第13話オカ研とスニーカー
職員室は校舎の一階――ちょうどリスティのクラスの真下にある。
ベージュ色のリノリウムの階段から廊下へと、昼下がりの明かりが差し込んでくる。
踊り場を折り返して、高い窓からの空に背を押されるように下った。
グラウンドからは運動部のさっそくの掛け声が届き、体育館へと向かう姿はスポーツバッグにボールがぎっしりと詰められている。
なんとなくクラブ活動というものを、趣味の時間を楽しむ――お茶やテニスのように、そういうことだとリスティは察した。
「なんか職員室って入るの緊張するな。――リスティもよかったのか? 放課後につき合わせて」
「ええ、もちろんよ、お友だちのためですもの。ええと、それに、花瓶を受け取るように先生から達しがあったの。不本意な部分もないわけじゃないれど、これで教室に華を飾れるわ」
きっと豪華な花瓶なのだろうと、リスティは想いに描いた。
五彩の絵付け陶器だろうか、どんな金細工だろうか、それともクリスタルの花入れだろうか。
もしかしたら
正直にいえば、担任のほうから自分へひざまずいて貢ぐべきじゃないかと思い、釈然とはしないものの、ここでは先生のほうが位が高いのだ。
そういう不本意な部分はあったが、これも一般生徒としての努力なのだとそう振る舞うことにした。
「花瓶? ああ、花係のか。差し替えとか面倒だと思うけどがんばれよ」
「ええ、華係をがんばるわ!」
――差し替え?
そうか、とリスティは気づいた。
教室を華々しく飾ったあとも、模様替えをしなくてはみんなも飽きてしまう。
いくら絢爛な美術品や調度品も、クラスのみんなが飽きてしまわないように都度取り替えなくてはならない。
壁紙や絵画を差し替えなくてはならないということだ。
季節ごとに花が移り変わるように、教室のしつらえも趣を差し替えていかなければならないのだろう。
毎月だろうか、それとも毎週だろうか。
ますます大変な係だ。執事のクロカワが詳しそうなので、いっそ彼にやらせようかとも考えてしまう。
ガラガラと職員室の扉が開く。
「失礼しまーす」
職員室は、教室とはまた違う勤勉な空気だった。
裏方の事務作業といった感じだろうか。
活気とまではいかないが、デスクに向かって採点に集中したり、教師同士がメモを取り合ったりという仕事への熱意のようなものはあった。
リスティは、どことなく母の会社で見た光景と記憶を薄く重ねた。
「――うん、どうした? ……お前たち、仲いいな。みんなで用事か?」
ぞろぞろと職員室に入ると、担任がパタンと――名簿だろうか、表紙を閉じる。
それを合図のように、バーシアはもごもごと口を動かし始めた。
「――魔法関係のクラブ活動か……」
「えっと、魔法使いだけでなくて、そうでない生徒にも知ってもらいたくて……」
いつも
緊張からだろうか、ものを説明するのは若干苦手のようだ。
担任は天井を仰いで、両手を頭に持っていく。
言葉を選びつつ、苦慮しているように見える。
「……部活動の申請は、さっきもほかの生徒からあったんだがな。新しく作るのは難しいと思っていいぞ。ましてや魔法関係だと……そのな、よく思わない先生もいるからな」
「あの、そういう人たちにも、魔法は特別じゃないって知ってもらいたいんです」
機を見つけたように、それにアリィが重ねる。
「――社会貢献にもなると思うんです。社会の中で魔法が担う役割や問題点を考えるきっかけを学べたらと思うんです」
「……どうしたものかな。顧問も就かないといけないし……人数はどのくらいだ? お前たちだけか?」
四人は顔を見合わせてうなずいた。
「――作るとしたら同好会だが……。それで、具体的になにをするんだ? ああ、言っておくが、魔法を使うため、という理由は却下だからな」
「ええと、魔法を使わなくても、学んだり、その……研究して、便利なものだとみんなに知ってもらいたくて……」
「つまり、魔法をよく知ってもらえれば、社会の仕組みもわかるし授業の補足もできるということか?」
バーシアの歯切れは悪く、はっきりとしない説明に、担任のほうが答えを考えだすさまだった。
リスティは、はっとした。
――お友だちが困っている……!
