第18話 使命 


 西暦1853年 皇紀2513年 明応7年4月2日 午前7時頃

 大日本皇國 〈皇都〉皇京 越之宮市 越之宮鎮台衛戍地 第一食堂


「此処が……食堂しょくどう」 

 

 大隊長室での会話が終わった後、俺と月島は流石に腹が減ったということで衛戍地本棟内にある食堂に来ていた。衛戍地の中央奥にあるその一室の木扉を開けると、そこは数十名の兵士たちが朝食をとっている最中だった。

 いや、殆どの兵士たちは食べ終わって談笑を楽しんでいるといった感じか。

 食堂とはいっても、そこには板の間と土間を増築したような空間が広がっていた。そして奥の炊事場で十五人ほどの襯衣しんい姿すがたの兵士たちが朝食を作り、取りに来るのを待っているという様子だった。

 それは良いのだが……。いきなり入ってきた見慣れない格好の俺に対し、兵士たちから多くの目が向けられる。ずっとジャージ姿ってのも面倒なものだ。

 けれど、あまり懐疑的というか訝しむような目線ではない気がする。

 

「さあ、さっさと飯を食ってしまおう」


「は、はい」


 俺に対してのものと同様に注がれる視線を何とも思っていないかのように、月島は食堂の奥へと進んでいく。俺は少し気まずくなりながらも、月島の後を着いていった。そうして向かった先は当然、朝食を配膳している炊事場である。

 そこで立っていた一人の兵士に対し、月島は声をかけた。


「二人分の食事を貰えるか」

 

「月島伍長か、勿論。……その少年が例の?」


「ああ。音無と言うんだ」 


 口調からして音無と同階級、すなわち伍長らしき兵士。彼は土間を広くしたような炊事場にいる為、俺達よりも一段下の位置にいた。

 すると。炊事の為に軍服を脱いで襯衣シャツ一枚の状態の彼は、月島の少し斜め右にいる俺のことを下から上にかけてじっくりと見て……。

 にっと笑みを浮かべた。


「音無、か。名は何と言う?」


「雄輝です。英雄の雄に、輝くの輝」


「良い名前だ。そして良い顔つきをしている。

 俺は〈沢城さわしろ宗次郎そうじろう〉。第三中隊・第一小隊長だ。これからあまり関わることは無いかもしれんが、宜しく頼む」


「よ……宜しくお願いします!」


 のっけからかなり高い俺に対する好感度に、少し驚いてしまった。その為少しどもって、声が上擦うわずってしまう。俺は別に沢城に何かをした覚えはないし、そもそも初対面なのに何故なのだろう。そういう異世界チートか?


