第11話

「これと、これか……嬢ちゃんは何かアレルギーとか食えないもんあるか?」

 拝啓、お父さん。不思議な人が良く知らない男の家の台所で料理をし始めました。

 私は茫然と彼の事を眺めていた。どこかの店のマスターだという彼は、ものすごい速さで野菜を切ったり、味噌汁の味の具合を確かめたり、せわしなくすべての工程を一人で難なくこなしている。

 「しおりちゃんっていったか?」

 その合間に、突然彼は話しかけてきた。

 「えっと、はい」

 「すまねえな。突然来ちゃってよ。でもまあ子供にはそれなりのもの食わせねえといけねえと思うし、そこらへんは勘弁な」

 彼はそう言いながらも、ダシの効いた味噌汁をドン、とテーブルの上に置いた。

「後輩君から何も聞いてねえだろうから、驚くのもわかるんだが……そのお玉を使いたいんだ、貸してもらってもいいか?」

 私はとりあえず自己防衛として神澤さんの家にあったお玉を構えていた。

 後ろには不思議そうに二人を見比べている子供がいる。

 「えっと……まあ、わかりました」

 おずおずと私は彼にお玉を渡す。先ほどから彼はスプーンで味見をしていた。

 「祥太さん、っていいましたよね。えっと神澤さんとはどんなお付き合いで?」

私の言葉に、彼はガクッと肩を落とした。

「お付き合いってなんだよ。別にあいつとはそんな仲じゃねえよ! ただ友人の後輩だって言っていたな。昨日店で会っただけだけどよ。ちなみに、その子供のこともあいつらから聞いてる」

 「店? ああ、そういえば人に会いに行くって言っていたような……」

 彼が戻ってきたと同時に、子供が飛び出したので昨日の事などきちんと話せていない。

 「まあ、変な縁だが、どうやら俺もチームの一員になりそうだからな。早々にこうやってお前らを手伝うことにしたってことだ」

「はあ、どうも」

 さっぱりわけがわからないが、とりあえず見た目ほど危険な人でないことがわかって内心安堵する。突然、彼は子供を連れて現れた。

 狼さん、と赤ずきん? そんな昔の童話が私の頭の中に浮かんだのは間違いない。

とりあえず、と私は彼のおいてくれた味噌汁を飲む。きちんとダシから作った感満載の濃厚な味わいが口の中に広がった。

 「美味しいです。和食系のお店ですか? 祥太さんのお店って」

 「いや? 酒をだすところだ。けど――まあ職業柄、師匠についたときに、色んな事を仕込まれたからな。おかげで一通りはなんでも……けど、料理のうまさとかはそこらへんにいる主婦とそんな変わらねえとおもうけどな」

 「そんなこと、全然」

ないです、と言おうとして、彼はきっとバーテンダーとかそういう職業なのだろうと思う。

少なくとも、自分が作るよりも断然こっちの方がおいしい。

「つうか、一旦全員集めた方がいいよなあ、今後の対策として」

 彼はそう言いながらも、台所から野菜炒めを持ってきて、テーブルに置き、箸や子供のためなのだろう、大人用のフォークなどを料理の横に置いた。

「好き嫌いせず食えよ?」

 祥太さんはにやりと笑って子供の頭を撫でた。それに対し、まだ子供は無表情である。まだ彼に対して心は開けないのだろう。

当然、かもしれない。エゴだとはわかっていても、今回、別の人たちを巻き込んでしまったのは結果的に見れば、私のせいなのだ。

 警官である神澤さん。その先輩に当たる人。そして祥太さん。ほかにもいるのだろうか。

 「迷惑かけているとか、別に考えなくてもいいと思うぞ」

 え? と顔をあげれば、真剣な表情をした祥太さんと目が合う。

「まあ、あいつら昔からこういうことしてたし、バカだからよ。迷惑とかそんなの気にしてねえよ」

 内心を見透かされた。さすがというべきか、彼は女性の心がわかっている。というより人間の心がわかるのか。

 三人で食卓を囲む。この家の主はいないけれど、まあ彼の許可もとっているので大丈夫だろう。 フォークを使いながら、子供はせっせと食べていく。その様子を見る限りは、少し安心してしまう。がっついて食べるところはあまり止めないでおく。まず食事を与えられていない子供ほど、こうやって愛情を取ろうとするものだと理解はしている。あとは生存本能のようなものもあるだろう。ボロボロとこぼしているが、祥太さんもそれほど気にしていないのを見ると、彼もわかっているのだろう。


