その心は正義感とは限らない

 「はっ!? こっ、ここはどこです!? あなたは誰ですか!?」


「気付いたら気付いたで元気がいいな、あんたは」


 目を覚まして早々、そいつは元気に叫んだ。そりゃ、酔いどれてから一晩中寝てたんだから当たり前か。


「おはよう、ウラウラ。あ、そいつも起きてたのか。何て名前だっけ? 佐知代さちよさん、だっけか?」


 カチュキが、あたし達のいる神と眷属の間に入ってきた。ちなみに佐知代――サチョはここに来てから、ずっとソファで横になってた。サチョはカチュキを見るなり、弾かれるように立ち上がった。


「あなたは、まさか脱獄犯の森長勝幸!? ここで遭ったのが、あなたの運の尽きですね。脱獄の現行犯で逮捕しますよ! ……ってあれ?」


 勇ましく喋ったのまでは良かったけど、自分の身に何かが無いことに気付いて、サチョは急に辺りをキョロキョロ……。


「あんたが探してるの、これだろ?」


 あたしが見せたのは、片方にサチョのフルネーム『順道じゅんどう佐知代さちよ』と『巡査長』という階級名が書かれた顔写真、もう片方に菊を模したエンブレムが施された二つ折りの革製の小物——警察手帳。それと、手錠とか無線機とかそういうの。懐から出したのではなく、次元の狭間から出して念力で一式を浮かせてる。


「それは――!? 返しなさい! 公務執行が――あたっ!!?」


 何が起きたかというと、取り返そうとしてサチョが一式に手を伸ばしてきたので、額をデコピンで弾いてやったら向かいのソファまで吹っ飛んだ。ついでに、勢い余ってソファも動いた。


「……何者なんですか、あなたは!?」


「神」


 デコピン食らって頭の冷えたサチョに、あたしはニヤリと笑みを浮かべて自己紹介。


「多次元宇宙最大にして最凶、原点にして頂点、全ての悪を司りし邪神アンリ=マンユ、その一族の末裔、アンリ=マンユ・ウラウラだ。このアース次元に悪と混沌をもたらし、カー業魔奴カルマナで満たすためにやって来た。要するに、あんた達にとって不幸な世の中にするためにやってきたってわけ。お近づきの印に、あたしのこと、気さくにウラウラ様って呼んでも構わないよ。はっはっはっはっは」


 サチョの顔が引きつった。今までのようなキョトン顔じゃない。本気で血の気が引いてる。まあ、今回は事前に念力を披露したり、デコピンで吹っ飛ばしたりしたからな。今までよりは説得力が違うと思うよ。ふっはっはっは。


「神が本当にいるだなんて……。なら、そこにいる森長勝幸を脱獄させたのも、あなたの仕業ですか!?」


「その通り! 凶悪犯を世に放って町中を滅茶苦茶にしてやるために、解放してやったってわけ。……蓋を開けたら全くの無実だったけどな!」


「……え?」


「こいつの記憶を見たら、マジで殺しをやってなかったんだよ。恋人を殺したのは別の奴で、こいつはハメられただけだった。まったく、酷い話だよね。大切な恋人を殺されて、まさかそれを自分のせいにされちゃうなんてね」


 まして、そんな目に遭った奴を、外ならぬあたしが解放しちゃったんだからね。邪神としてマジであるまじき行為だよね。酷い話だよ、まったく。


「そんな話、信じられません……!」


「……なんだ? あんたもあたしの言ってることが信じられねえのか!? あたしはな、昨日の夜、あんたが橿湾亭で一人酔いどれてた時、隣にずっといた。で、あんたが酔っぱらって寝ちまった時、あんたの記憶を全部見たんだからな! あたしは、あんたが知ってる全てを知ってる。なんであんたが、あそこでバカみたいに飲んでた理由もな!」


