第2話
「うおおおい!」
派出所に戻ると、そこに立っていたのは羽佐間である。片手に持っていたコーヒーカップをあわてて後ろに隠す。
「なにをしていたんだい! 神澤君!」
「あーえーと……見回りをしていたら店員さんから好意でコーヒーを頂きまして」
「ほう! 街の人から愛されているんだな! 神澤君は!」
でかいよなあ、と笑う羽佐間を見ながら、そう思う。大学時代はラクビーをしていたとのことだが、それも納得の体格の良さだ。身長は高く、足も速い。だから老人やホームレス達から慕われる存在なのだろう。
「羽佐間さん、子供は大丈夫でしたか?」
迷子になった子供は無事親元に返せたのだろうか。と聞くと、途端に狭間は顔をしかめた。彼の濃い眉毛がへの字に曲がる。
「いやあ、それがなあ。俺が行った時にはすでに逃げていてな。どうやら俺が歩いている来る姿を見た途端走って逃げてしまったらしいんだ」
「先輩をクマとでも思ったんですかね」
正直にそう言うと、羽佐間は照れたように頭の後ろを掻いた。
「いやあ、そんな可愛いかな」
……可愛いのか? クマって。
「それで、そのあとは?」
派出所を見渡しても子供の姿はない。
「いや、わからん。結局夫婦には挨拶をしてこっちに戻ってきたんだ。迷子ならまた連絡が来るだろうって踏んでみたんだが、神澤君はいないし、まあしょうがないので空気椅子をしながら君の帰りを待っていたところだ」
椅子のあった場所を見るとやはりない。もしかしてさっきのホームレスが二人の不在を狙って持ち去ったのだろうか。
「たまには神澤君も空気椅子はどうだ? 椅子がないのは仕方がないからな!」
ガハハと笑う羽佐間に思わずはあ、と苦笑を浮かべることしかできない。
「けど、結局戻っては来ない可能性もあるんですし、新しい椅子を持って来た方がよろしいんではないでしょうか」
「持ってくるってどこからだい!」
「いや、まあ、誰が持っていったかくらいならなんとなくわかりますよ」
俺はそのまま交番の外へと出る。犯人ってのは大概どうなったかだとか結末を見たがる人間ばかりである。羽佐間は何故か空気椅子を維持したまま、日誌を開き今日の出来事を書き始めた。
この交番は大通りの近くだ。確かに人は多いし、ドラックストアや大手電気屋、さらに禁煙所に屯するサラリーマンなどはいるが、犯人ってのは何気なくそこに存在するものだろう。あえて伸びなどをしてみせ相手の油断を誘う。準備体操なんかもし始め、まるでこちらが何も気にしてませんよという雰囲気を出してみるのだ。
「いたな……」
大通りへとつながる信号機の横に先程までここにいた、ホームレスの姿がそこにあった。なにをするわけでもなくただ呆然と片手にある缶ビールを飲んではいるが、視線はチラチラとこちらを見ている。
「おいおい、露骨だなあ」
下を向きながらも、何気ない形を取る。息を吸い込み、大声で叫ぶ。
「うわああ!」
ぎょっと何十人もの通行人がこちらを見る。それと同時に走り出し、一気に信号機の横にいるホームレスの元へと向かう。
何を思ったかおっさんも缶ビールを放り出すと、走り出した。だが、遅い。こちらとらサボっていたとはいえ、中学、高校とスポーツでは活躍していたほうだ。
何百メートルも離れていたが、グングンと差を詰め、そして、倒れこむように、おっさんを捕まえる。
「あだだだだだ!」
「いい加減にしてくださいよ! まったく! もっていった椅子返してください!」
「わかったから! 離してくれ!」
元より、捕まることは承知の上だったのだろう。俺が組み伏していた腕を離すと、彼はそのまま汗を掻いた額を拭い、ブツブツと文句を言い始めた。
「まったく最近の若い連中ってのは加減というものを知らないからのう。それで坊主、どうしてワシだと思ったんじゃ」
「椅子をちょろまかす人間なんてたかがしれてますよ。今日来たのは道案内の老人とあんたくらいだったし、それに俺が出てからの犯行であれば時間も短いですし、どうせ俺から見えない場所で隠れて見ていたんでしょう。椅子を持っても別に俺の上司も俺も困りはしないですけどね」
「じゃあいいじゃないか!」
