第20話 霜降 (2)
ノック音が聞こえてから、しばらくして夏樹さんがドアを開けた。私達を見てから、にこりと笑う。
「もう閉めても良いかな?」
「うん、大丈夫」
平静を装う私の隣で、未だ赤い顔の桜ちゃんは、少しふらつきながら立ち上がった。
「桜ちゃん、大丈夫?」
「はい…」
ますます赤くなる桜ちゃんに、心配して声をかける夏樹さんを見る。
(少しやり過ぎたかな)
反省して彼女の鞄を片手に持つと、片手で彼女を支えた。
「きゃっ!?」
身体がぐいっと引き寄せられて驚く桜ちゃんに、照れながら「ふらついていると危ないから」と言うと、微笑んで素直に甘えてきた。私達の事を見ないようにしている夏樹さんが、苦笑しているのが分かって恥ずかしいけど、止めるつもりはなかった。
裏口から外に出ると、辺りは真っ暗で随分遅くなったようだ。ようやく落ち着いた桜ちゃんを名残惜しく離すと、少し離れた車の側から声が聞こえた。
「涼、見せつけてくれるね」
「あ、綾乃!?
あんた、どうしてここに?」
「それは勿論、皆を迎えに来たの」
綾乃は、夏樹さんに「お帰り」と寄り添うと、桜ちゃんに「上手くいったみたいだね」と笑っていた。桜ちゃんが照れながら笑う姿に、ますます嬉しそうな顔をする。
「綾乃、桜ちゃんに何か言ったの?」
「いやぁ、最近出来た友人がね、年上の恋人がもうすぐ離れてしまって寂しいっていうからさ、話を聞けば、ろくにデートもしていないって言うじゃない?
付き合って一月も経つのに、こんな可愛い桜ちゃんと手すら繋いでないのは流石にどうかな~と思っていたら、桜ちゃんにどうすれば良いかって相談されてね。
その人はきっと押しに弱いから、桜ちゃんが勇気を出して押し倒してごらんってアドバイスしたの」
「あ、綾乃っ!!」
やけに積極的な桜ちゃんは、綾乃の入れ知恵だったのかと納得した。隣で笑っているだけの夏樹さんも知っていたに違いない。
「ねえねえ、桜ちゃん。涼とどこまでしたの?どうだった?」
「えっ?」
返事に困る桜ちゃんに、尚も迫る綾乃の頭を思わずはたくと、「痛ったー!」と、騒ぎつつ、にやにや笑いを止めない。
「そんな事言う訳ないでしょうが!むしろ、聞くな!!」
「え、私は聞きたい。私達の事を教えてあげるから、代わりに…」
「綾乃ちゃん?」
「や、嫌だなぁ、夏樹さん。冗談だってば!」
にこりと笑う夏樹さんに、怯えたように後ずさる綾乃。いつもの二人に安心していると、桜ちゃんが驚いたように彼女達を見ていた。
「桜ちゃん」
「はい?」
「もう、許してくれた?」
「!!…はい」
恥ずかしそうな桜ちゃんと笑い合うと、桜ちゃんが私を見上げる。
「涼さん、行ってらっしゃい」
「うん、行ってくるね。桜ちゃんも頑張って。
何かあったら、電話して?」
「はい」
夏樹さんからようやく許して貰えた様で、綾乃が声をかけてきた。
「涼」
「何よ?」
「夏樹さんの分まで利子もつけて、私の時の借りは返したからね」
一瞬彼女の言葉に戸惑ったが、私が以前彼女達にお節介をした時の事を言っているのだと分かり、「きちんと受け取ったわ」と返すと、二人で笑いあった。
家まで送ってもらい、車の中の桜ちゃんにもう一度「行ってくるね」と言うと、「行ってらっしゃい」と笑って手を振ってくれた。その笑顔を見送ってから、自宅に戻る。ごまも猫も実家に預けてがらんとした家は寒々としていたけど、私の心に不安はなかった。
翌日、綾乃と夏樹さんと三人で車に乗り、寮の近くまで送ってもらう。寮の住所を聞いた夏樹さんが、以前住んでいた所の近くだったらしく、綾乃がそのまま運転してくれる事となった。
「夏樹さんは実家が向こうだったんだ」
「ええ」
何となく夏樹さんの態度が硬いのを感じた。そう言えば彼女から家族の話を聞いた事がない。何かしら事情があったのだろうと考えていると、綾乃が話を変えた。
「それなら、早紀さんの実家も近いの?」
「少し離れているけど、同じ地域だよ」
「それなら、涼もいつか会うかもね」
「ふふふ」
ほっとした様子の夏樹さんを見る綾乃は、夏樹さんだけに見せる笑顔を浮かべていた。お互い言わなくても伝わる、視線だけのやり取りを後ろで見ながら、私は桜ちゃんの事を彼女達と同じくらい分かってあげれる時が来るのだろうかと、考えてしまう。
「早紀さんって、誰?」
「あれ、涼に話していなかった?
ほら、晴次さんって覚えてる?あの人のお姉さん」
「へぇ、そうなんだ」
「晴次さんとそっくりで凄い美人だから、会ったらきっと分かるよ。夏樹さんは良く会いに行っているもんね」
「綾乃は仲が良いんだ」
「仲が良いって言うか、私のライバルですから」
「ライバルって何、それ?」
「あ、綾乃ちゃん!」
「二人で夏樹さんを取り合ってるの」
「余計に分からないんだけど…」
話の意味が分からずに混乱する私をミラー越しに見て「まあ、色々あってね」と笑う綾乃に、「私が、綾乃ちゃんから離れる訳ないでしょう」と夏樹さんが抗議する。
「…本当に?」
「当たり前でしょう」
甘いムードになりそうな前の二人に、牽制の意味で咳払いをすると、夏樹さんは慌てて前を向いた。
「ちょっと、涼。空気読みなさいよ!!
折角良いところだったのに」
「アホか。その台詞そっくりあんたに返すわ」
「…」
赤い顔で黙ったままの夏樹さんに構うことなく、そのまま、わいわいと騒ぎながら車は進んでいった。
「それじゃ、またね」
「涼さん、頑張ってね」
「ありがとう、二人とも」
お互い手を振って笑いながら別れると、車は来た道を戻っていった。きっと今からドライブデートを楽しむに違いない。
部屋の中は新しい匂いで、ここで今日から生活するという実感がまだ湧かないけれど、明日からは研修が始まる。気合いを入れて、片付けに取りかかった。
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