3話 アスハ古跡(2)

 雪路は考えを巡らせる。 

 アポストロの死体から僅かなマナの残滓すら感じられないあたり、魔術を行使する前に一撃で古跡獣に殺されたのか。


―――いや、違う。

 雪路はすっと目を細めた。


 死んでいるアポストロとはまた別のマナの残滓がある。

古跡獣は命の源泉であるアポストロを食べることに夢中になっているらしく、こちらに見向きもしない。このままでは、アポストロの全身はほどなくして古跡獣に食い尽くされる。


「コハクは……?」

 まず一番に妹の心配をするアデルに、簡潔で分かり易いように雪路は指示を出した。


「アデル!古跡獣をどっかやって!脳さえ残っていれば、アポストロの記憶を覗いてコハクちゃんの居場所を探ることができる!」

 アデルの反応は素早かった。拳を握り、跳躍するまでおおよそ一秒。そこから面白いように古跡獣が吹き飛んだのは一瞬。


 雪路はアポストロの死体に駆け寄った。よくよく見ると、アポストロの死体は首を境にして鋭利な刃物のようなもので、綺麗に分断されている。

 明らかに古跡獣の仕業ではない。

(予測がついてきた。なんとも糞みたいな話だ)

 自嘲気味に雪路は笑いながら、『解除コード』を口に出す。


「使徒・NoA、使徒・NoD5877の記憶領域へのアクセスを要求」


 程なくしてアポストロの額から魔法陣が浮かび上がった。そこに手を置いた。

「記憶領域・ロック解除完了。ダイブ開始」


 その言葉を合図にしたかのように。

 一気に情報が脳へと雪崩れ込んでくる―――が、なぜか損傷が激しく読み取りづらい記憶の中で、雪路は真っ先に一番記憶が新しい部分―――死ぬ直前の記憶のみを読み取ることに集中する。



『やりました。ガルディアンを発見しました』


 声がする。

 視界が揺れる。暗い廊下が見える。抱えているのはコハク。

 これは、死んだアポストロの記憶。

 誰かが目の前に立っている。

 ガルディアンとは何か。

 抱えていたコハクを目の前の人物に渡す仕草。


『ああ。よくやった。これでまた、楽園へと近づいた』


 声は、目の前の誰かから。笑っている。それは雪路がよく見る笑顔。

 悪意と残虐性が入り混じる笑顔。

 直後。

 アポストロの視界が揺れた。痛みすら感じない内に視界が落ちていき。


『用済みだ。型落ち』

 その声の少し後。まだアポストロの意識は生きていた。立ち去っていく足音は、やがて階段を上る音へと変化していく。


――――空から………逃げる気か。

 死が迫る。

―――暗い。冷たい。なぜ?なぜ、なぜオレは殺されなければならない?

―――なんで、なんで、これからなのに、これからなのにこれからなのに。

 走馬燈。

 笑う橙の持つ少女。

 白い花畑。

 これは彼の理想であり、夢。

 幸せを夢見ていたことは間違いない。


―――それなのに。


 死んだアポストロの感情が燃え上がる前に、雪路は接続を切断しようとしたが、残留思念がするりと雪路の意識に滑り込んできた。


―――シンゾウ。

―――モ ッ テ イ ッ テ




「―――おい!」

 アデルに肩を揺さぶられ、雪路は我に返った。そこでやっと、不覚にも死人の意識に引き込まれていたことに気づかされた。


「大丈夫か?顔が真っ青だぞ」

 妹以外の存在は割とどうでもいいと考えていそうなアデルが、意外にも心配してきたことに、雪路は少し驚いた。


「あ、ああ。大丈夫……」

 頭を振って、雪路はひとつ、ふたつと、自分自身が呼吸を忘れていないか、確認するように行う。それから、掠れた声で今しがた得た情報を提供する。


「……コハクちゃんは、他のアポストロによってそこの階段から上に連れて行かれた。急いだほうがいい」

「分かった。感謝する」

 アデルは頷いて、傍にある階段を伝って上へと駆けあがって行った。


 お前は何者だ、とか。

 そんな余分な事を聞かず、ひたすら目的へ向けて一直線なアデルに、雪路は少し感心した。そうしてふらつく足で階段へ向かおうとした雪路は、思い出してもう一度アポストロの傍にしゃがみ込んだ。


(心臓を持っていけって……言っていたな)

 腰に付けているサバイバルナイフを取り出して、慣れた手つきでアポストロの左の胸部を切り開く。


「……ん?」

 心臓らしきものが見えたが、それは雪路が知っているものとは異なっていて、首を傾げることになる。血管をナイフで全て切り離し、丁寧に取り出した、それは―――。


「なんだ、これ……?」


 鈍い黒に輝く、不格好な機械だった。大きさは成人した人間の心臓ほどだ。出てきた位置から考えても、この機械が心臓として機能していたことは予測できる。

 だが、なぜアポストロの体内にこんな不純物が入っていたのか、それが雪路には理解できなかった。


 もしや。これが、アポストロたちがマナをノーリスクで使用できる原因か。

(……解体して分析すれば少しは分かるかな)

