第3話ラジオとお寿司
リスティは、腕を組んで身構えた。
足元から顔へと、その目線をなんども這わした。
ため息ついでに、もう一度そのふたつの顔を見すえる。
もう一度のため息をして、顔をうつむかせた。
「なんであなたたちがいるのよ……」
声尻を力なく向けたその二人の女は、リスティのよく見知った護衛だった。
とは言っても、王室ではなくてルージュ家の雇っている私設護衛で、王室の護衛はほかに――今もまあどこかその辺に、いるはずだ。
「アミコ様から、お嬢様のお世話をするようにと言われていますので」
「うん。今さらでしょ? 空の旅はどうだったのさ?」
「だから、なんで待ち構えて……ああ、道理ですんなり話が通ると思ったのよ……」
ひとりは礼儀正しくスーツを固め、黒一色の似合う女性だった。
もうひとりはかなり着くずして、明るいオレンジの髪が似合っている。
「アミコ様は心配なさっているのですよ。王女というよりも、一人娘として外国に出すのは不安が募るのではないでしょうか」
「この国だったら大丈夫でしょう? 治安もいいし魔物も少ない。――だから許してくれたのだと思っていたわ」
「それもありますが。単純に、生活面の心配では? それに――」
「はいはい。どこにでも魔物はいるし、私がその辺で魔法でも使って警察に捕まるとか、そういうことでしょう?」
「はい。そういうことです。――車は用意してありますので。それとクロカワは、先にお屋敷に着いています」
相変わらずはっきりとものを言う
この二人から逃げ切れるだろうかと、意識で周りを見渡す。
うしろには、いま通ってきた税関検査。前には空港のロビー、そして二人が立ちふさがる。
――無理だ。
この
ふたりともプロの退治屋だ。それも限定解除ライセンスを持っている。
リスティの魔力を、全力で
「……これじゃあ、家と変わらないじゃない……」
「まあさ、今までよりは気楽にできると思うよ? ここじゃ王女でもないんでしょ?」
ヴァネッサは、なぐさめなのか軽く言い放って
リスティもため息を落としてついて行く。
バラ色のキャリーバッグがカラカラと、さびしく音を立てて歩いた。
荷物はトランクに積まれ、そのまま後部座席が開けられる。
黒塗りの車は、古めかしくも格式めいたものだった。
「……ママの自由はいつもずれてると思う」
「なにか?」
「いいえ、早くとっとと出してちょうだい」
「せっかくだし、キョウとか行ってみたいなあ」
「……それでもいいわ。もうどこへでも行って」
「行きません。旅行じゃありませんから」
ヴァネッサは騒がしく助手席に乗り、冷たくあしらう
旅行気分だったのにと、この二人がいなければ、今ごろ颯爽と空港を歩いて、異国情緒に想いを馳せながらラウンジでパンフレットを眺めて庶民の旅を満喫していただろうか。
リスティは残念に思いながら、首に下げたチャームを指でいじった。
ずいぶん前からアミコが持っていて、出発前に母から娘へと手渡されたものだった。
(――行ってらっしゃいな)
(いいの? ねえママ。留学って、何年も帰ってこないかもしれないのよ?)
(ねえリスティ、それは悪いことじゃないわ。きっと今だけしかできないんでしょうね)
(たぶん、そう)
(あなたを少し自由にさせてあげたいわ。王室を離れて、一般の人間としてね)
(うれしい、反対されると思ってた……!)
(その代わり、何でもひとりでするのよ? ドアは自分で開けるの。荷物だって自分で持って歩くの。できる?)
(たぶん、できると思う)
(靴だって自分で履くの。傘だって自分でさすのよ? それがふつうの学生なの)
(えっ……噓でしょう……?)
