第62話

「吉永さん。」              吉永は嫌な顔をした。名字で呼んだからだろう。だがリナもあんな事があった後で、まだ元の様に真実とは呼べない。普通に話して いたり、好きでも、まだわだかまりが無い訳ではない。               「子供の事は?」            「それは、リナに産んで欲しいと思って  いる。リナが良いなら。」        「うちの親は絶対に会わないって言ってるんだよ。嫌だって。」           「その事は何とかする。だから、リナの気持を聞いてるんだ。又、元に戻れないか?」 リナはしばらく黙った。だが、元々決まっていた。来る途中、いや最初にあの手紙を見た時から。                「良いよ。そして子供も産んであげるよ。」吉永の顔がパッと明るくなった。     「だけどその前に、自分もそこに土下座してよ。」                  何を言ってるんだ、私?!だが、試してみたかった。どれだけ本気なのか。      吉永の顔が歪んだ。ジッと自分を困惑して 見ている。だがリナは自分が散々、皆が見ている前でそうしろと言われたのでこう言った。                  「どうしたの?自分が私に言ったんだよ! 土下座しろって。なら、何で自分はできないの?」                 先程からの事も色々と頭にきていたから、 余計にそんな事を言ったのかもしれない。                  吉永は悩んでいた。だがしなければリナは 戻らない、なら仕方無い。そうせざるを得ない。そう思ったのだろう。ゆっくりと地面に片膝を着けてから又もう片方も着けた。顔は引きつっている。            リナは黙って見ていた。本当にやるかどうかは分からなかったが、その姿を見て驚いた。だが黙っていた。自分だってあれ程、土下座を強いられようとした。その執拗さにしようかと何度か悩み、だが何とか従わなかった。だったら、それをさせようとした本人だ。 好きだけど、そうした気持が湧いた。   吉永はしばらく膝をついていたが、それ以上はしない。嫌だから悩んでいると言う様だ。最初は違ったが、しばらくそうしている姿に廻りを通る人間が気付き、驚いてその姿を 見ている。横を通りながら、驚いて振り返ったりして見ている。何しろ、背広姿の中年の男がそんな事をしている。しかも若い女の前で。一体何をやってるんだろう?誰でもそう思うだろう。              リナも、当然吉永本人もそれに気付く。リナは段々、可哀想になってきた。声をかけようとしたがその時、吉永が言った。     「駄目だ、私にはできない。」       そして又小さな声で繰り返した。     「こんな事、私にはできない。」      そうして立ち上がった。         互いに顔を見つめた。          「良いよ、ごめんね。でも、そっちがそうして無理に土下座させようとしたから…。だから私もそんな事を言ったんだよ。」    「じゃ、もう良いんだね。」       「うん。                「じゃあ、どっかに入ろうか。」     「うん。でもドーナツ屋じゃなくて、もう 少し近くで。ここら辺でいいよね?」   「良いよ、何処でも。」          吉永が快活に返事した。         「じゃ、行こう。」            リナは嬉しくて、先に歩き出したが、直ぐに吉永を振り返った。その時、ハッとした。 何、今の顔は?!

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