 顔をサチョへとずいと近付け、自分の甲高い声を可能な限り低くする。


「昨日未明、あんたは逮捕状を発行した『イヌヤモウ』警部と一緒に、川島カワシマ宗平ソーへーって奴を逮捕しに、そいつの実家へ行ったよな? 罪状は、収賄。で、あんた達はそいつをパトカーに乗せて橿洲市の警察署へ連れてった。ところが、署長の達田タダって奴が、いきなりソーへーの逮捕を取り下げた。結果、イヌヤモウ警部とあんたは、不当な逮捕をして一般市民の自由を奪った悪い奴だという烙印を押され、謹慎処分を食らった。違うか?」


 サチョから「うぐっ」と息を飲む音が聞こえてきた。ま、知らん奴から隠したい秘密を暴露されりゃ、誰だって冷静じゃいられんよな。


「ち、違いません。……ですけど、それが真実だからとて、森長勝幸の無実が真実とは限らないでしょう? 私の情報が真実だからそれも真実であるとは、話の筋が通っていません。そっちが嘘であるとも言えますよ」


「ふーん、流石は警察官だ。そういうのはとっても鋭いね」


 けど、あたしは黒い笑みを絶やさない。


「信じないのは勝手さ。でも、神を信じない奴には相応の報いってもんを与えてやるよ。そうだな、今回の川島カワシマ宗平ソーへー逮捕の件とか、橿西地区で起きた窃盗事件とか、あんたの記憶にある捜査情報をSNSで全部ばらしまくってあげようか? そうなれば、あんたは情報漏洩をした罰として、今度こそ警察をクビにされちゃうかもね」


 サチョの顔が再び青くなってきた。ここで、あたしは畳みかける。


「今って不景気だよね。いちど無職になっちまったら、よほどのことが無い限り誰も雇う余裕がない。まして、会社の守秘義務ひとつ守れないような奴を雇おうなんて猶更無理だよね。あんたも自力で稼げなきゃまともに暮らせないこのご時世、就職すら出来なきゃ生きていけるわけがないよなあ!?」


 この後も、サチョはなんか言い返そうとしてた。けど、ここまで孤立した空間で弱みを握られちまえば、最早なにも策もあるまい。陥落まで時間はかからなかった。


「分かりましたよ。森長勝幸が無実であると、信じます。ですから、私の記憶の捜査情報だけは……」


「分かればいいんだよ。ふはっはっはっはっは。ま、ソファで寝てるあんたが風邪ひかないように毛布かけてやったのもカチュキなんだ。あんまり、悪い奴だと決めつけすぎるのは良くねえぞ? それに、あんたにはもうひとつ、あたし達に『借り』がある」


 ついでに、あたしが懐から見せてやったのは、あたしが代わりに払ってやった橿湾亭のサチョの領収書だ。


「酒代だけで二万円。これ、あんたの懐事情から察するに、無理な額なんじゃねえのお? ただでさえ、これから金が貰えない謹慎期間になるっていうのに。あたし達がいたから何とかなったんだ。あんたは、むしろ感謝すべき立場なんだよね。はっはっはっは」


 サチョのリアクションが思ったより薄かった。ま、さっき弱み握って揺さぶりすぎちゃったからかな。仕方ねえか。ふっはっはっは。


「なあ、ウラウラ、ちょっといいか?」


 ここで、カチュキが横から声を掛けてきた。


「警察官である佐知代さんが、俺の無実を信じてくれたのはありがてえ。けど、なんか俺達の味方にするような流れになってねえか? 絵美の親父の逮捕に関わってはいたけど、佐知代さんは別に俺達の目的とは関係ねえ気がするんだが?」


「そう思うだろ? けど、サチョの記憶とスマホの中身調べたら、あんたの記憶との共通点が見つかったんだよ」


「!?」


 眉を潜めるカチュキの為に、あたしはサチョのスマホの中身を見せた。そこの『親友』というカテゴリに書かれてあった文字列に、カチュキは眼を見開いた。


宍道ししどうしのぶ……!? 嘘だろ!? なんで……!?」


「そりゃそうなるよな。なんてったって、あんたが最初に殺人犯として捕まった事件の被害者の名前なんだからよ」


 カチュキが知らないわけがない。奇跡的にも無実を勝ち取れたものの、カチュキはこの事件のせいで町中から避けられた。カチュキが全てを失った最悪の悲劇の序章の中心にいたのが、この『宍道忍』なんだ。そりゃ、カチュキの記憶に強く残っててもおかしくはねえよな。


