番外編

第23話 春夏秋冬 ~涼&桜~

4月に新生活が始まり、あっという間に一月が過ぎた。私は研修が終わって正社員となり、桜は大学生として頑張っている。お互い離れていることもあり、電話でのやり取りが多いがもうすぐ来る大型連休を前に、私はずっと悩んでいた。一人で悩んでもどうしようもなくて、平日の休みに車に乗って久しぶりに図書館を訪れた。


「あら、いらっしゃい。涼さん」

「夏樹さん、久しぶり」


突然の訪問に驚いたものの、以前と変わらず歓迎してくれる夏樹さんに安心するが、相変わらず利用者がいないこの図書館の存続を、本当に心配してしまう。しばらく雑談をしながら、どのタイミングで話そうか考えていると、夏樹さんが私の頬を指でつついた。


「何?夏樹さん」

「それは私の台詞。涼さん、私に何か用事があるんじゃないの?」

「…どうして分かったの?」

「だって、さっきからずっと落ち着かないんだもの」


「あー、うん。用事と言うか、相談と言うか…」

「言い難い事?

綾乃ちゃんに聞いてもらう?」

「いやいや、それだけは勘弁して!

面白がるに決まっているんだから」


夏樹さんの言葉に綾乃を思い浮かべたら、思わず身震いしてしまった。絶対にやにやしながら、からかうに違いない。夏樹さんくらいしかこんな事を相談出来る人はいないし、仕方なく、勇気を振り絞って告白した。


「実はね、桜が今度の連休に家に遊びに来るんだ」

「良かったじゃない。久しぶりに会えるんでしょう?」

「うん。私が一日半の休みが出来て、それなら電車に乗って来るからって」

「涼さんはアパートに引っ越したんだよね?」

「そうなの。会社の寮は牧場と少し離れていたからね」


近況報告も兼ねて、ぽつぽつ話す私の口調は、決して軽くない。そんな私に、夏樹さんは「それで、何か困る事があるの?」と聞いてきた。少し躊躇った後、なるべく平静な口調で続ける。


「桜、泊まりに来るんだ…」

「そうなんだ」

「…どうしよう、夏樹さん」

「えっ、何が?」

「…私達、初めて二人で過ごすんだ」

「!?」


私の言葉の意味が分かった途端、ぼっと赤くなる夏樹さんに思わず、すがりたくなる。ここまで打ち明けたなら、もう隠す必要もなかった。


「夏樹さんと綾乃って、どうだった?」

「えっ!?どうだったって聞かれても…」

「付き合ってからどのくらいでって意味」

「そ、そんな事、言えないよ!?」

「私、あまり気にしない方だけど、流石にこれだけ年下だと…」

「そ、そうだね…」

「だから、夏樹さん、どうしよう…助けて」

「ごめん、無理かも…」


先程とは立場が逆に、もじもじしている夏樹さんに色々訊ねたが、彼女はずっと赤い顔のまま口を閉ざしていた。

結局、そのまま人生相談はお開きになり、どうすれば良いか悩みながらも自宅へ帰った。


「どうしよう…」


カレンダーの日付を見ては、何度も同じ言葉が口から出る。

大型連休の後半に、涼さんが休みを取れたと聞いて、久しぶりに会える嬉しさから、思わず「泊まりに行って良い?」と聞いてしまった。涼さんも「良いよ」と簡単に返事をしてくれたので、喜んでいたのだが、電話が終わった後、自分の言葉の重大さに気がついて、倒れ込みそうになった。


「涼さんの家でお泊まり…」


一人で呟くと、思わず想像して恥ずかしくなり、ベッドの上を転がり回った。友人ではなく恋人の家に泊まりに行くのだ。嫌でも緊張してしまう。涼さんとのそんな関係を望まない訳じゃないし、私だってそれなりに色々知っている。だけど、期待よりも不安の方が大きい。


「怖いって言ったら、嫌われるかな…」


涼さんに嫌われてしまう事が怖くて、だけど、どうすれば良いか分からない。頼れるあの人の顔が思い浮かびスマホを開いて、メッセージを送った。直ぐに着信が入り、ほっとして通話に出る。


「もしもし、桜ちゃん?」

「綾乃さん、今電話して大丈夫なんですか?」

「うん、ちょうど休憩中だったから。ところで、メッセージ見たけど、どうしたの?」

「あの…」


落ち着いた様子で優しく話を聞いてくれる綾乃さんに、涼さんの家に泊まりに行く事、私が不安に思っている事を話した。


綾乃さんが私を家まで送ってくれて以来、私は綾乃さんに色々な事を相談していた。綾乃さんは普段おどける事が多いが、本当は涼さんや夏樹さんと同じくらい彼女達の事を大切に思っている。さりげない気遣いと思いやりを持つ彼女は、高校時代からずっと二人に内緒で私の悩みを聞いてくれていた。そんな綾乃さんは私にとって、涼さんや夏樹さんとは別の意味で大切な人だった。彼女は一通り話を聞くと、考えるように少し黙ってから話しかけた。


