第7話友だちとパレード

 華係なのだから、この教室を華々しく飾らなければならない。

 いては学園中を煌びやかに――王宮のようにしようかと、リスティは意気込んでいた。


「――おーい、聞こえてるか?」


 そういう魔法や魔術があっただろうか。

 魔法だと陣をなくすと効果が切れるから、魔術だろう。

 金魔力オリハルタマで器用に細工が作れるだろうか。

 それこそ花畑なら木魔力トヨクモで植物自体を生やせばいいのだが。


 もちろん魔法魔術等私的使用違反にひっかかるが、それは公共の場のことだ。

 学園を買い取って私有地にすれば解決するのだとリスティは考えていた。


「――なあ、リスティってば」


 しかし、やはり人を雇うべきだ。

 いくら魔法使いでも建物を改装するのは至難の業である。

 王室に言って職人を呼ぶべきだろう。それと家にある捨てさせるはずの調度品を持って来させようか。

 まずはこの教室を、豪華絢爛な造りにしよう。

 金の壁紙、大理石の床、宝飾でこしらえた机や椅子、クリスタルのシャンデリア。

 そう、美術絵画を並べたサロンにしよう。

 お茶会のためのテーブルはどこへ置こうか。


 これは大変だと考えたとき、後ろから肩を手で触られた。


 リスティは驚愕した。

 自分をそうやって・・・・・呼ぶものなど、生まれて一度も会ったことがない。

 あまりの驚きに、非礼とかどうよりも、どうしていいのかわからなかった。


「帰らないの? 家どこ? いっしょに帰る?」

 制服越しとはいえ、着替えの際の侍女でさえ、リスティの身体に触れることははばかられた。

 うっかり肌に触れようものなら、怯えて青ざめる侍女を叱りつけて扇子などでなじったものだ。

 そのたびにむしろ喜ばれて礼を言われていたが、この生徒はそういう折檻せっかんを受けたいのだろうかと、リスティは考えた。


「アタシはバスなんだけどさ、リスティは?」

 リスティは息を飲んだ。

 ――呼び捨て……!

 慌てふためきそうになる気持ちをグッと静め、冷静に振る舞おうと深呼吸をした。

 一般人は名前で呼び合うのだ。

 仕組みはよくわからないが、称号などでは呼ばないのだ。


 そうしてよく見ると、話しかけてきたのは先ほどキャンパスで見た女子だった。

 入学式の前に、教師に武器の所持を咎められて没収されたあの女子生徒だ。


 女子は、リスティが返事をしないことに困ったように頭をかく。

 そのまま指を胸元あたりまで、ゆるやかにうねった髪にするりと這わした。

 そしてシャツのひとつ目の開けたボタンから伸ばすように、グイッと顔を近づけてきた。

「聞いてる? リスティでしょ、名前」

「ええ、聞いているわ。そして合っている……」

 リスティは精一杯に言葉を返して、この懐きのいい茶猫のような女子の言葉を、頭の中で反芻した。

 そして落ち着いて考える。


 ――リスティ、いっしょに帰る……?


 それは、テレビドラマで観たことがあった。

 小説でもあっただろうか。

 王室の教育係からは俗的なものだといさめれたが、リスティはそれを記憶の隅から引っ張り出した。

「おーい、聞いてる?」


 これは、友だちだ――。


 リスティの瞳に光が宿る。

 友だち、それはずっと欲していたもの。

 庶民、それはずっとなりたかったもの。


 それは涙だろうか。

 あふれないように、大切なものがこぼれてしまわないように、リスティは上を向いた。

 ――これが友だち……庶民の象徴だわ……!


 リスティは初めての経験に胸が熱くなり、夢が叶ったように、神を拝むように、そのさばけた感じの女子を、潤んだ瞳で見つめた。

「ええ……友だちって、いいものね……あなたの言葉、一言たりとも聞き漏らさないわ……!」

「そうか、えっと……いっしょに帰ろう?」


 リスティは興奮して気を失いかけた。

 ――いっしょに帰ろう……!


