第8話 立春 (3)
「どうしよう…」
もう何度目か分からない言葉が零れる。涼さんに頬を触れられて、至近距離で見つめられて…動揺して、思わず告白してしまった。涼さんを好きな事は本心だし、言った事に後悔はしていないけど、流石に自分でも早まった事をしたと思う。高校生のしかも同性から突然告白されて、困らない筈がない。私をいつも子供扱いしていた涼さんの事だ。そんな気持ちに気付くこともなかったと思う。きっと拒絶されるに違いないと、ネガティブな思考がずっと消えない。更に、立木さんもあの場所にいたのを思い出して、余計に落ち込んだ。
図書館の事も、涼さんの事も、自分が原因とはいえ、明日からどうすれば良いのか全く分からない。
ベッドに寝転がり、ぼんやり天井を見つめていると、スマホが震えた音が聞こえた。寝転がったまま、滅多に鳴らないスマホに手を伸ばして、画面を開く。
「!?、…っ痛!!」
画面を見た瞬間に、驚きでスマホを顔の上に落としてしまい、悶えながらスマホを掴む。どきどきする胸は、初めて連絡をくれた事の歓喜か、メッセージに拒絶の言葉が入っているかもしれない恐怖か、分からないまま、震える指先でタップして画面を見た。
'お花見の件だけど、今度の日曜日の午後はどうですか?'
「…えっ?」
一瞬、何の事が分からなかったが、そう言えば告白する前にそんな話をしていたことを思い出す。涼さんは、返事をくれるつもりなのだろうか、それとも、聞かなかったことにするつもりなのだろうか…
散々悩んだけれど、会える嬉しさには勝てなくて、結局了承の返事を送った。しばらくすると、再びメッセージが届き、駅までバイクで迎えに来るから、とあった。絵文字もないシンプルな文だけど、涼さんの気遣いが分かる様なメッセージに、私の心はやっぱり高鳴ってしまうのだった。
約束の日曜日は、天気も良く、風もない絶好のお花見日和だった。約束の時間より少し前に駅に着いて、入り口で待つ。やがて、電車がホームに入ってきて入り口の反対側のドアが開いた。降りる人は数人で、すぐに桜ちゃんは見つかる。私と目が合うと、緊張した表情ながらも、微笑んだ。手を上げて応えると、彼女はゆっくり入り口に向かって歩いてくる。
「こんにちは、桜ちゃん」
「こんにちは」
少し震える声で挨拶する桜ちゃんに、笑いかける。緊張しているのは私も同じだけど、経験の分だけ上手く隠せているだけだ。もう駅の中は誰もいなくて閑散としている。
太陽の光が窓から射し込むぽかぽかとした陽気の中で、こんなもやもやした気持ちのまま彼女を連れてバイクを走らせたくなくて、思い切って口を開いた。
「あのさ…」
「はい」
「私ね、桜ちゃんの事は好きだよ」
私の言葉に、黙って耳を傾ける桜ちゃんの表情は硬い。彼女は私の言葉をどう受け止めるのだろう。
「だけどね、私の'好き'は、貴女の'好き'とは、きっと違うと思う」
「…」
「私、同性に告白された事はないから、付き合うとかは分からないけど、桜ちゃんとは、このまま離れたくはないんだ」
「…」
「自分でもこんな風にしか言えなくて、ズルいって思うし、私が貴女の気持ちに応えられるかも、分からない。
だけど…もし、それで良ければ、私とこれからも一緒にいてくれないかな?」
「…良いんですか?」
「何が?」
「私が、貴女を好きでいても?」
不安そうな表情の桜ちゃんの頭に手を置いて微笑む。ふわふわの髪が心地良い。
「勿論。こんな可愛い子に好かれて、嫌なはずないじゃない?」
「だって、私も、涼さんも同性だし…」
「私は別に気にしないよ」
俯きがちな桜ちゃんを励ますように、明るく告げる。大丈夫、私は身近に良い例を知っているから…
「だから、大丈夫だよ。桜ちゃん」
少しだけ明るい表情になった桜ちゃんは、私を見上げてにこりと笑う。
「はい、宜しくお願いします。涼さん」
「こちらこそ、宜しくね。桜ちゃん」
片手を出すと、小さな手がそっと重なる。優しく握ると桜ちゃんは、嬉しそうに微笑んだ。その表情に、私も嬉しくなって微笑む。
「それじゃあ、行こうか」
「はいっ」
二人並んで駐車場に行き、バイクからヘルメットを取り出して、彼女に渡す。嬉しそうに受け取ると早速装着して、私の後ろに乗り込んだ。ぎゅっと回される腕から、以前は意識しなかった桜ちゃんの気持ちが伝わるようで、少しだけどきどきする。
「行くよ」
後ろを振り返り声をかけると、きらきらした表情の桜ちゃんが頷いた。
ゆっくり加速すると風が身体を駆け抜けていく。町を抜け交通量が少ない道に出ると、スピードを上げた。後ろから身体を押し付けてくる桜ちゃんに気付き、安全運転に切り替えると、山道に向かった。滝の公園に続く道路脇には、桜並木が並んでいて、満開を過ぎた今でも十分綺麗だった。スピードを緩めて、並木の間を走り抜ける。対向車はなく、両脇の桜が歓迎してくれる様にずっと続いていくのを、身体全体で感じると、自然の美しさに胸が締め付けられるようだ。
不意に、桜ちゃんの腕がぎゅっと私を掴んだ。その手を少しだけ握ると、身体が強張った後、顔を背中に押し付けられている感じがあった。ふと彼女も今、同じ気持ちだったのではないかと思いながら、桜のトンネルを進んだ。
駐車場には車が何台か停まっていたが、辺りに人影はない。エンジンを切っても私の背中から離れない桜ちゃんを、不思議に思い振り返ると、赤い目をしていた。
「桜ちゃん?」
「…ごめんなさい。何だか、あまりにも綺麗な光景で…」
恥ずかしそうに泣き笑いの顔で見上げる彼女が、嬉しそうに呟く。涙を拭い、バイクから降りる彼女に、一言「桜、綺麗だったね」と告げた。頷く彼女は、私の言葉をそのまま受け止めたようだが、私の中には、彼女の笑顔が残っていた。
公園の中に入ると、あちこちに山桜が咲き乱れている。車の割には人が見当たらず、私達は少し大きめの桜の傍のベンチに並んで腰かけた。
「はい、これ」
駐車場の自販機で買った冷たい缶コーヒーとジュースを出して、桜ちゃんに渡す。他にもバッグから色々なお菓子を取り出すと、彼女は目を丸くした。
「涼さん、そのバッグの中、全部お菓子ですか?」
「全部じゃないよ。半分くらいかな?
