第14話

神澤さん、大丈夫かなあ。あんまり子供の世話とかって得意そうに見えないんだけど。

私はそう思いながらも食器の皿を棚へと戻していく。食後の時間帯が過ぎて客もまばらになってきた。あとに残っているのは次の授業を待つ女子大学生だけである。

「しおり、そういやあの子供はカレーを食ったのか?」


父がカウンターの中からそう小声で話しかけてくる。一応客に気を使って小声にしているのだろう。大学生の女の子は眠そうにうたた寝をしている。

「うん、すごくおいしそうに食べてくれてた。気に入ったみたいだよ」

私の言葉に、父はそうか、と一つうなずいて再び皿を洗う作業に戻っていった。

昨日は初対面の男の人ばかりで緊張しちゃって意見はあまり出せなかったけど……まあ、名前だけでもわかってよかったよね。森住朔。あの子の名前がそうだって聞いて、少し安心できる自分がいる。

 まあ何もないよりかはまだましだし。一昨日はなんて呼べばいいか本当に困ったものだ……。

 神澤さんが出かけてからというものの、子供は私から距離を測った。測ったというのはもちろん、その言葉のまんまの意味で、すっと私を怖がるかのようにリビングの隅っこの方に移動したのだ。そのまま、空中に何かが見えるかのように茫然とカーテンを見ていた。暴れだしたのは翌朝起きてきてまだいない神澤さんを確認してからである。

 「どこ?」

「え? どこって?」

私の問いに不満を持ったのだろ。手当たり次第にそこらにあるものを私に向かって投げだしてきたのだ。

「えっとどういうことですか!? これは!」

思わず敬語で答えてしまう私に、子供は容赦なく、散らかし放題に暴れまくっている。

「うるさい!」

テーブルの上にある、時計や、卓上カレンダーが宙を舞う。おかげでいくつかの擦り傷ができているが、そこまで気にする内容でもなかったので、神澤さんたちには何も言っていない。 

「はあ、世の中の女性ってみんな大変なんだなあ」

正直に言えば漠然と私は結婚するのだろうという思いは私にだってある。女友達なんかは、高校を卒業して結婚して二歳くらいの子供がいたりだとか、大学生になってそのまま彼氏を作って同棲だとかをしている。けれど、私にそんな相手も、縁もない。

 告白されたことはあるけれど、中高は部活に所属していてそっちが楽しかったからお断りしたし、もちろんうれしくはあったけれど……うん、今の歳で彼氏いたことないとかかなりやばくないか、私。

 「はあ」

「何、暗くなっているんですかしおりさん」

と、話しかけてきたのは望月君である。たった今出勤したばかりなのだろう。エプロンの紐を結びながらカウンターの中に入っている。

――これは対象外すぎるよなあ。

「あーあー。どうして私の周りには男がいないんだろう」

 「開口一番かなりキツイ言葉っすね」

「だって私も20歳越えだよ? 花盛りだよ? どうしてこんなところにいるんだろうって思っちゃうよ」

 彼には彼女がいたためしがないのだという。二人ともいないのだからくっついてみるのもありじゃないかという女友達から言われたことがあるが、私にとったら彼は『ない』部類に入る。

「むしろ、近江さんとかの方が好みなんだけど……」

彼女いるんだろうなあ……。と思うのは彼には女性の匂いがプンプンしているからだ。というか包容力ありすぎだよ。優しそうだし――神澤さんにはかなりキツイみたいだけど。

 「何を一人でぶつぶついってるんだ。さっさと店の前掃除しにいってこい」

 父親がそんなことを言いながらエプロンを外し始めた。これから昼食をとるのだろう。

「はあい。あ、望月君。エビのグラタンの在庫はもうないから、お客さんにはきちんと説明しといてね」

 「はい、了解しました」

真面目なのか、なんなのか……神澤さんみたいにどっか抜けた印象が拭えないんだよなあ。

 そういいながら、私は店の扉を開いた。そこに立っていたのは抜けているナンバー1の男、神澤さんである。


K

扉を開こうとしていたら、ちょうどしおりさんが立っていた。買い物を終えて、両手にはビニール袋を提げている時にちょうど扉を開いてくれたものだからかなり助かる。朔は俺の後ろで買ってもらったばかりのおもちゃを手に持っていた。

「こん……にちは」

 朝から買い物ばかりで疲れてしまい、じゃあどこかで休むならとこの場所にやってきたのだ。正直、彼女の父親のことは苦手ではあるが、近江先輩の職場に押し掛けるのも、つかの間の昼休みを奪うということもできる限りであればしたくはない。

結局数分迷った内に、しおりさんのところへとやってきた。

 「こんにちは、ごめんなさい、いきなり来ちゃって」

 俺の言葉に彼女はええ、大丈夫ですよ。と言葉を濁したようなニュアンスでそう口にした。

何か、不味い時に来てしまったのだろうかと逡巡するが、昼時を過ぎたあたりだったのできっと疲れたのだろう。後ろでぐずるように朔が俺の事を見上げた。

ん? と俺が見れば彼はじっと外の看板に描かれたオムライスの事を見た。

 「わかった。オムライスな」

会話自体は少ないが、彼の目線の先から何が欲しいのかはだいたいわかってくる。彼が大事そうに右手に持っているおもちゃも、彼が欲しそうに見ていたから買ってみたにすぎにない。

