第5話 大寒 (2)

「そんな事があったんだ」


私の目の前に座る友人が、興味深そうに言った。その目は、純粋な好奇心ではなく、明らかに私をからかおうという意図が見える。そんな彼女を無視して、その友人の隣に座る女性に視線を合わせた。彼女は少し困ったように、私を見たが結局助け船は出せないようだった。


「それで、その後は?」

「落ち着いてから、駅まで送っていった」

「それで?」

「終わり」

「はぁ!?どうして何もないのさ」

「どうして何かを期待するのよ?」


呆れた顔の私に挫けることなく、友人はにやにや笑いながら続けた。


「だって、折角会えたんでしょう?

少なくとも、涼に好意はあるんじゃない?

そのまま連絡先くらい聞きなさいよ」

「あんたと一緒にするな」

「良いじゃん、ねぇ?夏樹さん」

「ふふ」

「はいはい、毎度毎度、ごちそうさまです」

「あれ?涼、羨ましいの?」

「どこをどうしたら、そう聞こえるのか。

…本当に夏樹さんが気の毒になるわ。こんなやつの恋人なんて」

「はぁっ!?」

「あのっ、涼さん。私、全然大丈夫だよ。綾乃ちゃん、凄く優しいし」

「分かっていないな、夏樹さん。こいつには何を言っても分からないんだから、きちんとしつけなきゃ駄目だよ」

「私は、犬か!?」

「少なくとも、犬よりタチが悪いかも。だって、反省しないし」

「涼、良い度胸しているわね。私に喧嘩売ってるの!?」


いつもの様に言い合いになる友人に、動じることなく、にやりと笑って見せる。この間から気になっていた事を口にする絶好のチャンスだ。


「あら、そう聞こえたら、ごめんなさいね。

だって、仕方ないでしょう。私が夏樹さんに会う度に、いつも首元に何かが見えるんですもの。流石に一度や二度ならまだ黙っていたけど、こう毎回見えれば…ねぇ?

するなとは言わないけど、少しは気を使えば良いのに…」


「はん!所詮、独り身の僻みね。夏樹さんが可愛すぎるのがいけないんだもの。涼には分からないわよ。夏樹さんはね…」


「ストーップ!!」


私と綾乃の言い合いを、赤い顔のまま夏樹さんが止めた。仲裁よりも、むしろ、これ以上彼女に関することを暴露されるのを恐れたらしく、綾乃を睨む表情は、少しだけ怖い。


「綾乃ちゃん…」

「ご、ごめん、夏樹さん」

「…」


無言の夏樹さんに、ひたすら謝り続ける友人の姿は、私への態度と全く違う。夏樹さんも決して本気で怒っているわけではなく、私からすると、「お熱いことで…」と言いたくなるのだが、夏樹さんの怒りの矛先が私に向かうと困るので、彼女の見ていないときに、綾乃に向かってにっこり微笑んでやった。綾乃はそんな私の態度をむっと睨んだものの、夏樹さんの怒りを鎮めるために、あれこれと頑張っている。


そんな二人を放っておいて、目の前の料理に手を付ける。桜ちゃんとの一件以来、しばらくして、私は友人達と食事に誘われた。夏樹さんの恋人である綾乃は、元々私の古い友人だった。そんな彼女が私に引き合わせたのが夏樹さんで、初めて会ったときは流石に驚いた。彼女の'恋人'が、まさか女性だったとは思わなかったのだ。付き合うまで紆余曲折あったが、彼女達の仲は未だに良好だ。むしろ、私の前ではこうして毎回見せつけてくれる。私も、気心知れた友人達をからかうのが息抜きにもなっていた。


桜ちゃんの事を話すつもりはなかったのだが、先日は夏樹さんにお礼を言っただけで、そのまま別れてしまった。綾乃が席を離れた時に、何も聞かないでいてくれた夏樹さんにその後の事情を話していたところ、綾乃が勘づいて一部始終を話すことになった。二人とも信頼しているし、打ち明けても構わなかったのでこうして話をしたのだが、結局は、私も二人に聞いてほしかったのだと思う。


