第16話ビーズとバジル

 今朝もペットのことで揉めた。


 リスティは庭に動物園を造ると言い、他のものはそれに反対した。

 唯一、ヴァネッサだけはおもしろそうに賛成してくれる。

「いいじゃない、それ。――あと窓からキリンにエサあげるっていうの、子供のときから夢だったのよ」

「ねえヴァネッサ。私、ライオンにエサをあげてみたいわ!」


 盛り上がるふたりは瞳をキラキラと輝かせて、喜色を投げ合った。

 長い食卓に着いて、リスティは朝食もなおざりにおしゃべりに夢中だった。

 バタールは薄く切られ、オリーブオイルで表面だけ軽く焼かれている。

 一枚はアボカドペーストが、もう一枚はトマトソースにスクランブルエッグが乗せられて、どちらも荒くひかれたコショウが、ピリッと眠気を覚まさせた。


 気持ちのいい朝日は食堂の窓を開けさせていた。

 白一面に広がるテーブルクロスにはリスティがひとり、そのほかは壁際で背筋を伸ばす。

 朝露はバラのアーチを潤わせて、楽しそうに小鳥を迎えた。

 さえずりは物珍しそうに、そんな食堂を眺める。


 吹き抜けの天窓からは明かりを、庭に面して開かれた五つほどの出窓は空気を取り入れていた。

 冷えすぎないくらいのアイスティーにちょうどいい朝だった。


「……そうおっしゃられましても、動物の飼育というものはとても大変なことと――」

「ねえクロカワ。あなたはあの小鳥にエサをあげてきなさいな。一日中そうしてなさい」

 段々と泣きそうな顔になったクロカワは、ついに黙ってしまった。

 かまわずにリスティは続ける。


「大叔母様もネコを飼っていらしたわ。そして、一般家庭でもペットを飼ってもおかしくはないのでしょう?」

 黙ったクロカワに代わるように雨嘉ユージアが返した。

「ネコは構いませんが、いささかお嬢様のイメージは壮大過ぎるのでは。――ペットというのはおおよそ室内で飼育するものです。イヌやネコや、ウサギなどです」

「だったらオオカミでもライオンでも、ユニコーンでもいいじゃない」

「大変に獣臭くなるかと。生き物はきれいなだけではありませんよ」

「だから館から離して、気分のいいときに見物にいこうと言っているの。気分の落ち込んだときでもいいわ。きっと心を慰めてくれるでしょうね、あなたたちと違って」


 リスティはバタールをかじる。

 たくさんのハーブで煮込まれたトマトソースに、ほのかにバジルの香りがしたので、外を見やった。


 あの槍――長いこん棒のような、ジギタリスの先っぽで、泣き出しそうなクロカワの頬を、なじってやろうかと考えていた。

 どんな悲鳴を上げるのか、もしかしたら侍女を踏みつけるときのように喜ぶかもしれない。

 そんな想像をしていたら、ニヤリと口元が上がってしまった。


 食事係のガーランドもほかの侍女たちも、感情を離したように無表情に徹している。

 こういうリスティのわがままには、口を挿まないほうが賢明だと知っているようだ。

 というか、リスティに同意を求められることをさけて、みな床の一点を見つめて立っていた。

「――もう行くわ。クラブ活動もあるから私は忙しいの。ごちそうさま」


 その場のものはみな、――ヴァネッサ以外は、ほっと胸をなでおろすと食堂を出るリスティを見送る。

 そしてぞろぞろと玄関へ移動した。


 玄関のホール脇には、壁掛けフレームの観葉植物が一斉に飾られている。

 そのうちのサクラランの縁取りのものは、大きな鏡だった。

 ローファーにかかとを入れ込んで、その姿見に目を通す。

「ねえ、どうかしら」


 クロカワはリスティの機嫌を取ろうと、いつも以上に言葉を選んで言う。

「大変にお美しゅうございます。隠すも高貴なそのお姿に、これではいつ殿下の身位がばれてしまわないか私めは心配でございます」

「ねえクロカワ、あなたに聞いていないわ。それと一般の生徒としてどう見えるか尋ねているの。――ねえ雨嘉ユージア、あなたはどう思う?」

「一般の生徒は、侍女に腰かけて靴を履きはしません」

「まあ……! そうだったわ! ――ほら、用が済んだら早くお行きなさい!」

 リスティは四つん這いにしていた侍女を立たせた。


 だとすると次から靴を履くときは何に座ろうかと、玄関ホールに視線をめぐらせたがすぐにあきらめた。

「――ねえ雨嘉ユージア。私が座ったものが椅子になるのに、探す必要があるのかしら。私ね、教室の硬い椅子にも座っているのよ? だって一般生徒だもの」

「お戯れはいい加減にして、参りましょうか。今日も遅刻しそうです」

 リスティは納得がいかないまま車に乗りこみ、屋敷の一同に見送られた。




 教室に入ると、大あくびがニカッと笑った。

「おはよリスティ」

「まあ……! バーシア、具合でもよろしくなくて?」

「いや、眠いだけ。――ほら、オカルトって意味を調べようと思ってさ……」

 バーシアは伸びをすると机に伏せた。

「……家でネットで調べようとしたんだけどさ、ケーブルの契約がまだでさ、手続きをあれこれしてたら寝るの遅くなってさ」

「……よくわからないけど……。引っ越しをしたばかりだから差し障りがあるのね。わかるわ、うちもそう、内装も外装も気に入らないと大変よね。――今朝だってペットを飼うかでまた揉めたもの」

