第26話 春夏秋冬 ~綾乃&早紀~
「はぁ」
何度目かのため息をついたが、目の前の彼女は聞かないふりをしている。
「ちょっと!春香!」
「何?」
「あんたね、大親友が目の前でため息をついているんだから、少しは心配して理由を訊ねなさいよ!」
「私、今、忙しいから」
「どこが忙しいのよ、スマホでゲームしているじゃない!」
「はいはい、分かったわよ。
それで、あんたのため息の理由を訊ねれば良いんでしょう?」
「流石、春香。大好きだよ」
「…夏樹さんに言うわよ」
「夏樹さんとは好きの度合いが違うから大丈夫。
ラブじゃなくてライクね」
「あっそ。それで別に理由なんて大した事じゃないでしょう?
昼御飯でいつも食べている照り焼きが売り切れていたから、落ち込んでいるんでしょう?」
「ちがーう!」
「それなら、照り焼きの代わりに食べた唐揚げの食べすぎでお腹が痛いとか?
だから、二人前食べるのは止めなさいって言ったでしょう」
「それも違うから!
食べ物から離れて考えて」
「じゃあ、朝忙しい夏樹さんに構ってもらえずにそのままスルーされたとか?」
「ちょっと関係ある」
「…いってきますのチューがなかったとか?」
「それはした」
「…あんた私に喧嘩売ってるの」
「うおっ!?どうしたの突然!?」
「さっさと言いなさいよ!
こっちは毎日見せつけられているのに、これ以上あんたののろけ話を聞きたくないのよ!」
「分かったわよ、もう。
あのね、一緒に食事でもどう?って誘われたの」
「誰に?」
「早紀さん」
「早紀さんって、綾乃の言っていた、あの早紀さん?」
「…そう」
「また、凄い組み合わせね…」
「そう思うでしょう…」
「気が進まないなら断れば良いじゃない」
「それが、夏樹さんの家でするみたいなんだ」
「それなら、自分の家に帰れば?」
「これ見て…」
私が差し出したスマホを覗き込んだ春香は、苦笑いした。
'こんにちは、綾乃ちゃん。
夏樹の家で食事する事は聞いているかな?
折角なので、良かったら一緒にお酒でも飲まない?
返事楽しみにしています
追伸 酔った夏樹は可愛いわよ'
「ちなみに、夏樹さん、お酒は?」
「物凄く弱いみたいなの」
「綾乃は知らなかったの?」
「うん、今までいつもジュースだったから」
「これは、行かなきゃ大変ね」
「そうでしょう?
…私、苦手なんだよね、早紀さん」
「綾乃が苦手なんて、ある意味凄い人ね」
「あー、憂鬱だ」
「まあ、頑張りなさい。後で結果を教えてね」
「酷っ!春香、他人事でしょう!?」
「当たり前じゃない。楽しみにしとくね」
再びスマホを弄る春香の前で、やっぱりため息をついてしまった。
「こんばんは」
「いらっしゃい。早紀さん、晴次さん」
「おう、お邪魔します」
笑顔で出迎えた夏樹さんに笑いかける早紀さんは、嬉しそうにゆっくり歩いてくる。しばらく会わないうちに随分回復した様で、夏樹さんから話には聞いていたが驚いた。夏樹さんに支えられるように部屋に入った彼女は、私を見てにこりと笑った。
「こんばんは、綾乃ちゃん。久しぶりね」
「こんばんは。早紀さん」
にこりと笑い返すが、私と彼女の笑顔の裏では火花が見えるようだ。そんな事とは気づかない夏樹さんは、キッチンでいそいそと準備を始めた。
「夏樹さん、私がするから早紀さんの傍にいてあげなよ」
「大丈夫だよ。綾乃ちゃんこそ色々買い出しに行ってくれたんだからゆっくりしていて」
「いや、むしろ、ここで過ごしたい…」
「えっ、何か言った?」
「夏樹」
「何?」
「早紀と座っとけ。俺が手伝うから」
「別に良いよ」
「ケーキやチョコも買ってきたから、冷蔵庫を借りたいんだ」
「わぁ、ありがとう。晴次さん」
「夏樹さん。ほら、早紀さん待ってるよ」
大量の買い物袋を持った晴次さんの言葉にようやく夏樹さんが立ち去り、ほっと息を吐くと目の前に不機嫌な晴次さんが立つ。
「おい、綾乃」
「何?」
「お前、今日はどうして俺まで呼んだんだよ」
「夏樹さんとご飯が食べれて、嬉しいでしょう?」
「お前と早紀がいなければな」
「そうだよね~、私もそう思う。
だって、私一人だけだと早紀さんに勝てる気がしないんだもん」
「俺も勝てる気がしないぞ」
「良いじゃない、痛みは皆で分け合うものだよ。晴次さん」
「勝手に巻き込むなよ!」