 その声が、なんども胸にこだまする。

 まるで万華鏡のように、ときめきに合わせて景色がまばゆく輝いていた。

 まぶしさと涙で、もうなにも見えない。

「おーい、聞いてる?」

 リスティはハンカチを取り出して涙を拭いた。

 シルクサテンの純白の、透き通るようなチュールレースが涙を吸い取ってくれる。


 ――ママ……私、庶民になれたわ……!

「ええ、あなたに爵位をあげたいわ。おじい様に頼んで、国家勲章ももらえるように推薦してみる――だって友だちだもの……!」

「そう……わかんないけど……」

「帰りましょう、いっしょに! ――もうパレードも花火もいらない。あなたが私の打ち上げ花火なのね!」

「あ、うん……わかんないけど、パレード?」

「ええ、街に繰り出すの」

「ああ、いいね。遊びにいく?」

「ええ! そうしましょう!」


 リスティは指を組んで祈るように、その光景に心が震えた。

 たまに鬱陶うっとうしくもなる祭典パレードも、友だちといっしょなら楽しいだろう。

 そしてそのパレードに意欲的に参加する彼女は、王室の鑑ではないかと。


 その女子は――バーシアというらしい――なんと素晴らしい貴婦人なのだろう。

 どこの国の王室なのかと考えながらも、それを尋ねるのは無粋なことだ、とリスティは胸の内にしまった。

 きっと自分のように、身位を隠して一般生徒に成りすましているからだ。


 やはり心が豊かになれば優しい気持ちになれるのだと、リスティはひしひしと感じた。

「――でさ、アタシも引っ越してきたばかりだから、この辺のお店とか知らないんだよね」

「いいえ、気に病むことはないわ、バーシア。ママ――私のお母様だって、自分のお店のことまでは気が回っていないもの」

「リスティのお母さん、お店やってるの? この辺?」

「この辺に……あったかしら……」

「ええ……自分の店くらいは気を回したほうがいいと思うけど。まあいいや、その辺ぶらぶらして歩いてみる?」


 ――ぶらぶら歩く。

 リスティの頭には、母国の王妃――祖母の姿が浮かんだ。

 式典でも常に微笑みを絶やさず、誰にでも親しく接している。

 お忍びで街を歩くこともあり、庶民の生活をその身で視察しているのだ。


「バーシア……私、感動したわ。……ええ、ぶらぶらと街を視察しましょう! 見聞は大切だと、陛下――あ、いえ、おばあ様はおっしゃていたもの!」

「うん? うん。まあ、とりあえず行こうぜ?」

 ガタリと椅子が鳴り、それに合わせるようにリスティも席を立った。

 教室の窓からの明かりがやわらかい。

 そして輝いている。

 すべてを祝福するように、外へ導くように、空は青く雲は白い。


 そして――ずっと見られていたのだろうか、隣の席の女子がふたり、顔を見合わせて声をかけてきた。

「ねえ、よかったら案内しようか?」


 その女子は目をクリクリと丸く――もともとそういう眼差しなのだろう、丸い木の実のような目を光らせている。

 護衛の雨嘉ユージアのように、黒髪は短くさっぱりと、前髪がサラサラと揺れる。

 しかし見た目はもっとはるかに幼く小柄で、そして口調は明るい。まだ子供のようにも見えた。


「ルージュさんとグレイスさんのお話が聞こえていて。――声をかけようと相談していたんです」

 もうひとりの女子は、木の実の女子とは対照的に、微笑みに目を細めている。

 色白の肌に長いまつ毛が引き立って、みずみずしい黒髪が長く腰まで品よく伸びていた。

 黒百合の花びらを垂らしたような形の前髪が、まつ毛をかすめて上品に首をかたむけた。

「もしよければですけど、私たち地元なので、ご一緒しませんか?」

「ちょうど、お店に寄ろうとしてたの。お昼もいっしょにどうかな?」


 ――いっしょに食事……!


