第21話 己のうちに神を宿し、縁こそ最上とせよ

 

「あ……」


 山道における群鬼との戦いが終わり、此処は寿狼山の山頂付近。

 しばらく咲銀杏の馬体に揺られていると、俺の着物や両手・小太刀にべったりと張り付いていた無数の血痕は、まるで幻だったかのように霧散した。それは俺と月島が乗る咲銀杏の躰も同じで、俺達の周囲は一瞬だけ白き煙の渦に包まれた。

 次第にそれも天に昇り、無数の血痕は跡形もなく消え去った。だが群鬼との戦いでかいた汗は消え去ること無く。俺は額を拭いながら言う。


「本当に群鬼は……この世のものではないんですね」


「ああ。少しは信じてくれたか?」


「普通の生き物だったら、こんな風にすぐ痕跡が消えるなんてあり得ませんからね……。八尾仙孤のときもそうでしたけど、八百万の神々が創り出したというのは本当なのかもしれないです。……本当に、神々は酷いことをするんですね」


 俺はそう言葉を漏らした。300年以上前に犯された南部諸大名たちの大罪に怒った故に下された神々の誅罰は、今もなお皇國の人々を苛ませている。

 思えば数百年、この国が辿ってきたという歴史は常に神と共に在った。

 神々の命によって皇都に大量に出現した魁魔は、皇室の弱体化を招いた。それを好機とした諸大名は藤橋家を頂点として結集し、天鷹原幕府を打ち立てた。

 結果として日本は皇國と幕府の二勢力に分断。その後も今に至るまで、苛烈な魁魔による襲撃への対応が祟って、皇國軍を動かすことができず。

 日本の統一は未だ、為されていない。……視点を変えよう。

 月島達のような兵士たちが多くいるのだから、軍隊そのものは精強無比であろう。

 しかし国は決してそうではないはず。普通に考えれば帝国主義が蔓延る時代に、統一されていない国家など国際的地位は0に等しい。しかも人口は600万人程度に過ぎず、領土に至っては日本全土の8分の1しかない。色々と事情があるとはいえ世界の国々の多く、特に列強は皇國並びに日本を取るに足らない国だと判断するだろう。

 それはマズいことで、その弱みに付け込んだ侵略を各国が画策していてもおかしくはない。貿易に関する圧力をアメリカや大英帝国が掛けてくる可能性もある。

 ……結局のところ、この国は統一されねばならない。無論、皇國によって。

 さすれば、あの神が言っていた〈神州を救う為の戦い〉とやらに勝利する術も見つかるのかもしれない。未だこの国の民とすら認められない俺が何を考えたとて、栓無きことではあるが。……さて、そろそろ思考の海から地上へ顔を出そう。


「神々は我々・日本人を見放した。これからも受難の時は続くだろう。

 ……だからこそ、俺達は前へ進み続けねばならん。それは神々に許しを請い、救いを求める為などではない。己の道を己で拓き、己の意志を以て突き進む為。

 これはまさしく試練なのだ。苦しいからこそ、俺達は何か実体無きものにすがってはならない。……己のうちに神を宿すのだ。何にも左右されない確固たる己を」


「己のうちに、神を……」


 月島は俺の背後で手綱を持ちながら話しているが、彼の真剣な表情が言葉からも伝わってくるようだった。まるで自分のことを話しているみたいな感覚を覚える。

 不思議な感情だ。月島は一体、どんな過去を持っているのだろうか。

 さて。つまるところ、俺達は立ち止まるわけにはいかない。神がいようがいまいが、俺達のやることは決まっている。〈真の強さ〉を探し求めるのだ、絶対に。


「またいつ、魁魔共が襲い掛かってくるか分からん。駆けるぞ」


 すると月島はそう言って、今まで常歩なみあしであった咲銀杏の横腹を蹴って駈足かけあしとした。また駆け抜けるは寿狼山の下り道。

 疲れ火照った体には、ちょうど良い風が吹き抜けていく。

 そして俺は今一度、右手に持つ小太刀を力強く握りしめた。

 俺達を乗せた咲銀杏は走り続けている、目的地へ向かって。

 萩坂は近い。




 同日 午前8時20分頃 寿郎山 南東の麓


「見えてきたぞ……萩坂だ!」


 あれから20分ほどで、村の入り口付近にまで辿り着いた。3日前に来た時には燃え盛っていた瓦葺屋根の家屋も、かなり焼けた跡が残ってはいるものの再建されていた。あの夜、戦いの末に命を落とした村民の亡骸も其処にはなかった。