「か弱い私を助けるつもりで、お願い!」
「…俺には、早紀とお前の後ろで、龍と虎がにっこり笑っている様に見えるぞ」
「嫌だなぁ、気のせいだよ」
ひそひそと言い合っていると、夏樹さんが顔を出した。
「何か運ぶものがある?」
「いやいや、ないよ。大丈夫」
「さぁ、食べるか」
慌てて部屋に戻り、席に着こうとして早紀さんに呼び止められた。
「綾乃ちゃん、隣に座らない?」
「えっ、夏樹さんと一緒じゃなくて良いんですか?」
「たまには良いじゃない、ねぇ、夏樹」
「うん」
「それなら俺は夏樹と座るか」
拒否権のない笑顔に抵抗する術もなく、早紀さんの隣に座った。晴次さんが夏樹さんの隣に座っているが、必死で笑いを堪えているのが見えて、睨み付けてやる。
それぞれグラスを持って乾杯すると、とりあえず目の前の料理を食べることにした。夏樹さんが朝から色々準備してくれた料理はどれも美味しく、早紀さんと晴次さんも喜んで食べている。和やかに時間は過ぎていくことに内心安堵する。そんな私達を見ながら、嬉しそうに食べる夏樹さんの頬が少しだけ赤いのに気がついた。
「あれ?夏樹さん。お酒飲んだの?」
「うん、たまには良いかな、と思って、少しだけ」
私の前では今まで一度も飲まなかったお酒を、早紀さんとなら飲める事に少しだけ心が騒ぐ。何とか落ち着かせようとあおるように空けたグラスにお代わりを注ごうとする私を、早紀さんがさりげなく止めた。
「綾乃ちゃん。お酒は美味しく、楽しく、ね」
「…そうですね」
お茶のボトルを手に持つと、早紀さんが注いでくれた。夏樹さんと晴次さんは赤い顔をしながら、二人で盛り上がっている。早紀さんも結構なペースで飲んでいる筈なのに、ちっとも変わらない。片意地を張るのを辞めて、素直に早紀さんと向き合う。この人には何をやっても敵う気がしないのだ。どうせなら、私も気楽に飲みたい。
「どうして私を誘ったんですか?
夏樹さんと二人で過ごしたからって、私は気にしませんよ」
「…本当に気にしないの?」
私を見て訊ねる彼女が、おかしくて仕方がないという顔をしていたので、正直に白状する。
「嘘です。…凄く気にします」
「ふふふ、綾乃ちゃんを誘った理由はね…」
グラスを手に取り微笑む姿さえも絵になるような早紀さんを見つめていると、彼女はにこりと笑って告げた。
「私が貴女の事を好きだから」
「私、早紀さんに好かれる様な事はしていませんが…」
即答で返すと、ますます楽しそうな表情を浮かべる。
「あら、初めて会った時言ったわよね、私達、友達になりましょうって」
「そ、それは…言いました」
「だから、誘ったのよ。折角ゆっくり話が出来るのだもの。
楽しく過ごしましょう?
それに…晴次じゃお酒の相手にならなくてね」
ちらりと正面を見るとお土産のケーキを食べる夏樹さんを、晴次さんが嬉しそうに見ていた。夏樹さんは気がついていないが、晴次さんの顔は緩みっぱなしだ。
「何、あのでれでれした顔…」
早紀さんの呆れた様な一言に「本当ですよね」と思わず同意して、はっと我にかえる。
「あ、すいません」
「どうして謝るの?」
「弟さんだから…」
「ああ、全然気にしないわよ。
晴次、綾乃ちゃんと仲が良いんでしょう?」
「ええ」
「いつも言っているわよ。貴女がいてくれて良かったって」
「…」
彼女の言葉に素直に頷けない自分がいる。なるべく考えないようにしているのだが、夏樹さんの大切な人である早紀さんに対して、少なからず存在する後ろめたい気持ちとコンプレックスが、私の中に今もずっと残っていた。
そんな私を見る早紀さんの表情は穏やかで優しかった。ちょいちょいと手招きすると、正面の二人に聞こえないように小さく私の耳元で告げる。
「私に罪悪感を持つ必要なんてないのよ」
「…えっ?」
「貴女が話してくれたでしょう?夏樹とたくさん思い出を作って欲しいって。私は夏樹を通してしか貴女を知らない。あの子とこれから過ごしていくには、貴女無しでは成り立たないわ。私は貴女をもっと知りたいの」
「早紀さん…」
驚く私に、彼女はがらりと表情を変えて笑って見せる。嬉しそうに、楽しそうに笑う彼女の表情は何の憂いもなかった。
「いつまで小さな事に悩んでいるの。貴女は私のライバルなんでしょう?言っておくけど、私は夏樹を諦めていないわよ?
