第5話ドレスとキャンパス
春の陽射しはゆらゆらと、まるでそれも花びらのように降っていた。
海から抜け出た太陽に、眩しく散りばむ白波が、道路の灰色を引き立てる。
山並みはところどころに桜が生まれ、街を行き交う
そこに爆走する車があった。
黒の車体はよく磨かれ、鉄色のエンブレムは鋭く輝く。
古めかしく格式ばった様式の車を、誰もが見る目に焼きつけた。
「どうしてこんなに急いでいるの?」
「お嬢様がお茶をたしなんでいる時間を取り戻すためですよ。もうすぐ入学式が始まってしまいます」
「ねえ
「学校とは、お嬢様の有無に関わらず、なにもかも遂行されるところです」
まさかそんなと、リスティは訝しげに運転席に目をやった。
王室のパレードや祝賀会では、主役がおらずに始まることはない。
――私が入学するから入学式なんじゃないの?
遅れるなら待たせたらいいのに。
後部座席からは
その艶の光沢が跳ね、そして車の後輪が滑った。
「山道を通ります。信号もありませんから。――つかまっていてください」
黒塗りの車は、国道から山道へと急転回し、快音を轟かせて走る。
道はせまくなり、両脇の景色は木々に埋もれている。
車両一台が通れるほどのうねった道は、さらに両側が落ち葉で隠れていて、なお細く見えた。
すれ違う対向車をかわし、左片輪が木の根元に跳ねて上がる。
車体は斜めにかたむいたままで疾駆し、なんどかバウンドしてもとの四輪に納まると、道なりに合わせて右に左に後輪がはげしく振られる。
スピードは変わらずなんども道をうねり、上り坂から車体が跳ねてはぐるぐると横に振られた。
「ジェットコースターかと思ったらコーヒーカップだったのね」
「――この先に警察車両がありますね。道を変えます」
「なんでわかるの?」
「
達人が静かに目を閉じて神経を集中してやっとたどり着く域のものではなかったか。
「……前から思っていたけど、そういうのも魔法魔術等私的使用違反……かしら、それではなくて?」
「バレないからいいんですよ」
枝葉が車をこする。
車は道を離れ、獣のように枯れ葉を滑って落ちていく。
道なき道の石にガタンと乗り上げて、
荒馬を乗りこなすように古いエンジンの音がうなりを立て、アクセルペダルがブレーキが、休むことなく繰り出される。
そして崖から飛び出した。
宙を舞った視界に海がキラキラと広がり、日差しに身体が貫かれる。
ドスンと、もともと走っていた国道に着地して、車道の波に乗った。
「――なんで止まるの? 急いでるんじゃなくて?」
「赤信号ですから」
「故障かしら。信号は常に青であるものでしょう?」
「お嬢様……それは王室のパレードくらいですよ。お嬢様もこれから――すでに遅いくらいですが、一般人としてルールを守っていただかないといけません」
「一般人……」
――一般人。
なんという甘美な響きなんだと、リスティは目を丸くし鳥肌が立った。
王女として生まれ、華やぎに満ちあふれた資産家のルージュ家の令嬢として育った。
立ち上がれば
歩けば周りが動くし、足を止めれば持て成しに奔走される。
常に中心であり、特別だった。
それが今これから、一般人としてふるまわなければならない。
つまり、努力なのだ。
身位や立場に関係なく、ひとりの人間として生活するのだ。
すべてのドレスも飾りも放り捨てて、ただひとりの一般人として。
ただひとりの、学園の生徒としてこれから過ごすのだ。
まるで舞台の主役に立つように、リスティは目を輝かせる。
「ああ、なんていう素晴らしいことなの。やっぱり留学を決めてよかったわ!」
リスティは自分の
頬だけでなく、顔中が、指先から足までも、全身の力が、楽しみを覚える。
胸はときめき、好奇心と高揚感に体中が包まれるようだった。
「着きましたよ。間に合ったようです」
「ああ、これからこの学園のいち生徒なのね! ――誰も私を特別扱いしない。私もそのルールに従う。私は特別じゃない」
