第15話夕暮れとテーブルナイフ

 横に長い門が、ギギギと迎える。

 パウンドケーキのような館は茜色の夕日を映して、連なる出窓は主人の帰りを見守っている。


 きれいに短く揃えられた芝に、花壇の寄せ植えが夕陽に笑っている。

 緑のアーチの連なりは、影を流すように陽に差されている。

 ようやくシンプルになった噴水を見やり、リスティは満足にうなづいた。


 一般人の家なのだからこのくらいで十分なのだ。

 今日はやっと、噴水を豪華にしていた竜の彫刻が取り払われた。

 神話の女神たちの群像をそびえさせて、水を湛える程度で十分なのだ。

 あとは一般家庭のように、ペットを飼おうか。

 この庭の一画に、ゾウやライオンやら動物を連れてきて放せばいい。

 きっとよその家庭でもそのくらいなのだと、車から降りた。

 黒塗りの車のエンブレムの鉄色は、誇らしげにあかね空を見上げている。


 スカートはさらりと、プリーツが茜色に染まる。

 石畳の色石にローファーが鳴り、夕日の影すらも優雅に容姿を伸ばした。

 学園から持ってきたガラス瓶が、キラリと光る。


 ――また明日ね!

 リスティは友だちの声をうっとりと思い出す。

 今日も学園生活に幸せを感じ、帰宅に少しさびしさを感じていた。


 玄関の両脇は、夕日色にエプロンが並ぶ。

 ふつうの生徒なのだからやはりこのくらいの人数の迎えでいいのだと、リスティはニコリと赤い唇を上げた。

 主人の笑みに歓喜のため息が聞こえ、侍女はみな一斉に頭を下げた。


 少し外れて、もうひとつ伸びる影がある。


「――めずらしく早起きだこと」

 雨嘉ユージアがその影に声を投げる。

 後部座席――リスティが降りたドアを、バタリと閉めた目線の先には、ヴァネッサの姿があった。

 オレンジ色にうねった髪は、この時間にますます色を鮮やかにしていた。

 手足を曲げ伸ばしてその影も機敏に動く。準備運動でもしているようだ。


「おかえり。――何となく起きてさ。これからさ、ちょっとその辺を散歩してくるよ」

 ヴァネッサのちらっと見やる。

 林、その向こうに森があった。


 屋敷の周りには、小鳥がさえずるくらいの閑静な木立がある。

 しかしもっと奥になると、遠目にも鬱蒼うっそうとした森につながっている。


 リスティも森に少しだけ目をやった。

 どれほど茂っているのだろうか、ギャアギャアとカラスが鳴いて飛び立つくらいだろうか。

 野生の獣や魔物も棲むのだろうか。

 そんな森に、さすがにこの時間からの散歩――言葉どおりなら――は、やめるよう言われるだろうと思ったが、雨嘉ユージアはあっさりと返した。

「気のすむまでしなさい」


 いつもの気ままなヴァネッサなら叱られていたのにとリスティは、雨嘉ユージアが車を動かそうとする前に聞いてみる。

「ねえ雨嘉ユージア。あなたとヴァネッサ、どちらが夜目がきくの?」

「ヴァネッサです。比べものにならないくらいですね」

 予想通りの答えはつまらなく、振り返るとヴァネッサも姿を消していた。

 ただふうんと呟いて、リスティは館へ入った。




 お茶はいらないと言うと、執事のクロカワはうろたえる。

「おお、私めの紅茶の淹れ方になにか不手際がございましたでしょうか……。ご不満があればなんなりとおっしゃってくださいませ……!」

 不満はいくらでもあるのだが、そのいちいちを述べることすら面倒だった。

 友だちとたしなんだお茶会が上書きされることがいやなだけだった。

 なにか暇つぶしを見つけなければ、ふとさびしくなりそうだった。


「あっ、そうそう。ねえクロカワ。地下室に、武器ってまだあるのかしら?」

 目を泳がせるクロカワは、置き場のない両手を揉みだす。

 リスティの予想通りに汗を噴き始める。

 従僕とモラルの間で天秤にかかっているようだ。

 あるのね、とリスティはニヤリと笑った。


「ああ、お嬢様、どうかご勘弁を……。これでは陛下からも叱られてしまいます……」

「私から言っておくから平気よ。――まあ……! 真っ暗じゃない! 何も見えないわ! ねえクロカワ!」

 クロカワが懐中電灯をつける。