「桜ちゃん。涼にきちんと話してごらん」

「でも…」


嫌われるかもしれない、という言葉を飲み込む私に、綾乃さんは電話の向こうで苦笑した。


「あのね、そういう事は二人の気持ちが合ってこそでしょう?

独りよがりのものじゃないし、貴女がちゃんと自分の気持ちを打ち明けたら、涼も分かってくれるわよ。

それに、涼が桜ちゃんを嫌いになるなんてあり得ないわよ」

「そうかな…」


「ふふふ、私には、涼が桜ちゃんをもっともっと甘やかしたいみたいに思えるけどね」

「えっ?」

「大丈夫よ。そんなに急がなくても貴女と涼の関係は壊れないわ。

二人で初めて一日過ごせるんでしょう?

たくさん甘えて、楽しい一日にすれば良いじゃない」

「…うん、そうですよね。折角の休日、楽しまなくちゃ勿体ないですよね」

「そうよ。楽しんでおいで」

「はい、ありがとうございます。綾乃さん」

「ふふ、良いわよ。もし、涼が貴女を傷つけるような事があったら、私に言うのよ。まあ、それはないと思うけど」


もう一度お礼を言ってから、電話を切る。先程までの不安は消えて、わくわくする気持ちが私を包んでいた。


駅のホームで電車が止まるのを待つと、こちらに向かう人の中に、桜を見つけた。


「涼さん!」


大きめのバックを肩に掛け、嬉しそうに手を振る彼女に近づく。慣れない新生活の疲れは無さそうで安心した。彼女のバックを持つと、隣で「ありがとう」と笑う桜の歩調に合わせてゆっくり歩いた。


「桜、元気にしていた?」

「うん、寮も随分慣れたよ。涼さんは?」

「私は相変わらずかな。正社員になっても仕事は変わらないしね。だけど、休みの日は暇で困るよ」

「図書館も遠いもんね」

「この間、用事があって夏樹さんの所に行ったんだけど、夕方になると、大勢の人が来て驚いた。何でも、あの図書館に行くと、願いが叶うらしいって噂があるんだって」

「あー、…ごめん。噂の元は、多分私の友人だよ」

「そうなの!?どうりで、桜の高校の制服の子が多いと思ったんだよね。まあ、夏樹さんは嬉しい悲鳴をあげていたから良いかもしれない」


駐車場の車の鍵を開けて、バックを後ろに乗せる。黒いワンボックスカーを見た桜は興奮気味に私を見た。


「涼さん、この車を買ったの?」

「うん、中古だけどね」

「二人で乗るには勿体ないくらい大きいね」

「後ろを倒したらゆっくり眠れるよ」

「凄い!

キャンプに行けるね」

「ふふふ」


車に乗って隣の彼女を見ると、胸元にちらりと銀のチェーンが見えた。私の視線に気がついたのか、桜が嬉しそうに笑う。


「つけてくれているんだ」

「うん。だって、宝物だもん」


彼女の言葉に、抱きしめたくなったが我慢した。ここは交通量も多く、人通りもある。頭を撫でるだけにしておいた。


「どこか行きたい所はある?」

「涼さんと一緒ならどこでも良いよ」

「私もほとんど出歩かないからなぁ」


結局、二人で話し合い、夕飯の買い出しも兼ねてショッピングモールに出掛けることにした。連休とあって、店内は人で溢れている。一人なら入る事を躊躇う人混みも、桜と一緒なら気にならない。はぐれないように身体を寄せあって、店内を眺めていく。

いつも桜の大学受験を優先させていたので、こうして時間を気にせず二人でゆっくり過ごせる事は、今までなかった。彼女の趣味や嗜好もさりげなくチェックしながら、桜に誘われてゲームセンターで遊んだり、ガーデニングコーナーのサボテンに私が一目惚れして衝動買いしたり、楽しい時間を過ごした。


部屋の鍵を開け、荷物を運び入れると電気を点けた。


「お邪魔します」

「はい、どうぞ」


バックを持ってきた桜は、興味津々といった様子で靴を脱いだ。備え付けのクローゼットとテレビが置いてある居間にキッチン、トイレ、浴室があるだけの小さな部屋は仕事から帰って寝るだけの私には十分な広さだった。


