第3話 大暑 (3)

自転車コーナーで虫ゴムを選び、何気なく辺りを見回すと、目についた物があった。


「少し自分の買い物もして良いかな?」

「は、はい。私は全然構いません」

「そんなに時間はかけないから、その辺を見ててね」


桜ちゃんと別れて、ツーリング用品売り場で、パンク修理の携帯キットと、ドリンクホルダー、ボトルをかごに入れる。レジ前に携帯食が置いてあったので、ついでにかごに入れて会計を済ませた。


(何やってんだか…)


他人の為に、自分でも構いすぎだということは自覚しているのだが、どうしても放っておけない。

桜ちゃんを探すと、入り口傍で、ぼんやりと外を見ていた。私に気付くと嬉しそうに近づいてくる。


「お待たせ」

「いえ、荷物、持ちましょうか?」

「大丈夫だよ、行こう」


荷物をリアボックスに入れ、彼女が乗り込んでからエンジンを掛ける。ぎゅっと回す腕と触れる身体が行く時よりもずっと近くて、それが、桜ちゃんとの心の距離を表しているようだった。


家に戻ると、ごまが'お帰り'代わりの鳴き声で歓迎してくれた。私の身体に回された腕に力がこもる。昨夜も行く時も鳴かなかったので、気がつかなかったのだろう。車庫に停車して降りた途端、案の定「びっくりしました」と言っていた。


「滅多に鳴かない犬だからね」

「あの子、名前は何ですか?」

「ごま」

「ごま、ちゃん?」

「私が、考えた名前じゃないからね」


大きな白い犬なのに、'ごま'の名前の由来がしっくり来ない桜ちゃんに、一言告げておく。私も変な名前だと思うのだが、名付けた本人と、名付けられた犬が納得してしまったのだから仕方がない。

リアボックスをあけて、レジ袋を取り出すと、そのまま自転車の傍に行き、買ってきた虫ゴムを取り替える。チューブをはめてから、空気を入れ、ついでにチェーンにグリスを塗っておいた。タイヤの空気圧をチェックして、空気漏れが無いことを確認すると、桜ちゃんに声をかけた。


「自転車はこれで大丈夫だから、部屋に置いてある荷物を取っておいで」

「…はい」


私の作業を後ろでずっと見ていた彼女は、はっとしたように家に入った。その間にドリンクホルダーを着けておく。

家に戻り、冷蔵庫のスポーツドリンクをボトルに入れて、準備をしている桜ちゃんにレジ袋の中身と一緒に渡した。


「?」

「これも、持っていきなよ」


中身を確認した彼女は、驚いた様に私を見た。彼女の表情に思わず、ぶっきらぼうな口調になってしまうが、仕方がない。


「でも…」

「私、自転車には乗らないから。これくらいならリュックに入るでしょう?」

「はい、ありがとうございます」


嬉しそうに私を見る彼女の視線に困り、そのまま外に出る。

一緒に外に出て、自転車を見た桜ちゃんはホルダーに気がつき、目を丸くした。


「これも…ありがとうございます」

「良いよ、大したものじゃないから」


リュックを背負い、自転車にまたがる彼女を見送るつもりでいたが、一つ気になって声をかけた。


「桜ちゃん、帽子持っていないの?」

「はい」

「そのままだと、日焼けするよ。ちょっと、待って」


以前友人から貰って、使わなかった帽子が家にあることを思い出し、急いで戻る。サイズもデザインも可愛らしくて、私には合わなかったのだ。


「熱中症になったら大変だから、持っていきなよ。新品だけど、貰い物だし、要らなかったら捨てて良いよ」


キャップ帽を被らせると、彼女に良く似合っていた。思わず微笑むと、彼女もはにかんだ。


「それじゃあ、気をつけてね」

「はい、本当に色々ありがとうございました」


彼女の顔を見て、どうしても伝えたかった言葉を告げる。赤の他人でしかない私の言葉の意味が、どうか彼女に届きますように…


「桜ちゃん」

「はい?」


「また、帰っておいでね」

「…はい」


キャップ帽を少し目深に被った桜ちゃんの声が、震えていた事に気づかないふりをして、私は彼女を見送った。

一度だけ振り向いて、手を上げた彼女はそのまま真っ直ぐ国道に向かって自転車をこぎだした。


後ろに見える青い空と、自転車に乗る彼女の姿が、私のその夏の思い出になった。


【改ページ】

桜ちゃんを見送ってから彼女からの音沙汰はなく、きっと大丈夫だったのだろうと思いながら、私も毎日の仕事に追われていた。残暑がようやく終わり、やっと外仕事が快適に行えるようになったら頃、数週間ぶりの雨で、仕事が早く終わった私は、久しぶりに友人を訪ねようと思い立ち、軽トラで街に向かった。