 嘆く声にカチリとライトの筋が放たれた。

 冷たさと静かさを照らし、どこまでも伸びそうなライトにほこりが舞い上がる。

 その埃すらも、いま扉を開けられたことで起き上がったようだった。

「あの、お嬢様、本当に……本当に、おひとつだけですよ!」

 スープの匂いも、もうすでに届かない。


 一階の隅、厨房をこっそりと抜けると、料理中のガーランドは首をかしげたがそのまま鍋のスープを味見していた。

 窓から裏庭が見える階段を下ると、ひんやりとした地下には家具や美術品が無造作に置かれていた。

 リスティが気に入らなかったものだ。


 さらにその奥、薄暗い廊下を突き進んだ先の扉を開けた、電気もない倉庫。

 この屋敷を買ったおじい様の、買い集めたという物品が所せましと収められている。


「ねえクロカワ、あれはなにかしら!」

 好奇心に任せてリスティは駆ける。

「ああっ! それは魔獣の牙! どうかご丁寧に!」

「まあ……! たくましそうな武器ね!」

「武器にはなりません! なったとしても大変貴重にございます!」

 なんだ、と投げ捨ると、クロカワはあわてて拾う。

「ちょっとクロカワ、暗くて見えないわ! ちゃんと照らしてちょうだい!」

「ああ……どうかご勘弁を……」


 懐中電灯がリスティの手元を照らす。

「そ、それはまさか……!」

「ねえクロカワ。これはなあに?」

「……おそらく……ギンヌンガでございます。こんなものまであるとは……」

 リスティはその、銀色だろうか、大皿の真ん中をくり貫いたような輪っかを振ってみた。

「これは、叩いて使うのかしら」

「叩くなんてとんでもない! 偉大な法術具です!」

 振り回した輪っかが、棚にぶつかる。

「ああ! どうかご丁寧に! 本物であれば小国が買えるほどの価値なのです!」

「叩けないのなら、いらないわ。 ――これはなあに?」

 リスティはその輪っかを投げ捨てると、あわててクロカワが落とす前に抱きかかえる。

 身を挺して滑り込む先に、リスティは木箱を見つけた。


 フタを開けてみると、ぎっしりと果物のようになにかが詰まっている。

「……これは……ニライ金のようです……」

「こんどは金塊なのね。武器じゃないならいらないわ」

 パタリとフタの手を離すと、埃が舞った。

「……この量ならば、いくらでも武器は買えましょうに……」

「ねえクロカワ。使えないものばかりじゃない。私は武器がほしいの」

「そう……申されましても……」

「あっ、見つけたわ、大きな武器よ!」

 とりあえず武器というものは大きければ強そうだと、リスティは目を爛々とさせる。


 奥ゆきはどのくらいなのだろうか。

 パウンドケーキのような長い形の館を、そのまま地下に表したように倉庫は細長い。

 両側にズラリと棚が並ぶが、まともに近づけないほどに、床にも様々なものが置かれている。

 まだ奥もありそうな中で、一本の立てかけられた武器らしきものを見つけた。


「これは……槍というか、こん棒というか。なんでしょうか……少々お待ちください」

 クロカワは懐中電灯を当てて、その長い武器を品定めをする。

 先っぽから根元までを往復し、明かりを止めては繰り返した。

 法術具の鑑定士の資格をもっていると言っていたか、ほうほうとつぶやきながら、見入ってもいるようだ。

 リスティにとってはかなり退屈な時間で、明かりを取られてほかに見るものもない。

 魔法を使って照明でも作ろうと、手をかざしかける。

「これは、ジギタリスという槍でございますね」

「名前はどうでもいいわ。でも素敵な名前ね、これにしましょう!」

 リスティの手が、その槍をつかんだ。

「いや、しかしこちらは……」

「なに」

「大変にあつかいが難しく、重量もありますので――」

「まあ……! 重いわ!」

「ええ、ですので、かなりの力が必要かと。――ええそうです、お嬢様にお似合いになるのは、もっと可愛らしく小さな小さな短剣のようなものでございます」

 クロカワは、この場においてもリスティに武器を持たせたくないように言った。


「ねえクロカワ、前向きに考えましょう? 重いなら、叩きつけるにふさわしいと思うの」

「……はい?」

