第18話 秋分

その晩は、綾乃と夏樹さんが部屋を片付け、食事を作ってくれた。恐縮する私とは反対に楽しそうに過ごす二人につられて、いつしか少しずつ気持ちが落ち着いてくる。電気を消して、二つしかない布団に三人で並んで寝転がると、何だか学生時代を思い出すようだった。


「夏樹さん、どうして涼の向こうで寝るのさ。いつもみたいに一緒に寝ようよ」

「ちょっ!?綾乃ちゃん!」

「良いじゃない、どうせ涼しか聞いていないんだから」

「あんたね、よくそんな事が私の前で言えるわね」

「だって、涼も桜ちゃんといちゃいちゃするんでしょう?」

「ば、馬鹿!!

する訳ないじゃない!!」

「えっ、しないの?」

「あんたと同じにするな!!」


暗い中でも赤い顔を見せたくなくて、布団に潜り込もうとして綾乃の掛け布団を剥ぎ取った。


「わっ、涼。勝手に布団取らないで!」

「うるさいな、もう寝る」

「夏樹さん、涼が苛めるからそっちに行って良い?」

「だーめ」

「酷っ、涼、夏樹さんが冷たい」

「あー、もう!分かったから。

ほら、布団返すから騒がないの」


掛け布団を綾乃に渡して、そのまま眠ろうとした時、隣に綾乃が近づいて私に掛け布団を被せた。


「涼、仕方がないから、今日は一緒に寝よう」


笑いながら直ぐ隣にいてくれる彼女の声は、優しかった。


「私も、涼さんと寝たい」


反対側から夏樹さんも、私に寄り添ってくれる。直ぐ傍に二人の身体があって、そして、温もりがあった。


「…ありがとう」


嬉しさで掠れた声に、二人が微笑むのが分かった。


次の日お礼を言って二人を送り出すと、久しぶりに外に出た。台風以来、一度も見なかった黒い猫がいつの間にか目の前にいて驚く。いつの間にか涼しさを感じるようになり、ゆっくり家の周りを歩いて回った。ごまがしっぽを振って歓迎しているのを見て、申し訳ない気持ちになった。


「ごま、ごめんね」


私の謝罪などまるで気にする様子もなく、普段通りのごまといつもよりたくさん遊んでから、小屋に向かった。あの時の無残な状態のままに胸が締め付けられるようだったが、両手でぱんと頬を叩いて気合いを入れると、少しずつ片付けに取りかかった。何も考えずにひたすら重い身体を動かして、作業を進める。夕方まで続けてからその日の仕事は終了した。


夜、どきどきしながらスマホを握る。桜ちゃんに電話をかけると言ったものの、私からは一度もかけたことがなく、密かに緊張していた。


'涼は変わらなきゃいけないんだよ'


綾乃の言葉が胸をよぎり、深呼吸してからスマホをタップした。何を話せば良いかなんて分からなかったけど、彼女の声が聞きたかった。ワンコールで通話に繋がる。


「もしもし」

「もしもし、涼さん?」


勢い込んで話す桜ちゃんに少し圧倒されながらも、口を開こうとした時、桜ちゃんが我慢できないように訊ねてきた。


「あの…聞きたいことがあるんです」

「…何?」


彼女の声が真剣だったので、私もつい緊張してくる。


「立木さん、じゃなくて、夏樹さんの付き合っている人って、もしかして、…綾乃さんですか?」

「…へっ?」


あまりにも予想外な質問に何も答えられない私に、桜ちゃんは尚も「違いましたか?」と聞いてくる。


「いや…あってるけど。

聞きたい事って、もしかしてその事?」


電話の向こうで、きゃーと歓声の様な悲鳴の様な声が上がる。彼女のいつもとは違う高めのテンションに「やっぱり高校生なんだな」と思いながら、電話先が落ち着くのを待った。


「桜ちゃんに話していなかった?」

「聞いていないですよ?私、昨日突然思いついたんですから」

「あれ?それなら、あの二人からも聞いてないの?」

「そうなんです」


それから私達は、色々と話をした。主に綾乃についてだったが、どうやら桜ちゃんに無理をさせたことを彼女の母親に謝ってくれたらしい。昨夜そんな事は一言も言わず、ふざけてばかりだった彼女に密かに感謝する。


