第13話
二人が出ていった後、俺は携帯を取り出し、インターネットに興じる。児童、虐待……
「やっぱり違反にはなるのか」
児童の虐待は市町村に届け出をしなければならないらしい。その施設にも連絡を取る必要もあるだろう。
「けど、どうしたらいいんだろうなあ」
チラリと、自分の寝室を見れば、子供がすやすやと眠っていた。まだ眠れてよかったと思う。 もし、まだ起きているようなことがあったらまたそれについての対策を立てなければならなくなるだろう。
「大人なら睡眠薬とかあるんだろうけど……こういう時、どうしたらいいんだ」
知らないことばかりである。ついては調べなければならないことも多いだろう。精神状態だとか、体中の傷とか。これからについては先輩方がいるからまだいいとして、子供との一対一でのやりとりについても、きちんと勉強しなければならない。
なんにせよ、やはりというべきか……。
「俺のキャラじゃないよなあ」
次の日、子供に起こされた。何か息苦しいと思ったら朔が俺に馬乗りになっていた。
「おはよう。」
「うん」
お、やっと会話らしい会話ができた。この前は叫ばれたからなあ……時間を見ればまだ朝五時。まあ準備をしていれば、時間も経つだろう。
「とりあえず朝飯だなあ」
うん、と伸びをして俺は子供を抱き上げて、おろした。たぶん軽いのはきちんと食事をとらせてもらってないのも原因の一つにあるのだろう。
「さあて、朔。何が食いたい?」
名前を呼ばれて驚いたのだろう。彼の目が大きく見開かれる。
「ふっふっふっ。お兄ちゃんは警察官だからな。正義のヒーローはなんでもできるんだよ」
祥太さんのメモをとりだして、台所へと向かう。
昨日祥太さんが作り置きしておいてくれた味噌汁に火をつけ、まずはと冷蔵庫にメモを張り付けると、卵を取り出して、中身をお椀に入れ、スクランブルエッグを作るためにかき混ぜていく。
「ま、俺にだって料理くらいはできるだろう」
数分後。
「……」
朔の目の前には焦げ付いたスクランブルエッグが置かれた。俺の方はもっとひどい。
どうしてこうなった。とは言わないでおこう。それはきっと朔だって思っているはずだ。
「こんなとこ、あの三人は見せられねえなあ」
ぐずぐずになった卵を朔がフォークで突っついている。
「こらこら、遊ぶな。いいから食え。きっと味はいいから」
そんなことはないという朔の目。彼の目には白々しい俺が映っていることは間違いない。とりあえず、朔のために、買い置きをしておいたふりかけを出してやり、そのあとは何とかごまかしつつ食べさせる。
「つうか、朔。お前学校はどうすんだ」
「いってない」
食事をしながら、もそもそと二人で会話をこなしておく。たぶんこんな感じのコミュニケーションでいいのだろう。
「それは、もともと? それとも行かなくなったのか?」
俺のその問いは無言の返答であった。彼は黙って食事を続けている。スクランブルエッグは一口食べただけで、そのまま皿の上にあるが。
さて、これからどうすればいいのだろう。とりあえず携帯をとりだして、今日のシフトを確認するが、休みなのでもう少し寝てもいいのかもしれないという甘美な考えが頭の中に浮かんだ。
しかし、しばらくの間の食料や、祥太さんのいう衣食住をきちんとしなければならないだろう。服も多く買っておけばいいだろう。正直、貯金も多くあるわけではないのだが、しばらくの間ならばなんとかなるくらいにはある。
「とりあえず、出かけるしかねえな」
「どこにいく?」
「とりあえず、お前の雑貨とかをな。おもちゃは一個だけだからな。俺だってそんなに多くお金を持っている訳じゃねえんだし」
朔はうん、とうなずいて、再び食事を始めた。前もこうやって聞き分けの良い子供だったのだろうか、少し頭がよさそうにも、見える。信用できる人間と、できない人間の区別が彼には特別できているようにも見えるのだ。
「お前の親ってどんな人だった?」
過去形にするのもどうかと思うが、これは念のためだ。彼にとって親とはどんな存在なのか、知りたいだけであった。
朔はフォークをテーブルの上に置き、しばらくの間、俺の目をじっと見ていた。無表情ゆえ、どんな心境なのかは計り知れないが、それでも俺に話そうかどうかを見極めてくれているだけでうれしかった、
「いや、いい。無理に話す必要はないかもしれないな。まだ会ったばかりでこんなことを聞くのもおかしな話だよな」
慌てて、そう話を打ち切ると、俺は立ち上がって、歯磨きをするべく洗面台へと向かった。
O
「俊って何か心配ごとを抱えていると、眉間にしわが寄る癖があるよね」
昼の間、神澤からの買い物に行ってくるとのメールを受けとった俺は何気なくその話を振られた時に反応できなかった。
「え、俺そんな癖あったのか?」
