第27話 春夏秋冬 ~涼&綾乃~

玄関のインターホンを押すと「開いてるよ」と中から声が聞こえたので、ドアを開けて上がり込んだ。丁度綾乃がキッチンから皿を運ぶところだったらしい。


「早かったね」

「これ、今日の宿泊代」


私からレジ袋を受け取った綾乃は、「えー」と不満の声をあげた。


「これ、甘い物しか入っていない」

「あ、間違えた。それは夏樹さんと食べようと思って買ってきたの。あんたのはこっちね」

「わーい、ありがとう」


リクエストのお刺身の包みを渡すと、嬉しそうに覗き込む綾乃に問いかける。


「夏樹さんは?」

「遅くなるから先に食べて、って言ってた」

「そうなんだ」


私の住んでいる場所とこの街の近くを高速道路が開通して、以前より随分短い時間で遊びに来れるようになった。久しぶりに食事でも、と誘いを受けて泊まりがけで遊びに来たのだが、珍しく綾乃の家で過ごすことになった。私と同じでほとんど何もない部屋には、以前見かけなかった可愛いチェストがぽつんと置かれていた。


「あのチェストどうしたの?」

「あれは夏樹さんの服用」

「夏樹さんも良く来るの?」

「前は結構来ていたんだけどね。最近は、私の方が帰ってくるのが遅いからほとんど向こうだよ」

「ふーん」

「何?」

「いっその事、一緒に住めば良いのに」


私のからかい混じりの言葉に、綾乃は少しだけ笑った。


「今、説得中なんだ」

「えっ!?マジ?」

「うん。あ、これは夏樹さんに内緒ね」


思わぬ告白を誤魔化すかの様に笑うと「お腹空いたよ」とテーブルに向かう。今日は鍋料理だ。自分用にキムチの素をテーブルに置くと一人分の材料を取り分けてからカセットコンロに火をつけ、飲み物を並べる。そういえば二人だけで囲む食事は久し振りだ、いつもより静かな食事風景にそんな事を考える。


「何だか静かだね」


綾乃の言葉に思わず笑った。彼女も同じ事を感じたらしい。


「本当だね」

「桜ちゃんも来れれば良かったのに」

「仕方ないよ、明日も平日だもの」


何気なく言ったが、桜が酷くがっかりしていた事は内緒だ。後で埋め合わせをしないと大変そうだ。


「そういえば…」

「何?」

「連休は楽しい一夜を過ごせたみたいね」

「な、何で知ってるの!?」


思いきり狼狽えた私ににやりと笑う綾乃は、驚く様子もなく話を続ける。


「内緒」

「…桜か」

「えっ、何で分かったの?」

「だって他にいないじゃない。夏樹さんがそんな事話す筈ないし」

「へぇ、涼は夏樹さんに相談したんだ」


うっかり口が滑った私の言葉に、すぐさま綾乃が反応する。内心しまったと後悔したが、なるべく平静を装う。


「それは勿論、あんたに相談したところで答えは分かっているしね」

「まあね、私も涼が想像した通りのアドバイスをすると思うよ」


何か言い返そうかと思ったが止めた。普段ふざけてばかりの綾乃はいざという時、別人の様に頼もしい。長年の付き合いで分かっていたつもりだったが、あの時の一件以来、彼女が信頼出来る友人であることを改めて認識した。そんな彼女とたまにはふざけ合わずにのんびりと過ごしたい。


「ところで、綾乃の家で食事は久しぶりじゃない?」

「うん、たまには良いかなと思って」

「家呑みって食べたらすぐ寝れるのが良いよね」

「…涼、太るよ」

「大丈夫、仕事はハードだから。全然余裕」

「明日は休みでしょう?朝起きたら丸くなってるかもよ」

「そんな事ある訳ないじゃない。むしろ、自分の心配をしなさい。あんた、好物が肉と酒じゃないじゃない。どこのおっさんよ?」

「私はちゃんと気を使っているよ。しばらくお酒は控えていたからね」

「あら、珍しい。何かあったの?」

「この間飲み会でラスボスと戦ってきたの」

「…は?」

「あれ以来、お酒飲むと思い出しそうで、全然飲んでなかったんだよね」


「ごめん、全然話が見えないんだけど。ラスボスって何?」

「私の永遠のライバル」

「…因みに、戦った結果は?」

「思わぬ強敵がいて、完敗だった…

いやぁ、あの時は大変だったよ」


遠い目をしてしみじみ語る綾乃の言葉はさっぱり分からないが、一応「それは頑張ったのね」と声をかけてあげた。


「やっぱり、楽しく飲めるお酒が一番だね」

「夏樹さんとは飲まないの?」

「夏樹さんっ!?いやいや!?

