4話 アスハ古跡(3)
助けるつもりは、最初は無かった。
そもそも、死んでも生き返るトンデモ生物であることをしっかりと理解していた。
理解はしているつもりだったが、同時に苛立ったことも確かだった。
自分が命を失うことを前提に、相手を煽るような行為は、非常に胸糞悪かった。しかも、それが“アデルとコハクのため”に行われていることが、尚更に。
生き物の命は通常、一つしかない。
喪ったらそれまでだ。戻って来ることはない。
だから、命が幾つもあることを見せびらかすな。
自分の脳天を銃弾で撃ち抜いた時、あれほど苦痛に歪んだ顔をしていた。
―――きっと本当は、痛くて怖くて、たまらない癖に。
それなのに。
何とでもない表情で、自分の命を捨てようとするな。
吐き気がする。
コハクが折角助けてやったその命を、戻って来るとしても捨てようとするんじゃない。
馬鹿、とお前は呟いたが。
馬鹿なのは、命を大事にできないお前の方だ。
本能的に少年を助けようとして、アデルは、アポストロにコハクを連れて行かれてしまった。
そして、自身が助けようとした少年が黒い翼を生やして、しかも不思議な力を使ってアデルを助けたところを、確かに見た。
今は真っ青な顔で自身の膝の上で気絶をしている雪路を、アデルは呆然と見つめていた。
「……こいつ、アポストロだったのか……」
呟いても、答えてくれる者は誰もいない。
アポストロであるならば。
あの不思議な力を今まで使わなかったのは何故だろうか。その力を使って今、辛そうな表情で寝込んでいるのは何故だろうか。翼が黒いのは?今まで出逢ったアポストロとは違う個体?
「駄目だ。分からん」
持っている情報が少なすぎて、結局疑問に対する答えに至れないことを悟ったアデルは、取り敢えず雪路を背負って立ち上がる。
とにかくコハクを助け出さなければならないのだから、余計なことを考えるのは止めよう。雪路が同族のアポストロの気配をしっかりと追えるのであれば、それで十分だ。あの子は助けに行ける。
「―――ん?」
そうしてやっと、雪路の体の下の地面に、背が低いが確かに雑草が生えていることに気が付いた。手を翳して大地の気配を探れば、地面に雑草が生えている部分だけ、生命力が戻っていることが確認できた。
ここは古跡。虫の息の状態を保つことが精一杯で、生命力を取り戻す余力も余裕も持ち合わせていない、死にかけた大地だ。
(こいつの力……まさか)
アデルは、雪路と出逢った古跡が、青々と蘇ったことを思い出し、驚愕する。
(この大地を蘇らせることができるのか?)
心臓が期待に高鳴るのを感じた。
精霊たちの悲願の一つ。古跡の死んだ大地を蘇らせることが、この小さな少年にできるのだろうか。
勘繰るアデルの耳に、複数の車のエンジン音が流れ込んでくる。それは徐々に迫って来て、そして、森の中から姿を現した。
統一軍の紋章が彫られた車三台が、崩壊した廃墟の前で停まった。慌ただしく扉が開かれ、現れたのはやはり統一軍の軍人。その数は十名。うち一人は精霊術士だった。見覚えのある赤髪の女性軍人―――イライナ・エベンスロだ。
彼らは瓦礫の上に立つアデルに向かって、一斉に銃口を向けた。
「動くな!」
「……」
特に銃弾は怖くないので、アデルは一歩前に踏み出した。その足元に、銃弾が放たれたので、一応足を止める。
見れば必死の形相で軍人の一人が、アデルを威嚇している。
「動くなと言っているだろう!」
「なんだ、お前ら?襲われた居住区の後片付けはいいのか?」
「精霊が人間様の心配をするとは、殊勝なことだな」
今もまだ混乱が続いているであろう居住区の住人たちの事を本気で心配した一言に、返って来る言葉はこれだ。
ため息交じりに、アデルは話を続けた。
「ていうか、なんでお前ら、俺が精霊だと知っている?」
「居住区であれだけ暴れ回っただろうが」
「あー……」
今の今まで忘れていた、自身の所業を思い出してアデルは声を上げた。
コハクを取り戻すために、周辺の目などは気にせずに、無我夢中で大地を動かしまくった。結果、そこら中に土で作られた剣山が生えた奇妙な地形に変形してしまっている。そこまで派手に事をやらかせば、そりゃ精霊だとばれる。
「謝る。直すの大変だろう?」
「謝罪なんて要らないさ。貴様の力を使って直すからな」