「けど! 盗むのは窃盗罪ですからね!」
そう言うと、おっさんは何かをさらに叫ぼうとしたみたいだが、そのまま口をつぐむ。相手に強く出られるとなんとも言えなくなってしまうらしい。
「わかりましたか?」
「わかった……」
まるで大人と子供みたいじゃないか。まったく。困ったおっさんだ。そのまま、彼が隠したであろう場所に歩いて行くと、困った顔で立ち尽くしている女性が一人、喫茶店の前にいた。
「まさか」
「そのまさかじゃ」
「あ、警察官さん! すいません。先程この老人さんに頼まれてどうしても預かって欲しいって言われたんですけど……」
メガネをかけた喫茶店の従業員であろう女の子は困り顔で俺にそう言ってくる。彼女の横には見覚えのあるキャスター付きの椅子が二脚置いてある。
可愛い子だ……チラリとおっさんを見ると彼はこちらにウィンクなどをしてみせる。金がないからってこんなやり方をしなくてもいいじゃねえか。
「申し訳ございませんでした。すぐに引き取らせてもらいますので……」
頭を下げるとさらに慌てたように店員は両手を振りながら否定する。
「そんなことされなくても! けどお孫さんがいるなんて。本当にかっこいいお孫さんですね」
「そうじゃろう? 自慢の孫じゃからな」
孫? は? どういうことだ。店員の口から出てきた意外な単語に驚き俺は顔をあげる。
「やっぱりそうだったんですね、おじさんとお孫さんとてもよく似てますもん」
彼女はさらりと衝撃的なことを言ってみせるがどう見たって俺とおっさんの間には天と地ほどの差がある。街頭に立つ人間百人ほどにどちらがカッコイイかと聞けば、必ず俺だと誰もが言うだろう。格好はみすぼらしいし、どうしようもなくのんだくれで、前歯は取れているし、どこが似ているっていうんだ。
「まあ、なんじゃ。こいつは昔のワシほどじゃないがの。そりゃワシの頃なんかは最高の時代じゃった。どんな女の子ともデートできたからのう。『ふぁんくらぶ』っちゅうもんもあったんじゃぞ」
うんうん、と女性店員も頷いて聞いており、おっさんの話は生まれた頃は神童と呼ばれていただの、現代の光源氏と渾名されていたなどの多岐に渡った。
いい加減にしてくれねえかなあ。とイライラして、小学校の卒業シーンを話ているおっさんを思い切りどついてみせると、ああ? と余韻に浸っていたやつはこちらを見て、気まずそうに咳払いをしてみせた。
「まあ、なんじゃ……昔の話じゃからのう」
「ええ、そう昔の話ですからね」
苦笑いを浮かべながら、そう言うと、おっさんは慌てて腕時計などついてもいないのに自身の手首をみて「ああ、もうこんな時間なのか! これから食事会が……」などと嘯いている。
「じゃあ、残念ですけど。ここら辺にして行きましょうか。椅子、ありがとうございました」
丁寧にお辞儀をし、彼女にお礼をする。彼女もいえいえと笑ってお辞儀を返すところをみると、やはり天然か何かじゃないのかと思わず疑問に思ってしまう。
「ほら、早く行けよ。食事会なんだろ?」
俺の言葉に、おっさんは苦虫をすりつぶしたような顔をしたものの、そのまま無言で歩きさって行った。
「まったく、あの人もいい加減にして欲しいんだけどな」
頭を掻きながら思わずそう言ってしまう。あ、と思ったが、店員も実のところ分かってはいたのかくすくすと笑いつつも口元を押さえている。
「すいません、みっともないところ見せちゃいましたね」
「いえいえ、それもお仕事でしょうし、私も仕事の範囲内ですから」
慌てるように彼女は手と首を横に振る。範囲内と言うことはそれなりには迷惑を被ってはいたのだろう。
「さてと、じゃあこれもらっていきますね」
早く羽佐間に届けなければ、彼の空気椅子は止まらなくなるだろう。彼のことだからずっとそのままの体勢で俺のことを待っているはずだ。
「あ、すいません……そういえばもう一つお願いしたいことがあるんですが……」
店員はそう言うと、戸惑うように店内を振り返っている。
「はい、なんですか?」
思わず俺はそう答えていた。
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