零声の間取り

琴野 音

少女は自分が死んだことを受け入れている。


事故死だったが、後悔や未練はない。そういう生き方をしていたと言うより、そこまで成熟した考えを持つような歳ではなかった。ただあるがままを受け入れて普通に暮らす。選択肢のない段階で死んでしまった。


そんな少女は一人、自宅の戸の前でぼんやり立ち伏せる。


どこか分からない場所で目を覚ますよりずっと良かったのかもしれない。例え誰もいない、ずっと薄暗いまま時を止めている世界であっても。

ただいまと口にしようとした。しかし声が出ない。微睡みの中のように空気に吸い込まれているようだった。音がないわけじゃない。声が無いのだ。


鍵の開いた扉をくぐり、リビングへ行く。家族の数だけ並んだ脚の長い椅子に座り、止まった時計をじっと眺めてしばらく動かなかった。

少女が僅かに動いたのは、彼女のお腹がぐぅと鳴った時だった。時計に向けていた目を正面に戻す。ただそれだけの小さな動き。


少女は、やっとソレに気が付いた。


いつも父が座っていた対面の椅子。のっぺりとした大人ほどの大きさのがそこにいた。お行儀良く座って、静かに少女を見つめている。

見つめ合って、お互いに様子を疑う。どちらも警戒心はなく何となく見るだけの観察。

再び少女のお腹が鳴ると、黒はゆっくりと立ち上がってすぐ横の冷蔵庫を開ける。あるのかないのか分からない薄い腕で野菜を掴みだし、亀のように鈍い動きでまな板の上に並べていく。


少女は横に回って、黒の作業を眺めていた。

よく研がれた包丁で人参、キャベツ、玉ねぎを丁寧に切っていく。三本目の薄い腕を伸ばしてコンロに火をつけ、鍋を温めつつ野菜に下味を付ける。


少女のために、料理を作っていた。


少女は黒を知らない。黒は少女を知らない。なのに、数秒見つめ合った関係で手料理を振舞ってくれる黒。少女は少し、黒の事が好きになった。

手伝いをしたいと手振りで伝えても、頭を撫でられるだけで上手く伝わらない。黒も声が無い。コトコトと煮込まれていく鍋の音だけが薄暗い部屋を彩っていた。


大人しく座って待つ少女に、黒はスプーンを渡す。綺麗な銀色のスプーン。それだけで嬉しくなった少女は、服の裾で何度もそれを磨いた。

コトリと音がして、赤い器がテーブルに並ぶ。真っ白にふわふわと浮かぶ湯気。一口に切られた野菜から出る甘いコンソメの匂いが少女を包む。


手を合わせて、黒にお辞儀。


黒は元の場所に座って微動だにしない。親のように子供の食事を見守っている。少女にはそう感じた。

空腹の少女は、全身に染み込むような優しさを口から胃に落とす。ぽかぽかになった頭で考えていた。


黒は家族。


銀の音を奏でながら食べ続ける少女。ただそれを見守る黒。

死んだ世界で出会った少女と黒は、たった二人だけの家族になった。

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零声の間取り 琴野 音 @siru69

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