「これにするわ!」

 リスティは、そのこん棒のような槍をかついで歩き出す。


 これを、この執事のような、言うことを聞かないものに叩きつけたらどれほど気分がいいだろうか。

 うきうきととうれしそうに来た道を戻った。

「クロカワ。――クロカワ! しっかり前を照らしなさい!」

「ああ、申し訳ございません……陛下……アミコ様……」


 ガーランドはその姿に、さすがに今度はギョッと手をとめた。

 地下室から出てきたリスティが、身の丈よりも長い――天井にすらつきそうな、とげとげしい棒を肩にかついでいる。

 そのうしろに嘆きながら付いている執事はいいとして、さも満足そうに笑うリスティは、童話に登場する鬼のような風貌でもあった。


「お嬢様、いったいそれはなんです?」

「あら、おばさま。これは……なんだったかしら」

「ジギタリスにございます……」

「そう、ジギタリス。素敵な名前よね!」

「はあ。いったい何にお使いになるので?」

「まあ……! 考えていなかったわ。 そうね、何に使おうかしら?」

「なにかは存じませんが、あまり物騒なことはなさらないでくださいね、お嬢様。お食事はもうすぐできますよ」


 幸せそうなリスティを見送り、ガーランドは落ち込んでいるクロカワにも声を向けた。

「いつものことじゃないですか。なにを持ち出そうが、誰がとめようが、どうせお嬢様はなにか仕出かしますよ」

「――まあ、そうですが……そうですよね……」




 そら豆はなめらかにこされていて、玉ねぎは溶け込みそうなほどに透明にスライスされていた。

 さわやかな若葉色のスープは、バターとオリーブオイルが濃厚さに追い打ちをかけている。


 スープ皿はめずらしくシンプルに、白磁のふちに空色のみが塗られている。

 ほかの彫りこまれた絵付けの食器の中で、それは目立った。

 春の晴れた空だろうか。

 そういう演出なのだろうと、スプーンを浸しながら目線を遠くする。

 まっすぐ伸びた雲の上ような食卓は、カチャリとさびしく皿の音を立てた。


 テーブルクロスは純白の濃淡で編まれ、より細かいステッチのランナーが重ねて線を引いている。

 中央あたりには、大小のゴブレットが華やかに座る。

 挿れられた白いバラは、庭のアーチから採ってきたものだろうか、ブーケのようにこんもりと盛られていた。

 白いバラは燭台にも巻きついて登り、アイビーとグリーンネックレスとともににつたを垂れ下がらせている。

 その飾りの明かりは、食器の細かい金の刷りこみと、使うはずのないグラスのいくつか、それとテーブルスプーンに静かにきらめかせる。


「ねえクロカワ。テレビをつけてもいい?」

 リスティがぽつりと言うと、クリームソースに浸されたマスの煮付けが出てきた。

 学園でニュースの話題についていけなかったことを思い出していた。

「お行儀としてどうかと。――どうかお食事のあとになさいませ……」

 クロカワの声のあとも、食堂はすぐに沈黙を呼ぶ。

 リスティはつまらなくナイフを入れると、魚はやわらかく、奥深い香りがした。

 舌でほろほろと身がほぐれると、それがしょう油の風味だとわかった。

 クリームソースのぼやけた味に、少しの塩っぽさがひきたっている。

 それとあとからくる旨みに瞳を閉じて味わった。


 王宮ではテレビの視聴は限られていたが、ここではいつでも見れるのだと、食事のあとにすることにした。

 いざ自由に見れるとなると、いつどのようなものを見たらいいのかかえって判断に困るものだった。




 少しせまい部屋の、厚みのある生地に腰を下ろす。

 背もたれは絨毯じゅうたんのような刺繡で、艶やかな曲げ木が囲んでいる。

 曲げ木はそのままひじ掛けになっていて、リスティは人差し指を下唇に当ててテレビを見ていた。


 ――昨夜は、お友だちとどう話をしたらいいのか悩んでいた。

 今夜は、明日を待ちわびている。

 お友だちといること、ただそれだけのことに一喜一憂している。


 自分のことも、やらなくてはいけないことがあるのに。

 たとえば、一般生活を学んだり、教室の華係だとか、それと蛇の夢のこと。

 同じくらいに、お友だちのことも大切に思える。