バーシアも
そんな姿に、自分まで心に痛むものを感じる。
助け合うのがお友だちなのだ。
しかし先生には従わなければならない。
あくまで謙虚に、慎ましく、丁寧に頼まなければならない。
リスティは、半歩ほど前に出た。
「ねえ先生、ちょっとよろしくて?」
「うん?」
「私、クラブ活動に興味があるの」
「うん、そういう用事だろう?」
「許可なさって?」
「うん?」
「先生の許しがいるのだから、許可なさればいいと思うの」
「……それを悩んでいるんだが……」
「まあ! なにか理由があって? お話になってちょうだいな」
――先生の言うことは、よく聞かなければならない。
リスティはよく聞くべく、耳を立てた。
リスティはニコニコと微笑みを作る。
社交界で否応なく学んだことだ。
先生が話をしてくるのを、ひたすら笑顔で待ち続ける。
その担任のほうが、用事で来たように言葉を詰まらせる。
「……理由か……」
「ええ! 私、先生の言うことを聞いて差し上げるわ!」
「言い方があれだが――ああ、そうだ、確か……」
担任は、記憶を辿るように腕を組む。
しばらく目をつぶって考えると、そのまま口を開いた。
「……確か、オカ研っていうものがあったな。だいぶ前だが、生徒が作った同好会だ」
「オカ研……?」
四人は口をそろえて呟いた。
「オカルト研究会だ。ああ……
担任は懐かしむように想いにふける。
甕破れの前にも魔法の概念があったということなのかと、生徒四人は首をかしげた。
「――それを引き継ぐ、という形ならいいんじゃないか? 良くも悪くも前例があるんだから、そう反対はないだろう」
「オカルト? ……ってなんですか?」
「魔法、という名前がつくと、ほかの先生からは反対が出ると思うぞ?」
それと魔法とどういう関係があるのだろうと、リスティも首をひねる。
バーシアも合点がいかないようで、うなりながら頭をかいていた。
「――いいじゃないか、似たようなものなんだから。ああ、忘れるところだった。ルージュ、花瓶だ。花係を頼むな」
「ええ、しっかりと期待に応えるわ!」
担任に渡されたものは、ガラスの瓶だった。
白くはがれた跡がある。なにかが貼られていたのだろうか。
それとも現代アートなのだろうか、どれほどの価値があるのだろうかと、リスティはまじまじと瓶を見つめた。
「インスタントコーヒーの空き瓶だが、適当に花壇の花でも挿してくれ。――ああ、用務員の方に聞けばもらえるはずだ」
リスティは、ガラスの瓶を眺める。
ひっくり返したり、陽に透かしてみたりもしてみた。
午後の日差しはここからだと植木の陰になり、瓶の角に職員室の蛍光灯が光る。
インスタントコーヒーというのはわからないが、このようなのっぺりと、簡素なガラス細工など見たことがない。
もちろん魔力も感じない。わからないだけで、なにか歴史的な価値でもあるのだろうか。
先生がこれを花瓶だと言うのなら、花瓶として扱うべきか思い悩んで見つめていた。
「ああ、そうだ。――これは個人的な頼みと思って、見てほしいんだが……」
ガラリとレールが鳴り、デスクの一番下の引き出しが開く。
そこから担任は、一足のスニーカーを取り出した。
「これなんだが、なにかわかるか?」
「靴、ですか?」
そうにしか見えないと、バーシアとアリィはうなずく。
リスティも、ガラス瓶に透かしながら同じように思った。
靴ひもにかぶせるベルトにはまだ新しくラメが光り、革の張りもピンとしている。
スポーツにも使えるようなタイプのようだ。
受け取ったバーシアは、見た目よりはずいぶん軽かったのか何度か上げ下げしている。
「ああ、ただの靴なんだが、魔力というか、そういったものを感じないかと思ってな」
「……特には感じないな。感じません。これがどうかしたんですか?」
「いや、ならいいんだ。――最近、学園内で紛失物が多くてな。これも生徒が紛失していたもので、使われていない旧校舎にあった」
