第17話ガラス瓶とヒヤシンス
自由に動きまわれたのは放課後だった。
休み時間や教室の移動中も、それとなく目を配らせて歩いた。
しかし、どこをどう探せばいいのか見当がつかない。
結局は、
「――学園中を調べるとなると見通しが立たないよな。なあ、アクセサリーだって見つかるから、気を落とすなよ」
「うん、わたしがもっと魔力を感じられたらいいんだけど……」
「わずかな気配をたどっていくしかありませんね」
「――とは言っても、探す範囲が広すぎるわ」
リスティは、王宮での自分の誕生祭を思い出した。
広い宮殿の
幼少時からうすうす気づいてはいたが、それは毎年リスティにとって見つけやすいところに置かれていた。
適当に部屋を探して、程よい頃合いに見つかるような配慮だった。
リスティがその遊びに飽きてきたら、侍従はあわてて、それとなくヒントを与えてきたりもした。
しかし、いまはここに侍従はいないのだ。
――お友だちが困っているなら、力になりたい。
でも、私にできることはないのじゃないか。
当てもなく学園を歩き回って、姿だってわからないものを探す。
教室をめぐって机の下、棚の中、クラブハウスの裏まで探した。
なにを探しているんだろうと混乱もしてくる。
いままで、すべてが思い通りにいったはずなのに――。
リスティは、わずかに浮かぶ自分の無力感を払いのけるように頭を振った。
「――使用人にやらせようにも、
しかしその中でも、リスティにとっての発見はあった。
中庭からは吹奏楽の音が、昼下がりに妙に似合っている。
トロンボーンがまた音を外した。
ホルンの同じ低音が繰り返されて、それぞれの管楽器の独演が重なる。
聴いているとローマの祭りの何小節かがそろい始めた。
技術も未完成の音色は、音楽会や祭典で聞かされるものとはまったく違って聞こえる。
そのまま第二校舎を通ると、窓から美術室がのぞけた。
ここにも未完成の油絵に色を叩く生徒がある。
そのほかは石膏像をにらみ、熱心な眼でその胸像を写している。
どの貴族の館にも飾られている絵画も、白いキャンバスから描かれるのだろうか。
校舎の角にある調理実習室からはほのかに香りがただよってきた。
昨日のディナーのような、クリームソースの匂いもするし、しょう油の匂いもする。
王宮では、調理場に入ることもなく、その必要もない。
興味本位でのぞいても、殿下のいらっしゃるところではない、と遠ざけられた。
それと同じように、いくつかの鍋から湯気が立っている。
ここでは、小皿にちょこんと乗ったクリームソースのペンネを試食させられた。
出される料理の作られる様など、気にしたこともなかった。
ミシンが並ぶ被服室は、授業のようにさほど熱心でもなく、顧問と生徒が机を囲っておしゃべりに花を咲かせていた。
黒板にはいくつか生地と被服仕様書のようなものが貼られていて、リスティは少しなつかしくも感じた。
母の――アミコの仕事を見たことはあるが、おおよそファッションショーの裏で駆け回る姿だ。
アミコも仕立てをやりはするが、裁縫とまではいえないだろうし、製品になるものは工房で職人が作っている。
衣装というものは、こういうミシンで縫製をして、この身に届いているのだろうか。
「――おーい、リスティ?」
目の前にきょとんとした瞳が映る。
海のようでもあるし、翡翠のような瞳でもあった。
化粧っ気のない顔だが、端正ではいる。
バーシアは首をかしげてリスティをのぞきこんでいた。
「――疲れたか? 今日はここまでにしようぜ。明日はみつかるさ」
校舎から出ると、わずかに茜色が射していた。
「まあ、急ぐものでもないし、そのうち見つかればいいよ」
そう言った
吹奏楽の管楽器は夕日を呼んでいるように聞こえる。
「紛失したものだって見つかっているんですから、あのスニーカーみたいにきっと見つかりますよ」
アリィが言うのは、ビーズアクセサリーのことだろう。
タロゥも探してはいたが、やはり目先に気になるのは
「落ち込むなよ、
バーシアはちらりと横目を流す。
中庭の第二校舎――教科棟の入り口の脇には、ユリノキやソテツを赤
「じゃあ今日は解散な! 宿題もあるし」
「バーシアは反省文も書かなきゃね」
「うーん……うまく書けるかな……」
「ふふ、武器を持ち込んで没収って、初めて聞きましたよ」
今度はバーシアが顔を落とす様に、リスティはどこか微笑ましくも感じた。
「――ああ、そうだわ。私、先生に言われていたの」
リスティは花壇を見やる。
「華係のお仕事よ。用務員に頼んで、花をガラス瓶に飾りなさいって。よくわからないけどやってみるわ」
「できるか? 手伝おうか?」
「いいえ、バーシア。私は一般生徒なのだから、ひとりでできるわ」
「まあ……そうか。花を挿すだけだもんな」
「じゃあまた明日ね、リスティ」
「また明日、リスティさん」
「ええ、ごきげんよう」
夕日のせいだろうか、お友だちとの別れは切ない。
リスティは胸のときめきを隠しながら、友だちのうしろ姿を見送った。
「さあ、用務員の方って、どこにいるのかしら」
ここへきて探しものが多いと、リスティは思い返した。
――そのためにここへ来た。
夕日の空気を吸い込んで、学園を見回してみる。
実家の王宮やルージュ家と比べることができる広さだ。
なにか途方のないものを探している気分になる。
日中でも夢に吞み込まれそうになる。
職員室で担任に聞くと、用務員はこの校舎の花壇にいるようだった。
表のキャンパス側からまわっていくと、奥の日陰の中にそれらしき姿があった。
