな、これ。楽だし美味しいのに、なんでかな?」
ゆるゆると麺を啜りながら、雪路が独り言ちている。
ぱちり、と目の前で薪が弾けて火花が散った。
アデルを庇って倒れた雪路は、車の中で起き上がった。それから第一声に「お腹が空いた」とぼやいた。アデルとしては色々と聞きたいこともあったのだが、まずは本人の気力を取り戻させることを第一に考え、食事を摂ることにした。
……のだが、そこら辺で採った草花や果実は嫌だと雪路は言い始め、ならば何を食べるのだ、と尋ねたら、彼のポシェットからやかんにマッチ、紙カップに入ったラーメンなどが出てきたので、もうアデルには訳が分からない。
なんだこのトンデモアイテム。
「そのポシェットは一体どのような構造をしているんだ?大きさに対して内容量が明らかに合っていないように思えるのだが」
「簡単に言えば四次元ポケットみたいないもの。中は異空間。大切なもの以外はこのポシェットに入れて持ち運んでる。こういう物も無いんだね、この世界」
言いながら、雪路は腰のポシェットを逆さまにして振る。ポシェットからは本に始まり、ポシェットの口の大きさでは明らかに詰まるだろう、布団までするりと出てくる。物質の法則を完全に無視した現象だ。
「異空間と言われても、あまりピンとこないのだが」
「あー…………、じゃあまあ、なんでも入るポシェットだって覚えておいてもらえばいいよ。そんなことよりさ」
説明しようとしたのか、雪路は視線を空へと彷徨わせたが、どうやら諦めたようだ。とても乱雑な言葉で話をぶつ切りにされる。
「車には発信機とか搭載されてないの?この場所、統一軍にばれたりしないかな?」
アデルが盗んだ車は、統一軍の専用車だ。確かに発信機が搭載された車体なので、あまりこの世界の事情を知らない人間からすれば、自分たちの位置を知られる不安要素になるかもしれない。
「それはない。居住区から半径五十キロ以上離れているからな」
「?どういう事?」
「発信機などの電子機器の電波をキャッチする電波塔は、居住区の内部にしか設置されていない。そして、その電波塔の有効範囲は半径五十キロだ。それよりも遠い場所にいれば、発信機も機能しない」
「中継地点はないの?」
「無理だ。すぐに壊れる」
「衛星は?」
「昔はあったらしいが、文明が崩壊してからは無くなったという」
「変なトコロ」
雪路は顎を撫でて何か思案している。
「今度はこちらが質問する番だ、桜江雪路」
アデルは低い声色で雪路を睨んだ。雪路は緊張感の欠片もない表情で、アデルを見返す。
視線が合う。
「お前は、アポストロなのか?」
雪路の瞳が僅かに大きく開かれた。その瞳の、紫の色が僅かに濃くなったように見える。雪路は口をきゅっと引き締めて、首を傾げた。
「……そうだと答えたら、どうする?」
アデルの背中に緊張が奔った。見られている感覚。アデルがどう出るのか、試されている。
子供のような見た目。子供のような声色で、子供のような性格で。しかし未熟ではなく、人を見極める力を持った何かだ。
アデルは息を呑む。
目の前にいるのは、未知の異邦人であることを、やっと認識できた。いや、認識させられた。
「情報が欲しい」
ゆえに、アデルは慎重に言葉を選び出した。
「アポストロについての情報が、あまりにも少なすぎる。コハクを助け出すためにも、奴らのことを知りたい」
「……ふぅん」
雪路は胡坐を掻き直し、頬杖をつく。
「まあ、それじゃあ。取り敢えずコハクちゃんはしばらく無事だと思うってところから、話を始めればいいかな?」
何とも唐突に、雪路は話を切り出した。
「……理由は?」
嘘を吐いている様子もない。ただ淡々と事実を告げている、という印象だ。
「アポストロの思考回路は、割と単純なんだ。そのように作られている。一つの目標があるとして、目の前のものが障害になるか否か。これが奴らと基本的な考え方だ。そして、障害になると判断した場合は即刻殺す。利用価値があると判断した場合は生かす。場合によっては捕獲する本能を持っている」
コハクはアポストロによって連れて行かれた。捕まった。言い方を変えれば―――捕獲された。