「紛失……いたずらでしょうか?」
アリィは眉をひそめる。
「……だとまだいいんだが、被害も複数でな、いろんなものがなくなっている。ボールペンにキーホルダーに、高価なものにも被害があってな――」
今日も備品のマグネットがなくなりましたよ。と聞いていた隣の教師が落ち込んでいる。
「……ああ、この靴みたいに見つかればいいんだが。――見つかったものは理科室の机の下だとか、クラブハウスの屋根裏だとか、花壇の植え込みの中っていうのもあったな」
「ずいぶん変なところで見つかるもんだな……」
「ああ。だから、この持ち主の生徒も……気味悪がってな。もう処分してくれと預かっていたんだ」
「あっ、それで魔法のいたずらじゃないかと思ったんですね?」
アリィはポンと手を叩く。
「変な魔力は感じないけど……だからって魔法の仕業ではないともいえないからなー……」
バーシアは手に持ったスニーカーを眺めまわす。
その隣のリスティは、まだガラス瓶を眺めまわしていた。
「……まあ、何から何まで魔法のせいってのも気に入らないけどさ。先生、いくら魔法使いでも、これを見ただけじゃわからないよ」
「そうか……お前たち魔法使いに見せたらなにかわかるかとも思ったんだがな……。警察に被害届を出すか職員や保護者でももめていてな。――ああ、それはこっちの事情だ。ありがとう、オカ研のことは考えておくからな」
バーシアがスニーカーを返そうとしたとき、ガラス瓶ごしの視界に見える
「あの! それ、預かってもいいですか!」
だいぶ傾いた太陽がガラス瓶に伸び、昼下がりをすくえるかしらとリスティは手をひねる。
ガラス瓶は風景を歪ませて、小さな影――魔鳥の飛ぶ姿が二匹見えた。
つい持ってきてしまったと、リスティは教室に置いてくるはずのガラスの瓶を片手に遊ばせていた。
「――じゃあ、昨日の喫茶店でいいですか?」
アリィの歩きに合わせて、弁当箱を入れた袋が静かにカタカタと鳴っている。
「ごめんね、つき合わせるみたいになっちゃって」
なんの変哲もないスニーカーだが、
「うん、気にすんなよ。
バーシアは手にした紙をピラピラと振っている。
没収されたものを返してもらうための、反省文を書き込む用紙だった。
「――こういうのって、探偵みたいでおもしろそうじゃん」
かたむいた陽を受けて、先頭のバーシアが振り返って笑う。
リスティは、ガラス瓶からその表情に目を移した。
なぜだろうか、バーシアのこういった根拠のない笑顔が、妙にたのもしい。
安心と高揚とが同居するような、入り混じる前のミルクティーが喉を通るような。
大したことではないようなことにも、そのいちいちに釣られるように心が動く。
「さっそく、オカ研の活動ですね!」
アリィが両手をポンと手を叩いた。
可愛らしい黄色の、小さな弁当箱の袋が揺れた。
「オカ研は……名前がなー……」
「同好会でも認められたら、空き教室を使えるそうですから、これが最初の一歩ですね」
「みんなといっしょにクラブ活動……そして今からお茶会……!」
リスティはガラス瓶を抱いて、今日も友だちといる喜びにときめく。
「オカ研とはなんでしょう?」
「あなたは黙ってて!」
リスティは、なぜか付いてくる
「すみません。気になったもので」
バーシアたちは、その護衛という女性にどういう距離でいたらいいのかわからずにいるようだ。
「……あのさ、ひょっとしてあの女の人、借金取り……かな……」
「……ええっ、いくら家が……その、貧乏でも……それにお嬢様って呼んでるし……」
「……隠語でしょうか……そして逃がさないために、送り迎えを……」
なにかをひそひそと話す三人を不思議に思いつつも、リスティはお茶会を楽しみに歩く。
心なしか急く足は、昨日よりも早く喫茶店へと向かっていた。
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