第12話退治屋と焼きサバ定食

 くすんだ薄っぺらいカーテンが膨らむ。

 存在を忘れられたかのような白い布切れだ。

 並んだ窓から、切り取られた青空が見える。

 春風は気まぐれに、教室に空気を運び、去っていく。


 空の遠くには、鳥だろうか、この間からたまに見る魔鳥だろうか、はばたく影が見える。


 初めは新鮮だった授業は、退屈に変わった。

 しかし先生の言うことは聞かなければならない。

 リスティは、自由を奪われる苦痛に耐えていた。


 うすうす感づいてはいたが、この学園には――ほかの学校は知らないが、教師というものが多数いる。

 それが教科ごとに入れ替わって現れるのだ。

 おそらく王室に次ぐほどの地位、当然、爵位もあるのだろう。

 国政の大臣ほどかもしれないし、枢機卿ほどかもしれない。

 それらが次々に授業を執り行う。

 果たしてこれが、一般の学生生活なのだろうかと、リスティは疑問を抱いていた。 


「……ねえバーシア。先生は偉いのよね?」

 リスティは、人差し指を下唇に当てて尋ねる。

 学園の中庭――正門すぐの第一校舎から教科棟をトンネルのように抜けて、その先にあるカフェテリアに向かっていた。

「……うん、まあ、そうなんじゃね?」

「学食ってわくわくするね」

「前の学校では給食かお弁当でしたもんね」

 楽しそうな水音みずねとアリィをよそに、神妙な面持ちでリスティは重ねる。

「そう、先生は偉い立場なのよ。――私、考えたの。そんな方々に習っていたら、きっと生徒のほうだって偉くなってしまうわ」

「うん? 偉くなっていいんじゃね?」

「私、偉くなりたくないわ! つつましい生活を送りたいの……!」

「なあ……もうちょっと将来に欲があっていいんじゃね?」

「いいえ、庶民的な生活こそ、私の夢なのよ……」

 バーシアはリスティの肩をつかんで、しっかりと目を合わせた。

「だいじょうぶだ、リスティ。お前は……なんかこう、もうすでに偉そうだ」

「そんな……!」

 一般人として精一杯ふるまっているのにと、リスティは膝を落とした。

 薄桜色のハンカチで涙を拭き、レースをそっと折りたたんだ。

 そしてギュッとハンカチを握る。

「私……もっとがんばるわ……!」

「ああ、がんばれ。きっともっと偉くなるぞ!」


 さわさわと風になびく青草を飛び越えて、水音みずねとアリィは顔を見合わす。

「リスティとバーシアって気が合うのかな」

「将来のことに真剣に向き合っているんですね」

「将来かぁ……」


 カフェテリアは、入り口の一面がガラス張りで、外からでもその込み合いが見て取れた。

 高い天井からは蛍光灯と真昼の陽が下り、雑多な調味料と油の香りが立ちこめる。

 昼食に腹を満たそうとする生徒たちは、食券の自動販売機からカウンターへ並び、テーブルを埋めている。

 喧騒ともいえそうなにぎわいに、ようやく空席を見つけてアリィが手を振っている。

 同じような制服の人混みの中でも、アリィの長い黒髪は浮き立っていた。

「アリィはお弁当だから。――何にしようかな」

「迷ったら定食じゃね。アタシ肉うどん。リスティは?」

「ぜんぶいただいてみようかしら」

「ぜんぶか。毎日通ったら制覇できるんじゃないか?」

 リスティは首をかしげた。

「いえ、一口ずつ嗜もうと思うのだけれど。ところで……ねえバーシア、ボタンを押しているのに、なにも起きないわ」

「お金を入れてないな」

「お金……? 聞いたことはあるけど、見たことはないわ」

「……冗談よせよ……おい、まさか、まじか……?」

 水音みずねも、口を押さえて絶句していた。

 このリスティなら本当に知らないのかもしれない、と声を潜ませている。


 バーシアがお金と忠告を払い、焼きサバ定食を買ったリスティはカウンターで目を輝かせる。

「自分で運ぶのね! ええ、任せて!」

「おい、こぼすなよ? 大惨事になるぞ」

「気をつけるわ。自分の食事ですもの、自分で運ばなきゃ!」


 ――なんだか楽しいわ、屋敷でも自分で運ぼうかしら……!