 世の中に知らないことが多いように、心の中にもわからないことが積もっていく――。


 テレビは、富豪の住まう豪邸をタレントが探訪する番組だった。

 その豪邸とやらに映るすべての財産は、この部屋のいくつかの家財でまかなえるくらいじゃないかと、焦点を定めずにぼうっと眺めていた。


「ねえ雨嘉ユージア、魔法でも科学でも解明できないことってあるのかしら」

「オカ研とやらのことですか?」

「クラブ活動のことは聞いていないの。この紅茶の甘い香りはいったいどこに行き着くのかとか、そういうロマンティックな話をしているの。もういいわ。――テレビもつまらないし」

「はあ」


 テレビのチャンネルをいじるのをやめて、リモコンを下ろした。

 ニュース番組は、魔法省の官僚の汚職だとか魔導兵器協定の二国間摩擦だとか魔法使いを優遇した結果の貧困格差だとか、同じことばかりだ。

 よくない事件ほど、魔法との関係が強調されている感じがした。


 スポーツ番組にはテニスはないし、ドラマには時代劇がない。

 この国ならいつでもサムライの活躍が見られると思ったのにと、リスティはため息を落とす。

「……ああ、そういえば、ヴァネッサは帰ってきたの?」

「はい、先程」


 それ以上の返答をしない雨嘉ユージアに、リスティのどこからかの退屈は矛先を向けた。

「ねえ雨嘉ユージア。ヴァネッサに、なにかおもしろいものでも見つけたか聞いてみようかしら?」

「お嬢様がお気になさるほどでもないかと。――まあ彼女に聞けば答えるのでしょうが」

「――そんな言われ方だと余計に気になるわ。ねえ雨嘉ユージア、あなたは聞いているのね?」

「つまらない話ですよ。……森で巨大な魔鳥を見たそうで、それだけです」

「まあ……! ねえ、それでどうしたの?」

「ですから、そのまま帰ってきたそうです」

「――なんてつまらないの! そうだわ、ねえ雨嘉ユージア、聞いて! 私いまいいこと思いついたの!」

「行きませんよ。お屋敷から出たらアミコ様に言いつけます」

「ねえ雨嘉ユージア、私、近くに魔物がいるなんて、怖いわ……」

「ダメです。退治しに行こうとかおっしゃらないでくださいね」


 リスティは口をとがらせた。

 せっかく夜の退屈がしのげると思ったのに、と声が表情に出ていた。


「お嬢様、わかってらっしゃると思いますし、口うるさくも言いますが。――魔鳥に限らず、魔物は危険なんですよ。夜なんて特にそうです」

「まあ! 知らなかったわ。そして聞き飽きたわ。ねえ雨嘉ユージア。ヴァネッサはその魔鳥をたおせるのかしら? たおせるのよね?」

「状況によりますよ」

「なぜそのまま帰ったの? ――ねえ、これ本当に。ヴァネッサの性格なら退治しようと思うものじゃないの? その魔物だって、気づかずにヴァネッサを立ち去らせたの?」


 雨嘉ユージアが即答しないのはめずらしかった。

 どうやってこのリスティに説明しようかと、考えているようでもあった。

「――お嬢様。命を落とすことに大小はありません。たとえばですが、食事に使うテーブルナイフでも、人は死にます。針一本でも、鋭く大きい刀でも、死にとっては同じことなのです」

「……油断すると死ぬって言いたいのね? 相手が強い魔物でも弱い魔物でも」


 雨嘉ユージアは少し考えてから、はい、と答えた。

「人間にしてもです、強かろうが弱かろうが死ぬときには死にます。――魔物からしてもそうなのでしょう。――ですから、浅慮に任せたまま争いをすることは、大馬鹿者のすることです」


 ずいぶん感情的な言葉に聞こえた。

 しかし雨嘉ユージアは眉ひとつ動かさずにリスティを見つめている。

 常にそういう考えをもっているのだろうか、雨嘉ユージアの射貫くような視線にためらいはない。


「――でも、魔物はおそってくるわ。そのときはどこまでが浅慮なのかしら」

「そのときに、返り討ちにすればいいのです。死なないために」

 という言葉を出されたらなにも言い返せないじゃないかと、リスティは打ち負かされたような気分がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る