もっと自信を持ちなさい。
…それとも、夏樹は貰って良いの?」
「駄目!」
思わず大きな声で言うと、早紀さんは笑った。夏樹さんと晴次さんが驚いた様にこちらを向いているのに気がついて、慌てて何か言わねば、と焦る。
「いや、その…」
「気にしないで。綾乃ちゃんがあまりにも可愛いから、私が誘ってみたの」
「ちょっと、早紀さん!」
私を庇ってくれた早紀さんは二人に見えないように片目を瞑って見せると、そう説明した。晴次さんはドン引きしていたが、赤い顔の夏樹さんはおもむろに立ち上がると、私の隣に座った。そのままぐいっと私の腕を引く。
「綾乃ちゃんは渡さないからね!早紀さん」
「な、夏樹さん!?」
「あら、少しだけなら良いでしょう。夏樹」
「絶対駄目!!」
面白そうに反対の腕を早紀さんに掴まれ、私は身動きがとれなくなった。むっとした様な夏樹さんが私を抱き寄せる。普段の夏樹さんとは違う子供っぽい仕草にふと違和感を覚えた。
「夏樹さん。もしかして、酔ってる?」
「酔ってないよ!」
「…酔っている人は大体そう言うんだよ。
ほら、お茶でも飲みなよ」
「嫌」
「…へっ?」
両腕を掴まれたままで夏樹さんにかけた言葉をあっさり拒否され、思わずぽかんとした。そんな私達を面白がるように、早紀さんは私に告げる。
「夏樹は綾乃ちゃんに飲ませて欲しいみたいよ」
「うん」
「はぁ!?な、何言ってるんですか、早紀さん!
夏樹さんも悪ノリしないの!」
慌てながら、晴次さんに視線で助けを求めると、赤い顔の晴次さんは部屋からこっそり逃げ出すところだった。胸の内で恨みながら、何とかしてこの状況を抜け出そうと努力してみる。赤い顔で少しとろんとした表情の夏樹さんは可愛いのだが、すぐ隣には早紀さんがいるのだ。流石に彼女の前でいちゃつく訳にはいかない。
「とりあえず二人とも離れて下さい。お願いします」
「早紀さんが離したら、私も離れるから」
「あら、それならしばらく無理ね」
「…」
げんなりしながら二人の言い合いを聞き流す。夏樹さんの可愛い焼きもちは嬉しいが、早紀さんは明らかに夏樹さんをからかっている。私というおもちゃをちらつかせて、じゃれる猫をあしらっている様だ。
「早紀さん。夏樹さんをからかうのも良いけど、程々にしてあげて下さいね」
「だって、ここまで感情を見せる夏樹は初めてなんですもの。楽しくてね」
彼女の言葉にふと引っ掛かりを覚えて、質問する。
「早紀さんと一緒にいるときの夏樹さんって、こんな感じじゃないんですか?」
「いいえ」
「それなら、夏樹さんがこんな調子なのはお酒を飲んだから?」
「そうみたいね。私も夏樹と飲むのは初めてだから」
「えっ?
それなら、あの追伸は?」
「あら、私、綾乃ちゃんに夏樹とお酒を飲んだ事があるって書いたかしら?」
にこりと笑う彼女の言葉の意味を考えて、肩を落とす。あれは私を誘い出す為の言葉だったのだ…
「…書いてないです」
「でしょう?」
くすくすと笑う早紀さんに、私もつられて笑ってしまった。ふとやけに静かな夏樹さんを思いだし振り向くと、涙目で三角座りをしていた。
「…夏樹さん?」
「綾乃ちゃん…早紀さんとばかり話してる…」
「ご、ごめん!夏樹さんを忘れた訳じゃないから…!」
焦って釈明する私の隣で、早紀さんがにこりと笑って手を振った。
「随分ゆっくりしたし、そろそろお開きにしましょうか。
綾乃ちゃん、片付けは私達がするから夏樹を宜しくね」
「ちょっと、早紀さん!夏樹さんを…」
「それは貴女にしか出来ないわよ」
いつの間に帰って来たのか晴次さんが、皿とグラスを持っていそいそとキッチンに向かう。
「綾乃ちゃん…」
「は、はいっ!」
隣の夏樹さんに睨まれて飛び上がりそうになりながら、何とかして彼女の説得に取りかかった。
「おはよー、って、どうしたの!?」
「…おはよ、春香」
ぐったりとした私の様子に驚いた春香が隣に座る。私は昨夜の一部始終を打ち明けた。
「夏樹さんって、お酒飲むと性格が変わるんだね…」
「そうなのよ、しかも夜遅くまでかかって誤解を解いたのに、朝には全然覚えてなかった」
「それは、また、大変だったわね…」
苦笑する春香が「これでも食べて元気だしな」とコーヒー味のキャンディーをくれた。苦くて甘いキャンディーを口に入れながら、上機嫌で帰っていった早紀さんを思いだし、やっぱりあの人は苦手だなあと改めて認識したのだった。
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