本人もあまり飲みたがらないから、無理に勧めなくても良いんじゃない?」


やけに慌てる綾乃に、きっと何かあったんだろうなと思うものの、聞かないであげた。代わりにテーブルの上の鍋の蓋を取ると、湯気と共に美味しそうな香りがする。


「うわっ、美味しそう」

「そうでしょう?

夏樹さんが作ってくれたの」

「良かった。綾乃じゃなくて」

「は?どういう意味よ」

「気にしないで。さあ、食べよう」


お椀に大盛りによそって、乾杯すると箸を取った。具材の中に油揚げが入っていて、出汁が染み込みとても美味しい。


「夏樹さんのご飯はやっぱり美味しいね」

「そうでしょう」


自分の事の様に笑う綾乃に、ぽつりと言葉がこぼれた。


「私も桜と一緒に過ごせたらなぁ」

「…」


珍しく困ったように笑った綾乃に気を使わせまいと、明るい口調で話題を変える。


「今日久しぶりに、ごまとねこに会ってきたよ」

「元気だった?」

「うん、家にいたときより太っていた。うちの親、自分の子供より甘やかしてたわ」

「あはは」


笑う綾乃は普段より少し声のテンションが高い。おや、と思いながらよくよく見ると、既に空いた缶が幾つか置いてある。


「あんた、ペース早すぎない?

酔ってるでしょう」

「そうでもないよー」


けたけた笑う綾乃は否定しながらも珍しく酔っているようで、顔も少しだけ赤い。厄介な事になったと思いながら、夏樹さんが早く来てくれる事を祈る。そんな事などお構いなしにぐいっとコップを空けてから、綾乃は思い切ったように呟いた。


「涼、ごめんね…」

「何が?」

「涼が悩んでいたのに気づかなくて」

「!?」


私に謝る綾乃は、赤い顔で寂しそうに笑った。いつもの笑顔とは違うその自嘲気味な表情に、言葉を失う。彼女の謝罪を'綾乃は悪くない'というのは簡単だが、きっと彼女は納得しないだろう。


「…ビンタした事は謝らないんだ」


私の一言が思いがけなかったのか、目を丸くした後綾乃は大笑いした。目元が少し赤いのはきっと笑いすぎたせいだと思いたい。


「もうあんな事はしないと思うから」

「そうだね、涼には桜ちゃんがいるから安心だね」

「なっ!?それなら、綾乃も夏樹さんがいるでしょう」


心からそう思っている様な口調の綾乃に、恥ずかしくなって言い返すと、彼女は嬉しそうに笑った。


「それは勿論だよ。私、夏樹さんが大好きだもの」

「…」


多少酔っているとはいえ、あまりにもあっけらかんとした言い方に、私の方が赤面するものの、はっきりと口に出せる彼女が内心羨ましく思う。ここに夏樹さんがいたら、恥ずかしがりながらもきっと嬉しがるに違いない。


「良かったね、綾乃」

「ん?」

「夏樹さんがいてくれて」

「うん」


しみじみとした返事の後に沈黙がおりる。鍋の中でくつくつと具材が煮える音が聞こえるだけで二人とも黙ってコップを傾けた。しばらくして、綾乃がくすりと笑いながら私に告げる。