 リスティは意気揚々と、焼きサバ定食をテーブルに運ぶ。

 アリィはそのうれしそうな表情に、頬をゆるめる。

「リスティさん、サバが好きなんですね。私もお魚は好きです。――水音みずねちゃん? バーシアさんも、どうかしましたか……?」

「いや……説明がむずかしい……」

「うん……とりあえず、食べよっか」


 パチンと箸を割り、バーシアが肉うどんの香りに喉を鳴らした。

「ねえバーシア。あなたが貸してくれたお金って、あれってどこでいただけるのかしら?」

 バーシアは、頭を抱えながら答える。

「ああ……うん。知らないなら、仕方ないよな……うん。――仕事して稼いだり、親からもらったりするな」

「そうなの? ……私、親からもらったことなんてないわ……」

 割り箸を持ったままリスティはうつむき、水音みずねが声を潜める。

「あ……バーシア……! ほら、家庭の事情があるんだよ……!」

「あっ……ほら、リスティ! まあ、家庭それぞれだし、気にするなよ!」


 カフェテリアは生徒で騒がしく、声を潜ませたまま三人は話し出す。

「……アタシ、リスティは金持ちだと思ってたよ……」

「……わたしも思ってた。でも違ったんだ……」

「……だから……つつましく生活がしたいって言ってたのか……」

「……庶民的になりたいって、言ってましたもんね……でも、お金を見たこともないくらいなんて……私、リスティさんを応援していきたいと思います……!」

 うん、と三人はうなずき合った。


「リスティ、なんでも相談しろよ!」

「困ったことあったら、言ってね!」

「私たちにできることはなんでもやります!」


 ――みんな、どうしたの……?

 でも、何か温かい。

 なにもなくても温かい。それこそお友だちなのね……。


「みんな、ありがとう……! ――よくわからないけど、私、精一杯がんばるわ!」

「応援してるからな! その前にまず、割り箸は二本もいらない。割るんだぞ?」

 パチンと箸が響く。

「まあ! 二本になったわ! ――でも失敗ね、きれいに別れなかったわ」

「だいじょうぶだよ、そのうちできるようになるよ!」

 あっ、と水音みずねが思いついたように声を出す。


「ねえ、退治屋さんって、お金もらえるんだっけ?」

「うん? まあ、いちおう退治した分と……それか守り屋のほうかな」

 うどんをすすりながら、バーシアが答える。

「守り屋? 退治屋じゃなくて?」

「同じようなものだな。――退治屋は魔物退治。守り屋は、自治体なんかの依頼で結界を張ったり、お祓いをしたりってのもあるな。――まあ別にライセンスに区分はないよ、得意分野でやってればいいし」

 水音みずねの顔がぱあっと明るくなる。

 その理由に気づいたように、アリィも手を叩いた。

「じゃあ、リスティは退治屋さんになればいいよ!」

「ええ、きっと向いていると思います!」

「まあ! 私も退治屋になりたいと思っていたの。――まわりには反対されているけど、みなさんが勧めてくれるのなら、やっぱりそうするべきかしら」


 リスティは、うれしさにほっぺたが熱く、むずがゆくもなった。

「実力的には申し分ないしな。……生活も少しは楽になるかもしれない。――こんど、ライセンスの試験日程とか調べてみるよ」

「みなさん、本当にありがとう。私……これからも夢を追い続けてみるわ!」


 ――お友だちの応援って、こんなに頼もしいものなのね!