にしても超合金バトルレンジャーって今時の戦隊も豪華になったものだ。しかも、見た目もさることながら、値段もそれなりに豪華になっている。

こりゃしばらく節約生活になりそうだな、と思いつつもじもじとしているしおりさんに口を開く。

「すいません、まだランチってやっていますかね?」

「ええ、一応。けど、今エビグラタンがなくって。父もちょうど休憩入ったところなので、私でよければオムライス作りますけど」

それはちょうどいい。腹に入るのであればなんでもいい。

「じゃあ、二名お願いします」

しおりさんがわかりました。と扉を開いてくれたので、ありがたく入ることにする。 

店内には、奥に一人いるくらいで、後は一昨日会ったばかりの青年がキッチンで皿洗いをしている程度だった。

「あれ、しおりさん。忘れ物……あ、この前の警官さん。と、子供」

 順繰りにそれぞれの顔を見て最後に朔を見やる。

「望月君、彼にはちゃんとした名前があるんだよ、ねえ、朔君?」

 叱るようにしおりさんが後ろでそう口にし、望月君は納得しかねるようにはあ、と頷き子供は黙って走り出し、窓際の席についた。

 「オムライス二つ。とオレンジジュースを一つください」

はい、と気持ちよくしおりさんが返事をし、さっそくキッチンへと向かった。望月君はしおりさんと入れ違いに俺のそばへとやってくる。オボンに載せているのは水の入ったグラスだ。

「朔君っていうんだね。よろしく」

彼はそう言いながらもグラスを置いていく。朔は彼などいないかのように窓の外を走る車を乗り出すように見ている。

「望月君は、大学生なのか?」

俺がそう口にすると、彼は照れ臭そうに首を傾げた。

「いやまあ、大学生といいますか、よくあるじゃないですか。就職失敗組ですよ。最初に入ったところが結構ブラックなところでして。学歴で判断されたんすかね。かなり重労働でして。へこたれたらへこたれたらでかなりの叱責をしてくる先輩方ばかりだったもので……」

 時代なのか……それとも人間が変わってしまったのかはわからない。けれど、救われない若者のうちの一人がここにいる。

「まあ、人生広いのだから別にそこって決める必要はないかもしれない」

そう口に出すとなんとも安っぽいセリフを吐いているなあと思ってしまう。

彼もそうですよね、と苦笑いともとれる笑みをこぼしている。

「まあ、そんなこんなでバイトの身になりまして、父の友人であるこの店のマスターに拾われたんです」

 「俺の先輩に言わせれば、きっとお前よりも口調はしっかりしてるし、真面目そうだからお前ら逆だろとか言われそうだなあ」

頭に浮かんだ近江先輩はかなり怒った表情である。こんなことをいうと彼に怒られそうだ。

 「先輩?」

「あ、いや、こっちの話。それよりもしおりさんには……」

そこでコホンと声を潜めて内緒話態勢に入ると、彼も耳を近づけてきた。

 「彼氏とかいるの?」

その言葉に、彼もまたこっそりと教えてくれる。

 「いないみたいですよ。さっきも男がいないーって嘆いていたくらいですから」

 あはは、と笑いながら彼はおかしそうに笑った。

よし、いない! と内心ガッツポーズを決める。

 朔が何の会話をしているのか気になったのだろう。窓際から降りて、俺の方へと身を乗り出す。

「これ、行儀が悪いな。落ち着いて座れよ」

思わずそう言って頭を押さえ、彼を座らせる。そのままオレンジジュースを手渡すと、大人しく飲み始めた。

「なんか、歳の離れた兄弟って感じがしますね」

 そんな様子を見て、望月青年はしみじみとそんなことを言い始めた。さっきも言われたような気がするが、喉の渇きを覚えて思わずコップを手に取る。

 「まあ、保護しているだけだけど」

 そうはいってもこうして連れまわしていること自体、あまり歓迎されたことではないことくらいわかってはいる。

 

しかし保護の名目上こうしないわけにもいかない。なるべくであれば、先輩方の迷惑になるようなことはしない方がいいだろう。

 はあ、保護ですか……と彼は納得しかねる表情のまま、傍を離れていった。

さて、ここは子供には申し訳ないが、しおりさんに会いに来るための口実に使わせていただこう。優しさにつけ込む、というのは正直いただけない表現ではあるけれど、社会人になってしまうといろいろと制限が外れる分、縛りが増えてしまう。周りの目を気にしないのは学生時代からそうであったが、社会人になると次は年下すぎないか、年上すぎないか、年収は、それとも、性格はだいじょうぶだろうか、など「結婚」を意識して様々なことを考えてしまう。

もちろん、世の風潮を考えればそういったことを考えるのは女性の役割だが、男性だって考える人は考えるのだ。その内の一人が俺であることは間違いがない。

 だって俺自身のことなのだから。

 「朔、しおりさんのことはしおり姉ちゃんと呼ぶんだぞ」

 年上らしくそうきちんと忠告してやると、オレンジジュースを飲む彼はうん、と頷いた。大人しさがウリで、子供らしくぷっくりとしているので女性陣からは人気が高そうだ。もしかしたら俺にもモテ期がやってくるかもしれない。

 「まずはお前のアイドルデビューを目指さないとな」

 婦警に会わせて、「神澤さんってそんなに頼りになる人なんだ~」と言わせたい。いや言われたい。何人かの若いママさん方とお知り合いになり、そのままお茶会に呼ばれたりして……。

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