「涼も桜ちゃんに嫌われないようにね」

「だ、大丈夫よ、多分…」

「年上なんだから、涼が優しくしてあげないと、嫌われちゃうよ」

「!?、余計なお世話よ!綾乃に言われたくはないわ!」


桜に迫られた事の方が多い私には耳の痛い一言に、思わず言い返す。


「えっ、私はきちんと自重しているから大丈夫」

「…あんたのそのポジティブな性格が本当に羨ましいわ」


真顔で返された言葉に何も言えなくなり、返事代わりに綾乃のコップにお茶を注いでやる。


「こんばんは」


ドアが開いて夏樹さんの声がした。靴を脱ぐ音が聞こえるなか「おかえりー」と綾乃が跳び跳ねんばかりに迎えに行った。玄関先で二人が何か話していたようだが、しばらくしてから二人揃って部屋に入ってきた。ご機嫌な綾乃と何故か赤い顔の夏樹さんに敢えて気づかないふりをしてコップを傾ける。自分の頬が少し赤いのもアルコールのせいだと思いたい。


「ごめんね、遅くなって」

「ううん、私こそ先にお鍋もらっているよ」

「夏樹さーん、早く一緒に食べようよ」


私達の会話に割り込むように綾乃が席に座らせた。普段の彼女より随分高いテンションで甘えるように寄り添う綾乃に、少し困惑しながら夏樹さんが私に問いかける。


「あの…綾乃ちゃんって、もしかして、少し酔ってる?」

「あぁ、ごめん。何だか今日はペースが早くて…」

「ううん。綾乃ちゃんね、涼さんと会うのを楽しみにしてたから…」

「もう、夏樹さん!」


ふくれ面の綾乃に笑いかけると、コップを持って私と軽く合わせた。どうやら中身はアルコールではないらしい。一人増えただけで急に賑やかになる食卓に話題が尽きず、片付け終わって電気を消したのは深夜だった。随分早い段階で寝落ちした綾乃をベッドに寝かせて二人で布団を下に並べる。ふと、夏樹さんが愛しそうに綾乃を見つめている事に気づき、何故かどきり、とする。

私の視線に気づいたようで、照れながらも彼女は微笑んだ。


「綾乃ちゃんね、このところずっと遅かったから多分疲れが出たのだと思う」

「バイトか何か?」

「研究室の手伝いでずっと籠りきりだったらしくて。こうしてゆっくり出来るのも久しぶりなんだ」

「そうなんだ…」


夏樹さんが綾乃を見る表情があまりにも幸せそうで、これ以上見てはいけないような気がして布団に潜り込んだ。


「おやすみなさい」


彼女の優しい声に返事を返すと、心地よい酔いも手伝ってあっという間に眠りに落ちた。


いつもの起床時間に目が覚めて、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなる。


(そういえば綾乃の家だった…)


今日は休みだし、時刻は朝の六時前。薄暗い部屋の中は小さく寝息が聞こえている。もう一眠りしようと寝返りをうって夏樹さんの方を向くと、ベッドがもぬけの殻になっているのが見えた。

寝ぼけ眼で気にせずに目を閉じた私の耳に下の方で二人分の静かな寝息が聞こえ、何気に顔を上げる。


「!?」


夏樹さんの直ぐ隣に綾乃が顔を寄せるように眠っていた。眠気が一瞬で吹き飛び、慌てて布団を被り直して反対を向く。ただ寄り添って眠っているだけの光景なのに昨夜の夏樹さんの表情を思いだし、何故か恥ずかしくて顔を向けれなかった。寝ぼけた綾乃が夏樹さんの布団に潜り込んだと思うのだが、私が先に起きる訳にはいかず、夏樹さんに早く気づいてもらうしかない。

悶々としていると、スマホのアラームが隣から聞こえ、誰かが身動ぎする。


「っ!?」


驚いた様な声の後、しばらくしてそろそろと動き出す気配がした。やがて布団から出ていく音を確認してから、ほっと息を吐きもう一度ごろんと反対に寝返りをうつと、いつの間にか綾乃が直ぐ目の前で眠っていた。


「うおっ!?」

「うわっ!?」

「どうしたの?…えっ!?」


驚いた私の声に目を覚ました綾乃が更に驚く。一人で「何!?何で涼が隣で寝てるの!?」と騒ぐ綾乃を放っておいて、キッチンから顔を出した夏樹さんと視線が合うと、お互い苦笑いをしたのだった。


「じゃあ、またね」


手を振ってドアを閉めると、車に向かって歩き出す。何だか疲れたお泊まり会だったが、それもまた良い思い出になるのだろう。何となく桜の声が聞きたくなって、今日の夜電話してみようと思いながら、車に乗り込んだ。

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