花壇にしゃがんで、スコップを手にしている。
「――ねえ、あなたが用務員の方かしら」
リスティの声に男は、顔と眉とを順に上げて答えた。
「うん? ああ、ここにも植えようと思ってね。――手伝ってくれるのかい?」
「先生から、花をいただけると聞いて来たのだけど?」
リスティは腕を組んで用務員を見下ろす。
「ずいぶんべっぴんさんだなぁ。ちょいと待っててくれ」
用務員は、花を摘む様子もなく小さく穴を掘っている。
「――ねえ、それってなにをしているの?」
「ペチュニアだよ。……この辺は生徒もあまり通らなくて寂しいだろう? 前からここにも植えようと思ってたんだ」
その通りに、ひと気はなかった。
体育館からのシューズを鳴らす高い音が、ずいぶん遠くに聞こえる。
校舎の角にかかる花壇は、木々の影に囲まれて、そこだけ日向になっていた。
「ねえ、学園にジギタリスはあるのかしら」
「植えたことはないねぇ。でもそういうのもあったらいいだろうなぁ」
用務員は手を休めて、思い出すように頭を上げた。
「――ああ、教室に飾る花だな。そうだそうだ」
リスティの話を聞いているのかどうなのか、用務員はぬるりと立ち上がる。
土にスコップを立たせ、曲がっていた腰を伸ばすと、その腰のホルダーから剪定ばさみを取り出した。
なんとなく時間がかかりそうだと、リスティはため息をついた。
鮮やかなヒヤシンスが並んでいる。
王宮やルージュ家の暮らしでは、こういった咲き誇った花しか見る機会はなかった。
用務員の足元には、まだ花をつけない苗のポットが植えつけを待っている。
土だらけの花壇は、これから花々が育って咲き誇るのだろうか。
校舎の日影は四角く斜面に写る。
向こうに伸びた影は、刈られた雑草を登っていた。
ひんやりともしそうな建物の角から、人影が見える。
一瞬、光を当てられた感じがした。
用務員は気づいていない。魔術だろうか。
灯台の夜標を当てられたような、身をさらされたような感覚だ。
まぶしそうに――実際に光はないのだが、眉をひそめたリスティの様子に、その男子は声をかけてきた。
「――ああ、すまない。探しものをしていただけなんだ」
また探しものかと、その男子へ冷たく目を流す。
手には下敷きのような板のようなものを、背に隠したように見えた。
用務員と話すように、腕を組みながら男子を見下ろす。
少し背は低いが、近づいてくる足の運びは、なにか鍛練されたもののようだ。
「気に障ったらわるかった。
「害かどうかは私が決めることではなくて? 私が気に入らなければ花も咲かないわ」
「すまない」
謝る人間にはさらに責め立てるとおもしろいと、リスティはニヤリと唇を歪ませる。
――探しもの……。
「ねえあなた。
「いや、これは……大したものじゃない」
男子はなお隠すように、手のものをうしろにしまう。
「安心なさい。大したものでなくても怒らないわ。気に入れば私のものだし、気に入らなければ捨てるだけだもの」
「――とんでもない!」
男子は声を飛ばす。
「――いや、すまない。でもこれは渡せない。俺にしか使えない」
「探しものを、見つける法術具なのね?」
「……見つかるかはわからない。気休め程度のものだ」
「私の探しものを見つけてごらんなさいな」
「……俺の知るものであれば、協力できるかもしれない」
なら無理だろうと、リスティはあきらめた。
あきらめたというか、興味をなくした。
「おおい、摘んだぞ」
用務員の手には、足元に育つヒヤシンスの一輪がにぎられている。
青みのある紫に、葉っぱが何枚かついたまま鮮やかに夕日に映えた。
土にまみれた姿に対して、花はきれいだった。
「――まあ! きれいなお花。私はお花に用があったの。お花が私に用があるのかしら。何もくれないあなたに用はないわ」
リスティは機嫌よく花を受け取ると、少しの青臭さと甘い芳香に鼻を寄せた。
「こうやって教室を飾り付けていけばいいのね。花瓶なんていわずに教室を箱庭にしようかしら?」
「お嬢ちゃんは花が似合うなぁ。――花瓶はあるのかい? 葉っぱのまま挿しとくといいよ」
「ええ、先生に受け取ったガラス瓶があるわ。あなたの働きは褒めてあげてよろしくてよ」
「ははは、花が好きなだけだよ。またおいで」
うちの執事もこう素直ならいいのにと、リスティは花壇をあとにした。
それと、あの男子はなじりがいがあるとも思っていた。
廊下はひっそりと、声はなくはない。
ずっと先のほかのクラスから、ときおり小さく響いてくるだけだった。
机も、床も、うしろの壁は特に茜色に染まっている。
くすんだカーテンはくたびれたように垂れ、何の飾りもない席はつまらなく整列している。
無垢材の床にローファーを打つ音だけが、さびしく鳴る。
花はしっとりと手に馴染み、リスティは教室のうしろへと歩いた。
のっぺりとした教室は、ヘリオライトの中に閉じ込められたようでもある。
ガラス瓶は朝のまま、うしろの棚の上に置かれて教室を見つめていた。
静かに近づくと、リスティは花を置いた。
ガラス瓶をそっと、見つめる。
そっと、見つめ返してくる。
首をかしげると、首をかしげ返してくる。
指をのばすと、その指を見つめてくる。
触れてもいいものだろうかと戸惑っていると、それはヒヤシンスに目を向けた。
気を取られている隙に、そっと手のひらでフタをした。
それは、空を仰ぐように、手のひらを見つめている。
ガラス瓶の中には、妖精がいた。
妖精、なのだろうか。
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