 リスティは、まぶしさに眩暈めまいがした。

 奇跡というものは、突然に現れるものなのか。

「いいね、お腹もすいたし。ねえリスティ、案内してもらおう?」

「うん! 近くの喫茶店だけど、ランチもやってるの」

「私、あそこで初めてコーヒーを飲めるようになって……。そのくらいおいしいんです」

「アタシもコーヒーは好きだわ。あと、ラーメンとか食べたいな」

「あはは、ラーメンはないかも。パスタはあるよ? ルージュさんはなにが好き?」

「食べたいものがあれば――ルージュさん……ルージュさん? どうしました!」


 リスティはペタリと椅子に腰をつけた。

 この硬い椅子も、今はわたあめのように埋もれて溶けていきそうだった。


 涙はあふれ、クリスタルのように輝く。

 リスティは口元を押さえ、とめどないときめきをこぼさないようにした。

 このまますべての魔力を解放してしまいそうになっていた。


「いえ……なんでもないわ。このハンカチをそのままママに送ろうと考えていただけ。――この涙で潤ったハンカチが、私の幸せの知らせなのよ……」


 ――ママ……私、お友だちが三人もできたわ……!


 お友だちって、伝説の存在ではなかったのね――。


「ルージュさんっておもしろいね」

「でしょ、そう思って声かけたの」

「リスティって呼んでいい?」

「いいんじゃない? 席も隣だし。アタシはバーシア」

水音みずねだよ! 話しかけてよかった!」

「私はアリィと呼んでくださいね。――リスティさん、歩けますか?」

「ええ……まるで生まれて初めて歩いたよう……私の人生は今日、始まったのね……」


「……リスティって、身体弱いのかな……」

「……無理させないように気をつけよう?」

「……花を愛する可憐な女性なんですね」

 三人はひそひそと話し始めた。

 リスティの耳には入っていたが、友だちと並んで歩くという感激に――ぎこちなないが、夢幻の花畑を歩んでいるようだった。


 校舎を出ると、駆け寄ってくる姿があった。

 魔術の駆足ダッシュだ。

 それも一足飛びに、正門からキャンパスを越えて、この校舎の入り口へと。

「――お嬢様!」

 反転の魔力放射で勢いを止め、爆風が校舎内に噴きつける。

 フラフラと歩くリスティを捉えた雨嘉ユージアだった。

「どうしました! お身体の具合でも……もしや不埒な輩でも――」

 雨嘉ユージアはキッと、三人の女子をめつけた。


「いいえ、違うの。この方々は――私の……私のお友だちよ……!」


 ギラリと一瞬光ったものが、黒いスーツの袖に引っ込んだ。

「そうですか、これは失礼を」

 雨嘉ユージアは立ち居を正し、いつもの表情へと戻った。

「ねえ雨嘉ユージア。あなたが混乱するのも無理はないわ。だって、お友だちというかけがえのない素晴らしい身位の方々が、突然に現れたのだもの。いつも冷静な――魔獣が現れても冷静でいた、あなただって驚くわよね。……それに、これを聞いてもっと驚かないでちょうだい、気を確かにね……?」

「はい、なんでしょう」

「……三人もよ……!」

「そうですか」

「いっぺんに言ってごめんなさい。それと……これ以上は黙っていたほうが、あなたの心身のためだと思うけど、言ってみたいから許して。――これから……これから、みんなで食事に出掛けるの……!」

「そうですか。そういうことは言ってくださいね。いちおう送り迎えがあるので」


 雨嘉ユージアは、戸惑っているその三人に軽く会釈をした。

「では私はいったん戻りますので。しばらくしたらお迎えに戻ります」

 そう言うと、黒いスーツは機敏にパンプスを鳴らして来た道を戻る。

 同じ色の重厚な車が正門から消えていくまで、三人はあ然と眺めていた。


 エンジン音が聞こえなくなって、誰から声を出そうかと顔を見合わせている。

 まごつくなかで、アリィがようやく尋ねた。

「今のは……保護者の方ですか?」

「いえ、あれはただの運転手よ。なにも気にすることはないわ。――それよりも、早く参りましょう、友だち祭典パレードへ……!」


 ――きょうは……いいえ、今週はずっと国民の祝日にすべきよ。

 だってお友だち記念日だもの!


 そう思いながら歩くリスティを、三人の友だちは目を細めて生温かく見守っていた。

 春の陽ざしをたっぷりと浴びて、桜の花は満開であった。

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