やっと落ち着いた二人にメニューを渡して、「他に何か食べる?」と訊ねた。個室の多いこの居酒屋は、料理以外にも種類が多く、三人で食事する時は大概利用していた。ぴたりと身体をくっつけたまま、仲良くメニューを眺める彼女達に、密かに苦笑しながら目の前の料理を食べ進める。夏樹さんは少食だが、綾乃は大食漢だ。きっと幾つか追加するだろう。

空いた皿を片付けて追加の注文を済ませると、自然と先程の話に戻った。


「しかし、流石、涼だよね。まさか女の子まで拾うとは」

「拾ってない」


私達の言い回しに、ピンとこなかった夏樹さんを見て、綾乃が説明する。


「夏樹さんは、涼の家に、犬のごまと黒い猫がいるのを知っているでしょう?」

「ええ」

「涼はね、昔から困っていたり、捨てられていたりしたものを見過ごせなかったんだ。ごまも、猫も…他にもたくさん見つけてきたんだ。


だから、困っていたその子も、涼は見過ごせなかったんだよ」


先程の態度とは変わって、しみじみと話す綾乃に、何も言うことなくグラスを傾ける。照れ隠しが半分だが、もう半分は私と綾乃にとって、あまり口にしたくない思い出が含まれているからだ。そんな私達の雰囲気を感じ取ったかの様に、夏樹さんが明るい口調で訊ねてくる。


「ねぇ、涼さん。岬の写真ってどんな物だったの?」

「夏樹さんは行ったことないよね?」

「うん、涼さんの家の近くの海しか見たことない」


夏樹さんの言葉に、私は岬の光景を思い浮かべる。もう、随分前の記憶なのに、印象が強かった為か、今でもすぐに思い出せる。


「そっか、一度行ってみると良いよ。

あのね、家の近くの海は湾内だけど、岬は外海なんだ。穏やかな時でも、波は荒くて力強い。だけど、どこまでも青くて凄く深い色なの。綺麗で、どこか怖いようなそんな感じがするよ。

岬まではずっと曲がりくねった山道が続いていて、海なんて全然見えないんだ。だけど、山道が終わる頃、急に視界が開けるの。港と、それに繋がる道路と、後はひたすらに大きな海。


桜ちゃんの写真はね、きっとそこで撮った物だと思う。凄く綺麗に撮れていて、彼女はきっと心を打たれたんだろうね。海も、空も真っ青で…その光景を見て、感動して。

もう少し頑張ろうと思ってくれて、生きることを諦めないでくれて、本当に良かった」


私の言葉の内を分かってくれたらしく、夏樹さんは微笑んだ。綾乃は何か言いたげだったけど、何も言わなかった。


「ねぇ、綾乃ちゃん」

「ん?」

「いつか、一緒に見に行こう?」

「…うん、そうだね」


どこか真剣な眼差しで夏樹さんを見つめる綾乃を、今度は私が黙っていた。


「二人でドライブデートだね」


おちゃらけた雰囲気を作って、綾乃が笑ったとき、注文の料理が運ばれてきた。少しだけほっとした雰囲気が彼女から漂い、私達はまた食事を再開した。



涼と別れて、並んで歩く帰り道、お腹も心も満たされて、静かな夜の雰囲気を楽しんでいると、ふと、隣から呼び掛けられた。


「綾乃ちゃん」

「ん、何?」

「岬の事だけど…

私、行かなくても良いよ」


「…どうして?」


思いがけない一言に、思わず足が止まる。何気なく訊ねたつもりが、これでは逆効果だ。夏樹さんは、そんな私に優しく微笑みかけた。


「綾乃ちゃんと涼さんを見ていたら、何となく、かな」

「…」


夏樹さんは、私と涼のちょっとした感情の動きを感じ取ったらしい。何と答えたものか考えていると、夏樹さんは、まるで私の心を読み取ったかの様に続けた。


「無理して言わなくても良いよ」

「夏樹さん…」

「私にとって、貴女達が大切な存在である事は、変わらないから」


そう言って、私の手を繋いだ彼女の表情は、私への信頼と愛情があった。


「…ありがと」


それだけを言って、私も彼女の手を握り返した。

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