第6話 金城さん

 高校3年生の6月11日の夜。電話が鳴った。


 ママは勢いよくリビングの子機を取り、「もしもし!」と少女のような声を出す。


 その日パパは不機嫌にならなかった。2階へも行かず、ソファーに座って、新聞を読んでいた。


「うん! あずさは来年高校卒業よ! 大人になっちゃったわね! あっというま! そうだ。アロマセラピーの資格を取ったの! ……え? え~? ……できるかな?……。うん。考えてみる! じゃあね!」


 子機を片手に、前のめりでママは廊下からリビングに戻ってきた。


「ねえ! 金城さんの教会で、アロマセラピーのハンドマッサ-ジをしてほしいって! 教会員の方々にね! で、少し、教えてほしいって!」


「へぇ~。行ってきなさい」


 パパはそうすぐに返事をしてテレビをつけた。


 ママは少女のような可愛い笑顔で私を見て、手招きした。


「一緒に行こう」とママは私を誘った。


 冷静に考えると、何も断る理由はない。その人は、ママの親友だから……。

 それに、パパだって、私が一緒の方が安心なはずだ。だから、私は頷いた。


 

 それから、約3ヶ月後。

 ママと私は金城さんの教会に行った。私は18歳になったばかりだった。


 高速バスで東京駅に。そこから電車とタクシーで。


 どこかよくわからないアスファルトの道を、残暑の中、ぼーっとしながらママの少し後ろを歩いていく。


 大きな教会が見えた。


 中に入ると、カラフルなステンドグラスが聖堂の一番奥に見えた。それだけで、どこかよくわからない世界に迷いこんだ気がした。


 私達は礼拝に参加。


 *


 礼拝が終わり、金城さんが講壇から歩いて来て「ようこそ」と言った。丁寧にお辞儀をして、ママと微笑み合った。


 金城さんは、私達を、牧師室というところに案内してくれた。中には、壁一面の本棚。圧倒された。ママと金城さんはずっと立ち話をしていた。時折ママは、「ねっ!」と私の顔を見て相槌を求める。


 ママはキラキラしている。


 金城さんに会えるとわかった3ヶ月前から、徐々に女になっていったママ。その日は、派手すぎない赤の口紅をつけていて、紫のワンピースに白いレースのトップスを着ていた。


「あずさちゃん。本は読みなさい」

 金城さんが、唐突に言った。それは押し付けがましくなかった。


 同時に脳裏にパパの言葉が蘇る。

「いつまで本なんか読んでるんだっ! 早く、片付けなさい!」

 そして私の足を見て、にやりとした顔。


 訳の分からない気持ちに襲われた。


(わたしは……。ママは……。パパは……)


 返事ができないでいる無愛想な私に、金城さんは、また、にこっと微笑んだ。子供を慈しむ「可愛いね」という笑顔だった。


 その雰囲気は、あのスクーターに乗ったお坊さんと似ていた。

 そして私は、また不思議と満足した。



 軽いお昼を教会のご婦人方と一緒に頂いた。ママは、社交的だから、すぐにご婦人たちと、仲良くなった。


「先生、どーして? こんな素敵な方知ってらしたのに! 残念ね~!」

 と教会員の方に、金城さんは独身であることをからかわれていた。


 紳士的ではあるけれど、冗談を言いながら、さらっとかわしている金城さんを見て、ママの好きなタイプを思い出していた。


 (少しエッチで、優しくて、面白くて、いざというとき頼りになる人。金城さんがエッチかどうかは知らないけれど。優しい人だ。そして面白い。やっぱり。パパとは、正反対だ)


 *


 午後。ママは教会に残った10人のご婦人方に、アロマと簡単な使い方などを説明した。そしてハンドマッサージを施した。アロマのラベンダーの香りの中、和やかに全ては順調に進んだ。


 そして……。教会をあとにしたのは、夕方4時過ぎ。


 また、どこかわからないアスファルトの道を歩く。下からの熱気でまだ暑い。でもママは、「大満足」という雰囲気で歩いて行く。


 ママのお化粧は崩れていない。

 金城さんの前ではママは、女だった。


 タクシーを拾う。電車に乗る。東京駅の高速バスのロータリーへ行く間もママは足取りが軽い。


「バスがくるまでまだ時間あるわね。お茶しよう!」


 ママは早歩きでカフェを探す。私はまた後ろからついていく。ママは都会のリズムにすぐに馴染んでしまう。私はあまり都会が好きでではない。


 カフェに入り、迷わず席に座るママ。


 すぐにメニューを手に取り見ながら、

「はーっ。楽しかった。面白い人だったでしょ?」

 と、席に着いたばかりの私に訊いた。


「うん……」


 そっけない返事なのに、ママはやっぱり満足そう。


 私の父親は、本当にパパだろうか? 一瞬よぎる疑問。そして私は、「あの人の方が良かった……」と思った。

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