第2話 大暑 (2)

ピリ辛の肉多めな野菜炒めとご飯、浅漬けを並べて、座る。


「頂きます」

「大したものじゃないけど、お代わりはあるからね」

「はい、ありがとうございます」


たまに訪れる友人の為に置いてあった食器に、ご飯をよそい渡す。「美味しいです」と綺麗な箸使いで食べる桜ちゃんは、余程お腹が空いていたのだろう、ぱくぱくと食べていく。そんな姿に笑いを噛み殺して、私もご飯を食べた。


後片付けを手伝ってもらい、お風呂の準備をしようと思いついてから、居間の水槽を覗き込んでいる桜ちゃんがふと気になって、声をかけた。


「桜ちゃん、シャワー使いなよ。汗かいたでしょう?」

「えっ、あ…」


案の定、彼女は戸惑う表情を見せ、その様子から着替えも何も持っていない事を知った。


「着替えなかったら、貸してあげるよ。洗濯して干せば、朝には乾くだろうし」

「…」


「事情があるなら、別に聞かないよ。

とりあえず、汗は流したいでしょう?」

「!?」


私の言葉に驚いた様子だったが、タオルと着替えを渡すと、小さく「ありがとうございます」と呟いた。

風呂場に案内し、「少しコンビニまで行ってくるから、ゆっくり入ってね」と声をかける。

急いでヘルメットと鍵を持ち、バイクに乗る。着替えは準備したが、下着は替えがなかったのでコンビニまで買いにいく事にしたのだ。いつでも、何でも揃えてあるコンビニの有り難さを噛みしめながら帰る。家に入るとまだお風呂場からシャワー音が聞こえていたので、買ってきた袋とついでに替えの絆創膏を置いた。


「桜ちゃん」

「は、はいっ」

「下着はあったんだけど、上が無かったの。一晩だけ、無しで大丈夫?」

「すみません。あの、全然構わないので…」


お風呂場に響く狼狽える声に、おかしさを堪えて続けた。


「置いとくから、使ってね」

「ありがとうございます…」


初々しい反応が、いちいちツボにハマる。一度、友人が恋人の事をそんな風に話していた事が脳裏によぎり、妙に納得した。


布団を客間に敷いて、クーラーをつけておく。無駄に広すぎるこの家には、部屋は幾つもあり、殆ど家具もないがらんとした部屋ばかりだった。盗られるものもない気楽さもあって、彼女を招いたのだが、どうやらそんな子ではない様だ。


「お風呂、ありがとうございました」

「ゆっくり、浸かれ、た!?」


振り返りその姿を見た途端、声が詰まった。私のサイズで一番小さな服を渡したのだが、彼女の細身の身体には袖も裾も長すぎて、俗に言う'萌え'な桜ちゃんがいた。濡れた髪と、上気した顔が幼さに妙な色気を加えていて、同性の私ですら、どきり、としてしまった。


「?」


不思議そうな桜ちゃんの表情に、我にかえると「それじゃ、ここで休んで良いからね」と声をかけて部屋を出た。


さっとシャワーを浴びて、髪をがしがしとタオルで拭きながら、廊下に出る。ずっと長かった髪を思い切ってばっさり切ってからというもの、手入れの楽さにもう伸ばす事が出来なくなってしまった。「その髪型とあんたの背格好だと、一見、男に間違われそうだよ」と昔からの友人は言っていたが、別の友人は「似合ってる」と誉めてくれたので気にしない。ぼさぼさ頭のまま、空を見上げると星が綺麗に見えた。


「明日も晴れかな」


仕事以外何も予定はないのだが、とりあえず一安心して客間を覗くと、布団の上で桜ちゃんが眠っていた。おそらく眠るつもりではなかったのだろうが、身体は疲れていたらしい。電気を点けたまま、掛け布団の上で丸まる彼女に、くすっと笑うと、タオルケットを掛けて、電気を消した。


自分の布団を居間に運んで寝転がると、静かな部屋に、外から虫の声が届く。スタンドをつけて、傍にあった本を捲る。しばらく読んでいたが、内容が頭に入らなくて目を閉じると、あっという間に、睡魔が襲ってきた。


スマホのアラームより先に、強い日射しが身体を照している暑さで目が覚めた。布団を畳むと、そっと客間を窺う。小さく寝息が聞こえている事に安心して、仕事着に着替え、長靴を履くと外に出た。


外に出ると、早速猫が近づいてくる。餌入れに餌を入れて、敷地の前に歩き出す。その先でロープを限界まで伸ばして、しっぽを振る犬が待っていた。


「ごま、ご飯だよ」


跳び跳ねる犬の正面に立つと、お座りの姿勢で私を見る。餌を置いてしばらく見つめてから頭を撫でると、嬉しそうに食べ始めた。

朝露がまだ足下に残る中、舗装されていない畦道を歩くと、少し離れた木造の小屋に向かった。中に入り、声を掛ける。


「おはよう」


返事はないけれど、私を見る二組の目が、今日も元気だと伝えている。体、足、床をチェックして異常が無いことを確認すると、餌と水を与える。餌を食べている間に、床の掃除をしてから小屋を出た。

いつもならそのまま畑の見回りに行くのだが、今日は彼女が心配で、家に戻る事にした。


玄関を開けると、ぱたぱたと桜ちゃんが走ってきた。既に着替えたらしく、少し緊張した顔で挨拶する。


「お早うございます」

「おはよう、昨日は、眠れた?」

「はい…すいません」

「そんなに謝らなくても大丈夫だよ」

「はい」

「ご飯にしようか?」


長靴を脱いで上がると、台所に向かう。昨日のうちに準備していた浅漬けサラダと、梅を刻んで混ぜたご飯をよそい、ベーコンを焼く。桜ちゃんも少し慣れたのか、食器を運んだりと手伝ってくれ、あっという間に支度が整った。

彼女と二人で囲む食卓は、いつもの朝より少し賑やかだ。


「ご飯食べたら、自転車の部品を買ってくるから、待っていてくれる?」

「あの、そこまでしてもらわなくても…」

「自転車がないと、行くことも、帰ることも出来ないでしょう?

