第7話

「あー! やっと繋がった! 今どこですか!? 俺今外にいまして!」

神澤がスクリューに着いたのは日にちが変わり、三十分ほどしてからだった。

「はあ、はあ、はあ」

ちょうど二杯目を飲んでいた俺は思わず、顔をしかめた。こいつが珍しく汗を掻いている。

「何汗かいてんだ」

「だあって! 先輩が飲んでるって聞いたから酔う前に会わなきゃとかおもって……」

 この場所を教えたのは俺だが、祥太も不思議そうに俺と神澤を見比べている。

「なんだ、連れか?」

祥太が汗を拭う神澤におしぼりを渡しながらそう口にする。

「まあな、こいつが神澤だよ」

「ああ、後輩君か! なんだおい、警官だって割にはかなりちゃらいなあ」

 先程までいた女の二人組はきつい香水の匂いを振りまいて、先程帰ってしまった。彼女らが店に戻るのか、それとも家に帰るまではわからない。とりあえず空いたカウンターに座ったのはその客が帰ってすぐのことだ。

「で、後輩君は何を飲むんだ?」

 カウンターの中に入りながら、祥太がそう聞くと、やつはビール――と一言だけ口にし、どかっと俺の横に座った。

「はあ、疲れた。まったく……今日は走りっぱなしですよ。ホームレスのおっさん追いかけたり先輩追っかけたり」

「そいつはご苦労なこったな」

 他人事のように俺は笑い、祥太の作った焼酎のロックを一口飲む。何用でここまできたかはわからんがこれでまた恭子を連れてこれない理由が一つ増えたわけだ。

「まったく、もう少し労ってくれてもいいじゃないですか」

「なにい? てめえから押しかけてきたんだろうが、この馬鹿」

 あえて突き放すように言うと、神澤はふん、と鼻を鳴らした。やはり昔からいけ好かないやつだ。

 「で、何のようで俊を探してたんだ?」

 フォローするかのように祥太がビールを差し出しながらそう言う。神澤は受け取りながらも思い出したのだろう。そのあ! という顔がわかりやすい。高校の時からだが相変わらずどこか抜けている。

「虐待された子供!?」

 俺が思わず驚くと、神澤はシーっと静かにしろと言ってきた。祥太は洗い物をしており、こちらの話に入ってこないように気を使ってくれている。まあ、彼のことだから聞いているだろうが……。

 「確認したわけじゃないですけど、そういう可能性が高いってことで」

 「けど、最初は怪我して服も汚れてたんだろ? じゃあ、逃げ出したってことだろうよどこからか……施設はどうなんだ」

「いえ、それが羽佐間さんが――俺の職場の先輩が子供を迎えに行く時にたいがいそういうのは連絡がくるもんだからないだろうなって言ってまして。現にその後も俺の携帯に連絡はこないので……なんかあれば先輩が連絡してきてくれるので」

 「じゃあ、親か」

「だとしか思えなくて。それか近親者ってことですよね。なんだろう……なんとなく喧嘩したってわけじゃなさそうなんですよ。どっちかと言うと大人を怖がっているとしか思えなくて。目の奥が……よくわからないんですけど。ほら、昔高校時代に一回いじめられてた女の子を助けた事があったじゃないですか」

ああ、あれな。と俺も頭の中で思い出す。屋上から飛び降りようとしていた彼女を必死になって神澤と説得し、犯人達を懲らしめたあの事件だ。先生もおろか学校中を巻き込んで演説をしたのを思い出した。苦い思い出だ。あの後どれだけ先生に怒られ、謹慎処分を受けたか。ともかく逃げ出したい黒歴史だ。


 遠い目をして昔を懐かしんでいる馬鹿を叩き、再び話を戻す。

 「それで、その子供は今どこにいるんだよ」

俺の言葉に、遠い目をしていた神澤はビールを一口飲んで、ああ、と頷く。さっさと要点だけを話し合って家に帰って寝てしまいたい。

 「今はさっき話した娘さんが見てくれています。といっても、もう寝た頃かもしれませんけど。あの人なら事情がわかってるし、俺の家に泊まっても大丈夫といってくれたので」

 喫茶店のバイトのリーダーの女の子か。何歳くらいなのだろうか。しかし、それ大丈夫なのか……不用心にも程がある。深夜に男の部屋に行くだなんて。何かあったらどうする気だったのだろう。

