第23話
誰にだって見せたくない顔というのはあるものだ。私は 少なからずそう思ってしまう。
彼に、近江さんに駅前に送ってもらいながらも、私は神澤さんの表情のことを思い起こしていた。彼は困ったかのように私の姿を見ていた。きっとタイミングを考えてみれば彼が私たちの会話を聞いていたことに違いはない。みんなな・・・・・・あんまり良いとはいえる幼少期を過ごしている訳ではないことに今更ながらに気づいてしまった。
私も、神澤さんももちろんだが、朔もあまり親に大して良い印象というのはもっていないことに気づいた。それは、その人間がみせる表情なのだ。仲間同士であればすぐに気づく。大きな声では決していえないものだが、普通の人間のように、私たちは呼吸をし、親に育てられていく。そういうものなのか。と彼は得心した用にうなずいていた。つまり彼には親との接点があまりなかったのだろう。特に父親の方に。
「びっくりしただろ」
突然何のことかと、前をみると、近江さんが立ち止まってこちらをみていた。サンシャイン通りと呼ばれる大通りにさしかかろうとしていた時であった。今日も学生だったり、若いカップル、そして夫婦が歩きながらも仲よさそうに笑い合っている。
「あいつあれでも無自覚なんだよ。親に対してさ」
「・・・・・・どういうことでしょう」
私の言葉に、彼は悩んだ表情をしながらも、前を向いて歩き出す。彼の歩幅は私よりも広いのでついて行くのにも少し急がなければならない。
「あいつ、片親で育った人間なんだよな――俺も全部知ってる訳じゃねえんだけど。ただの噂だ。それにあまりいい話じゃないんだが、聞くか?」
彼が親指でくいっと示したのはチェーン店の看板である。ここで話をしてくれるということだろう。
「時間、大丈夫か?」
時刻はまだ21時を指し示していた。まだ余裕があると頷いてみせると彼は安心したように笑った。まるで誰かに話すのを待っていたかのように。
これは浮気に入るのだろうか。若い女の子(ましてやなかなかに可愛い女の子)だ。勝手に他人の過去というのを誰かにしゃべるというのはなかなかなに気が引ける行為だが、しおりちゃんはこれからも神澤という人間に、朔の人生に大きく関わってくる人間だろう。ならば、知っておくべきだ。と俺は思う。 神澤だったら 反対するだろう。必死な彼の表情が浮かぶが、数秒のうちに脳内から消し去った。ちゃらんぽらんな人生だ、何だと日々俺は彼のことを詰るが、それは間違いなく彼のせいではない。このことだけは断言できる。親という存在、そして周りの人間。それは罪なのか。と問われればそれは罪ではないというのが俺の中の答えとして存在していた。彼のせいでもない。周りの人間のせいでもない。ただ行き違いが起こってしまっただけなのだ。当初少しばかりしおりちゃんは緊張していたが、奴の過去(周りから聞いたものと奴を囲っていた奴らから聞いたものを総合したもの)を語っていくうちにだんだんと頬が紅潮していく。
まず先に、俺が神澤敏行という人間を語る時、大体は奴との出会いから話を始める。奴はあろうことか、野球部の部室を女との会合場所に選んでいたのだ。これには俺もかなり怒りが芽生えている訳だが、過去の怒りをここで吐露したところでどうしようもないことはわかっている。
なのでとりあえず彼の格好からどれだけ彼が歪んだ人間だったかを説明し始める。とはいってもざらにそういう格好の奴らはいた。
「まあ、俺らの高校に校則はあったが、大体の生徒はそれを無視していた。頭の良い奴と・・・・・・役員の親をもつ奴らが大半だったからな」
「その、どういうことでしょう。それが神澤さんとどういう関係が・・・・・」
「しおりちゃんが疑問に持つのも当然だろう。問題は・・・・・・奴の親父が、製薬会社の重鎮で、なおかつ頭が良くてな。品行方正とはほど遠い格好していようが、女をどれだけ抱いていようが、やりたい放題だったわけだ。その癖悪いことばかりしているのか、といわれればそういう訳でもない。グレーゾーンをしっかり守って、高校生活を送ったのが神澤っていうやつだったんだ」
なおも疑問符を浮かべているしおりちゃんに俺は語を継ぐ。
「高校の理事に大きく関わっていたのが神澤 雄三つまりは神澤の父親だな。奴は製薬会社の重鎮で一番に貢献していて、なおかつ横のパイプ・・・・・・政治界にも顔が聞いていた。そんな人間の息子が高校に入ってきた。その時点ではまだ良かったが、政治に縁のあった理事会は当たり前のように神澤雄三に媚びへつらい、それにつられ高校の教師達も神澤については何もしなかった。あいつが何をしようとな」
「それは・・・・・・小説や漫画でよく見る王子様・・・・・・とかいうものでは」
「まさにそういうことだよ。でも残念ながら王子様なんてものじゃななかったけどな。まさに、教師陣からは無視をされ、問題を起こしてもああ、そうですか、という態度だ。誰もあいつと向き合おうともしなかったんだ」
思い切り悪い犯罪クラスのことをやってのけたのであれば、教師陣も、理事も神澤雄三という人間に大して大きくでれたのであろうが、敏行はそういうことをしなかった。むしろ平然と生きていたのが、敏行であった。
慣れてしまったのだ。雄三の作りあげた檻というものに。
人間、飼われてしまえばどんな状況であろうとも慣れてしまう。教師の態度も、寄ってくる金に群がる人間にも敏行は慣れてしまった。
なので。
「まあ、だから俺・・・・・・奴にドロップキックを食らわせたんだわ」
そう口にすると、しおりちゃんの顔に「は?」という言葉が浮かんだ。まさにあの時の敏行と同じ表情である。
「どういうことですか? だってドロップキックって・・・・・・あれですよね」
「そうだ。あれだ」
苦笑を浮かべると、しおりちゃんはさらに理解不能という態度を示した。
「単純にいえば若かったというのかな・・・・・・いやにあいつが人形に見えちまってよ。むかついていたんだ。だからこう、数人の奴らかき分けて、思い切りぶん蹴っちまった。いやあ、あれはすっきりしたわ」
出会ってから数日の後のことである。キャッチボールをして、何年生なのかだとかそういうことを聞いた後、そうかお前がこの学校のお抱え王子様だったのかという真実とともに溢れ出てきたのは意外にも平凡なやつだったんだなという感情。数日後、練習があると言っておいたのにもかかわらず、サボった敏行を思い切り蹴飛ばした。それがあんな思い出したくもない高校生活になるとも知らずに。
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