「と、いうことは……コハクは奴らによって利用価値があるから、連れて行かれた、ということか?」
「そういうこと。ついでに言えば、理由は分からないけれど、“ガルディアン”という言葉を知っている相手は即刻殺す対象にはならず、精霊術士はすぐさま殺す対象になるみたいだね」
「……古跡で死んでいたアポストロは、コハクのことを“ガルディアン”と呼んでいた」
「だからコハクちゃん本人が奴らの目的というよりは、“ガルディアン”と呼ばれる存在が奴らの目的を達成するに必要なモノ、ということになる。因みに“ガルディアン”という単語に心当たりは?」
「あるわけがない。初めて聞いた」
「“守護者”っていう意味だから、何かを彼女は護っているのかもしれないけど」
「あの子は俺と違って古跡を定期的に管理する権限を持ち合わせていない。至って普通の、どこにでもいる精霊に過ぎない……はず……」
自身の声が僅ながら尻すぼみになったのが、よく分かった。
コハクは普通の精霊。そのはずだ。少なくとも、アデルはそう信じている。だが、普通ではないかもしれない片鱗を、アデルは知っている。
例えば、彼女がアポストロに使った不思議な力。“マナの具現化”と称された龍を壊したあの力の正体を、アデルは知らない。
例えば、彼女の生誕。三十年前、アデルはコハクと出逢った。しかし、それ以前にコハクが何をしていたのか。それはコハクの口から語られることが無かった。
「……情けないことに……妹だと言いながら俺はあいつの事、よく知らない部分もあるかもしれないな……」
「別にいいんじゃない?人間……ああいや、精霊?一つや二つ、隠し事くらいあって当然じゃん。全く同じ人生を歩んでいるわけじゃないんだからさ」
事態を深刻に受け止め始めたアデルに対し、雪路の口調はどこまでも軽い。ポシェットからいつの間にかティーバックを取り出して、食後のお茶を啜り始めている。
「まあ、コハクちゃんの正体が何なのか、それは置いておいて。―――アポストロは捕獲した生命体に対しては、どこまでも謙虚だし大切に扱う傾向がとても強い。傷一つつけずに捕獲したというのであれば、傷つけることで目的達成に支障が出る可能性がある、と考えていい。そういう意味ではコハクちゃんの命については安心していいよ。殺されることはまずないし、多分かなり好待遇を受けているはずだから」
その言葉に、アデルは少しだけ安堵した。
雪路の話が本当であるならば、何がともあれ、妹はまず、居住区の人間たちのように殺されることはない、ということだ。
そう、本当であるならば。
「今の話の証拠は?」
アデルの問いに、
「ないよ」
即答である。そうしてから、雪路は慌てたように取り繕った。
「ないから、まあ、うん。ここは一丁、僕を信じて下さいっていうトコロかな?」
「コハクを攫った奴らと同類を信じろ、というのは難しい話だと思わないか?」
「じゃあ命賭けるから」
「死なない奴に言われてもな」
「えー……けど他に言えばいいのさぁ……?わかんないよ……」
雪路は本気で困った様子で、眉根を寄せた。唇を尖らせ考え込むその表情は、あまりにも見た目通りの子供じみたものだ。
(コイツ……本当によくわからねぇ奴だな)
呆れ果てつつも、あまり相手を困らせるのは趣味ではないので、アデルは妥協案を提示する。
「じゃあ、お前が他のアポストロの仲間じゃないっていう証明は?」
「……それも口だけの話であって、証拠たるものは何もないんだけど……」
「いいから話せ」
拗ねるような口調に若干苛立ち、アデルは急かす。
じゃあ、と雪路は声を零して、少し考え、
「アポストロというのは、とある神が作り出した、彼女の手足の名前なんだ」
突然とんでもない事を吐き出したので、アデルはぎょっとした。
「……は?……神?」
「うん」
うん、ではない。動揺するアデルをよそに、雪路はさっさと話を続けていく。
「その神は、沢山の世界を管理する神なのだけれど、世界はあまりにも沢山あるものだから、神一人の手では管理しきれなくなった。だから、自分の手足となる駒を作り出した。それがアポストロ。まあ、使徒、とも呼ばれているけれど」