「部屋の中に最低限の物しか置かないのが、涼さんらしいね」


そう笑う桜は、テレビの隅に買ってきたサボテンを置いてくれた。


「やっぱり良いね。サボテン」

「ふふ。

あれ?この写真って…」


テレビの上に飾られた写真を見つけた彼女は嬉しそうに眺めた。桜の合格祝いで綾乃と夏樹さんの四人で撮った物と、高校時代の写真が並べてある。


「涼さん可愛い。髪長かったんだね」

「うん、桜に会う前までは伸ばしていたからね」

「綾乃さんは全然変わっていないなぁ。…この人が麗さん?」

「そう」


写真を見つめる桜は、優しい眼差しで私達を見ていた。急に恥ずかしくなってその場から離れるように、荷物を片付け、夕食の準備を始めた。桜も手伝いながら並んで料理すると、初めて会った頃を思い出す。


「何だか懐かしいね」

「本当だね。もう随分前の事みたいに思えるよ」

「道路で初めて声をかけてくれた時、声を聞くまでは、私、涼さんが男の人かと思ったよ」

「あぁ、良く間違われる」

「だけど、写真の制服姿可愛かったね」

「へ!?」

「長い髪も似合うよ。伸ばさないの?」

「…短い方が楽だから、もう伸ばさないの」

「えー、残念」


わいわい話ながら、食事を楽しむ。二人で作った料理をテーブルの中央に置き、桜はジュース、私はアルコールで乾杯した。いつものお酒も桜がいてくれれば、特別に美味しい気がする。ふと、これから桜が泊まることを思い出し、顔が赤くなった。先延ばしにして、考える事を放棄していたがその時間は確実に近づいてくる。


(もう、その時考えれば良いや…)


半ば投げやりな気持ちで、思考を放棄する。


お風呂を先に桜に譲り、酔いを冷ますつもりでベランダに出ると、初夏の風が気持ち良く身体を冷やす。周りには民家があるものの自然も多い地域の為、賑やかな場所が苦手な私には住み心地が良かった。

大きな満月が正面に見えて、ずっと眺めていると後ろから桜の呼ぶ声が聞こえた。


「お風呂上がったよ。ありがとう」

「ゆっくり入れた?」

「うん」

「!!」


ベランダから部屋に戻ると、Tシャツにハーフパンツ姿の桜が立っていた。お風呂上がりの濡れた髪に、少し赤い身体は以前見たときより大人っぽくなっていたが、彼女が黒いフレームの小さな眼鏡を掛けていることに驚いた。


「桜、目悪かった?」

「うん。最近、悪くなってコンタクトにしたの」

「そうなんだ…」


私の驚き方が意外だったのか、近づいて見上げる彼女から視線を離せない。ふわりとシャンプーの香りが鼻に届く。


「どうしたの?涼さん」

「あの、何というか…」

「?」


もごもごと言葉を濁し「ごめん、お風呂入ってくるね」と逃げ出した。


「ふぅ」


浴槽につかり天井をぼんやり眺める。ふと思い出すのは眼鏡を掛けた彼女の可愛らしい姿…


(やばい、凄く可愛かった…)


とにかく心を落ち着かせてから部屋に戻ろうと考えていると、頭がくらくらしてきた。


(あれ?長湯し過ぎたかな)


浴槽から立ち上がろうとするとふらついてしまい、派手な音を立てて浴槽に舞い戻った。


「涼さん!?凄い音がしたけど?」

「だ、大丈夫。ちょっとのぼせただけだから…」

「えっ!?大丈夫なの?

手を貸そうか?」

「いやいや、自分で立てるから。お構い無く!」


ドアの向こうから桜の声が聞こえて、ますます慌てる。やっとの思いで浴室から出ると、ざっと身体を拭いて服を着た。部屋に戻ると、桜が心配そうに私を迎える。


「大丈夫?顔赤いし、少し休んだ方が良いよ」

「ご、ごめん…」


倒れ込むように部屋に寝転がると、彼女を見ないように目を閉じた。のぼせた為か緊張の為か分からないまま、心臓がどくどくとなっているのを感じる。


「涼さん、お水飲む?」


頭の上に桜がいて、コップを見せた。頷きながら身体を起こし、一気に飲むと、生き返った気がした。「ありがと」と言うと、ようやく彼女は安心したようだった。


「いつもはこんな感じじゃないんだけど、少しふらついて…」

「そうなの?心配したよ」


彼女を見れずに、俯き気味に話す自分の不甲斐なさが情けない。そんな私に優しくしてくれる彼女に申し訳なくてますます落ち込んだ。


「あの、布団敷くから待ってて」

「良いよ、涼さん。もう少し休んでいて。

場所を教えてくれれば私がするよ」

「大丈夫、動けるから…」


布団を二組敷いて並べる。本当は一緒に寝たかったのだが、それを彼女に訊ねる勇気もなくて、結局もう一つ準備したのだ。何も気にしていないような彼女にほっとしつつも、残念な自分がいる。私を気遣ってくれる彼女に甘えて、そのまま眠る事にした。