 一刻も早くマナを使えるようになりたい雪路は、心臓型の機械の中身を知るため

に、腰のポシェットの中をまさぐって、ドライバーを探し始めた。


 しかし。


 ずずん、と。


 建物全体が揺れた。揺れの発生地点は明らかに上。

 何が起こったのかは容易に想像できた。

「見つけたのか」


 優先順位は、アデルとコハク。二人の面倒を見ることの方が上だ。

 そう判断した雪路は、ポシェットに心臓として機能していたらしい機械を仕舞いながら、階段を急いで駆け上がり始める。

 ただ、すぐに息は切れ始める。


 相変わらず、マナが不足している状態の雪路の体に体力は無い。

 雪路がばてている間にも、揺れは幾度も起こり続ける。だが、その揺れは徐々に小さく弱いものになっている。

―――俺の力なんて十分の一も発揮できないんだよ!


 アデルの言葉が脳裏に蘇る。

 彼が勝てる、と断言したのは、既に死体になったアポストロの戦力を分析してのことだ。

 そのアポストロを倒した敵の能力は未知数。実力が十分に発揮できないアデルが勝てるなど、断言できるわけがない。


「あー、糞!」

 息、切れ切れに。

 雪路は遂に屋上に辿り着く。

 その頃には建物の揺れは収まっていた。それでもまだ、アデルの気配があったので、屋上へと続く錆び付いた扉を、力任せに雪路は引っ張った。


 そこに広がる光景は、大体想像通りだった。

 その場に膝を着くアデル。

 対するは白い二対の翼を背負い、長い黒髪を持つ男のアポストロ。小脇にはコハクを抱えている。


「ん?人間か」


 アポストロが雪路に気づく。口元にうっすらと笑みを浮かべている。

 その笑みは覚えがある。つい先ほど、他人の記憶の中で見た笑みだ。

「下のアポストロを殺したのは、あんただね?」

「ああ。そういえば……そんなものも居たな」

 言われるまで忘れていた、という様子で、アポストロが顎を撫でた。そののんびりとした口調と仕草は、雪路が力ない子供だと思い舐め腐っているようだ。

 やや苛立ちを覚えながらも、雪路は冷静に相手を観察する。


 黒く長い髪。切れ長の黒い瞳。翼は二対。マナは大きい。かなりの力を持っていることは間違いない。

「君は……一体何用なのかな?私は今……ここから早々に立ち去りたいのだが。なにせここは空気が悪い」

「それには大いに同感だ。こんな死にかけた土地、僕だって一分一秒でも早くここから立ち去りたい。だからさ、さっさとその女の子、置いて行ってくれない?」

「女の子?」

 アポストロは脇に抱えたコハクを見て、首を傾げた。


「無理だ。置いていけない。これは必要なものだ」

「それは、その子が“ガルディアン”だから?」

 雪路の言葉に、アポストロの瞳に好奇心の光が宿った。

「どこで……その言葉を?」

「さてね」


 とぼけてみせる。視界の端に、アデルの姿を常に捉えながら、なるべく会話を長引かせようと試みる。アデルは今、呼吸を整えて体力を取り戻そうとしている。その視線はずっとアポストロに抱えられているコハクに向けられている。彼女を取り戻す隙を探し続けている。

 アポストロは、精霊がこの土地では十分な力を発揮できないことを恐らく知っている。だからこそ、油断しきって、更に好奇心を駆られる対象である雪路へと意識を集中している。


(上手くお嬢さんを取り戻せるかはお前次第だよ、アデル)

 戦うことができない雪路は、アデルが行動を起こすまでただひたすらに、相手の気を引くことしかできない。

 雪路は目を細め、アポストロを睨んだ。


「寧ろこっちが聞きたいんだけれどさ。“ガルディアン”って何?」

「さてね」

 今度はアポストロがすっとぼけてくるので、雪路は口元に薄く笑みを浮かべてみせた。

「言いたくないならいいけれどさ。こちらとしては納得できないよ。突然居住区を襲ってそこに住んでいる人間を殺して回って、その上女の子を誘拐なんて、翼が生えた神の使徒サマのやることとは思えないんだけれど?それとも女の子を誘拐するのは、アンタの趣味かな?ロリコンなのかな?」


 安い挑発であることは確かだ。それでも、所々、相手が反応したくなるような単語を盛り込んだつもりだった。堂々と胸を張って人殺しを宣言するか。天使ではないと否定するか。ロリコンではないと否定するか。