軍人の一言は、大いにアデルを不快にさせた。
それはつまり、この場でアデルを捕えようとしていることを指す。軍人たちの手には、精霊封じの鎖が握られているのが見える。
鎖に捕えられた精霊は、自我を極端に抑えられ、人形のように力を封じ込められる。そうしたうえで、人間たちは無理矢理精霊と契約を結び―――彼らの意志に関係なく、その力が枯れ果て精霊が消滅するまで、精霊を酷使し続けるのだ。まるで消耗品のように。精霊は人間と同様、有限であるというのに。
「本当にそれがお前らに出来るのであればな」
だから、アデルの声は無意識のうちに低く、冷たく変化していく。
精霊たちの殆どがそうであるように、アデルもまた、人間という種族が大嫌いだ。
「ふん。随分と偉い口を利く精霊だな」
鼻で笑い、イライナが、鞘に入った剣を引き抜いた。その剣は一面が真っ赤に彩られ、装飾も過多でいかにもお飾りな剣だった。それでも刀身からは僅かに霊力が滲み出ているので、精霊を宿した剣ではあるらしい。
「盗人とお似合いだ」
「盗人?」
アデルは首を傾げた。何の事だろうか。
「貴様が背負っている少年の事だ。その子供、あろうことか私の大切な霊剣を盗んだのだ」
精霊を宿した剣のことを、自称精霊術士たちは霊剣と呼ぶ。アデルは背負っている雪路の、その腰にある白い鞘に入っている剣を見た。僅かに精霊の力―――霊力の気配が漏れ出ていることに、今更気づいた。
「…………おお、やるな!」
思わず心から賞賛したアデルを、イライナが睨んだ。彼女の青い海のような瞳の奥に、怒りの炎が燃え上がったように見えた。
「ふざけるな!この精霊!」
イライナが剣をその手に、斬りかかって来る。間を詰めるまで三秒。その間にアデルは後方へと跳んだ。着地先の足場は悪そうだったので、大地を操る精霊であるアデルは、その場にあった瓦礫へ指示を出し、瞬時に溶かして固めて強固な足場として作り変えて着地する。
そうして、イライナの一撃目はアデルの服にすら掠らずに空振った。彼女は苛立ったように舌打ちをした。
「何が見直した、だ。人の物を盗むのは犯罪だ。常識すら知らないのか、精霊は」
「さてな。何せ俺たち精霊を、勝手に見下して道具扱いしている愚かな人間が敷いた常識だからな。知りたくもない」
アデルは肩をわざとらしく竦めて鼻で笑ってみせた。すると、みるみる内にイライナの顔が赤く染まっていく。
アデルは確信した。
この女、かなりチョロい。簡単な煽りですぐ頭に血が上る。
「手足を斬り落としてやる」
イライナがそっと刀身に触れた。彼女が手首に巻いている数本の鎖の内の一本が赤く染め上がる。同時に、剣から炎が噴き出した。精霊の力を発動したのだ。
「古跡の中では、思う通りに力も振るえまい?」
「それはそちらも同じだろう?」
互いに嗤ったのを合図に。
イライナはアデルに再び斬りかかる。今度は噴出した炎によって、攻撃範囲がより広くなっていた。天まで立ち昇るような炎がアデルの耳朶を僅かに焼いたが、それでも避け切れないわけではなかった。
「イライナ様を援護しろ!」
軍人が指示を出し、イライナと距離を取った瞬間に発砲をしてくる。
アデルは右目だけを動かして、銃弾の速度と位置を認識。霊力で銃弾に使われている鋼鉄へと指示を飛ばす。
変化はすぐさま起きる。まるで磁石のように銃弾へ、大気中の砂埃が集まっていき、一気に質量が増えた。結果、銃弾の速度は落ち、遂にはアデルに届く前に落下する。
「なんだ、あれは!」
「警戒しろ!あいつ、そもそも大地を操るほどの力を持っている!A級の可能性があるぞ!」
思い思いの人間たちの言葉を聞き、アデルは舌打ちをした。
「てめぇらの杓子定規で俺たちを勝手にランク付けしてんじゃねえよ!」
苛立った地面を踏みつける。軍人たちの足下に突如として土の柱が生えた。それは細い柱であったが、軍人たちの顎に直撃させ、失神させるには十分な強度を持っていた。
軍人たちの数名が昏倒した。それを見たイライナが、アデルに対して警戒の色を更に強め、剣を立て続けに振るい続ける。
「大人しくしろ、精霊!」
「誰がするか!」
アデルはイライナの攻撃を避け続ける。そうしながら、自分の体の違和感を確かに感じ取っていた。
(精霊術が……軽い……?)