だって、お花見でしょう?」
「ふふふ。私も、一応お菓子持ってきたんですけど、食べます?」
「食べる、食べる」
桜ちゃんがそう言ってリュックから出したのは、タッパーに綺麗に詰められた小さなドーナツだった。
「これ、手作り?」
「はい、一応」
「手作りって、凄いね」
「いえ、作り方も簡単だし、大したものじゃないんですけど…」
「ねぇ、桜ちゃん。食べて良い?」
「どうぞ」
わくわくしながら、一口齧ると、懐かしい味が口の中に広がった。
「これ、ホットケーキミックスで作ったの?」
「はい」
「美味しいね」
缶コーヒーを開けて、ドーナツと一緒にお茶を楽しんだ。ぽかぽかとした陽気と、少しずつ落ちていく桜の花びらが、短い春の終わりを知らせているようだ。
「桜ちゃん、春生まれでしょう?
誕生日は終わったの?」
「はい、先週に…」
「そっか、残念」
「涼さん、良く分かりましたね」
「そりゃあ、名前に'桜'が付いていたなら春生まれでしょう?」
「涼さんの誕生日はいつなんですか?」
「秋だよ。年齢は聞かないで」
「どうしてですか?」
「20代も後半になるから」
「ふふふ」
何気ない会話の中でふと訪れた沈黙の後、桜ちゃんを見ると、彼女は目の前の桜の花をぼんやりと眺めていた。不意に強めの風が吹き、髪を押さえる桜ちゃんの後ろで、桜の花びらがさあっと散っていく。その一瞬の光景に私は心を奪われた。
「…」
弾かれた様に立ち上がる桜ちゃんを見ると、お菓子の袋が風に飛ばされたのを追いかけるところだった。呆然とする私を、不思議そうな表情で見る彼女に、無理矢理笑いかける。
「ごめん。ちょっと、ぼうっとしていた」
「大丈夫ですか?」
「全然大丈夫」
心配そうな彼女に微笑んで、私達は、そのままお茶を楽しんだ。
折角なのでと滝を散策してから駐車場に戻ると、陽が傾き、少し肌寒い。バイクの鍵を差し込んで、彼女を駅に送ってから午後の仕事をしようと考えていたら、ちょいちょいと袖を引かれた。
「涼さん、これからまた牛の世話をするんですか?」
「うん。だけど、桜ちゃんを送ってからで良いよ」
「私も手伝いたいです」
「へっ?」
「駄目、ですか?」
見上げる瞳に不安の影がよぎり、その表情に、私は拒否出来なくなる。
「…じゃあ、お願いします」
その言葉を聞いた途端、ぱあっと表情が変わるのを見て、この子に頼まれたら、私、何もかも断れないんじゃないかな…と思ってしまった。
そのまま家に帰り、玄関で服と靴を履き替えると、桜ちゃん用に薄手のジャンパーと長靴を渡した。小屋へ向かう桜ちゃんは、私の後ろを楽しそうについてくる。
「それじゃあ、残っている餌を集めて、水を代えてくれる?」
「はい」
その間に、床を掃除して次の日の準備をしておく。桜ちゃんが新しい餌をあげると、早速食べ始めた。
「牛の世話が楽しいの?」
「はい、こんなに大きな動物を世話するのは、動物園じゃないと出来ないと思っていたから」
「ははは」
「私、あれから色々調べたんです。この牛は子牛を育てるための牛なんですよね」
「おっ、凄いじゃん。正解」
「子牛っているんですか?」
「この小さな方」
「じゃあ、こっちがお母さん牛?」
「そう」
桜ちゃんは本当に色々調べたらしく、次々に質問してきた。私が分かる範囲で答えたが、普段思ってもみないような事を聞いてきたりして、考えたり、笑ったりする。
やがて、夕焼けが綺麗に見える頃、彼女を駅まで送っていくことにした。
「本当にバイクで良いの?寒くない?」
「平気です。涼さんにくっついていられるから」
照れながら、そう言う彼女が可愛らしくて、思わず桜ちゃんの頭を撫でると、赤い顔で「えへへ」と笑い返された。
駅の前で彼女を下ろし、手を振って別れると家に向かって走る。それほど気温は低くない筈なのに、帰り道の背中が、やけに寒く感じた。
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