「わかっていただけてなによりです」
「私自身が認められなければいけないのね、がんばるわ! ――ではさっそく入学式を執り行いましょう! ますは私のあいさつね!」
車を降りたリスティは、校門へと歩みを向けた。
門の脇には桜木が、その向こうにも桜並木が花を散らす。
薄桜色の絨毯は、
同じく門を通る一年生の生徒たちの、誰もがそれを目を留めた。
幾重のフリルをひるがえし、コーラルピンクのドレスが歩く。
胸元のコサージュは真珠のピアスやネックレスと色をそろえていた。
腰から裾にかけて、大輪の花のレースが特に目を惹きつけた。
そして控えめなティアラが朝日にキラキラと輝いて歩く。
その下には制服を着ているのだが、やはり入学式――式典ならばと、上からかぶせるようにリスティはドレスを着飾っていた。
そして優雅に、春の陽ざしをすべての同級生へ与えるように、微笑んだ。
心が豊かだと他人にも優しい気持ちになれるのだと、胸がときめいていた。
「保護者の方ですか?」
リスティは声をかけられ、ツンと顔をそらした。
反射的に、どこぞのものか知れぬものと話すことを拒んだ。
「……お嬢様、この方は教師です。……やはりお嬢様の格好は、生徒にはふさわしくないと言っているようですよ。やはりドレスは私が預かっておきましょう」
「ねえ
「お嬢様、周りをご覧ください。みな制服だけを着ています。それがここでの礼装なのです」
「まあ……!」
リスティはあ然とした。
確かに、みな制服――ブレザーに、スカートもしくはズボンを穿いている。
この教師ですら、簡素な紺色のスーツを身に通しているだけだった。
「失礼ですが、お嬢様のいでたちは、明らかに一般人ではありません」
「なんてことなの……」
リスティの心の中で、風船がパンと割れた。実にさびしい音だった。
――一般人ではない。
リスティは
ドレスを投げ捨てるように車に叩きつけ、真珠のネックレスを外し、ティアラをピアスを道路へ捨てて、ふたたび道を戻った。
「これでいいかしら」
「はい。よろしいかと」
その教師は、どうしたものかと頭をかきながら答える。
「ええっと……生徒なら講堂へ。もうすぐ始まるから――あ、おい、そこのキミ!」
教師は、リスティの向こうへと大声を投げた。
つられてリスティも振り返ると、ひとりの生徒が立っていた。
遅れて気づいたその生徒は、教師の声が自分に向けられたものかと首をかしげる。
その生徒が女子だとわかったのは、ようやく身体つきが女性をほのめかしていたのと、その声からだった。
いでたちは、髪は胸元までうねって栗色に整えているものの、さっぱりと制服のシャツとグレーチェックのズボンを伸ばし、背の高い少年のようにも見えた。
そしてリスティの目を引いたのは、腰に下げた
黒い革は幅が広く短く、少し反り返って二本のベルトで腰に留めていた。
教師にとってもそれを
「校内への武器の持ち込みは禁止だぞ。というか持ち歩くなよ」
「あー……いちおう、ライセンスはあるんだけど?」
女子は面倒くさそうに教師と、腰の黒革の鞘とにちらっと目を投げた。
「こんなご時世だからさ、護身用に持っているわけ」
「どんなご時世でも、生徒である以上は校則に従ってもらう。退治屋――ライセンスがあろうとなかろうと、うちの生徒だからな」
「魔物が学校に現れたら?」
「その場合は校舎に避難して、教師の指示に従いなさい」
女子はしぶしぶと、渡すように指で仕草をする教師へ鞘を手放す。
「反省するまで預かっておくからな」
「反省しなかったら?」
教師は女子に見せつけるように、大きくため息を落とした。
「ねえ、あなた。気になったのだけど、もしその魔物が学園に現れたとして、魔法で追い払ってもいいのよね?」
リスティの問いに、教師は自分が尋ねられたものと気づいたが、なにを返そうか口をぽかんと開けるのみだった。
かまわず人差し指を下唇に当てて、リスティは続ける。
