第6話

「こんばんはー」

インターホンが鳴り、ドアの外から女性の声が聞こえ、スプーンを咥えたままドアを開けるとそこにいたのはしおりさんであった。何故ここに!? という疑問と共に差し出されたのはビニール袋である。

「これ、わたしが作った肉じゃがです。よかったらどうぞ」

「は、はあ……というか、何故ここが」

 困惑気味に返すと、しおりさんはああ、と納得したかのように頷いた。

「バイト帰りに羽佐間さんって人に会いまして。先輩さんなんですよね。わたし、あれから子供のことが気になっちゃって。どうしても会いたいなあって言ったら住所を教えてくれました。一回帰って支度していたら遅くなっちゃったんですけど。ちょうどよかったみたいですね」

 俺のスプーンに気づいたのか苦笑いのままでしおりさんはそう口にする。慌ててスプーンを抜き、俺もあはは、と返す。

「いやあ、まさかこんなところに来るなんて思いもよらなくて……あ、よかったら会っていってやってください。男のひとり暮らしなので散らかってるんですけど」

そう言いつつも俺は周りを見渡す。何故か羽佐間のあの声が聞こえてきそうだったからだ。

「すみません、いきなりお邪魔することになってしまって。店長も心配してたみたいなんですけど。父さんって結構素直じゃないところあるから――あの?」

「はい?」

周りを見渡していた俺は慌ててしおりさんに視線を戻す。

「入っても?」

「あ……ああ! どうぞ! どうぞ!」

俺は体をドアに寄せ、道をあける。彼女はそのまま中へと入っていく。通り過ぎざま彼女の髪からいい匂いがするのを感じて妙にどぎまぎする。

くそう、昔の俺だったらこんなことで童貞みたいな反応はしなかったはずだ。少し余裕をかますくらいはできたはずなのに、それが妙にできない。この女性相手には……

「こんばんはー美味しい?そのカレー?」

リビングからそんな声が聞こえてくる。俺は溜息をついて、玄関のドアを閉めた。

彼女を追って、リビングに行くと相変わらず子供はカレーにぱくついており――少しスプーンの持ち方がおかしいが、大人のスプーンなので当然かもしれないが、その様子をニコニコとしおりさんが見守っている。

「これ、わたしの作った肉じゃが。結構自信作なんだけど……よかったら」

彼女はそういうなり、ビニール袋からタッパーを取り出し、テーブルの上に出す。

子供は一瞬その肉じゃがをみて、しおりさんをみて、俺を見た。何故俺を見るんだ。そしてなんだそのよくわからない表情は……もう少しわかりやすい子供の反応をして欲しいものだ。

「ほら、せっかくお前のために作ったっていうんだから食ってみろ」

俺がそう指示を出すと、子供は少しいびつなじゃがいもを一生懸命にスプーンですくい、口に入れた。

「どう? 美味しい?」

しおりさんの言葉に、数ミリだけ子供は頷いた。



そんな二人の会話を聞きつつ目を盗んで、トイレに立てこもる。携帯を取り出して、近江先輩を呼ぶために電話番号を連絡先から呼び出す。

「はい」

不機嫌そうな声が通話口から聞こえてくる。どうやら、今デートが終わったらしい。仏頂面の先輩が頭に浮かび、これはもしかしてという意地悪な気持ちが自身に芽生える。

  「あ、もしもし。先輩ですか? すいません。もうそろそろデートも終わったかなって思って電話したんですが」

「うるせえよ! なんでてめえにそれがわかんだよ!」

「そりゃ、近江先輩のことですから。ホテルに誘わずに強引にでも女の子返しちゃうんだろうなあって思いまして」

 堅物の先輩の事だ。きっとそうだろうとあたりをつけて、話しかけると、彼が通話越しに息が詰まっているのを感じる。

「ダメですよー。少しくらい強引なほうがいいですって。別にホテルくらいフツーでしょう。どうせセックスは二人で暮らし始めてから……とか訳のわからないこと考えてるんでしょう。このスケベ」

