第14話手帳とコーヒー
夕刻前の喫茶店は、ひとことで言うとさびしかった。
布のシェードが日陰を見失ったように影を離している。
木床のオープンテラスも、どこか面倒臭そうにテーブルを空かせている。
なかなか来ない客をずっと待っているように、さびしかった。
「――ここが昨日、お嬢様の暴れたお店ですか?」
「ねえ
その床は、二つほど目立った箇所があった。
「……けっこう、目立つよな……」
「うん。でもよんどころはなかったし、仕方ないよ……」
焦げた黒ずみと、割れた木板だった。
バーシアの火魔法と、リスティが剣を叩きつけた箇所だ。
まったく客のないオープンテラスに、戦いの跡は余計に目立っていた。
ドアを引くとカランとベルが鳴った。
「あの、やってらっしゃいますか?」
「ああ、いらっしゃ……ひっ!」
小太りの店長は、ゴトリとカップを落とした。
カウンターに一人のその男は、リスティと目が合って顔を引きつらせた。
「あ、ああ、いらっしゃいませ。えっと、あの……なにかご用で……」
「ご用っていうか、お店はやっているのかなって」
「昨日の今日ですから……もしかしたら閉店なさっているのかと……」
「――やっぱり魔物が出た店ってなると、客は来ないもんだよ……。従業員ももう上がらせてね。ニュースになって宣伝になるとも思ったんだがなあ……」
店主は白髪混じりの口ひげをしゃべらせて、水を注いだ。
「あー……その、外の床、ごめんなさい……」
「いや、いいんだ、いいんだ。助けられたほうなんだから!」
バーシアはばつが悪そうに頭を下げると、あわてて店主は手のひらを振った。
濃いブラウンのエプロンの下で、出っ張った腹が揺れる。
店舗内にもほかの客はおらず、ひっそりと時計の音が響いていた。
にぎやかな――今はそうではないが、テラスの客席のほうとは違って、店主のエプロンと同じ地味な色のテーブルが四つ置かれている。
ちょうど四人掛けで、テーブルと揃った色のソファに座った。
ゴムの木とモンステラで入り口が見えなくなって、隠れ家のようでもある。
染みついたようなコーヒーの香りがした。
「こっちこそ、驚いてしまって申し訳ない。僕は一部始終を見ていたからね、君たちが魔物をやっつけてくれたのは知ってる。――だからというか、びっくりしてしまって……」
店主はリスティのほうを伺って、ペコペコと頭を下げる。
「……とにかく助かったんだ、ありがとう。僕も少しだけど魔法は使えるから、あの魔物の強さはわかるよ。それを一発だから、そりゃ驚くさ。――お嬢さんは退治屋さんかい?」
「ううん、これからなるんだよ、ね?」
「ええ、そう。私は一般人で、退治屋になって、華係で、えっと、そうなのよ」
「ははは、そうかい。――今日はごちそうするよ。ブレンドでいいかい? ……えっと、そちらの保護者の方も」
「私はお気遣いなく。ブレンドを頂きます」
同じ席にと気を遣っているバーシアたちに、ただの護衛だからと言って譲らなかった。
リスティは、なんとなく落ち着かない。
喫茶店というものに初めて入ったのもあるかもしれない。
店内は飾り立てられてはいないが、粗野でもなく少なくとも品はある。
そういうことよりも、店主が礼を言ってきたのだ。
――この男は、私に叱られたいのだろうか。
王室では立つだけで褒められ、座っていれば持てはやされた。
それは必ずといっていいほど、かしずかれてだ。
だがそういうのとはまるで違う。
たとえばそう、侍女をなじったときに礼を言われる。
叱っているはずなのに喜ばれてしまう。
きっと私に、なじられたいのだろう。
この店主も、私になじられたいのだろうか――。
人差し指を下唇に当てて、そういうことを考えているとコーヒーの香りが漂ってきた。
リスティは、カウンターの店主を見やる。
「……でも、趣味じゃないわ……」
「うん? 何か言ったか?」
「いえ……ねえバーシア。クラブ活動って趣味よね? ――ひょっとして、お叱りクラブってあるのかしら。趣味でひとをなじりつけるような、お仕置きをするような」
バーシアが水を吹き出す。
隣のテーブルの
「いや、そういうのは、ないと思うぞ。そういうのは夜の街に――いや待て、リスティ! そういうところで働くのは早い! ダメだ!」
「まあ……! あるのね。――でも興味はないわ。聞いてみただけ」
なぜかほっと胸をなでおろす四人を、リスティは不思議に思った。
そして、世の中には自分には知らないことが多いのだと、ようやくのように感じた。
「えっと、そうです!