「……つまり、世界の管理者である神の代理が、アポストロである、と?沢山ある世界を管理するのが、アポストロの仕事なのか?」
居住区を襲い人間を殺して回る。気まぐれに大地を破壊する。彼らの所業全てが、世界を管理する一端とはアデルにはとても思えなかった。
「いや。管理を任された個体は翼をひけらかして人間を襲ったりしないよ。正体を隠して、政治家とか王様とかの懐に潜り込んで、政治を支配するんだ。人間を襲ったりするアポストロは、基本的には戦闘タイプ。特定の、まあよくあるのは人間など、とにかく何かを滅ぼすことが主な役目になるね。時々世界そのものを滅ぼすこともあるけれど」
「……滅ぼすって……」
とても物騒な話をされていることは分かり、アデルは血相を変える。
「ちなみに居住区を襲ったアポストロは偵察タイプ。階級も低い。対して古跡で遭った奴は戦闘タイプ。階級も高いし……」
「待て。ちょっと待て、待ってくれ」
詰まる所、アポストロとは歴史や政治を裏から操ったり、人間や世界を滅ぼすことを生業とする世界の管理―――いや、調停者のような役割を担っているらしい。強いわけだ。そして、危険なわけだ。
そして、それらアポストロがこの世界にやって来た目的は。
「奴らは……アポストロは、人間を滅ぼそうとこの世界にやって来たのか?」
淡い期待が沸き上がる。アデルにとって人間とは、精霊を無理矢理縛る厄災のようなものだ。いなくなっても支障はない。寧ろいなくなってほしい、という感情が思わず声に現れた。
「最初はそう思ったけどね。どうにも中途半端なんだよ、やり方が」
雪路は肩を竦めて答えた。
「古跡に居たアポストロを基準に話すけれどね。正直、この世界の人間をあの古跡のアポストロが滅ぼそうと思ったら、一か月で滅びると思うんだよね」
「……は?」
そんなに力量差があるのか。アデルは思わず間抜けた声を出した。
「お前と戦った時も、僕と相対した時にも、かなりマナの出力を抑えていた。舐められていたっていうのもあるのだろうけれど……。この世界にアポストロが現れたのって、三十年前だったっけ?」
「ああ。一つの居住区が焼き消された」
およそ三十年前。
一つの居住区が翼の生えた人間によって消滅した。翼の生えた人間は自らをアポストロと名乗り、今後も気まぐれに居住区―――敷いては人間を襲撃する、と宣言した。人間たちは急いで壁を築いたが、効果はなく。ただ成す術なく、災害のようなアポストロの襲撃を怯えるようになった。
「人間を殺して恐怖を植え付けて、けれど完全に滅ぼさずに適当に放っておいている。だから奴らの目的は人間を滅ぼすことではない。多分もっと別の……分からないけれど何かを目的にして動いている。その準備に三十年、かかっているんだ」
アポストロの目的。情報が少なすぎて、まだそれが何なのかはアデルにも分からない。しかし、本当に少しだけだが―――嫌な予感だけはしている。
「……で、まあ、ここからが本題なのだけれど」
雪路は少し疲れた様子で、ため息を吐いた。顔色もまだ悪いので、本調子ではないのかもしれない。
それでも彼は話し続けてくれた。
「僕とこの世界にいるアポストロが無関係な理由は、簡単だ。僕、沢山の世界を管理している神から離反したから、今、実質アポストロの間では指名手配犯みたいなもの。味方なんて一人しかいない状況だから」
これまたさらりと。爆弾を置いて行く。
「………………何をやったんだ、お前」
アデルは呻いた。
先ほどから話を聞けば聞くほど、目の前の少年の姿をした何かが、相当ヤバい存在ではないか、と疑わしくなってきてしまう。
「いや、なに。僕は他のアポストロとは生まれ方が違ってね。そのことで揉めて一回殺しちゃって」
一回殺した。命が幾つもある生き物だけが発現を許された、とてつもなく豪勢な発言だ。
アデルは呆れ返った。
「とりあえずお前らの中で命というものがとてつもなく軽いことは、理解したよ」
「そりゃどーも。だから今、僕は実質殆ど四面楚歌状態。アポストロの力の元であるマナも使えなくて、ポンコツ同然なんだよ。誰かの力を借りないと前に進めない状態なワケ。ご理解いただけたかな?」