(本当よ。自分で食事を運ぶことだってあるのだから)
(そんな……ねえママ……。私、自信なくなってきたわ……)
(あなたならできるわ! ひとり旅を満喫していらっしゃいな――)
「……ひとりって、なんだろう?」
「哲学ですか?」
目力がすごいなと、リスティは長いまつ毛を伏せた。
なにか妙だと思ったら、この車にはテーブルがない。
お気に入りのクッションもないので、ドアにもたれた。
少し開けてみたぶ厚いスモークガラスから入り込む風に身を寄せた。
空が緑を走らせている。
雲は白く泳いでいる。
ここへ来た理由は、なんでもよかった。
神経を研ぎ澄ませて、意識を探した。
あの夢の中の、あの場所はどこなのか。
どこへ行けばいいのか。
地球儀は回りだし、地図は燃えて灰になった。
昔からある大陸、沈んだ国、浮かび上がった島。
その中で
水晶は割れ、針が残った。
細く細く、その針は、ひとつの場所を刺した。
水晶の破片に写る、ひとつの学園、そこを留学先にした。
――この二人に、蛇のことを話してみようか。
きっと誰よりも頼りになるかもしれない。
だけど、夢のできごとを具体的に説明するのがむずかしい。
それともし、危険に近づくことだと判断されたら、家に連れ返されるんじゃないだろうか。
自分で見つけたいのだ。
探そうとする前から、奪われたくはない。
そんなことを考えながら、心地よい運転に身をゆだねた。
蛇はなおも襲いくる。
一匹、二匹と近づいてきて、大きな口を広げる。
それぞれがひとつのようでいて、なんども繰り返される。
少しずつ違う頭に、次々に吞み込まれる。
蛇も自分も、吞み込まれては消え、また吞み込まれる。
それがいくつも重なり、いい加減に飽きたころに、空を見上げた。
月はふたつ光り、水平線に映る。
四つになった月は、さらなる水平線に映って八つになる。
それがさらに倍、その倍へと、妖しさを増やす。
月も、蛇も、自分でさえ万華鏡のように、終わらない夜の山河の中にあった。
リスティは起きていたように目を覚ますと、白く淡い真昼の月が並んでいた。
そこは、春だった。
遠くなだらかに続く山は、緑に紅色の道を引いている。
そのふもとから地平線に、そのまま薄い青空へと溶けるように景色は走る。
風が、桜色だった。
反対側と、前方のガラスには海が広がる。
太陽が波に照り返し、
南下、しているのだろう。
ずっと先までの海岸沿いの道路に目を這わせていくと、目指す先には、きれいに頂をとがらせた三角の山が見えた。
その山の上、海の上ともいえる。何もない遠くの空に一匹の小さな影が飛んでいた。
「あれは魔鳥かしら?」
「はい、そうですね」
何の気もなく尋ねたリスティの問いかけに、
信号で止まっていたのも気づかないくらいの丁寧な運転で、遠くの魔鳥など気にも留めていないようだ。
かたや助手席のヴァネッサは、車内のラジオの周波数をいじってはブツブツとつぶやいている。
天気やら事件やらのニュースが、ザーザーと声を消しては音楽に変わり、プツプツと途切れ途切れにジャズが流れた。
「――昔はさ、
ヴァネッサはやっとチャンネルを見つけて気に入ったらしく、両手を枕にして背もたれに身を投げだした。
仮にも王女の前で――本人に悪気はまったくないのだろう、このふんぞり返った態度は大変な不作法ではあるが、リスティは、いつものことだと気にしなかった。
あくまで母のアミコ、ルージュ家に雇われているのであって、リスティ自身にはべっているわけではない。
王女だ令嬢だと、誰もがリスティに気を遣う中でこの二人は違った。
それがリスティにとっては、いつも新鮮でもあるし、解放された気分にもなった。
「魔力がなかったから、科学が好き勝手できたんでしょう? ラジオもテレビも、ネットも慣行電波で世界中に繋がっていた。電話もどこででもできたって、ママからもおじい様からもそう聞いたわ」
「はい。私もうろ覚えですが、確かにそうでした。便利といえば便利、だったんでしょうね」
「今は
「お屋敷ではケーブルを引いてありますので、その辺の抜かりはありません」
「ねえ
「はい。使われてはおらず古くなってはいますが、お嬢様のお好きにと。――手入れなどはすでに済ませたので、生活に支障はないはずです」
「ちょうどよく学園の近くにあったものよね」
その魔力も魔法もなかった時代――ちょうどリスティが生まれたころに、それは終わった。
始まったというべきか、世界は虚ろに浸り、現世と常世は交わった。
今となっては、どう変わったのかも曖昧なほどに、先人の遺産すらも虚ろに変えている。
車は街を抜けて、交通量が減っていく。
遠景に山並みが、近景には田畑を見せて、海の音がよく聞こえる。
そして少しだけ林に入った、静かな木漏れ日のトンネルに車は止まった。
木立に小鳥がさえずる。
刈り取られたばかりの芝生の香りが青くどこまでも広がる。
そして、主人を初めて迎えた門が開く。
真っ白な門柵は横に長く、開き終えるまでゆっくりと時間がかかった。
ひっそりと、小鳥に知らせるようにギギギと、新しい主人を迎えた。
車は両手の花壇を抜けて屋敷棟へと向かう。
石畳で舗装された道路から見る前庭は、眺めるには小さく、見入るには広い花園、といった印象だった。
中央の新しそうな噴水には、わきに小鳥が羽を休めている。