「あ、うん、そうだね!」
なぜか二人もあわてるように、お茶会の本題に入った。
「スニーカーの前にね、これ……」
テーブルの上に古びた手帳が置かれた。
「お待たせしました、はいどうぞ」
店主が、ふんわりと香りを運んできた。
木の
アリィは慣れた手つきで少しのミルクを足すと、
「――これって昨日、使ってたよな。カードが飛び出てきて。アルカナマギア?」
「うん。――というか、その札魔法のオリジナルだよ」
あわててバーシアが立ち上がる。
隣のテーブルの
二人とも無言だが、その顔はおどろきのものだった。
そして一点を、
「ねえ
「は……いえ、私はお嬢様の護衛ですから。そばにいるのが仕事です」
いつものように冷静に返してみせるが、やはりその手帳が気になっているようだった。
「ええと、それでね。タロゥって呼んでるんだけど、これを集めてて――」
「待て、待て、
バーシアは、その手帳を触れるか触れないかのところに手を震わせる。
もちろん、リスティにとっても興味を惹くものだった。
「札魔法に限らず、オリジナルはそれぞれ世界にひとつしかないはずです。なぜ、あなたがお持ちになっているのです?」
「ねえ
「すみません。気になったもので……」
「そうだわ。あなたはこれでも読んで静かにしていてちょうだい」
リスティは、通学鞄から教科書を取り出した。
「さあ、お話の続きを始めましょう?」
「お嬢様、これは数学の教科書なんですが」
「読めばいいじゃない」
「読むものでしょうか」
「欲しかったらほかの教科書もあげるわ」
「お嬢様が困るでしょう」
「私はすべて読んだもの。覚えたからもういらないわ」
「……いちおう、授業では持っていてくださいね」
コホンと息を鳴らし、リスティはカップを置いた。
「さあ、お話の続きを始めましょう!」
日差しはもう真横くらいになっただろうか。
入り口に並ぶゴムの木とモンステラは、うたたねでもしているように静かだ。
口ひげの店長は、カウンターで腹を揺らしながらサイフォンの手入れをしている。
もう少し暖かくなれば、あの棚のピッチャーで、細長いアイスコーヒーを忙しく淹れるのだろうか。
いくつかの種類の魔法――バーシアとアリィが使った黒魔法や神聖魔法にも、それぞれオリジナルはある、とされている。
原初の魔法の書かれた、魔法使いにとっては聖典の原本のようなものだ。
そのひとつ、札魔法――アルカナ・マギアのオリジナルが、目の前にある。
濃いブラウン色のエプロンを馴染ませるような喫茶店、それよりも淡いきつね色の表紙の革手帳に、
古びた手帳は、ページがなかった。
角砂糖ひとつぶんくらいの厚みはあったし、そのように見えた。
少しミルクを足したコーヒーの色の、革の装丁はタイトルもなくのっぺりとしている。
それが
夜のランプのように、海に浮かぶ半月のように、手帳の中はひとつの世界だった。
淡く光る手帳に、浮かんでいるのは三枚のカードだった。
「――このカードが、タロゥ。今は三枚だけど、本当はもっとあるの」
ふわふわとカードは、海に泳ぐように手帳の中をただよっている。
バーシアは興奮を抑えるためか、コーヒーをゴクリと飲み込んだ。
「……それで、そのタロゥ――札魔法のオリジナルだよな。なんで
その問いにはアリィが答えた。
「
「まじかよ……」
言われた通りに数学の教科書を読んでいるが、聞き耳はしっかりと立てているようだ。
リスティもコーヒーの香りを確かめ、口に含む。
この喫茶店――屋敷の自室よりよりもせまいこの店が、妙な居心地のよさを感じた。
腹の出た小太りの店主が自分になじられたいのかはさておき、この友だち四人の空間が、誰にもジャマをされたくないような、幸せなものに感じた。
「ねえ
リスティのカップがコトリとしとやかに置かれる。
特になんでもないカップだが、コーヒーは香り高くおいしい。
「うん。これはおじいちゃんがアルカナをもとに、別に作ったって言ってた。……だから、実はオリジナルって呼べるかはわからないんだけど、限りなく近いものだって言ってたの」
なんとなく
バーシアもそれを察したのか、少し間を置いて尋ねる。
カップはコトリと押すように置かれた。
「ああ、それでさ。そのスニーカーのこととは関係があるのか?」
「あ、うん。紛失したっていうのはたぶん……タロゥのせいかなって」
まだ下ろし立てにも見えるその靴は、ほんの少しソールの角を使わせたくらいだった。
持ち主の生徒は、奇妙なことに立ち入り禁止の旧校舎から見つかったことを気味悪がって、手放したらしい。
大した汚れもなく、この店内のゆっくりとした明かりにも、ベルトのラメがちらついている。