しのぶねえは、私にとって年の離れたお姉ちゃんのような存在でした」


 ここで、サチョがポツリと口を開いた。あたしとカチュキがそっちを向くと、サチョは話を続ける。


「忍姉と私は昔からいつも一緒で、自分で言うのもなんですけど、町でもどうどう姉妹しまいと呼ばれちゃうくらい色々と有名だったんですよ。でも、忍姉が警察官になった後、ある日連絡が全く取れなくなっちゃって……その後です。忍姉が何者かに殺されたのは」


 サチョの視線がカチュキを向く。さっきまでより強い視線で。


「事件では森長勝幸――あなたに容疑が掛かってましたけど、証拠不十分とかで無実にされて、結局うやむやにされました。だからあの時、決めたんです。警察官になって、忍姉が死んだ真実を明らかにしてやるって。森長勝幸が犯人じゃなかろうがどうでもいい。真実が知りたいから、警察官になったんです」


 続いて、サチョの視線はあたしの方へ。


「間違ってないですよね? あなたは私の記憶を見たのですから」


「そうだね。あんたの言ってる光景はよーく映ってたよ。あんたの人生において相当デカい存在だったみたいだね。——だから、サチョ、お互いに気になってる部分が被ってる以上、ここは協力関係と行こうじゃないか。そうしてれば、あんたの記憶にある捜査情報は全部黙っといてやるよ」


「……本当ですか!? それは、ありがとうございます。……でも、一個だけ訂正してほしい所があるので、そこだけいいですか?」


「訂正?」


「私の上司は『イヌヤモウ』警部じゃないです。犬山いぬやまたける警部です。そこだけは、せめて」


「発音しづらいからお断りだね。カチュキ、あんたが代わりにこの約束を守りな」


「なんだその約束は……。てか、次いでにだが、その犬山警部ってのも何者だか俺にも教えてくれねえか? 逮捕を取り消された話から察するに、署長と対立してるような感じだったが?」


「犬山警部は、私が『道道姉妹』だった頃から世話になってた警察官でした。私が警察官になった時も親身に接してくれて、他の警察官や町の皆からも慕われていたベテランで、いづれ橿洲市の警察署長になるんじゃないかな? って思われてた人なんです。


 達田たつた大義ひろよし署長については、対立してるというか、いつ犬山警部が署長になってもおかしくないはずだったのに、急にあの人が署長に選ばれちゃって……。ある意味、署長の座を突然横から感じになっちゃったんです。私たちは、犬山警部が署長になって欲しかったんだけどなあ。まあ、あの人は『橿洲市浄化作戦』を成功させた第一人者でしたから仕方ないですけどね」


「『橿洲市浄化作戦』!? また、知らないワードが出てきたな」


「知らない? 橿洲市の住民なら誰もが知ってるでしょう? この橿洲市からヤクザがいなくなった伝説的な事件ですよ!?」


「は? 俺、普段ニュース見てねえから知らねえし。それに、橿洲市からヤクザがいなくなった? 意味わかんねえ。こことか、ついさっきまで活動してた義龍聯合っていうヤクザの本拠地なんだが??」


「義龍聯合? そっちこそ、なに言ってるんですか? 義龍聯合なんて組織、この町にいるわけないでしょう? それに、私も当時は学生で今も下っ端ですから、これ以上の詳しい情報は知りませんよ?」


 困惑の視線をカチュキが、懇願の視線をサチョが、それぞれあたしに向ける。あたしは肩を竦めて答えた。


「サチョは嘘ついてねえ。でも、今はこれ以上色々聞いても収拾つかなくなるのがオチだと思う。一旦、情報を整理するために解散しよう」


 というわけで、あたし達はサチョを帰すことにした。


「サチョ、今後もよろしくね。連絡先はキッチリ押さえたから」


 カチュキのスマホの中身を見せながら満面の笑みを浮かべて握手してやると、サチョは困ったように苦笑いしてた。


 サチョが館を去る。義龍聯合の本部は小高い丘をぐるぐるっと周る道のてっぺんにあるから、ちょっとしないうちにサチョの後ろ姿は、館を囲う雑木林の陰に隠れて見えなくなる。