「何故そこまでお前に対して、友好的なのか分かるか?」


 すると俺の考えを見透かすかのように、沢城が問う。無論分かりようが無い。

 俺が首を横に振ると、彼は「後ろを見てみろ」と言った。

 それに応えて俺と月島が後ろを振り返ると……。そこには、先程まで食事を摂っていた兵士たちがぞろぞろと集まって列を成していた。

 彼らの表情には、それぞれ度合いは違うものの柔らかい笑顔があった。


「……沢城さん。これって」


 俺が疑問を呈そうとすると沢城は炊事場から板の間に上がって、兵士たちの列の最前に立って応えた。


「此処にいるのは、の兵士だ。音無に感謝を伝えようと思ってな」


「どういうことですか? 俺は別に、萩坂村を救ったわけでも無いのに」


 沢城の言う通り萩坂村出身の兵が集まっているのならば、俺が感謝される所以は昨晩から数時間前までにかけての萩坂村での戦いにある。

 けれど、俺はあの戦いで感謝されるようなことは殆どしなかった。できなかった。

 むしろ失敗の連続で終わり、個人的に学んだことはあっても公式な戦果なんてものは無い。ただの学生に過ぎない俺がどうすることもできないのは分かってるけど。


 ……過去の俺だったら、それらの失敗に対してただただ己を責めるだけだっただろう。けど、今の俺は違う。

 過去の俺も、今の俺も確かに弱い。

 間違いだらけで、チートも無く、命を賭して一人の少女の心さえ護れない。

 ヘボヘボの異世界転移者だ。だけど、だけどさ。

 俺は決めた、見つけた。この世界で生きる指針を、見つけたんだ。

 〈真の強さ〉を探し求め、一文字や萩坂村の人々を救い、護る。

 皇國の為に戦い、絶対に元の世界へ還る。

 吾妻の口から、聞くことができなかった事を必ず聞く。贖罪を為すのだと。


 やるべきことは多い。

 けどそれらは全て、前を向き続けることでしか達成できないもの。

 だから俺は、黎明れいめいへ進み続ける。


「確かに、お前は萩坂を救ったというわけではないかもしれない。それに関しては月島伍長。貴官には感謝を幾らしても足りない程だ。本当にありがとう」


「……俺は当然のことをしたまでだ。それより、音無に対する感謝とは?」


 自らのことは別に良いというような態度で、月島は俺に関することへと話題を切り替える。本当に、月島らしい対応だ。


「ああ。……確かに、音無は萩坂を救った輝かしい英雄ではない。

 だが、お前は一文字綾香という少女を助けてくれた。それも八尾仙孤という一人では到底適わない魁魔からかばってな。

 それだけでも音無は、俺達にとってその名前に負けぬかしい英だ」


 ……ちょっと褒め過ぎじゃないか? そして他にも疑問はある。


「それを何故、沢城さんたちが知っているんですか?」


「月島伍長の副官・佐久間兵長や小隊の者たちから聞いたのだ。我々が食事を摂っていた時に偶然、耳に挟んでな。恐らく音無と月島も此処に来るだろうと思い、今まで待っていたというわけだ」


 ……なんかこの国、人に何かを伝える為に出待ちする人多くないか?

 軍人らしい効率的思考と考えれば、そうかもしれないけどさ。


「でもこう言っちゃなんですけど、一文字一人を助けただけの俺が皆さん全員に感謝されるっていうのは、ちょっと大袈裟というか……」


「いいや、音無。それは違う」


 俺の言葉を遮り、沢城が言葉を紡ぐ。


「一文字の家というのは旧士族の家系でな。そして萩坂村は遥か昔に一文字一族が住み着いて開墾を行ったことで繁栄し、半世紀前までは萩坂城はぎさかじょうという寿郎山に築かれた山城を中心に封建体制が続いていた地だった。

 だが憲法が施行されたことで一文字家は士族でなくなり、城を棄てて棚田を持つ農家となって今に至っているというわけだ。……領主様でなくなったとはいえ、萩坂の者は我らを含めて皆が一文字家に恩義を感じ、慕い続けている。

 だから。一文字家のお母様が亡くなってしまったのは残念なことだが……。残った綾香様を助けてくれた音無に、最大限の感謝を伝えたい」


 一文字家は旧士族、か。村から離れた棚田の上で、まるで村の居住地域を見守るかのように立つ一文字の家には何かあるのではと密かに勘ぐってはいたが、そういう理由があったのか。色々と納得がいった。

 そして俺はそんな最大限の感謝に対し、何を返すべきか。


「一文字家がそんなに慕われていたなんて、知りませんでした。

 けど、それを知ったおかげで俺の意志が更に強まったように感じます」


「意志?」


「一文字や萩坂の人々を救い、護るという意思が」


『…………!』


 沢城だけでなく、後ろに控えていた何十名もの歳もバラバラな兵士たちの表情が、強い衝撃を受けたかのようになった。

 続けて、俺は告げる。


「必ず、俺は成し遂げます。今の俺にはまだ無理ですけど、いつかきっと」


「ああ……!」


 沢城は感極まったといった声音と面様で、右手を差し出す。

 俺は何も言わず、右手でその手を握る。グッと力を込めて。

 彼の、月島に負けず劣らずゴツゴツとした手の感触が伝わっていく。

 この感触を、今の想いを、意志を、俺は決して忘れない。

 