「おやすみ」と言い合って電気を消す。布団に入るが少しも眠くはなく、むしろ目は冴えている。このまま眠った方が良いのか、それすらも分からずに混乱するばかりだ。今までも恋愛は何度か経験している筈なのに、こんな気持ちになる事は初めてで何度も寝返りを打つ。


「…涼さん」


何も見えない暗闇の中、布団の向こうで控えめに呼ばれて、「何?」と返した。


「私…明日少し早目に帰るね」

「えっ?」

「駅までバスに乗るから、大丈夫だよ。

涼さんは休みなんだから、ゆっくり休んでいて」


桜の突然の言葉に驚き、思わず「私、大丈夫だよ」と答えるが桜は「良いよ」としか言わない。少しだけ彼女の声が震えているのに気がついた。


「桜…もしかして、泣いてる?」


布団から起き上がり訊ねるが、彼女は向こう側を向いていて表情は分からない。だけど、押し殺した嗚咽が確かに聞こえてくる。


「桜!」


思わず彼女を抱き起こすと、桜は私の胸に顔を隠した。震える身体と押し付けられた部分のシャツが濡れていて私は思わず彼女を抱きしめた。


「ごめん、涼さん」

「えっ、何で桜が謝るの?」

「涼さん、私の為に無理してくれていたんでしょう。

体調が悪かったのに、私全然気づかなかった。

…ごめんね」

「!?」


彼女の謝罪の理由を聞いた途端、私は自分自身を殴り飛ばしたくなった。手元のスマホの電源を点け、少しだけ明るくすると泣いている彼女の顔を両手で上げさせた。涙に濡れた彼女の目を真っ直ぐ見て告げる。


「違う!!桜は謝る必要なんてないし、自分を責める必要もない!!私が全部悪かったの、ごめん!桜」

「涼さん…?」

「私、貴女と今以上の関係になる事が、怖かったの。

桜の事は誰よりも好きだよ。だから、私は貴女とゆっくりで良いから関係を進めていきたいって思っていた。貴女の好きな事や苦手な事、貴女自身をもっと知ってから触れ合いたいって思っていた。だけど、勇気がなくて言えなかったの。

桜が望むなら…普通に付き合っている二人なら、関係を進める事は当たり前なのかもしれないって考えたら、ずっと緊張して落ち着かなくて…


それに…それにね、体調が悪かったんじゃなくて、桜の眼鏡姿があまりにも可愛くて…直視出来ないっていうか、あのっ、ますますプレッシャーになって…それで色々考えていたらお風呂でのぼせちゃったの。


だから、謝るのは私の方。ごめんなさい…」

「…」


お互い見つめ合ったままの時が続き、やがて、桜がぽつりと呟く。


「私もね、今日本当は凄くどきどきしていたんだ。だって、初めてのお泊まりだし、付き合ってからもう随分経つから、もしかしたらって思ってた。だけど、私も本当は怖かった。

…求められて、断ったら涼さんは嫌いになるかなって考えたりもしたの」


「そんな事ない!

私が桜に嫌われる事はあっても、嫌いになる事なんてないから!」


私の言葉に、桜は笑った。


「ふふ、私もある人からそう言われたよ。

だけど、私も涼さんを嫌いになる事なんてないよ。


私も、もっと涼さんを知りたい。

たくさん貴女を知って、もっと貴女を好きになりたい。

それからなら、きっと…」

「桜…」


怖いくらいの幸せと彼女への愛しさが溢れ出して、ぎゅっときつく抱きしめた。私達はスタートラインに立ったばかりだ。焦らなくても良いんだ…そう思えたら、凄く楽になった。

顔を寄せて唇を重ねる。キスもハグもまだまだ慣れなくてぎこちないけど、今はそれだけで幸せだ。

唇を離して笑い合うと彼女を一緒の布団に誘い、明日したい事や聞いている音楽、子供の頃の話など色々な話をした。次第に眠くなり、どちらともなく眠りに落ちる。

夢見心地の中で彼女と繋いだ手を離さないように、指を絡めてしっかりと握った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る