 退治屋になれば、堂々と武器を持って好きに戦える。

 ああ、戦う王女……いえ、戦う一般人なんて夢みたい!


 テーブルは優しさに包まれ、ニコニコと昼食が進む。


「――ああ、それでさ、アタシ思いついたんだけどさ。クラブ活動のこと」

「なに?」

 バーシアは肉うどんのスープを飲み干し、満足したようにゴトリと器を置いた。

「魔法クラブってあったらいいなって」

 三人は顔を見合わせた。

「魔法の……クラブ活動?」

「なにをするんでしょう?」

 リスティも考えるが、そもそもクラブ活動とはなにかがわからず、様子を見ることにした。

 王室でもそうだったが、相手の話がわからなければ、とりあえず適当に微笑んでいればいい。

 そして後で学者の教育係や執事にでも尋ねて、次から知っていた風をすればいい。

 帰ったら雨嘉ユージアあたりに聞こうと、考えるふりをして話の内容を伺っていた。


「ほら、ここ魔術学園でもないしさ――前に通ってた学校はそうだったんだけど。ここは基礎の魔法社会の授業だけだから、魔法そのものは習わないわけじゃん」

「うん」

「たぶんだけど、クラスに魔法使い多くね?」

「えっ、そうなんだ」

「はい、隣のクラスにも何人かいらっしゃるみたいです。――先生がおっしゃってました。今年は留学生と魔法使いが多いって」


 実際、その通りだった。

 リスティも、入学式でその魔力のオーケストラを感じていた。

 公開されている人口の比からしたら、現在は人類の四分の一ほどが魔法使いだ。

 しかしリスティのクラスには、ひとクラス二十数人のうち半分ほどがなんらかの魔力を有しているように感じた。

 魔術学園でもないのに、この数は偶然ではないかもしれない。


「魔術学園にも興味はあったけどね、地元だし、ちょっと理由もあったから。――それで、魔法クラブってなにをするの? 退治屋さんみたいなこと?」

 水音みずねは、日替わり定食の残った千切りキャベツを細々と箸でつまんで尋ねた。

「いや、そこまではしないよ、退治屋って危険だから。ただ授業でできないこと――魔法をみんなで勉強できたらいいんじゃないかってさ」

「魔法の勉強って、あまりする機会がないですもんね……私もなんとか魔法書を読んで覚えました」

「独学で神聖魔法できたらすごくね?」

水音みずねちゃんの力になりたいと思ったんです」

 アリィと水音みずねは、顔を見合わせて笑った。

 付き合いは長いようで、学校もずっと同じだと話している。


「魔法使いだけじゃなくてもいいんだ。魔法に興味もってもらえばって思ってさ……」

 バーシアは、少し表情を曇らせて髪をいじる。

 栗色の髪が、指をさらりとすべってボタンの開けた胸元に落ちた。

「ほら……魔法ってだけで嫌うやつもいるからさ。まず知ってもらえれば見方も変わると思うんだよ」

「あ……そうかも……」

「そうですね……」


 魔法使いへの嫌悪をもっているものも少なからずいるのが今の社会だった。

 確かに、魔力を持たないものからしたら不可思議な現象に見えるのだろう。

 不安や恐れをもっても仕方がないのかもしれない。

 ひとを襲う魔物だけでなく、法術を使った犯罪も当然のようにある。

 この国はまだいいほうだ。魔法使いだからというだけで、罪になったり排除されたりはしない。


 少し調子を落とした昼食を気にして、バーシアが明るく言った。

「――まあ、そういうのをやろうと思ってさ! 放課後、先生に言ってみるつもりなんだ」

「おもしろそう! わたしもついてくよ!」

「はい、私も!」

 リスティは、人差し指を下唇に当てていたが、考える時間はかからなかった。

「私もごいっしょするわ」


 焼きサバ定食はまあまあにおいしく、一口だけと思っていたリスティもすっかり平らげていた。

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