 ……その後。

 俺は沢城や他の兵士たちに、という新手の歓待を受けた。


「ちょっ……もう要らないですって!」


「いやいや、お前まだ15歳だと聞いたぞ!? もっと食えもっと」


「成長期は殆ど止まってますよ! いやめっちゃ大盛!」


 茶碗に入ったご飯は既に3杯目に突入。

 いくら腹が減っていたとはいえ、朝食でご飯3杯はキツイ。しかもそれも食べ終わったというのに、沢城たちは更なるおかわりを盛ってくるのである。

 成長期という言葉がこの時代にあったのかということすら考えず、ひたすらに新手の歓待という名の飯ハラスメントを回避しようと努力する。

 だが、否応なしに盛られてくるご飯の応酬にもう無駄だと諦め、食品ロスはいけないことだと心の中に呼びかけながら、ただただ必死に米を食らう。


「おい音無、味噌汁は要らないか?」

「おい音無、茄子なすの浅漬けは要らないか?」


「いや本当に限界ですって、沢城さ……月島さんまで! 何してるんですか!」


 結構腹も限界に近づいていた状態で唯一味方だと思っていた月島までもが裏切り、茄子の浅漬けが盛られた小皿を幾つか手に乗せている。

 しかもニヤニヤと、清々しいくらいの笑顔を浮かべながら。

 もはやただの、大人による子供への悪戯だ。完全に楽しんじゃってるよこの人たち。マジでこの国の軍人、遊び心満載の面白集団なんじゃないかと思うほど。

 それでいて真面目な時はとことん真面目で、しかもめちゃくちゃ強いと来た。

 ギャップ萌えとかそういう範疇を飛び越して、違う次元に行っているような感じがする。……いや、そんなことより腹がヤバい。


「うっぷ」


 少しゲップを漏らした。それと同時に、何だか頭がクラクラとする。

 目の焦点が合わず、思考がどこかへ飛んで行ってしまいそうな……。

 

「お、おい。音無大丈夫か?」


 そんな俺の様子を心配したのか、沢城が声をかける。


「どう…た? 具…で…悪いのか?」


 月島も俺に声をかけているようだったが、途切れ途切れで聞こえない。

 ―――意識が遠のいていく。

 肉体が真っ白な空間に溶けていくような感覚。

 そして最後に聞いたのは。


「音無―――ッ!」


 薄れゆく視界の中で手を伸ばす月島の、悲痛な声だった。




 気づくと、またにいた。

 真っ白で。遥か前方に淡い光が見える、変わらない場所。

 けれど一つだけ、変わったことがある。

 過去二回、俺は此処に来たことがあった。

 一回目は転移直後、群鬼に襲われて気を失った後。

 二回目は一文字を庇って、八尾仙孤にやられた後。

 その二回とも俺は一切この空間で体を動かすことができなかったし、そもそも意識や体さえちゃんと存在しているのか分からない状態だった。

 ……けど。


「体が……動く。話せる!」


 今は違う。全てが白い空間の中で、上下左右や重力の方向すら分からないけれど、体も意識もちゃんとあって。歩くことも走ることもできるのだ。

 しかも話すことができる。何だか不思議な夢だ。

 夢の中でできることがグレードアップしているのだろうか。

 しかし脳の思考・状況認識能力もはっきり機能するようになると、この空間に得体の知れない恐怖を覚える。一体何なんだ、この空間は。

 それに、不思議な空間にここまで冷静な恐怖を感じられるなんて。

 本当に夢なのか怪しいところだ。でも少なくとも現実ではないだろうし……。

 

「ああ、もう分かんねぇ! とりあえず歩こうそうしよう!」


 心の中で蠢く恐怖を振り払うようにわざと大きな声で呟くと、俺は遠方の白光に向かって歩き始めた。ただただ前へ、進み続ける。

 

「これが〈黎明へ進め〉ってやつか。……何言ってんだ俺。

 にしても黎明なんて言葉、よくすんなり出てきたもんだ。俺の国語力にも少しは箔が付いたってところかな。いや本当に自画自賛だけどさ。

 ………………………………」


 恐怖を紛らわすかのように、しょうもない自問自答っぽいことをする。だがすぐ無性に恥ずかしくなってやめた。更に沈黙が続く。

 それでも足を前へと踏み出し続ける。足跡もつかず、足音もしない。

 ただただ前へ。光を、たった一つの出口を求めて歩く。

 それはまるで、俺がこれから辿る道筋のようで――。

 どこか懐かしく、どこか新鮮な。不思議な感情を抱かせる道程であった。


 ふと、少し遠くに黒い影が見えた。


「!」


 俺は目を見開き、走った。

 力を脚に込め、俺の体力が許す限りのスピードで走った。

 黒い影の輪郭が徐々にハッキリとしてくる。

 あれは……人だ。人がいる。

 髪が長くなびいている。女の人だ。

 少し小柄で、髪色は綺麗な黒。少女……だろうか。

 