「マナーなんてのは気にしなくていい。今は美味い飯の味を知れば、それだけで十分さ」


そう言い切ると、彼も食事を始めた。私も、野菜炒めをほおばる。食べるとなんとなくだけれど、うれしくなってくる。にやにやしながら食べていると、祥太さんも笑っていた。



夜になって、祥太さんが連絡をし、彼のいうチームメンバーがみんな揃った。

先輩だという近江さん、それと神澤さん、そして、祥太さん。子供は神澤さんの膝の上に座っている。

それぞれがそれぞれの自己紹介をし終わり、雑談話に興じた。子供が寝静まったタイミングを見計らい、再び大人たちは酒を持って集う。

 「少なくとも、この子供の名前さえわかればいいんだけどなあ」

 近江さんは、そういいながらも帰りに買ったという缶ビールをゴクリと飲んだ。

 私はまだ未成年なのでお酒は飲めない。神澤さんが出してくれたオレンジジュースを飲んでいる。

 「あー俺実は調べてきたんすよ。この子供、森住 朔って名前でして……」

神澤さんがおずおずと手を挙げる。

「ほう、どうしてわかったんだ?」

 「うちの先輩――その職場の先輩が調べておいてくれてて」

チラリと近江さんの方を見たのはきっと、彼にとっての先輩が二人いるからだろう。

「それはなかなかにいい出だしだな。しかし、どうして子供一人で都内の駅にいたんだ?」

 

祥太さんが当然の疑問を口にする。

 「まあ、どこから逃げてきたのが正解だろうけどな」

 一つ一つを確かめるかのように彼らは相談しあう。これからどうするべきかについては、一番の年長者である近江さんの意見が口火を切った。

「一応通報しないと条例には反するらしいんだけどな。ただ……」


「それについては俺が反対します。反対というよりは、俺達に言っているから……体裁は保てているといいますか」

 警察であるからか、神澤さんは前のめりにそう言った。

 「んなこといっても仕方ねえだろう。子供のことだってあるわけだし。そのままってわけにも……」

近江さんは神澤さんとは逆に引き気味に笑った。彼とは反対にしり込みをしている姿勢を見せた。

「つうか、お前ら――まずは衣食住をそろえてやんねえと話にならねえだろうが」

横からバーテンダーらしく、祥太さんがそう口を挟む。はたと近江さんと神澤さんは言い合いをやめて、祥太さんを見る。

「衣食住の住は別にここでもいいでしょう」

と神澤さんがそう言えば、

「バカ、子供に危険なものとか、そこらにいっぱいあるじゃねえか。まずはそういうところをだな」

「後輩君、小さな子供にはきちんとした食事と栄養バランスを考えたのが一番だぞ」

 三人が自身の意見を言い合う。走り回ったらどうする。部屋の壁とかに頭をぶつけるんだぞ、だとか、まずは野菜の好き嫌いの把握をするべきだとか……まるで父親同士の意見だ。


「あの、私親戚の子供がいるので、もしよかったら洋服もらってきましょうか? しばらくの間はその洋服でいいでしょうし」


「ああ! 助かります、しおりさん!」

 「すぐに大きくなるだろうし、サイズは大きめのほうがいいだろう」

「シチューとグラタンならやっぱりグラタンに野菜を隠して……おい、後輩君! メモ用紙だ! しばらくの間のメニューを俺が書いておいてやるからよ、メモ用紙じゃ足らないかもしれないから、ノートとボールペンをよこせ!」


「あはは……」


私は、しばらくの間ワイワイと言い合う三人を見ることしかできなかった。というより、最初の反対意見はなんだったのだろう。すっかり近江さんも祥太さんも乗り気で話を進めている。

 「これからどうなるのかしら」


私の不安の小声は、三人にはもちろん届かない。


O

二時間ほどして、祥太が立ち上がった。神澤はシャワーを浴びに行っている。男の一人暮らしなので、どうにもこうにも家全体が汚れているようなそんな気がする。

 俺にもし、子供がいて、それが恭子との子供で……なんて想像をしていると、突然頭を祥太にはたかれた。

「何すんだよ!」

 「てめえ、今いかがわしい想像してただろ。悪い事はいわねえからやめておけ」

 「どういうことだよ。俺はただ、この家が汚すぎるって話をだな」

「引き取るわけじゃない。一応、このことだけは後輩君にも伝えとけ」

 なんの話をしているのか、よほどの鈍い俺にも理解できた。子供の事だろう。彼はこのまま、成人するまでは……いや、一年もいるのかどうかも怪しいところだ。

 「変に同情すると、こじれる場合も多いからな。よほどのことがない限りはしばらく俺も賛成派ではあるが、親とかが出てきたらそりゃもう俺は親に引き取らせた方がいいとは思う」

虐待していてもか、という言葉を俺は吐き出せずにいた。それは親の元にいる方が子供にとっても世間的にもあいつにもいいに決まっている。

 この歳で子供がいる。それを受け入れてくれる女性はどれだけいるのだろう、そして何より子供の心境はどうなる。例えば……そう例えば、母親があいつを虐待しているとして、その発作のようなものが自分が愛した人間のせいでぶり返してしまったら? あいつはその事実に耐えられるのだろうか。

「森住 朔って名前らしいな。いい名前つけてもらってんのにもったいねえわな」

祥太はそれだけ言い残すと、再び自分の店に戻っていった。今夜も水商売の客や様々な闇を抱えた人と共に過ごすのだろう。

「もったいないですね」

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