部品も数百円位で買えるから、高いものじゃないよ。心配しないで」

「すいません。本当にありがとうございます」

「良いよ」


私が笑うと、彼女も微笑んだ。疲れた様子もないことに安心して一息ついていると、桜ちゃんが不意に何かを見つけた。


「水瀬さん」

「ん?」

「本、好きなんですか?」


視線の先に、昨夜読みながら眠ってしまったハードカバーの本があった。


「ああ、面白いからって薦めてくれたんだけど、読みながら寝ちゃってね」

「ふふ」

「これ、有名らしいんだけど、知ってる?」


本を手に取り、表紙を見せると、桜ちゃんも首を傾げた。


「うーん、タイトルは見たことあるけど、私もあまり本は読まなくて…」

「そんなものだよね。私も全く読まなかったんだけど、友人が図書館で働きだして、ちょくちょく会いに行くようになってから、少しだけ読むようになったんだよね」

「図書館って、どの辺りですか?」

「駅前通りの役場が分かる?あの裏」

「うーん。多分、分かります」

「そんなに大きくないけど、居心地は良いよ」

「そうなんですね」


時計を見ると、ホームセンターの開店時刻に差し掛かろうというところだった。


「そろそろ出掛ける準備するから、片付けようか?」

「はい、ごちそうさまでした」


食器を片付けて、台所に運ぶと桜ちゃんが洗ってくれた。その好意に甘えてお任せすると、出掛ける用意をする。財布、スマホ、鍵を持って、車庫に行き、もう一度自転車のチェックをする。

前輪タイヤのナットと虫ゴムをチェックすると、虫ゴムが傷んでいるようだ。念の為チューブを外して空気漏れを確認すると、他に異常はなかった。


「虫ゴムだけ変えれば良いかな」


立ち上がった傍にいつの間にか桜ちゃんがいた。


「凄いですね」


表情に出さなかったが、内心酷く驚いて心臓はどきどきしていた。


「やり方さえ知っていれば、誰でも出来るよ。

今はネットに色々書いてあるし」

「それでも凄いです」


桜ちゃんの尊敬の眼差しが、くすぐったい。照れ臭さを隠すように、「じゃ、行ってくるね」と告げて、隣のバイクにまたがると、彼女は更に目を丸くした。


「水瀬さん、バイク乗るんですか?」

「大した事じゃないでしょう?

高校生も原付に乗るじゃない」

「私、免許持っていないんです。良いな、一度乗ってみたい」


彼女があまりにも羨ましそうに私を見るため、思わず言葉が零れた。


「後ろ、乗せてあげようか?」

「…えっ!?」

「後ろがあるから、そんなに怖くないと思うよ。

一緒に買い物に行く?」


「良いんですか!?」


嬉しそうな桜ちゃんの表情に、断る理由が無くなり、玄関の奥に置いていたハーフヘルメットを取り出した。


「顎のベルトを調節してね」

「はい」


ヘルメットをかぶり、ロックを掛けた桜ちゃんは、手探りでベルトを調節している。慣れない仕草に悪戦苦闘しているのを見かねて手を伸ばした。


「少し上を向いて」

「…はい」


顎下のベルトを調節してから、きちんと合っているか顎とバックルの間に指を入れた。


「ひゃっ!?」


柔らかな肌に触れると、くすぐったかったのか可愛く声が聞こえた。気にせずに調節し終わると、桜ちゃんの頬が少し赤くなっていた。


(思春期の女の子は、同性でも触られることに、抵抗があるのかな?)


そんな事をぼんやり考えてから、ヘルメットをかぶり、バイクのスタンドを下ろす。後ろを指差すと桜ちゃんはこわごわと乗った。


「どこをつかめば良いですか?」

「私の身体。しっかり掴んでてよ」


バイクのキーを回すと、エンジンが掛かる。その音に驚いたのか、遠慮がちに私の身体に腕が回された。


「行くよ」


声を掛けてから、ゆっくり発進させると、振り落とされないように、彼女は腕に少し力を込めた。そのまま、ある程度のスピードで走り、国道に出る。


「大丈夫?」

「はいっ」

「じゃあ、街まで行くよ」


スピードは抑えてあるものの、下り坂を下っていくと、風が心地好い。この風を、彼女はどんな風に感じているのだろう。

すれ違う車も殆どないまま街まで降りて、ホームセンターの駐車場にバイクを停める。いつの間にか、ぎゅっと身体が密着していた桜ちゃんは、我にかえったかのように身体を離した。


振り返り、「マフラー熱いから気をつけて」と注意してから、先に降りるように促す。ヘルメットをつけたままの彼女の表情を見れば、聞かなくても分かるのだが、一応声を掛けた。


「どうだった?」


「凄く楽しかったです!!」


目をきらきらさせて、楽しくて仕方がないという様子の桜ちゃんに笑いながら「それは良かった」と返しながら、バックルがうまく外れずに困っている彼女の顎を上げて、ロックを外してやる。「ありがとうございます…」と、恥ずかしげな声に笑って、中に入った。

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