009-ゆれるこころ

 次の日、カナは学校に来なかった。


「カナちゃん風邪で欠席だってよ。学校に来る楽しみの8割が無くなっちまったいっ!」


「お前どんだけ学校嫌いなんだよ」


 呆れ顔でぼやく俺を見て、神崎はキザなポーズでチッチッチッと言いながら指を振る。


「違うぜっ。カナちゃんが来てから5倍好きになっただけさ!」


「なんつーポジティブシンキングだよ……」


 まあ正直なところ、時々この性格が羨ましくなるけれども。

 それから神崎は少し声のボリュームを下げ、耳打ちしてきた。


「……それにしても、天使が風邪ひくもんかね?」


「さあなぁ。アイツの場合は何考えてるか分かんないし、本業が忙しいのかも」


 昨日の放課後にカナと別れた際、彼女は『急用がある』と言って帰ったけれど、それが真実である確証は無いし、真偽を知る方法も無いのだ。


「いつもは普通の女子高生、だけどその正体は世界の平和を護る天使様~ってか。いやはや、まるでアニメのヒロインだな~」


「世界の平和を護るヒロインが、男子高校生に槍を突きつけて虫ケラ呼ばわりとは、ずいぶん斬新なこって」


 俺にツッコミを受け手神崎は苦笑しつつ、一限目の準備を始めた。


「……カナに確認したかったんだけどな」


 確認というのはもちろん、例の不審者の件。

 そいつの正体や目的が分からないにしても、せめて情報を共有出来れば何らかの対策が出来ると思ったのだが……。



◇◇



 今日の帰路はひとりぼっち。

 というのも、通学時に何も起こらなかったので、今日は帰りに何らかのトラブルに遭遇する事が確定している日なのだ。

 道案内ならまだしも力仕事に神崎を巻き込むと可哀想なので、単独で帰る事にしたわけである。


「さて、今日のミッションは何が来るかな」


 だが、俺が脳天気にそんな事を言った矢先に事件は起こった。



ピュイピュイピュイピュイ!!!


「誰か助けてーーーーーっ!!!」



「っ!?」


 近くの路地から、大きな警告音と女の子の叫び声が聞こえた!!

 俺は慌てて声の聞こえた場所に駆け込むと、そこに居たのは防犯ブザーを握りながら涙目で震える小学生の女の子と……


「マント姿の男……!?」


 呆然と呟く俺の姿を見るや否や、男はニヤリと笑った。


「た、助けてぇっ!」


「早く逃げろっ!」


 半泣きの女の子の手を引いて逃がしつつ、俺は男の前に立ちはだかるように両手を広げた。


『なるほど、さすが勇ましいな』


 ――男の言葉に悪寒が走る!

 全力で俺の"本能"がこの場から逃げろと訴えかけてくる。

 コイツは危険だ!!


『我が名はヴァンピル! 魔王様の忠実な下僕であり、そして勇者……つまり、貴様を冥府へといざなう者である!!』


 口上と同時に凄まじい威圧感が押し寄せてきた。

 ……くそっ、やっちまった。

 まさか人助けで飛び出して、最も出会ってはいけないヤツに遭遇するなんて!


「何言ってんだアンタ。人捜しならお巡りさんに尋ねる方が良いんじゃないか?」


 平静を装いながら話しかけるものの、微妙に声が震えてしまう自分が情けなくて笑えてくる。


『オマワリサンとやらが何なのかは分からんが、この世界の人間共はどうにも臆病でな。私が話しかけただけで逃げ出す始末だ』


 こんな怪しい輩にいきなり話しかけられたら、そりゃ逃げるに決まってるだろう。

 どこからどう見ても不審者だ。


『さて、無駄話もここまでだ。私は一刻も早く、貴様の首を魔王様に届けねばならぬのでな』


 ヴァンピルは再び殺気を放ちながら歩み寄ってくる。

 その右手には不気味に曲がった刀が握られており、明らかに命を奪う事を目的とした刃がギラリと光っている。

 ――これは冗談無しでヤバい!!

 万事休すかと思ったその時……!



『なるほど、お主が例の不審者という奴じゃな』



 二人の前に姿を見せたのは、重そうな買い物袋を抱えたセラだった。


「セラ!!」


『真打ち登場じゃ。我輩が来たからには、もう安心するがよい』


 セラはそっと買い物袋を地面に置くと、俺の隣に並んでヴァンピルを睨む。


『我が名は死神セラ。お主の相手は我輩がしてやろうぞ』


『ほう? その姿、この世界の者では無いな。しかし、そのような小さな身体で私に挑むのは、いささか無謀ではないかな?』


『ふん、余裕をぶっこいていられるのも今のうちじゃ。さあリクよ、頼んだぞ!』


「おう!」


 俺は早苗姉さんに言われてやった時の事を思い出しながら、セラの繋がる光の道筋をイメージする。

 セラに元の姿を戻ることを許れば、奴を倒す事だって……



 ――元の姿に戻った死神セラは、貴方を殺害して勇者の能力を奪う事が可能です。



「っ!?」

『痛いっ!!』


 繋がりそうになった光の帯がいきなりいばらのように鋭く尖ると、その小さな左肩を薙いだ。

 セラは右手で肩を押さえながら、痛みに顔を歪めてこちらを振り向く。


『り、リク? お主、一体何を……?』


「どうして……」


 自分の右腕から伸びた光の帯は、そのまま砂のように崩れて消えてしまった。

 動揺する俺達の姿に、ヴァンピルは満足そうにわらう。


『ふははは、愉快愉快! 愉快すぎるぞ貴様らッ!!』


『くっ……リク、もう一度っ! ……リク?』


 セラに問いかけられたものの、どうしても目を合わせる事が出来ない。

 その理由は自分でも分からないけど、何故か震えが止まらない……。

 どうして……!?


『死神とやら。どうやら勇者は貴様に畏怖いふを抱いているようだぞ?』


『っ!!』


 セラはとても悲しそうな顔で何かを言おうとしたが、耐えるようにぐっと言葉を飲み込んだ。

 そして、右手を宙にかざすと周囲から黒いもやが集まり、セラの手と同じくらい小さな鎌が握られる。


『それで私を倒すつもりかね?』


『まさか、そこまで我輩は馬鹿ではないぞ』


 セラはくるりと振り返ると、再び俺の目を見つめた。

 しかしその顔は先程の悲しみに満ちたものではなく、とても優しい笑顔。

 だけどその笑顔が悲しくて……。


『リクよ、早苗のところまで逃げるのじゃ。我輩がそれまで時間を稼ぐ』


「で、でも……!」


『早く行けっ!!!』


 セラの怒号に圧され、俺はその場から逃げ出した。


『おやおや、自らの命と引き換えに自分を見捨てた御主人様を護るとは、何とも従順な犬だな』


『……ふん』


 セラは不満そうに鼻を鳴らすと、誰にも聞こえないように呟いた。


『護ってやると、約束したからの』

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