そして花々の植えられた色とりどりの花壇へと目がいった。
リスティは、執事のクロカワを見つけた。
ほかに五名ほどの使用人はみんな初顔だった。いちいち覚えてはいないし、一斉に深く頭を下げているのでわからないけど、たぶんそうだろう。この地元のものでも雇ったのだろうか。
当然そこが玄関であり、主人を迎える扉だった。
「おかえりなさいませ、お嬢様。ご機嫌麗しく存じます」
クロカワは恭しくお辞儀をした。
その端正な容姿に堂々とした立ち居振る舞いが、ますます年齢をわからなくしている。
「長旅はいかがでしたか? お疲れになってはおりませんか? ……おひとりで留学と聞いて、私めも是非、お力になれればと馳せ参じました」
「お茶にして」
クロカワは、護衛二人と代わるようにリスティに付いて従う。
玄関ホールは、いつぞやの伯爵の社交界のホールと同じくらいだろうか、まあまあ広い形になっていて、向こうの壁かけの絵画がぼやけて見える程度だった。
まあ
ここにもこなれたような使用人が五名ほど並び、みなが一斉に頭を下げる。
「ねえクロカワ。ひとりって、なにかしら?」
「はあ、哲学でしょうか。……あいにく私めには――」
「もういいわ」
彼らがいなければ、今ごろはこの屋敷を気ままに探索して――その前に、観光気分で好奇心の赴くままに街でも練り歩いていただろうか。
「本国より、いつもの茶葉を運ばせました。ああ……私めは、外国留学へのご英断をなされたお嬢様の凛々しき麗姿に感激いたしまして、涙で手元がにじんでよく見えません……」
クロカワは泣きじゃくり、手を震わせながら紅茶を注ぐ。
「……お嬢様はここで異国に触れ、ますますその知見を深められることでしょう……」
ハンカチを取り出してむせび泣くクロカワをよそに、リスティはいつものティーカップを手にした。
ほっそりとしたハンドルを手に、琥珀を夕陽に溶かしたようないつもの紅茶に口をつける。もちろん本国のだ。
玄関ホールの脇の小部屋、壁は白く金縁で飾られてどこぞの風景画や彫刻像が並んでいる。これも本国のだ。
窓は優しく開けられ、純白のレースが揺れている。
水を与えられたばかりの芝生がキラキラと、そして寄せ植えた花々がベッドを作り、春風をゆっくりと呼んでいる。
あの女神像やら竜の彫刻から流れ出る噴水も、本国から持ってきたのだろうか。
そのわきにはトレリスに囲まれて、巨大な花時計が造られていた。
誰もが目を奪われ、時間が立つことを忘れさせて、心も身体も癒やされる、そんな庭がここに作られていた。
緑のアーチが連なって、風を呼んでいる。
花の香りのそよ風は、飾られた窓に招かれて、屋敷中をめぐる。
豪華絢爛なシャンデリアも、若葉のように柔らかい絨毯も、やけに長い壺に生けられた花々のオブジェも、宝飾のまぶしい調度品ごとに、上にはフラワーアレンジメントがそえられている。
すべて、この屋敷の主のリスティのために輝いていた。
「ぜんぶ燃やしましょうか」
薄いソーサーをしとやかに鳴らし、リスティは腕を組んだ。
人差し指を下唇に当てて考える。
「うん。ぜんぶ、燃やしましょう。そうしてちょうだい」
「……と、言いますと……」
「ねえクロカワ。私はお寿司を食べたいの。だから、ぜんぶ燃やしてちょうだい」
「……はい?」
「夕方までには帰るから。それまでに元あったように、おじい様の買ったときのようにしていてちょうだいね」
リスティはあくびをかみ殺しながら、百合の花をなでるように席を立った。
横庭には
運転は好きなようで、いいですよ、と簡単に返事をもらえた。
街の寿司屋はとてもおいしく、貸し切られた店内のどこを見ても異国情緒にあふれている。
壁中に貼られたお品書き、畳の部屋に和紙のちょうちん。
陶器製のタヌキの置き物や、クマの木彫り、白磁器のネコまでいる。
「ああ、これよこれ。やっと外国に来た感じがするわ」
寿司屋をガラガラと外に出ると、街を歩く夕陽の人混みがリスティの視界に飛び込んだ。
誰もが誰もを気にせずに、ただそれぞれがそれぞれでいる。
「私は、この中のひとりになったのね。――ねえ
リスティの好奇心がニヤリと動いた。
「今はご勘弁ください。全力で止めますよ?」
「今じゃないわ。これからのことよ」
バタンと重い音がふたつ、そして年代物風のエンジンの音が街を走り出す。
「ラジオを消しましょうか?」
「ううん、このままでいい」
車のラジオはヴァネッサが付けていたそのままで、プツリプツリと軽快なジャズを流す。
「学園って、どこなんだろう」
「あの向こう……ちょうど魔鳥が飛んでいるあの辺りですね」
リスティは、ふうん、と内心の期待感を悟られないようにそっけなく返した。
あの夢の舞台。襲いくる蛇に挑むようにここへと来た。
しかしそれよりもまず、一般的な学校生活に興味がある。
今までと違う生活、王女ではなく一般人だ。
その身位は関係なく、ただの世界有数の資産を持つルージュ家の娘、つまりリスティの知るところの一般人として、学生のひとりになるのだ。
――自分のことを自分でする。
そこらにいる人間のひとりなのだ。
楽しみで胸がおどるようだ。
ひとつ、不安もあった。
――友だちはできるのかな……。
夕日には魔鳥の影は、ただ小さくはばたいていた。
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