 「で、俺に相談したい事ってのは、その子供のことなんだろ? 俺の意見は施設に入れろ。そのうち親から連絡がくるだろう」

――探しているなら、だが。もしかしたら逃げ出しただけで、実のところ捜索願いが出ているのかもしれない。

「それは――なんか違う気がして」

 その一言に、俺の胸の内が同意を示す。そうだよな――と。

 ある程度予想はしていた。こいつはそういえばこういうやつだったなという懐かしい感覚もこみ上げてくる。

「どうすればいいのかわからないんですけど、しばらくの間あいつの世話をなんとか俺ができないかなって思いまして」

意を決したように神澤は顔をあげる。グラスに俺が目を移すと、やつのグラスはぬるくなっていたのか、水滴がこびりついていた。

 奴の視線から逃げるように、俺は自身の焼酎に目を移した。

「無理だろう。昼間の内はどうするつもりだ。俺もお前も、仕事してるだろう」

「だから、それを相談したくて……」

「金は? それに食事はどうするつもりだ。喫茶店やお前の部屋にその女の子に来てもらうのか? 負担だろう。一人の人間を育てるっていうのはかなり大変なんだぞ。そんな長い事子供を見ることはできないだろう? 学校だって行かせなきゃならん手続きとかそんな面倒な物がどっさりある。そんなことをして、人様の子供をさらったといわれでもしたら……」

「いいじゃねえかよ、俊。少しは融通を利かせろよ。そういう時は謝って親元に返せばいい。もし、虐待しているような証拠があったらそれを見せつけて、その子供を施設の人間にでも差し出せばいいじゃねえか。どちらにせよ、まずはそこの後輩クンが面倒をみるしかねえんだからよ」

 いつの間にか目の前にきていた祥太がグラスを取り出しながら口を挟む。やはり聞いていたのか。

「そうです。祥太さんの言うとおりですよ」

 「てめえは何も考えてねえんだろうが」

 俺がそう突っ込みながら神澤の顔をみると、真剣な眼差しと目がかち合った。

「いえ、考えています。けど、俺一人の力じゃ限界があるんです。だから、力を貸して欲しいんですよ」

 色々と問答を繰り広げようかと一瞬考えたが、神澤も祥太も俺のことを見ている。はあ、と溜息をついてわかったよ。と思わず口に出していた。

「決まりだな」

翔太がニヤリと笑って、グラスを置いた。

 


神澤は酒に強いのか、という疑問があった。彼と最後に会ったのは高校生の卒業式でその後、彼と会ったという記憶はない。

 なので、ビールを一杯だけ飲んで顔が真っ赤になった神澤をみて、こいつはまた色々と残念な男だな。と思ってしまう。

 顔を真っ赤にしながら、子供について、その世話を手伝いに来てくれた娘さんについてくどくどと言葉を継いでいる。時々、老人がどうの、ホームレスのおっさんめ、と忌まわしげに呟くところをみると、やはり仕事が大変なのだろう。

 「あのですね! だから、高校時代の俺らのコンビを復活させなきゃいけないと思うんですよ」

 「わけわかんねえよ。いつからそんなコンビ結成されてた」

「有名だったじゃないですか! いじめを解決した時とか、万引き犯を追い詰めたりとか、二年目には文化祭の手伝いしたりとか!」

 全て忘れたい記憶ばかりを誇らしげに語りだす後輩をもう一度叩きたいという気持ちをぐっとこらえる。

「そんなもん忘れたよ。それよりも、もう酒飲むのはやめとけ」

 二杯目に頼んでいたソルティドックを彼から遠ざける。ここまで酒に弱いとは思わなかったが、それについては責めることはない。人のペースで飲むべきだし、疲れてたり睡眠不足であれば酔いやすくもなる。神澤がそうだとは思えないが。

 というより、思いたくもない。とりあえず祥太に酒の代わりに水を頼み、ブツブツと一人言を言いながら寝始めた奴を放っておいて俺は携帯を取り出した。 

 連絡が三件。SNSとあとは恭子からのお礼のメールだ。

『今日はありがと。できたら今度はわたしにご馳走させてね。明日も仕事なので今日は寝ます。おやすみなさい』

 彼女らしい文面にふう、と息をつき、こちらこそと返し、再び携帯をポケットにしまった。深夜二時を壁掛けの時計で確認し、三杯目の酒を傾けた。

 まったく、とんでもない一日になったもんだ。さて、もう終電もないし……どうしたものか。

「あと二時間で閉店なんだが……どうするつもりだ」

祥太が顎をしゃくって寝ている奴を指した。

 「叩き起こして、どこかに泊まるさ。こいつの家なら近いみたいだしな」

「そこのソファでよければ、泊まって行けよ。どうせ明日も仕事なんだろ。金を支払ってまでどこかに泊まるよりかはここでシャワーでも浴びて寝たほうが色々と時間が節約できる」

「すまない。助かる」

素直に心から感謝すると、祥太は肩をすくめるだけで何も言わなかった。俺は立ち上がると、一旦外にでて、下着やらなんやらを買いに、再び駅の喧騒に飲まれていった。

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