第5話

羽佐間に挨拶をし(子供は俺の後ろにずっと隠れていた)コンビニとディスカウントショップで着替えと下着を買い、自宅へと帰ってきた。そのままレンジにカレーを突っ込みチキンを添えておく。子供にはリビングで待機してもらおうかとも思ったが先に風呂に入るように言わなければならない。

「おい、風呂に入ってこい。そこのドアのとこ」

指を指すと、テレビ画面から目を離し、とことことそのまま風呂場へと入っていった。

「やけに素直だな……」

出会いのことを考えると、正直こんな素直な男の子だとは思わなかった。さて、これからどうしたものか……普段の自分ならばあり合わせだけで済ませてしまうものだが、これからのことを考えるとやはり、施設に送るしかない。あるいは子供の親に連絡をつけなければならなくなるだろう。

いや、親……か。そういえば子供を保護するとなった時点で、ちゃんと最初から視野にいれておくべきだった。普通ならそうするべきだと理解していたが、いつの間にか、その事項が抜け落ちていた。

数十分後子供はきちんと寝巻きを着て風呂場から出てきたので、カレーを準備する。そのまま出すと、彼はスプーンを持ち上げる、そのままカレーを食べ始めた。腹がすいていたのか。そういえば彼を連れ回してばかりで食事をまともにとっていなかったのを思い出した。


「うまいか?」

そう聞くが、彼は黙ったまま手を動かすだけである。口からポロポロと米粒がこぼれ落ちるので、仕方なく、手で口元を拭ってやる。

「お前、親はどうした? うん?」

 子供は無言のままで俺のことを見上げる。どこか何かを隠しているかのような目に、思わず、心の中で関心してしまった。

 そうか、お前も男だからなあ。

「よし、わかった。とりあえずもう一人だけ俺の友達呼んでもいいか?」

 俺の言葉に訝しげに少年は眉を潜めたが、数秒の後こくりと頷いた。

 


「今日はありがと」

 駅前で、恭子と別れる。彼女とは別の線路であり、それぞれに仕事を抱えている以上、あまり夜遅くまで出歩くことはできない。

 二人で暮らしたい……そんなことを言ったら、彼女はきっと驚くだろうと思いつつも、流石にまだそこに結論を持っていくのも早い気がする。まずはきちんと両親に挨拶をすることからだろう。

「おう、気をつけてな」

抱きしめようとも感じたが、さすがに人の前では気が引けて、手を挙げるだけにしておく。視界の隅では高校生カップルがイチャイチャとしている。ああ、羨ましいと思ってしまう。俺があと……俺らがあと何年か若ければ人の目など気にしなかっただろうに。そんなことすらもできなくなった。大人ってのも考えようである。 

人に紛れて姿が消えるまで彼女のことを見送り、俺も彼女に背を向ける。そういえばあいつに雑誌を預けたままになったのを思い出したのだ。時間をみれば夜の11時。時間的には少し混んでいるかもしれないが、まあ行っても雑誌を回収するだけなので大した時間は取られないだろう。 

「あ? なんだ。こんな時間に」

 突然画面が切り替わり、着信になる。相手は神澤敏行。一体なんなんだ。

「はい」

不機嫌をそのまま声に出しつつ電話に出る。相手が神澤なら遠慮はいらない。ガッツリと説教でも食らわせればいいのだ。

「あ、もしもし。先輩ですか? すいません。もうそろそろデートも終わったかなって思って電話したんですが」

「うるせえよ! なんでてめえにそれがわかんだよ!」

「そりゃ、近江先輩のことですから。ホテルに誘わずに強引にでも女の子返しちゃうんだろうなあって思いまして」

実のところそうであり、ぐっと息が詰まる。

「ダメですよー。少しくらい強引なほうがいいですって。別にホテルくらいフツーでしょう。どうせセックスは二人で暮らし始めてから……とか訳のわからないこと考えてるんでしょう。このスケベ」