 ただ其処には静けさだけが広がり、爽やかな春風が吹く中で草木が笑う。

 俺達は更に進んだ。ようやく山を覆う木々のアーチを抜け、直接差し込んでくる陽の光が俺達を包み込む。それは暖かく、とても優しい。

 俺達はまず一文字家へ行こうと、馬体に揺られながら畔道を進む。


「凄ぇ……もう、生活が元通りだ」


 俺は田園の様子を眺めながら、そう漏らした。

 何故なら、山間に所狭しと造られた黒茶色の田んぼには、既に十数名の農民が何やら話合っているのが見えたからだ。恐らくまだ田植えの時期ではないので、今は田んぼに水を張ったり代かきをするような段階なのだろう。田舎の飯綱出身なので、そこらへんは全くのド素人ではない。

 すると、遠くにいる農民の何人かが馬上の俺達に気付いて手を振った。

 主にそれは月島に向けられているのだろう。月島が手を振り返すと、農民たちは更に喜色を見せた。俺も試しに手を振ってみると、月島と同様の反応をされる。

 やはり沢城が言っていた通り、一文字を助けたというのが大きかったのだろうか。


「おーい! 綾香様を助けてくれてありがとう!」

「ありがとーっ!」

「そのまま綾香様をめとっちまえー!」


 おい、最後の奴。そのままって何だよ……。

 俺は苦笑いを浮かべながらも、農民たちに言葉を返す。

 

「ありがとうございまーす! あと、娶りませんからねー!」


 俺は声を張り上げる。感謝の言葉を素直に受け止めつつ、冗談なのか本気なのか分からない戯言にも反論しておいた。

 

「冗談だよ! けど、綾香様を宜しくな!」


「分かりましたー!」


 話しやすいように速度が落とされた咲銀杏の歩みを感じながら、俺と農民たちの会話は終了した。……恐らく村民の誰もが、一文字綾香という少女を気にかけ、慕っている。俺はそれを一度だけ、けれど死の危機から一度でも救った少年だ。

 そして一文字の母親が死んでしまった遠因をつくったのも、この俺だ。彼女はきっとまだ悲しんでいる。農民の男が言っていた〈綾香様を宜しく〉とはそういうことなのかもしれない。ならば、これ以上彼女を悲しませるものか。

 俺は誓ったのだから。この村の人々を、一文字を救い、護るのだと。

 

「月島さん、行きましょう。一文字の所へ」


「ああ」


 月島はそう短く応えると、咲銀杏の横腹を蹴った。

 手綱を繰って更に速くさせ、向かうは寿郎山の横ばいに造られた棚田。

 一文字との再会は、すぐそこまで迫っている。



「……よし、あともう少しだ」


 10分ほどで棚田の前に到着し、咲銀杏を下で待たせることにした。

 そして、一枚一枚その段差を登っていく。朝早くに出て、しかも群鬼共との戦闘を経た後なので結構キツい。登り終えたときにはもう肩から息をしていた。


「はぁ、はぁ……」


「おい大丈夫か? ―――来たぞ、一文字が」


 特に疲れた様子も無い月島が放った言葉に、俺は瞬時に背筋を伸ばした。

 疲れがぶっ飛ぶような感覚。この時を俺は待っていたのだと、体が叫ぶような感覚に襲われるのだ。すると、一文字家から一人の少女が出てきた。

 そして彼女の落ち着いた声が聞こえる。

 

「あ、月島さんに音無さん。来てくださったんですね」

 

 ―――3日ぶりの再会。彼女だ、間違いなく。

 あの夜、母親の遺体を護るかのように魔術を以て魁魔と戦い、現れた八尾仙孤の前にただ呆然と立ち尽くしていた。あの、一文字綾香だ。

 3日前は暗がりで詳しく見えなかったがこうしてみると、やはり可憐だ。黒の長髪で、端正で愛嬌のある顔立ち。服装は着物。

 華美ではなくたちばなの柄も控えめな着物だが、それでも彼女は綺麗だ。

 俺が一言何か言おうと思案している間に、彼女は言葉を続ける。


 

宜しくお願いします。音無さん」



 ……ん? これから……?