「ああ、引っ越しって面倒なんだよな。――ペットかぁ、アタシも飼いたいな」


 朝のクラスはにぎやかに、何の飾り気もない教室にさまざまな話題が咲いている。

 のっぺりとした席が並び、単なる布切れのカーテンが垂れ、生徒は見栄えもしないドレス――制服姿で談笑している。


 まずは蛍光灯をシャンデリアにすることからかと、リスティは考えていた。

 クラスの華係として、教室を華々しく変えなければならない。


 そのひとつとして――だろうか、担任にわたされたガラス瓶を、とりあえず教室の後ろに並ぶ棚の上へと置いた。

 インスタントコーヒーの空き瓶とか言っていたか、よくはわからないが、これに花を挿すらしい。

 このような飾りもない瓶を花器にするなど聞いたこともないが、先生の言うことは聞かなければならないのだ。


 バーシアは席にうつぶせて寝ている。 

 その隣――アリィと水音みずねの席には、カバンだけが置かれていた。

 持ち主はいないが、もう登校はしているのだろうとカバンを見つめる。


 ――ビーズアクセサリーがない。


 ネズミのステッチはどこか憎らしくも可愛らしくもあった。

 ぶら下がっていたはずなのに、今日は付いてないことに首をかしげると、ふたりが現れた。


「おはよ、リスティ。――バーシアどうしたの?」

 水音みずねはバーシアをのぞき込んだ。

 バサリと広がる栗色の髪からは、手で答えるが返事はない。

水音みずねちゃん、おねむのようですよ。起こさずにいましょう?」

 アリィは人差し指を口元に当てて、静かに言った。

「――学園内を少しまわっていたんですが、タロゥは見つかりませんでした」


 リスティは人差し指を下唇に当てて考える。

「タロゥ――きのう言っていたカードね。水音みずねはその気配というか、魔力がわかるのよね?」

「うん、近づいたらわかるし、いたところもわかるんだけど。……その気配はあるの、学園のいろんなところに」

 水音むずねは革表紙の手帳を抱くようした。

「――だったら、見つかるんじゃなくて?」

「いろんなところ過ぎるんだよ。学園中を動きまわってるみたいなの。……やっぱり、紛失事件ってタロゥのせいだ……」


 水音みずねは小さく声と肩とを落とす。

 学園内では、最近よくものがなくなっている。

 それがタロゥのいたずらという可能性は高い。

 しかし、タロゥとはいったいどういうものなのか、リスティにはわからずにいた。

「――ああ、なくなったといえば、ねえ水音みずね。ネズミのアクセサリーはどうしたの?」

「うん? アリィにもらったやつ?」

 きょとんとして、水音みずねはリスティの目線をたどる。

「――ない!」

 水音みずねはカバンをひっくり返しそうな勢いで、あるはずのものを捜す。

 よほど大切にしているのだろうか。周囲に落ちていないか確かめ、カバンの中まであさり出す。

 クリクリとした瞳が、淀んだように焦りや悲しみのそれに変わっている。


水音みずねちゃん、どこかで落としたんでしょうか――」

 そこまで言うと、アリィははっとする。

 泣き出しそうな水音みずねも、気づいたように顔を上げた。

 同じことを考えたのだろう。

「――タロゥ」

 リスティもそう考えた。

 ただ、いまいち釈然とはしないものがあった。


 ――そんなに困るものかしら。


 とても高価なものには見えなかった。

 見た目は可愛らしくても、宝石ではないし貴金属でもない、魔法のものでもない。

 母のブランド――アミコルージュみたいな、どこかの高級ブランドなのだろうか。


 なくしたら、買い直せばいいじゃないか。

 それほどに気に入っているのだろうか――。


「ねえ水音みずね、あれっていつから持っていらして?」

「えっとね……今朝はちゃんとあったの。教室を出るときにもあった。手帳を出したときに見たから間違いないよ」

 会話にずれがあったようだが、リスティは人差し指を下唇に当てて考えた。

 水音みずねの言葉を飲むように息を吸う。

「――私が来たときにはなかったわ。なくなったのはそれまでの間ではないかしら」

「うん……」

 バーシアがむくりと起き上がる。

「――気づかなかったぞ?」


 後ろ髪をいちど指で束ねて、するりと散らす。

 シャンプーの花の香りがふわっと広がった。

「いやさ、半分ねてたのもあるけど。リスティが来るまでは誰も近づいてない」

 水音みずねとアリィは顔を見合わせて、どちらともなく尋ねる。

「魔力の気配は?」

「――なかった。……というか、この教室だと魔力のもと・・が多すぎていちいちまで区別がつかないけど。でも少なくても、近くで魔法を使ってたらさすがにわかるよ。それはなかった」


 ただでさえこのクラスは魔法使いが多い。

 それぞれが魔力の香りをもっているので、その中でひとつの魔力の動きを判別するのはそれなりに神経を使う。

 たくさんのハーブで煮込まれたトマトソースの中の、バジルだけを嗅ぎとっていくようなものだ。


 そしてバーシアの言う通り、近くで魔法が――魔法陣や詠唱があれば、口の中でコショウが弾けるように、さすがに誰もが気づくだろう。


「……じゃあ、やっぱりタロゥだ……。わたし以外は気配に気づかないみたいだから……」

 水音みずねの複雑な声は、少し震えて聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る