「――ほら、だってここでは誰もが一般の生徒なのでしょう? 社交界の奥まで侍従がついて来ないように、護衛だっていつもいないわけじゃない? そこへ幸運にも――いえ、不運にも魔物が出てきたら、あなたが出張るのかしら、それとも生徒は自分で身を守るのかしら」
「そういう……事例はないんだが。とりあえず教師のことは、先生と呼びなさい……」
「わかったわ、先生。そのときを楽しみにしているわ」
「ああ……もういい、行きなさい。……今年の新入生は外国からの生徒が多いからな……難儀しそうだ……」
教師は、しかめた眉間の
女子は武器を――その鞘からして剣だろう、没収されたことに口をとがらせて、つまらなさそうに講堂へと向かって行った。
「ではお嬢様、私は門前で待機しますので。ああ、それと、私がお嬢様の身近にいる以上、魔物は世の中にいないものと思っていただいて結構です」
しかし、やはり気になったらしく、言葉を濁しがちに伝えた。
リスティも、そのくすぶるような表情に、言わんとしていることを察した。
「……お嬢様。この場所はなにか……何と言いますか、あまり良くない気配です」
「ええ。そうね」
「はっきりとなにかと言えませんが……得体が知れません。異様なことがあれば、すぐに私を呼んでください」
きびきびと校門を出る
その数歩の途中、キャンパスの正面にある校舎と、講堂の建物の間からはだだっ広いグラウンドが見えた。
ただなにもなく、茶けた土があるのみだ。
そのまま視界をめぐらせると、校舎はマッチ箱が並ぶように何棟か向こうに連なっている。
そう新しくはない校舎を、ところどころの緑樹が春風になびいていている。
敷地の全体はわからないが、王宮よりはずっとせまく、実家のルージュ家よりは若干は広い感じだろうか。
リスティは、はっと悟った。
――私はお呼ばれしたほうなのね!
私が入学したのだから私のための学園になる、という考えはポロリと殻がはがれた。
建物の造りや庭のグレードとしては、王宮やルージュ家に比べずとも、とても人の住まう場所とは思えない。
いわゆる名門校や格式のある学校ではなく、ここは一般的な学校だと聞いている。
屋根や窓にはなんの装飾も施されていないし、噴水や使用人の迎えすらないのだ。
しかし、それはこの国の文化の形かもしれない。
ならば尊重すべきことなのだ。
これこそ異国で学ぶという意義なのだ。
そこに招かれた客のように、私は振る舞えばよいのだ。
心のどこかで、一般人の入学式と聞くと、仮面をつけて舞踏会でもするのだろうかと思っていた。
しかし生徒たちは素顔のままで、品なくキャッキャッとはしゃいでいたり、互いに気楽に話しているようだ。
そして付き人はいないし、着飾ってもいない。
それはリスティの目を丸くするほど新鮮なものだった。
「――ああ、そうなのね! みんな、どこかの王子や王女、貴族かもしれないわ。私が知らないだけで……私のように、誰もが身分を隠して入学しているのね……!」
リスティは、そんな一般的な生徒の中に自分も加わったことに感動を覚えながら講堂へと入っていった。
みんな同じ庶民として振る舞っていることに、ほかの生徒との距離がグッと縮まった気がした。
――みんな努力しているのね。私もがんばらないと……!
リスティは、入学式が始まる前からさっそく勉強になったことに、学校というものは素晴らしいものだと、留学を認めてくれた母にも心から感謝した。
――そして。
「
この学園に踏み入れて確信した。
なにかざらりとした、心をなでているものを感じるのだ。
魔力的なものであることは間違いない。
だがそれがなにかというのは、たぶんリスティ以外には――あの
「……確かに
だがそれがどこに、どのように潜んでいるのか、リスティ自身にもわからなかった。
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