 俺はその言葉に、頭の中では理解不能の文字がよぎった。

 俺は月島の方に顔を向ける。すると、月島がその厳つい容貌に笑みをつくり、軍帽の向きを直していた。……まさか。

 

「また、演技ですか?」


「まあな。少し驚かせた方がいいのでは、と思ってな」


 確かに驚いたのだが、未だに一文字の一言が理解できない。

 〈これから〉宜しくお願いします。それじゃまるで……。

 一つの可能性が頭によぎった瞬間、月島の言葉が矢継ぎ早に放たれる。


「要は、お前がこの家のになれということだ」


「はっ……はぁっ!?」


 更なる驚愕。まさにその言葉に尽きる。

 いやマジで。そんな話聞いてないのだが。どゆこと?


「一文字の母が死んだ。……今の一文字には、近くに身寄りがおらんのだ」


「え……」


 俺が月島の言葉に困惑していると、一文字が俺の心にある疑問を全て見透かしているかのように話し始めた。


「お父さんは皇都の南西にある〈摂和せつわ〉で、陸軍第二師団の第一騎兵聯隊長を務めているの。……だから、滅多に帰ってこない。

 それに、私には祖父母がいないの。兄弟もいない。

 今までお母さんが私を護ってくれていた。けど、もういないの」 


 一文字の父ということは、古くは萩坂を治めていた士族・一文字家の現当主だ。それが何だって、越之宮とは真逆の方位にある摂和なんて場所で軍人をやっているのだろう。そこに疑問を覚えたが……。今は置いておくことにする。

 何故なら、今の俺の眼には一文字の表情しか映っていなかったから。

 自らのことを語る度に、彼女の表情には深く影が差す。未だかなり落ち込んでいるようだ。それは当たり前だろう、実の母親が殺されたんだから。

 けれど彼女は決して泣かない。ぐっと堪えて、次に表情を明るくさせた。


「あ、私は大丈夫。気にしないで、話を続けてください」


 そう言って笑ってみせた彼女を見て、俺は何故か胸を強く締め付けられていた。

 何故なんだろう? 彼女は悲しみ故に泣くことのない、強き少女だというのに。

 それこそ俺なんかとは違う、強さを持っている少女を前にして。

 俺は一旦そのことを忘れようと、月島にふざけたことを質問した。


「まさか、俺が一文字の母親代わりになれと?」


「馬鹿かお前は。そんなことできるはずもあるまい」


 即座に月島による否定と、手刀によるツッコミが入る。

 まあ、そうなるわな……。だが一文字の方を見ると、クスっと小さな笑いを零している。よっしゃ、一文字の笑いゲットだぜ! 元からこれが目的だったまである。

 そんな冗談はともかくとして、月島が話を始める。


「お前一人がこの家で暮らしたとしても、家業を継げなければ意味がない。

 この家は見た通り、農家だからな」


月島は一文字家から見渡せる、種蒔きもされていない鳶色とびいろの棚田を指差す。

 ……確かに。今までは一文字の母がこの広い棚田を耕作していたのだろうが、これからはそうもいくまい。

 一文字は尋常高等學校、元いた世界でいう高校に入学するらしいし、俺もそうなるかもしれない。そうなったら、この稲田を管理することが、護ることができなくなってしまう。他の村民に買い取ってもらうという手もあるにはあるのだろうが、そう簡単に済む話ではない。……ならば、どうするというのか?


「本日付で、俺達第一中隊・第二小隊並びに……西園達第三中隊・第二小隊と沢城達第三中隊・第一小隊が萩坂村常駐の任に就くこととなった。

 午後になれば、全員が萩坂に到着するだろう。西園の小隊が3日前の襲撃により半数が戦死したことを受けての、小野少佐から下った辞令だ」


「常駐隊が一気に、一個小隊から三個小隊に規模拡大ですか……」


 西園や他の小隊員は自らの希望が叶って、きっと歓喜に震えていることだろう。小野の見事な采配というべきか。

 だが沢城……お前は来るな。萩坂村出身ということだったから彼も喜んでいるだろうが、また鉢合わせすると例の朝食地獄を味合わされそうで怖いのだ。

 あの出来事は完全にトラウマである。


「ああ。高幣連峰から少し外れた萩坂にまで叢時雨の魔の手が及ぶということは、それだけ奴らの活動が活発化している証左だ。それに、一個小隊だけでは大規模襲撃があった時に対応が追い付かないという事実に基づいた決定だ」


 それは確かに。実際、一文字家は居住地域から離れたところにあり、人口が密集している居住地域に恐らく駐屯していたであろう西園小隊は対応ができなかった。

 ならば答えは単純。その常駐隊の数を増やし、村の隅々にまで目を光らせることができるようにすれば良い。むしろ、今まで何故一個小隊だけだったんだ?