 辿り着く。そして、俺が見たものは。



「――――江崎えさき……?」



 そこにいたのは、元の世界での俺の友人・江崎かなでだった。

 見間違えるはずもない。俺のジャージのポケットに入っているであろう三枚の写真の内の一枚。綺麗な黒髪をポニーテールにした、可憐な少女。

 俺の記憶とも、何のたがいが無い。彼女は本当に、卒業式の時の姿のままで。中学の制服を羽織り、卒業証書を片手に持っている。

 ただあの写真と唯一違うところは、江崎の目には何一つとして涙が無いこと。

 その事実に俺の胸はギュッと締め付けられ、逆に泣いてしまいそうになる。


「え、江崎……なんで。こ、此処に?」


 俺は目の前にいる少女に問いかける。

 すると江崎は……こう応えた。



『この少女の名前は、江崎というのですか?』



「……は…………?」


 俺は言葉を一瞬失った。

 しかしすぐに、言辞げんじを矢継早に放つ。

 この時点での俺はただ彼女に再会できたことが嬉しくて、口調が明らかにと違うということにさえ気づいていなかったのだ。


「なに言ってんだよ江崎。お前の名前は江崎奏。

 そして俺はお前と同じ高校に行く予定で、お前の親友・音無雄輝だ」


 俺は眼前の少女の両肩に手を伸ばし、少し揺すりながら話しかける。

 けれど……。違う、何かが。

 そして分かった。分かってしまった。

 俺がたまに、こうやって悪戯のつもりで肩に手をやると、江崎はいつも振り払いながら恥ずかしそうに後ろを向くのだ。けど……目の前の彼女は違う。

 ただキョトンとしながら、俺の顔を直視してくるだけだ。

 ……彼女は江崎じゃない。声や姿形は同じだけど。

 姿だ。


 俺は肩から手を放し、後ずさりながら叫ぶように言った。


「誰なんだよ……。一体お前は誰なんだよ!?」


 それに対する彼女の返答は――――。



『単刀直入に言いますと、あなたをこの世界に存在です』



「は……はぁ………!?」


 嗚呼、今の俺は取り乱している。今までに無いくらい。

 だって目の前に、俺をこの世界・大日本皇國に転移させたという存在。

 いわゆる〈かみ〉がいるのだから。


「つまりそれは……神ってやつ、か?」


『そうですね。私は八百万やおよろずの神々の内の一柱ひとはしら……。

 まだ名を明かすことはできませんが、あなたが思っているような存在であることは間違いありません』


 俺は更に一定の距離を取りつつ、眼前の超常的存在に対して質問をする。


「いくつか質問をしていいか……いや。していいですか?」


『ええ、勿論』


 もし本当に、この存在が神だとしたら。

 タメ口を叩いたり、あまつさえ肩に触れてしまった俺は一体どうなるのだろう?

 分からないのが怖いので、今のうちに敬語に修正しておこう。


「まず……何故、江崎の姿をしているんですか?」


 これは本当に最初に解消しなくてはならない事柄だ。


『……私には、本当の姿があります。しかし現世うつしよの人間、すなわち今を生きている人々には神々の本当の姿は見せてはならないという世界の摂理があります。

 それを破れば、たちまちあなたと私は世界から永遠に抹消され、人々の記憶の中にすら留まることはできません。永久とわの眠りに就くことになるのです。

 しかし夢の中で、すなわち現世と常世とこよの狭間で、あなたの心の奥底で想っている人の姿になって現れることはできます。

 それがこの姿……江崎奏さんでしたよね?』


 うーん、理屈的にはよく分からないが……。

 そういうことにしておこう。では第二の質問。


「じゃあ、何故この白い空間に呼び出すんですか?

 それに一度目と二度目は現れなかったのはどうしてですか?」


『この白い空間は私があなたと話す為に、あなたの脳内でつくりだした疑似的な空間……と言えば分かりますか? そしてあなたが一度目・二度目に昏倒した時点では、まだ此処を夢の中で十分に意識を保てるように調整していなかったのです』


 何だか理系みたいな話になってきたな。この神は何かの技術士か?

 俺も若干理系なとこがあるから、疑似空間とか調整とかの言葉には弱いけど。いや、それはただの厨二病か。まあいいや。次で最後の質問といこう。

 これは本当に根本的な話だ。


「最後の質問です。……何故、俺をこの世界に呼び出したんですか?」


 その質問を、俺は薄っすらとした怒りを纏いながら放った。

 この世界で、皇國で、様々な人と出会った。そして俺自身も変わっていった。

 けどそれとこれとは別問題で。この存在が俺を転移させさえしなければ、電話越しに吾妻の言葉を聴けたはずなんだ。どうして、あの瞬間ときに。


『あなたは……元の世界で悩んでいました。二人の親友……。

 名は聞けませんでしたが、その二人とのこれからの関係についてとにかく必死で悩んでいました。私はそれをずっと見てきました。ずっと遠いところから。

 そんな時、私はあなたが住む世界の並行世界で、とある大きな戦乱が始まるのを見ました。そして攻め込まれたとある島国が、大陸の大国によって呑み込まれて消滅する一部始終を見ていました。……そうです。この国・大日本皇國です。