 それとも。


「神の、使徒?」

 低くアポストロが唸った。

「そうか……。この世界では元々、翼が生えた人間は使徒と呼ばれていたな。だが……」

 アポストロが雪路を睨んだ瞬間。アポストロの周囲にマナという力に意味を与える術式―――魔術式が五つ現れた。

「既に我らは……神の支配から脱却した存在だ。間違えるな」


 魔術式から生まれ出たのは、黒い矢。それが五つ、一斉に雪路に向かって掃射された。一本は右腕、一本は左腕、右足に左足、そして頭。少しずつ時間差をつけて飛んでくる矢を、まず体を少しだけ捻って避けた上で、右腕を狙って放たれた矢は腰から引き抜いた剣で叩き落とした。


 雪路が素の運動神経や体力は自信がないのは確かだった。元々、そういうふうに肉体が作られていない。しかし、蓄積された戦闘経験が、力の弱い雪路を手助けしてくれる。反射神経や相手の攻撃の予測能力は健在で、安堵の息を雪路は吐いた。


「突然攻撃を仕掛けてくるなんてひどいじゃないか」

「……精霊術士か」

 雪路が手に持つ剣から放たれる僅かな精霊な気配を読み取ったのだろう。どこか確信を得たように呟くアポストロに対し、雪路は「ハズレ」などとは答えずに首を傾げてみせる。


 そして。

「では邪魔だから殺してしまおう」

 この短絡的な思考回路は、正しく生来殺人を生業としてきたアポストロのそれだ。


 マナがアポストロの心臓部から溢れ出る。周囲に魔術式が幾つにも展開され、空間を圧迫し始める。

 強力な魔術を放とうとしているのは、一目瞭然だ。

(けどその分、隙も大きい)

 自身にアポストロの意識が集中していることを確認し、アデルが行動に移すことを雪路は願う。願いながら、魔術を放たせない手立てを仕組むために、剣先で床を軽く叩く。


 波紋が生まれる。それは大気を突き抜けていったが、アポストロは毛ほども気づけないのを雪路は知っている。

 魔術という、世界の常識に対して、奇跡を無理矢理起こそうとする力に対し、それに抗い正すための力。


(魔術の発動と同時に……ぶち当ててやる……!)

 “調律”を準備した雪路は、

「―――え」

思わぬ人物がこちらに向かってきていることに気づいて、驚いて目を大きく見開いた。

 アデル。

 妹にあれ程執着していた彼が、雪路に向かって駆けこんできている。


(いや、待て。僕は平気だって)

 声には出さず、ただ雪路は混乱する。

(だって僕が死なないことは、知っているよな、あいつ。魔術だって平気なんだって。それよりも妹を優先しろよ)

 なんで。


「馬鹿……!」


 思わず声が出た時には、アデルは雪路の首根を掴んでいた。そのまま庇うように、雪路とアポストロの間に立つ。

 予想外の展開に、雪路の調律の発動が遅れた。

 それは、致命的な遅延となった。


 魔術式が一層輝き―――大気が爆ぜた。

 爆音が辺りに轟き、古跡という名の廃墟の屋上が一気に砕け散る。砂煙と瓦礫が地上へと降り注ぎ、爆発の衝撃でひびが入った廃墟は、徐々に階数を減らしていく。下まで到達した砂煙は、そのまま大地に沿って広がっていき、周辺の木々すら灰色に染め上げていく。

 その様子を、空高く飛び立ったアポストロが見つめていたが、すぐに興味を失ったようで、力強い翼の羽ばたきで、あっという間にアポストロは空の遠く彼方へと消えていく。


 その数分後。廃墟の崩壊が収まり、辺りに静寂が訪れた頃。

 地面に落ちた巨大な瓦礫に、不自然に罅が入り、次の瞬間粉々に砕け散った。

 その下から現れたのは、の姿の生物だ。その背後に庇われるようにして、青年が尻餅をついていた。


「お、前……」


 青年―――アデルが掠れた声で黒い翼を生やした少年―――雪路を見つめていた。

 二人の周囲はうすぼんやりと輝く壁が全方面に展開されていた。それは砂煙も空から降って来る粉じんも、全て寄せ付けない力を持っていた。


「馬鹿……じゃないの……お前。何やってんだよ……」

 マナが底をつき、疲労と吐き気に顔を真っ青にした雪路は、心臓部を手で強く握りしめ、再びマナを根本から封印し直した。背にある翼は、マナの封印と共に大気に溶けるようにして消え去っていく。


「……気持ち悪りぃ……」

 そう呟いて、よたついて、そのままアデルに向かって倒れ込んだ時には、既に雪路の意識は完全に闇の底へと落ちていた。

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