「だが……むやみやたらに隊の数を増やしても、あまり良いことは無いのだ。

 まず、常駐隊が寝泊まりする宿営所の数には限りがある。今は一個小隊が寝泊まりできる宿営所が居住地域の東西に一か所ずつ。ちょうど一か所足らんのだ。

 新たな宿営所を造ろうにも、今は襲撃直後で居住地域の復興がまだ済んではおらん。そんな状態で、新たな宿営所を造るために復興を阻害するわけにはいかない。

 資材も有限なのだ。村のきこりたちも、今は家族が優先だろうしな」


「居住地域では、まだ再建されていない家屋があるんですか?」


「うむ……。一部が引火したり破壊されたような家屋ならば、工兵中隊がすぐに修理可能であろうがな。完全に倒壊しているような家屋はそうもいかぬ。

 村の資材庫は無事だそうだが、それでも完全な復興には時間がかかるだろう。

 ……日常を取り戻しているように見えても、それは仮初めのものだ。平常であるかのように、人々は取り繕うとする。そういうものだ」


 いつも月島が言っていることはどこか、自分自身を重ねたもののように感じる。

 だからこそ彼の言葉は重く、説得力がある。俺もそんな人間になりたいものだ。

 日常を取り戻しているように見えても、それは仮初め。ならば。

 あの田園で作業を行っていた農民たちも……そして一文字も、本当はどうしようもなく悲しいのではなかろうか。無理をして、自分の感情を封じ込め押し殺して、紛い物の日常を取り戻さんとする。だとしたら、それはとても悲しい。

 そういえば俺も、転移前はそんな感じだったっけ。詳しくはまだ言えない。けどいつか。きっと話せる時が来るだろう、俺が元の世界で犯した罪ってやつを。

 俺は思考を切り替えようと、言葉を紡ぐ。

 

「じゃあ、どうするんですか? 宿営所が造れないんなら、どこか村民の家屋を貸してもらうしかないんじゃ……あ」


「気づいたか? そのまさかだ。―――一文字家を貸してもらう」


 俺の眼前にあるのは、居住地域に建つ住居の多くに比べれば遥かに外見を美しく保っている中門造りの家屋。一文字の母が板の間で死んでいたとのことなので、中がどうなっているのかは……保障されないのだろうが。背筋がぞっとした。

 

「えーっと、この家に小隊全員で?」


「まさか。一文字家に泊まらせてもらうのは俺だけだ。

 西園・沢城小隊は従来からある宿営所を、我が小隊の他5人は居住地域で2軒貸してもらう家屋が見つかったそうなので、そこを使用する。

 仮に此処がまた魁魔や勤皇党に攻め込まれた時には、すぐに居住地域へ増援を要請し、これを撃破する。そういう算段だ」 


 なるほど……。ってか、一文字や居住地域の村民にもうアポ取ってあるのか。

 早すぎだろ。いつ連絡したんだ? あれか、通信魔術でも使ったのだろうか。

 それにしても月島が一文字家で住み込むってことは、何かしらの対価交換があってのことなのか? 強制的な接収というわけじゃないだろう。


「そして、俺が一文字と音無の親代わり……というと恩着せがましいような気がするな。取引の形態でいうと、私が宿営所としてこの家を使わせてもらう代わりに、日中は私が一文字家の所有する棚田を管理するという形になっている。

 勿論、休日には一文字はともかく音無にも手伝ってもらうがな?」


 なるほど……。WinWinかどうかは分からないが、お互いに利益と損益を考慮した上での合意なのだろう。当然、俺としては拒否権は無いし、元より選択肢も無い。

 そして何より、曲がりなりにも生活の拠点を手に入れられるのは大きい。

 だが一応、ぼやくようにこう呟いた。


「俺が此処で一緒に暮らすのは確定なんですね……」


「当たり前だろう。いつまでも鎮台で面倒を見るわけにはいかんし、戸籍・住民票を取得する際には此処を記帳する予定だ。私がいるのだから、後は場所が変わるだけだろう? ……鎮台に置いていきはしないさ、俺はお前の世話役なのだからな」


「月島さん……」 


 月島の言葉に、若干目頭がじーんとする。月島は聖人か何かか?