かかとの部分を持ちながら、
「タロゥの感じがするの。――残り香というか、残響というか……」
「アタシにはわからないけど……
バーシアは腕を組んで考えに浸る。
リスティも人差し指を下唇に当てて考えた。
スニーカーと、そのタロゥとを目線で往復させる。
「タロゥとは、いたずらをするものですか?」
「あなたは黙ってて!」
「すみません。気になったもので」
リスティは隣のテーブルの
「ねえ
「あー……うん。いちおう、生き物みたいなものだから。……このゴーレムハンドも住宅街で見つけて……追いかけ回してやっと捕まえたの」
「あのときは大変でしたね……」
昨日、魔物の動きを止めた地面から出てきた召喚獣だ。
これらのほかにも、まだカード――タロゥがいるということだろう。
「捕まえるって、どうやって?」
バーシアは前髪に指を流しながら尋ねた。
「この手帳で、こう、スパーンと――」
「――ひっぱたくの」
「まじか……そんなんで……」
「
色白の厚みのない両手で、アリィはコーヒーカップを包むようにして尋ねた。
ミルクを含んだコーヒーの栗皮色から、甘い香りが立ち込める。
「うーん……。どんなタロウがいるかはおじいちゃんも教えてくれなかったし、わかんないんだよね。なんで、いたずらをするのかも聞いておけばよかったな……」
リスティは、お茶会なのにお菓子が出てこないことが気になったが、もしかしたら一般のお茶会ではそういうものなのかもしれないと、テーブルの上をさびしく見つめた。
「あっ、そんなに悩ませることじゃないよ! タロゥの感じがしたから、ちょっとそう思っただけ!」
そしてその手をポンと叩いた。
「でね、まだ犯人と決めつけるのは早計だけど、もしそうだったら捕まえたいの。学園のどこかにいるかもしれないし」
「――まあ、次々にものがなくなるってのもおかしな話だもんな。先生の話だと、犯人の目星もつかないようだし。しかも旧校舎だとか、あと植え込み?」
三人はバーシアにうなずく。
「――とかに隠して。盗みだったらふつう持ち帰るはずだろ? でも違う。じゃあそのタロゥがなんらかの仕業の可能性は高いんじゃないか?」
「……正直いうと、タロゥのせいであってほしくはないの。いたずらにしても、おじいちゃんの作ったものでみんなに迷惑かけてるわけだから……」
パタンと手帳を閉じ、
アリィは前かがみに、しっかりと表情をまとめた。
リスティとバーシアに言い聞かせるような眼差しを向ける。
「それで、タロゥを探しているんです。まわりに迷惑が、というのもありますけど、私は
ただ物柔らかに見えたアリィが、芯を強くして言った。
それを横目に、リスティはコーヒーカップをつまみ上げる。
なぜだろうか。友だちの困った顔が、自分のことのようにも感じる。
他人の言葉を、心で結ぶことがあっただろうか。
今まではそれとなく聞いておいて、あとで誰かに解決させていたはずなのに。
――お友だちが困っている。
ただそれだけなのだ。ただそれだけなのに、心が動く。
侍従に傍らで持たせていた日傘が、取り払われたような感覚だ。
そうしてようやく、友だちと光を浴びれるのではないだろうか。
そして優雅にカップを下ろした。
「――ねえ
その言葉にふたりは、日差しを浴びたように表情が明るくなる。
そして
リスティは見られているのも構わずに続ける。
「それに、ねえバーシア。不思議な事件を解決できたら、先生に喜ばれるわ。没収された剣に恩赦があるかもしれないし、クラブ活動も認めてくれるかもしれない。魔法が原因にしても、そうでないにしても、私たちが解決するっていうことが大事なんじゃないかしら。そう思うわ」
コーヒーカップの湯気はもう消えている。
静かな四つのカップが、そろって並んだように見えた。
「そうだな……。うん、そうだ。とにかく探すしかないよな。――何とかして犯人を見つけようぜ!」
バーシアがひざを叩いた。
パン、と制服のズボンの乾いた音が始まりのように、テーブルに笑顔がゆるむ。
「やっぱり、オカ研の出番ですね!」
「ほんと、探偵みたいだね、オカ研って」
「だから、その名前がなー……」
「――ところで、ねえみんな。オカルトって、どういう意味かしら?」
リスティの何気ない問いに、お互いに顔を見合わせる。
四人に知っているものはいなかった。
「……さあ……?」
ふと
今度は読みふけるように、黙々とページに目を通していた。
リスティたちの視線にそっけなく、返事が返ってくる。
「――私は黙っていることが仕事ですので」
それは、
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