 「ぶっ殺されたいのか?」

「失礼しました。いや、電話した理由はですね」

 吐く息がどこか酒臭く感じる。ああ、面倒だ。さっさと家に帰ってシャワーを浴びて寝てしまいたいと思う自分がいる。

「子供、拾っちゃいまして。何か助言をと」

「訳のわからない冗談はやめろ。もう切るぞ」

「あっえ? ほんと」

彼の言葉を最後まで聞かず、そのまま電話を切る。くだらない電話をよこすんじゃねえよ。久しぶりに会ったと思ったらこれだから。やつは仕方のない奴である。

さて、まずは祥太の店に寄るところからか。

 夕方にきた時と同じ道のりを使って、店のドアを開くと、安い香水の匂いがした。店には何人かの女性客がカウンターに陣取り何かと話している。

 祥太はそれを聞きながらも灰皿を交換している最中であった。

軽く手をあげると、何人かの女性客はこちらを見たが、興味もないのか――それとも安っぽい男だと見られたのか、そのまま視線を横しただけで話にまた戻っていった。

 「おう、なんだ。振られたか」

 近くのテーブルに座ると、彼は灰皿と雑誌をもってこちらにやってきた。ちなみに俺はタバコを吸わないので自分用にだろう。

「振られてねえよ。今見送ったところだ。相変わらず忙しそうだな」

正直忙しいとは思えない客入りであるが、祥太もそれをわかってか舌打ちをこぼす。

「ああ、忙しいよ。だからさっさと注文しろ」

「なんでもいい。あーできたらさっぱりとしたやつ。サイドカーでもいいぞ」

「わがままな客は女だけで十分なんだがな」

ばさっと机の上に雑誌を置いていき、祥太は再びカウンターの中へと戻っていった。置いていった雑誌を手にとって、俺は中身を読み始める。酔いも手伝ってか、文字は拾えるものの中身までは頭の中に入ってこない。仕方なく、そのまま写真だけを見るようにしておく。

 こんなデートスポットなんてそうそうあるものなのか。なんて目を凝らしながらみつめる。馬鹿みたいに高い料理コースを見るだけで頭が痛くなる。素敵素敵だという女性の気がしれない。こんなもの高いに決まっている。高いから素敵なのだ。

 「人生ってのはままならねえなあ」

「何じいさんみてえなこといってんだよ」

目をあげると、祥太が呆れた表情で立っていた。右手には黄色の飲み物を持っている。

「ほらよ。つうかお前のその雑誌俺らみたいな人間用じゃねえだろあからさまに。どっかのエロオヤジのためのやつだろうよ」

「は? なんでだよ」

「おまえ、食事にそんな金出せるか? 俺だったらゴメンだわ」

言うこともわかる。というより、客の私物を勝手に読むなんてことを平然としないで欲しい。

「別に参考にしたいだけだし」

「富裕層と俺らみたいな貧困層じゃ、参考になんてならねえよ」

 男性代表のように告げる祥太を思わず俺は尊敬の眼差しで見つめてしまう。彼のいわんとすることもわかる。しかし、一年に一度くらいは高い金を支払ってこういうところで食事をするのもありだろう。

 そんなことを考えながら、再び雑誌に目を落とす。しかし、こんなお金。給料の半分が消し飛んでしまう。

「……やめておこう」

 この雑誌を勧めてくれた茜には悪いが、ここまで女性に期待されても困る。それに、恭子は俺の給料をそれなりに知っているわけだし。

「誰に言い訳しているんだ。俺は」

「独り言か?」

心配そうに、祥太が俺の前で手を振っている。カウンター席の女性客の二人組は、時々笑い合いながらもカクテルを美味しそうに飲んでいる。俺も、自身を落ち着けるために目の前のグラスに入ったお酒に口をつけた。

 ぴりっとした感覚と鼻に抜ける爽やかな柑橘系の香り。カクテルとはやはりバーテンダーによってだいぶその色を変えていく。色というのは味の意味だ。別に有名な人のお酒が必ずその客に合うとは限らない。好きなバーテンダーにきちんとした酒を出してもらう。ただそれだけで幸せになれるのだ。

「どうだ?」

祥太が偉そうに俺をじっと見つめている。その口元にはもう勝ち誇ったような笑みをはりつけているのだ。

「美味いよ。相変わらず」

「だろうなあ、だからさっさと彼女連れてこいってのに。そしたらなんでも作ってやるよ。なんならお前らのために一日店を貸してやってもいい。そんな雑誌を読むよりも最高の夜ってやつを俺が作り出してやるって」

自信かなんなのか。昔からそうだ。祥太は自分の作った料理や酒に異様なほどに固執する。そしてそれを客が認めると、勝ち誇り、まるで子供のようにはしゃぎだすのだ。

「わかった、わかったって。そのうちな……っと」

なだめていると、再び携帯が震え出した。こんな時間に何事かと思えば、また奴である。

『神澤敏行』

 はあ、と溜息つき……電話に再び出た。

「あー! やっと繋がった! 今どこですか!? 俺今外にいまして!」

時刻をみれば夜中の0時を回ったところである。今日は帰れそうにもない。

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