「まあ、な」
「今まで話したことは、信頼してくれるかな?」
そこまで問われて、アデルはじっと雪路を見つめた。
今までの雪路の話は、あくまで彼の口から語られたのみで、何の証拠も伴ったものではない。つまり、アデルは直感で彼が自身の味方になりえるのか、判断しなければならない。
胡散臭いこと極まりないのには変わりない。
本当か嘘かも分からない。
今の雪路の表情は、とにかく感情を押し殺しているせいか分かりにくい。
しかしながら。
アポストロに襲われそうだった雪路を庇おうとしたアデルを、本気で心配した雪路の顔は、アデルはしっかりと覚えている。焦っていたし、血相も変えていた。何より、瞳には動揺がしっかりと浮かんでいた。
根っから悪い人物でないことは、あの表情を見れば誰でも分かる。
「お前が怪しい行動に出なければ、信じてやるよ」
僅かに微笑んで。アデルは雪路の言葉を一応、信じることにした。
「そっか。そりゃよかった」
安心したらしく、雪路は大きく息を吸って、そして肺から空気が無くなるかと思うほど沢山息を吐き出した。
それから、少しだけ静かな時間が流れていった。春の夜特有の、涼しい風が森の中を流れていく。居住区からかなり離れているために、森の梢の隙間から見える夜空に浮かぶ星が、大きく白い月が、はっきりと見える。
「……そんでさ。ここからはただの提案になるんだけど」
声を濁らせながら雪路が話を切り出した。
「お前はコハクちゃんを助けたいけど、現状、追う手立てがない。けど、僕は彼女の気配を追える」
「ああ」
「そんでもって、僕はこの世界のことなんて知らないし、戦う力もほとんどない。けど、お前はかなり戦えるほう、だね?」
「そうだな。協力するのが妥当だな」
雪路が言いたいことはなんとなく分かったので、アデルは彼の言葉を先取りした。雪路は言いたいことを先に言われたのが気に入らなかったのか、眉間に皺を寄せた。
「……えっと、その、緩く協力関係を結んでもらえるってことでいいかな?」
「当然。コハクを助けるためならば、俺はなんでもする」
アデルが断言してみせると、雪路は馬鹿にしたような笑みを顔に浮かべた。
「シスコン」
「このくらい普通だ」
アデルは雪路に向かって手を差しだし、握手を求めた。雪路は驚いた様子だったし、照れくさそうに視線を彷徨わせて、アデルの手を軽く握った。その間は僅か一秒。余韻に浸ることもせずに、すぐに雪路はアデルから手を離した。
この辺りは思春期の子供みたいな反応だ。
「それで?これからどこに行けばいいんだ?」
アデルの問いかけに、雪路は問いかけ返す。
「地図とかある?」
「ちょっと待っていろ」
アデルは車へ入り、地図を探す。この車は統一軍のものだ。統一軍は色んな居住区を回ることが多いので、地図は当然常備されていた。アデルは地面に巨大な地図を広げる。
「俺たちがさっき居たのは、このアスハ古跡。そこから東に走って……大体ここら辺か。で、北はこっちだ」
地図上の古跡から、今まで走って来た軌跡を指で辿ってみせる。アデルは大地を司る精霊であるので、居場所・距離などは完璧に捉えられる特性がある。なので、距離などに狂いがある可能性は皆無だ。
雪路は少し感心したように声を上げた。
「へぇ、廃墟……じゃない、古跡に、わざわざ名前を付けているんだ」
「昔の都市の名前から取られているらしい」
「まあ、どうでもいいけれど。えーと、そういう事なら……ここから……」
雪路は現在位置からまっすぐ東北へと、地図上に置いた指先を滑らせる。そして、ある一点でその指は止まった。
「ここら辺で気配が止まってる……な」
彼が指さした先。
「大分遠いな」
「なんせ時速三百キロで飛べるものだから」
アデルは雪路が指さした先を睨んだ。
イルフ大陸の北の端の方。冷たい風が吹きすさぶ雪原と白い山稜がひたすら続く土地。
「……アメリア地方か」
目的地の名前を、アデルは静かに呟いた。
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