図書館の入り口に入ると、靴箱に靴は一足もなく、全てスリッパが並んでいた。どうやら、今日も利用者はいないらしい。遠慮なく中に入る。


「こんにちは」


ドアを開けると、カウンターの中から友人が顔を上げた。


「いらっしゃい、涼さん」


凛とした雰囲気の彼女は、微笑むと印象が変わる。穏やかな声と、優しい物腰が、図書司書という彼女の仕事にぴったりだと思う。


「久しぶり、夏樹さん。元気してた?」

「ええ、お陰さまで。涼さんは、仕事が忙しかったの?」

「うん、まあね。夏樹さんはどう?

ここの仕事も慣れた?」

「まだ全然。毎日、時間に追われているわ」

「大丈夫。夏樹さんなら、すぐに慣れるよ」


「ありがとう」


微笑む友人は、同性の私が見とれるくらい綺麗で、そんな彼女は幸せそうに笑った。その表情に、昔見た憂いはなくて、私は酷く安堵する。


「その様子だと、相変わらずラブラブそうだね」

「えっ!?」


みるみるうちに、顔を赤らめる彼女を、にやにやしながら見る。この人は私の昔からの友人の恋人なのだが、一度、相談を受けてから、たまに恋人との事で相談を受ける事があった。その内容も、私からすれば、のろけにしか聞こえないのだが、誰かに聞いてほしいという気持ちは分かる。友人から彼女を紹介されて以来、不思議に相性が良かったのか、私達はお互いに色々な事を相談する仲になっていた。


「…うん、毎日幸せだよ」


「…夏樹さん。そんな顔して、あいつにその台詞を言うと、また大変な事になるよ」

「えっ?そうかな」

「間違いなく、あいつが喜ぶ顔が目に浮かぶわ…

この間だって、一晩中寝かせてもらえずにそのまま仕事に来て、ふらふらしていたじゃない」

「!?あ、あれは…その…って、私、涼さんにそんな事話したかしら?」

「言わなくても分かるよ。目の下に隈を作っているのに、幸せオーラ全開で、にこにこしていれば。

本当にこの図書館を利用する人が少なくて良かったよ。勘の良い人なら、それくらいは気づくんじゃない?」

「!!」


案の定、彼女は真っ赤になって口ごもった。適当な憶測で言ったのだが、どうやら、夏樹さんには身に覚えがあるらしい。初めての恋愛にあたふたする彼女の様子に、私の友人への愛情が見えるようだ。気心を許せるからこそ、こうしてからかうことが出来る。彼女もそれが分かっているのだろう、肯定も否定もせず、赤い顔のまま、話題を変えた。


「最近、この図書館にも良く来てくれる人がいるのよ」

「へぇ、そうなんだ」


資格を取って、すぐに、前の図書司書の産休の為、引き継ぎもあやふやなまま慌ただしく赴任した夏樹さんは、利用者が少ない事を心配していた。だからこそ、私もこうして利用者名簿に名前を書いて、少しでも図書館に貢献しているのだ。実際は、ほとんど夏樹さんとおしゃべりしているだけなのだが。


「どんな人?夏樹さん目当てのおじさん?」

「私目当てって、いないわよ。

高校生かな?いつも鞄を抱えてくるから」

「図書館の静かな環境が、集中出来るのかな?」

「うーん」


私の適当な相づちに、彼女は少し考え込んだ。


「ひょっとしたら、誰かを待っているかも知れないの」

「どうしてそんな事が分かるの?」

「だって、その子ね、ここに来て勉強しているけど、利用者が来ると、必ず顔を確認するの。まるで約束した誰かを待っているみたいに」

「へぇ、何だかドラマみたいだね」

「でしょう。待ち人が早く来てくれれば良いけどね。閉館時間までずっとそんな感じで、何だか放っておけないの」

「毎日来ているの?」

「ええ、学校が終わったらすぐに来るみたいよ。

…もう少ししたら、来ると思うわ」


時計を確認した夏樹さんにつられて、私も時間を確認する。大分長居をしてしまった。そろそろ買い物に行かねばならない。


「じゃあ、また来るね」

「うん、ありがとう」


結局、カウンターから先に行くことなく、引き返した。ドアを開けて、夏樹さんに笑いかける。


「たまには三人でご飯に行こうって、言ってて」

「わぁ、私も行きたい。伝えておくね」


手を振って応えると、スリッパを履き替え、建物から外に出た。雨は小雨に変わり、明日は晴れそうだ。そのまま軽トラに乗って買い物に出掛けた。

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