「涼さん」

「うん?」


「辛い時は、電話して下さいね。夜なら、私大体遅くまで起きてますから」

「…うん、ありがと」


大丈夫、と言おうとして、やっぱりやめた。私をどこまでも心配してくれる彼女に、素直に感謝したかったから。だけど、頼るだけじゃなくて、私も彼女を支えたい。


「それなら、桜ちゃんも何かあったら電話してくれる、かな?」


恐る恐る訊ねた私に、「はい」と嬉しそうな声が聞こえた。



一週間かかって小屋を片付けた後、私は祖父の元に行って今回の事を打ち明けた。祖父は「自然相手の事だから、気にするな」と言って笑ってくれ、むしろ、今までの事を感謝してくれた。

しばらく祖父と過ごしてから、久しぶりに図書館に向かった。閉館間際の図書館では、室内で夏樹さんと桜ちゃんが笑いながら戸締まりをしているのが見えた。そう言えば、彼女達はいつの間にか随分仲良くなったようだと思いながら、外から手を振ると、私を見つけた桜ちゃんがぱっと笑った。夏樹さんに何か伝えてから、急いでこちらに向かってくる。夏樹さんが笑って手を振ったのを見て、私も笑った。

電話では何度かやり取りしたものの、桜ちゃんとあれから会うのは初めてだった。玄関からぱたぱたと走る彼女の足は、もう痛まないようだ。


「涼さん!」

「もう足は痛くないの?」

「はい、すっかり綺麗に治りました。涼さんは大丈夫ですか?」

「うん。桜ちゃんは今から帰るところでしょう?

駅まで送るから乗っていきなよ」

「ありがとうございます」


車に乗り込み、駅に向かう。こうしてみると、桜ちゃんも初めてあった頃と比べて、髪が長くなり、顔つきも随分大人っぽくなった印象を受けた。


(あれから、一年以上経ったんだものね…)


そんな事を考えながら、嬉しそうな彼女を見た。

駅のベンチに並んで電車を待つ。電車が来るまではまだ時間があるので、コーヒーとジュースを買って飲みながら過ごした。本当は彼女に聞いて欲しい事があって会いに行ったのだが、なかなか話せずにいた。桜ちゃんの反応が怖くて、だけど、今打ち明けなければ言い出せない気がして、思いきって彼女の方を見ると、桜ちゃんは私を見つめていた。


「あの、ね」

「はい」


落ち着いて私の言葉を待つ桜ちゃんに告げる。


「一週間考えたんだけどね、私、やっぱり牛の仕事をしたいんだ。それで、もう一度隣の県にある牧場に働きに行こうと思うの」


「はい、分かりました」


明るい声の桜ちゃんは、嬉しそうな顔だった。何か言われるかもしれないと思っていた私に、桜ちゃんは笑った。


「前に涼さんが話してくれたじゃないですか。自分で決めたことなら、失敗しても心配要らないって。

涼さんなら、きっともう一度頑張ってくれるって、信じていましたから」

「桜ちゃん…」

「だから、私も応援します」


「うん、ありがとう」


嬉しくて、また泣きそうになるのを笑って誤魔化す私に、桜ちゃんも少しだけ涙ぐみながら笑った。


「すぐに行くんですか?」

「うん、ずっと求人が出ていてね。今朝電話したら、明後日面接に来て欲しいって言われたから」

「そうなんですね…」


寂しそうな表情の桜ちゃんに、言葉を続けようとすると、踏切の警告音が聞こえ、電車が来るのが見える。立ち上がる彼女に、言うべきか悩む。どうしよう、時間がない。覚悟を決めると、頭上のカンカンという音に、負けないように大きな声を上げた。


「桜ちゃん!」

「はい?」


電車がゆっくり近づいてくる事に焦りながら、彼女を真っ直ぐに見つめた。声が震えるけど、そんな事に構っていられない。

もし、彼女が私の事を賛成してくれるのなら、どうしてもきちんと言いたかった事がある。


「私、貴女の事が好きです。

良かったら、私と付き合ってください」

「っ!!」


電車が停まり、ドアが開く。動かない彼女は弾かれたように、電車を見た。そして、私ににこりと笑いかけた。


「はい。私も、ずっと好きでした。

だから、宜しくお願いします」


涙を拭いて笑う彼女はそれだけ伝えると、電車に乗り込んだ。


電車が去ってから、夏樹さんといつか座ったベンチに倒れるように座り込む。

胸のどきどきは収まらず、今の事がまるで夢のようだ。


「良かった」


ほっとして見上げた空には、綺麗な三日月が出ていた。

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