 八百万の神々は、どの世界でも〈日本にほん〉と呼ばれる国で人々を見守り、時に神罰を下し、時に救ってきました。私は何千何万と広がる並行世界で、日本という国を見てきましたが……。あなたの住んでいた〈日本国〉とこの〈大日本皇國〉は本当に美しく、滅びる瞬間を見たくはないと願ってきました。

 だから私は、禁忌を犯したのです。日本国に住んでいたあなたを大日本皇國へと転移させ、この国の命運を変えてほしいと頼みに、この空間をつくったのです』


 その話は中々興味深かったが、俺の心に灯る怒りを消すには至らなかった。神が数多ある世界を選り好みなどしていいのかといった些細な疑問とは別に、それらを全て搔き消す程の疑念が生まれていたのである。

 つまりこの神は、俺に〈使命しめい〉を与えようとしているのか。

 こんな……弱い俺に。


「何故、俺なんですか? 禁忌を犯すぐらいなんだから、たった一人だけ強い奴を選んで転移させれば良いのに。なのによりにもよって何で俺を、こんな弱っちい俺を選んだんですか!?」


 俺は自然と、涙を流していた。

 ただただ神への疑念、不条理への怒りが押し寄せてくる。

 己のてのひらを見る。傷一つ付いていない、非力な手だ。


『最初に私は言いました。……あなたは元の世界で悩んでいました、と』


「それがッ……どうしたって言うんですか!

 うじうじ悩んでいるような弱い奴を、何故あなたは……ッ!」


『悩むことは、弱さではありません』


「ッ……!」


 悩むことは……弱さじゃない。

 確かにそうなのかもしれない。だって俺は、この世界に来てから何度も悩んだから。その度に月島達からヒントを得て、この世界で生きる指針を見つけた。

 そうして多少なりとも強くなった。……だとしたら。

 だとしたら、元の世界での悩んだあの日々もいつか報われ、己の強さに繋がる日が来るのだろうか。もしもそうだとしたら、それは……。

 俺の瞳に、一筋の光明が差した。その光は徐々に広がっていく。


『私はとにかく悩んでいたあなたと亡国となった日本を見て、あなたに試練を与えようと考え付きました。……これからこの国は、激動の時代を迎えます。

 国が存続するか滅びるか。その二択を己の手で決める為に戦わねばなりません。

 自らの意志とは関係無く、運命は必ずあなたと惹かれ合い、あなたはこの神州を救う為の戦いに身を投じることになります。それこそが使命であり、試練です。

 その為に戦い、様々な人たちと出会う中で、あなたは〈真の強さ〉を見つけることになるでしょう。それはあなたが元の世界で悩んでいたことを解決させ、終止符を打つ為の重要な鍵となるはずです。

 ……音無雄輝。どうか、この神州を救ってください。

 そして〈真の強さ〉を探し求め、貫き通してください。

 私はこの夢の中でしか、あなたの目の前に現れることはできません。しかし私はいつでも、どこか遠い場所からあなたを見ています。そして常に願っています。

 あなたが〈神州を救いし者〉となることを』


 この神の言うことは、はっきり言って抽象的な事柄が多すぎてよく分からない。まるであの〈異訪来説〉のようだ。

 ……けど、何となく言いたいことは分かった。

 そして心の中でそれを了承することができた。意志は決定された。

 心中に鬱屈と山積していた怒りは、もう無かった。


「……分かりました」


『! では……!』


 江崎……の姿をした何かの表情がぱっと明るくなった。

 本物の江崎はあんまりこういう表情をしないので、ちょっと新鮮だ。


「正直、よく分からないですけど……。

 俺は俺が思うままに、ただ前へ進めば良いんですよね」


『……その言葉が聞けて、良かったです』


 気づけば、俺と神の距離は少しだけ縮まっていた。

 神は江崎の顔で、くしゃくしゃの笑顔を浮かべる。俺は少しだけその表情にドキリとするが、すぐに抑えた。


 ……ああ、また頭がボーっとしてきた。夢が覚めるということなのだろうか。

 視界も薄れてきて、あの神の姿はいつの間にか無くなっていた。

 遠方の淡い白光が強く迫ってくる。

 体の感覚も無くなりつつある中、俺は静かに目を閉じる。


 そして俺は、その光に呑み込まれた。

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