 ふざけておちゃらけた口調でそういうと、低い近江の声が聞こえてくる。

 「ぶっ殺されたいのか?」

やばい、ふざけすぎた。このままでは電話を切られてしまう。慌てて取り繕って話を始める。

「失礼しました。いや、電話した理由はですね」

数秒を待って彼がこちらの話を待っているのがわかって、胸をなでおろす。とりあえず、扉の向こうにいるしおりと子供をみて、声を潜める。

「子供、拾っちゃいまして。何か助言をと」

「訳のわからない冗談はやめろ。もう切るぞ」

 いきなりの会話の打ち切りに驚いて引きとめようとする。

「あっえ? ほんと」

 その瞬間にはもうすでに切られていた。普段の行いという言葉が頭の中に浮かび、首を横に振って、その言葉を打ち消す。慌ててかけ直すも、彼は携帯に出ない。

 コンコンと扉がノックされ……はい、と答えると、相手は答えない。ガチャリと扉をあけ下をみれば、そこにいたのは子供である。

「なんだ、お前か。入るのか?」

だいぶ心の距離は近くなったと思っていたが表情は変わらず、そのまま俺の顔を子供は見つめている。

「わかった。入れよ、ほら」

 体を入れ替えるようにして、彼をトイレに入れる。ガチャリと鍵を閉める音が中から聞こえ、溜息をついた。

「何してんだろうなあ、俺。」

 このままではいけない事はわかっている。親元に返すか? しかし、彼が虐待を受けている可能性だってある。先程、風呂場に入れた時覗けばよかったのかもしれないが、わがまま放題に育ってきた自分だ。その傷ついた体をみてどう受け止めればいいのかわからなくなってしまう。

 ――要するに、俺は怖いのだ。

確かに、これまで警官として過ごしてきて喧嘩やら生臭いものは色んな意味で見てきたつもりだ。不倫現場で包丁を振り回す妻とか、何かの酒の席で喧嘩にまで発展した時であるとか。

しかし、子供はない。そういった事は他の課の仕事であるからして、やったことがあるものといえば交通安全の手伝いくらいだ。その時も警察のマスコットキャラクターがいたから子供の注目はそっちに集まっていた。

 だから事実、自分がそういうところ――子供と戯れる事とか、迷子の子をあやす事とかはしたことがない。むしろ今でさえ、しおりさんが来ていることに感謝と助かったという安堵感があるのだ。

「卑怯者だよなあ……」

トイレの中の子供に聞こえないように、壁に向かって小声でつぶやくも、誰も返答はしない。そういえば、とリビングをみればしおりさんがカレーを食べているところだった。

「晩ご飯食べたんじゃなかったのか?」

リビングへと続く扉を開けて、しおりさんのそばに寄ると、気配を感じたのだろう。彼女はスプーンを咥えたままこちらを振り向いた。

 「ああ、神澤さん。このカレー美味しいですね。うちのカレーだから当然だけれど……というか勝手に頂いちゃいました。晩ご飯食べてなかったもので」

残り物なのだろう。子供が残したコンビニチキンカレーを食べながらも、しおりさんは言う。

 「うん、こっちこそごめん。任せきりで。それともう一つお願いしたいことがあるんだけど……」

「なんですか?」

「いや、大した事じゃないんだけど……実は一応俺の先輩をここに呼ぶつもり……」

 そう言うと、彼女は慌てたように立ち上がった。

「ごめんなさい。もしかして、お邪魔でしたか? わたし、すぐにでますので」

 髪を直しながら、しどろもどろに言葉を並べる彼女を引き止めるべく、慌てて俺も口を挟む。

「いや、違うんだ。だからちょっと先輩に会いに外に行きたくて……。探しに行かなきゃいけないし、ちょっと、あの子をお願いしたいなとかおもって。時間とか大丈夫ですか?」

携帯を取り出して、彼女は何かを打ち込み始めた。

「えっと……それは構いません。一応親には連絡しときますし明日はバイトが休みですから。ただ――神澤さんの家に泊まっても大丈夫ですか?」

 「えっ? は、はい!」

そちらがよければという言葉はしりすぼみになってしまったが、そういうと、彼女はわかりましたと生真面目に頷いた。

 「じゃあ、彼のことはわたしに任せておいてください」

 それではと、俺はTシャツの上から薄手のパーカを羽織って、ジーパンのポケットをまさぐって財布等の場所を確認した。

「あ、それとそうだ」

メモ帳という女子力の高いものは男の部屋にはないので、通勤で使っているリュックから一冊の手帳を取り出して、番号を書き込んでその頁を破って彼女に渡す。

「はい、これ。俺の番号書いてあるから何かあったらすぐ連絡して」

 彼女はそれを受け取ると、大事そうにテーブルにおいた。

「じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」

玄関で靴を履いていると、子供が俺の後ろに立った。無表情の顔からは何も読み取れないが後ろを振り向き、とりあえずぎこちないながらも頭を撫でてやる。

「ちょっと兄さん出かけてくる。あのお姉さんは悪い人じゃないから今日はちょっと一緒に寝ててくれ。帰りは真夜中になると思うから先に寝てろ」

こくんと頷く子供に、微笑みを残して、俺は玄関から出た。少し生暖かい風を感じながらも、エレベーターに乗り込み階下に降りると同時に携帯の履歴からリダイヤルをする。

「もしもし」

 すぐにくたびれたような先輩の声が聞こえ、泣きそうな気持ちになりながらもすがりつくように叫んだ。

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