古跡に居る場合。精霊たちが自身の属性の自然へと指示を出す力―――精霊術の通りが悪くなり、発動にも時間がかかる。簡単な精霊術でも普段の数倍の負担が体にかかる。なので、古跡の中では拳を使った体術や、小さな足場を作る程度の精霊術だけに使用を限定し、体への普段を軽減させていた。
だが、今、アデルは普段通りとまではいかなくとも、精霊術に古跡内でいつも感じる重さがないことに気づいていた。
(いける)
アデルは確信した。
重力制御を成すほどの力は捻り出せないが、遠くまで精霊術が届くのならば。
「――――ふぅっ……」
大きく一度息を吐き、体内から大地へと命令を流し込む。一度距離を取っていたイライナの足元へ向けて即座に精霊術は奔っていく。そして、アデルが出した命令に従い、大地に変化が起きる。
端的に言えば、イライナの足元が、何の前兆もなく、突如としてぬかるんだ。
「うっ……?」
足元をとられて、イライナが前のめりになる。そこを狙い、アデルは更に命令を飛ばす。
瞬時にイライナの足を巻き込んだ状態で大地が硬直した。簡単には抜け出せないように、強度を高めに設定しておいた。そのかいあってか、イライナが体を前後左右に動かしても、彼女の足が大地から抜けることは無かった。
「この……卑怯だぞ!正々堂々と勝負をしろ!」
「部下を引き連れて攻撃を仕掛けてくる奴の言う事か、それは?」
ため息交じりにアデルは答える。その間にイライナの部下によって放たれた銃弾を、今度は大地の中の砂鉄を瞬時に集めて鉄壁を創造。銃弾を防ぎながら考える。
(さて、このまま車まで走るか)
視線の先には、先ほどアデルたちが乗って来た車が砂を被った状態ながらも佇んでいる。どうやら廃墟の崩壊には直接巻き込まれなかったらしい。
動くといいが。
「この……糞、忌々しい!」
うめき声を上げながら、イライナは足元に剣を突き刺した。
剣の表面を蠢いていた炎が、僅かに鎮まった。
直後。
イライナの手首にある赤い鎖が、燃え上がるような輝きを発する。同時に剣から赤い炎が吹き上がった。それはイライナにこそ危害を加えないが、その熱で大地を溶かし始めた。
アデルは冷や汗を掻いた。
イライナが今、まさに大地から脱しようとしていることに、ではない。
悲鳴が、聞こえたからだ。
精霊たちの力の根源はこの惑星全てに存在する“生きる力”―――霊力や生命力だ。よって、古跡という霊力や生命力が枯渇している場では、精霊は本当の力を出すことはできない。死にかけた大地や大気に、これ以上力を搾り取ることはできない、と本能が自制するからだ。
今、イライナは契約術という名の呪いによって、精霊の本能による自制を破壊している。そのことによって精霊は確かに力を引き出すことができるだろう。だが、それは精霊にとっては苦痛の他、なんでもない。
護るべき自然から生命力を吸い取り、無理矢理従わせているのだから。
そうして自然界から生命力を搾りつくすだけ搾りつくして、それでも人間が満足しなければ、精霊は自分の生命力を代償に、人間の命じるままに精霊術を行使するしか手段が無くなる。その先にあるのは、当然ながら―――死だ。
「てめぇ、よしやがれ!」
血相を変えてアデルが怒鳴った。
「ふん。誰が止めるものか」
イライナは当たり前だが言う事を聞く気配がない。口元に勝ち誇ったような笑みさえ浮かべている。
彼女には、精霊術士たちには、そして人間には聞こえない。精霊の苦痛の叫びが。その声が聞こえれば若しくは―――精霊の意志を捻じ曲げて彼らの力を搾取する行為を、止めてくれるのだろうか。
(仕方ねぇ……)
アデルは指を鳴らす。その手には霊力が込められる。
(殺そう)
これはある意味当然の帰結である。
精霊たちの間で、精霊術士たちから同族を助け出すことは原則禁止とされている。だが、自分と対峙している精霊術士が居れば、これは殺してしまっても致し方が無い、ともされていた。
人間は自然から生まれたものだから、殺すことを推奨されないだけであり。
特に、保護すべき対象ではない。
そうして、冷徹な感情がアデルの中に流れ始め、その全身に霊力が巡った時に。
アデルの背後の瓦礫から、突如古跡獣が体を起こした。全長はおおよそ十メートルの、大型だ。白い肌をさらけ出し、目も鼻もなく、胴についた巨大な口から、金切り声が飛び出して辺りに轟いた。
古跡獣はアデルには見向きもせずに、真っすぐにイライナへ向かって突進していく。
「古跡獣!」「イライナ様!」
まだアデルに気絶させられていなかった部下数人が、悲鳴じみた声を上げながら、銃を撃った。銃弾数発が古跡獣の肉体がめり込んだが、弾力のある肌が銃弾を弾くだけだった。
「タイミングが悪い!」
悪態吐いてイライナは地面から剣を引き抜いて、突撃してきた古跡獣を切りつけた。それは古跡獣の何もない顔に当たり、白い血が辺りに散った。古跡獣は痛みに悶えたが、ぎりぎりと歯ぎしりをし、再びイライナに襲い掛かる。
「糞、こいつら!毎度毎度、人間ばかり狙いやがって、気持ち悪い!」
軍人たちが巨大な古跡獣の対処に手間取っているのを見て、アデルは今がチャンスとばかりに車に乗り込んだ。
エンジンは普通にかかる。妙な音もしない。大丈夫。いける。
「後は……」
そうして逃げる算段が立ったところで、アデルはイライナの足を捕まえていた大地に命令を出し、彼女の足を解放した。これでもう、無理矢理精霊術を使って大地から抜け出そうとなどは思わないだろう。
「待て!精霊!」
イライナの怒鳴り声が聞こえてきたが、当然従うつもりはない。
早々にアクセルを踏んだアデルは、そのまま車を発進させ、森の中へと逃げ出したのだった。
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