恭子はあきれた様子で俺を見ている。もちろん鏡で俺が見る以外に自分の姿など確認できないし、心配事をしながら鏡を見ることなどまずないし、その時、自分がどんな表情をしていたかも確認していない。
「だいぶ前から。出会ってから思っていたことだけど……」
「そういうことははやく言ってくれよな」
ムスッとしてそう返せば、彼女は微笑んだ。
「でも、そういうのって本質的には治らないものじゃないかしら」
彼女はそういいつつも、パスタを巻きそれを口元に運んだ。髪をかき上げながら食べる様子が、何故か男の本能を呼び覚ます。
「まあ、なんだ。ちょっとした心配事だよ。同僚の大きな仕事を手伝うことになってさ」
「仕事? 別にいいと思うけど。あんまり無理はしないでほしいな」
慌てて、話題を茜の方へともっていく。彼女の仕事はまだ片付いてはいないので、昼休みが終われば、また会議室に缶詰めになることだろう。
「別に大丈夫さ。それにメインは同僚の方だし、手伝いくらいならなんとでもなる」
「そういえば、この前会った……後輩君。あれから彼とは会ってるの?」
ギクッと自分の体が、固まるのがわかる。どうにもタイミングが良すぎる。
「いや、どうかな。やつも仕事で忙しいみたいで、あんまり会えてないんだ」
彼女にはなるべく、心配事をかけたくはなかった。というか、俺の過去というやつを知られてはならないと思う。もし、また彼女と神澤がはちあうようなことがあれば俺の中の結婚プランが音を崩れていくのがわかる。もちろん、隠しているわけではない。話して欲しいといわれれば話すのかもしれないが……。
今はまだ駄目だ。
「まあ、公務員は色々忙しいかもしれないわね」
恭子の残念そうな言葉に、俺は胸を撫でおろす。
「そうかもな」
実際、あいつは忙しそうには見えない。子育てをしていなければ……どちらかといえば息抜きを人生にしているようなやつだ。
他の先輩は忙しそうにしている中、あいつは口笛を吹きながら横を通り過ぎる。そんなイメージしか、俺には浮かばない。
というか、後輩君って位置づけはどうなんだ。祥太にしても、恭子にしても神澤の事をどうして君付けで呼ぶのだろう。
「そういえば、この前新しくレストランが駅前にできたらしいの。今度行ってみない?」
レストラン? そういえば少し前から工事をしていたかもしれない。その時は何ができるかなんてわからなかったものだが、そうか、レストランができるのか。
「まあ、なんだっていいよ。恭子が行きたいってなら行ってみよう」
俺が思わずそう口にすると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「まあ、今日はおなか一杯になりそうだし、暇さえあったら……そうだな、次の休日にでもいくか?」
「ううん、わざわざ駅前まで行っちゃうと、職場の人にみつかったらめんどくさそうだし、ランチにでも行った時がいいかな。なんかね、同じ職場の女の子達が話しているのを聞いたんだけど、すごく安いチェーン店みたい。それなら安心していけるなって」
「それはたのしみだ。イタリアン系とかじゃなければいいんだがな」
今日食べているのがまたまたイタリアンの店なので、どうしても食の系統は変えたくなる。ここは恭子も俺も気に入っている店なので、できればこの店は大事にしておきたい。
「内容までは聞かなかったなあ。あ、じゃあ今夜中にまた連絡するわね。職場に戻ったら、女の子達に聞いてみるわ」
そういいながらもスマホを取り出した彼女はその時間を見て、驚いたように立ち上がった。
「いっけない。もうこんな時間。ごめん俊、もういくわね」
「何かあるのか?」
時間を見れば、いつも解散する時間よりも数十分は早い。
「うん、ちょっと仕事の関係で午後から急なミーティングをしなくちゃいけないのよ。本当にごめんなさい」
彼女は片手で俺に拝んでみせながらも、手荷物を素早くまとめている。別に腹を立てる理由も特にはないので、俺は鷹揚にうなずいてみせつつ、伝票を取った。
「それは急がないとな。じゃあ、行くか」
食後のコーヒーがまだだったが、それは別にどうにでもなる。自販機で買ってしまえば済むことだ。
「あ、私が払うわよ。この前からご馳走してもらってばかりだし……」
伝票を取ろうと恭子が俺に手を伸ばす。その手をひょいとよけると、彼女は笑ってちょっと何してるのよと苦笑した。
「いいよ、それより急いでいるんだろう。とりあえずここは俺が払うから、今度俺におごってくれよ」
別に古風な考え方はしたくはないが女性の食事代くらい出して見せたいという小さなプライドみたいなものがあるのだ。俺の言葉に、彼女は照れ臭そうにわかった。と頷いてくれた。
「今度こそおごらせてね」
その気持ちだけで充分なんだがな――そんな言葉は言わないでおいた。
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