 サチョの後ろ姿が見えなくなってしばし、カチュキがぽつりとつぶやいた。


「しかし、なんか不思議な気分だな。俺と接点があったとはいえ、まさか警官が味方になってくれたとは。……ほとんど、ウラウラが脅した形だったが」


「細けえことはいいんだよ。ま、サチョのおかげで新しい情報が色々得られたのは事実だ。『道道姉妹』や『橿洲市浄化作戦』についてはさておき、今回得られた一番の情報は、犬山警部イヌヤモウ達田署長タダがギクシャクしてる――警察が組織として一枚岩になってねえってことだ」


「俺、今でも記憶に残ってんだが、初めてウラウラが警官を殺した時、ブチ切れて喚き散らしてたよな? 察するに……要は、達田署長はERISをばら撒く側の人間なんじゃねえか? となると、そいつに対立してる犬山警部は、実は良い奴って可能性も」


「いや、それはそうとも限らねえよ」


 あたしは顔をカチュキに近付け、去ってくサチョになるべく聞こえないように気を付けつつ話を続けた。


犬山警部イヌヤモウがERISについてどれだけ知ってるのかは分からねえ。けど、いくら達田署長タダがERIS側だからって、犬山警部イヌヤモウが『世のため人のため』を考える高潔な奴だと決め付けるのは早計さ。


 確かに、サチョの記憶から見た犬山警部イヌヤモウは、警察官として模範的に振舞う良い奴だ。警察署長ってのは、そういう奴がなるべきだ。でも、そんな自他共に認める『優等生』が、なんか突然デカいこと成し遂げたポッと出の下の奴からいきなり署長の座を奪われちまったら、そいつはどう思う?」


「……まあ、なんか裏があるだろう。とは、思うかもしれねえな」


「そ。で、達田署長タダに本当に『裏』があった場合、犬山警部イヌヤモウみたいな奴は真っ先にそれをぶっ叩くのさ。それは、『世のため人のため』という高潔な正義感からじゃない。何だと思う? 嫉妬心さ。周りからも認められるほど模範的だった自分が署長になるべきだったのに、お前みたいな奴が署長なんかになってんじゃねえよ。っていう、嫉妬心さ。正義とかいう高潔なもんじゃねえよ」


「マジか。考えすぎじゃねえか?」


 あたしはさらに口端を吊り上げる。


「いや、正義感と嫉妬心って似てるんだよ。『自分は真面目に生きているからこそ良い思いをするべきである』っていう素朴な感情があるからこそ『それなのに不真面目な生き方をしている奴が自分以上に良い暮らしをしているのはずるいから許せない。引きずり落としてやる』っていう悪意が誰からも出てくる。あたしがカチュキをこの館に住まわせてるのもそのため。それだけで、さっき言った理由で善良な市民からカー業魔奴カルマナがバンバン出てくるからな」


「それを言われると、分からなくは……ねえな」


犬山警部イヌヤモウも一緒だよ。今、達田署長タダと対立してるのは正義からじゃない。何もかも引きずり落としてやる嫉妬さ。そんな奴が達田署長タダの代わりに署長の座に就いたところで、ろくな世の中にならねえよ。ちょっといい暮らししてる奴になんか悪いことしてるって難癖付けて捕まえるだけの簡単なお仕事しかしないんじゃねえのお? カー業魔奴カルマナが増えこそすれ、フーク業魔奴カルマナなんて増えねえよ。


 犬山警部イヌヤモウ達田署長タダ、どっちが勝っても結果は同じ。最後に笑うのは、このあたしなんだよ。ふはっはっはっはっは!」


 もしかしたら、この高笑いはサチョに聞こえてたかもしれない。


 まだ日が高いのに今日は冷えるなあ。あたしの仮説にカチュキがビビりすぎてるのが伝わってるのかな? 決して、こめかみから滲んだ汗が外気に触れたからじゃないぞ。ふっはっはっは。

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