 勿論、大隊長である小野や中隊長・白澤の承諾と後押しがあったからこそだとは思うが、俺の中で月島への信頼感が倍増したようにも思えた。

 

「では今日より、俺達は〈家族かぞく〉となるわけだな」


「……家族、ですか」


 月島が話を締めるように何気なく放ったその言葉は、彼の予想よりも強く俺の心に引っかかった。家族、家族か。一文字と、月島と。

 月島は俺達の保護者みたいな貫禄的なものがあるが、俺は……どうなんだろう。

 ただの居候じゃないか。それって、家族と言えるのか?

 確かに皆と、一つ屋根の下で暮らし、同じ釜の飯を食う。

 それは紛れもない家族と呼べるかもしれない。

 だけど俺は一文字と出会ってから、たったの三日。

 まだほぼ他人同士のような関係から、いきなり家族……というのはイメージが湧きにくい。まず姉とか妹、ましてや兄弟だって元の世界ではいなかったし。


 ……両親もいなかったけど。


「少し、悩んでいるんじゃないか? 音無」


 的確に俺の心の中のもやを見抜く月島。

 

「……はい。居候とはいえ、一緒に生活する家族になるんだって急に言われて、頭の中では理解できても」


「心の中では受け入れ難いものだと?」


 はい、と俺は頷く。

 だが一文字は、そんな俺の様子を励ますような感じで声をかける。


「大丈夫……って、無責任なことは言えない。音無君は……えーと、異界から来たんでしょ? 聞いたときは当然、吃驚びっくりしたよ。

 だけどよくよく考えてみれば、一番不安だと思ってるのは音無君のはず。

 なのにさ。私のこと、見ず知らずの私のこと、助けてくれた。

 。だから私は、そのお礼がしたい。

 ……今度は私が音無君を助ける番だよ」


 一つ一つの言葉をゆっくりと選んで、強き意志を瞳に宿す少女。

 俺のことを考えて言葉を選び〈俺を助ける〉と言ってくれた少女。

 あの時一文字を助けたのは、其処に一文字がいたからだ。

 感謝されるのならばともかく、そのお返しをする必要なんてない。

 ……だけど。


「ありがとう、一文字。御厚意に甘えてお礼を受け取る」


 そう言うと、一文字の顔がぱぁっと明るくなった。

 月島は瞳を閉じたまま口角を少しだけ、柔らかく上げる。一文字が、救ったその人がこうやってお礼をしてくれているのだ。それに応えないのはどうかと思う。

 けど、一つだけ一文字の言葉で訂正しなくてはならないことがある。

 俺はまだ彼女を、君を、救っちゃいない。護れてすらいない。

 君がいくら大丈夫だよと言っても、俺はきっと君を救い、護り続けるだろう。

 本当は彼女だって、母親の死に泣き崩れたっておかしくない。むしろそれが普通なのだ。それなのに、彼女はそれをせずに気丈に振舞い続けている。

 何故なのかは分からない。けれど、彼女が悲しんでいるのは事実。

 ならば俺は彼女の為に、戦い続けなくてはならない。無論萩坂の人々の為にも。

 彼女に対して直接訂正するなんて、野暮なことはしない。

 あくまで心の中に、強き意志を。己のうちに神を宿す……だっけか。 

 そしてそれとは別に、俺には一文字に伝えなければならないことがある。

 

「……こんなこと言ったら、一文字は否定するかもしれないけどさ。

 俺、本当に弱いんだ。今は決意だけが先走りしている感じでさ。実力なんて無いし、この国のことすらもまだまだ勉強中。

 だけど、こんな俺でも一文字と月島さんの〈家族〉になるんだ。

 けど、家族ってのはただ一緒に暮らすってことだけじゃなくて……」


 家族というのは、基本的に血縁関係だ。

 一緒に住んでいなくても、一文字の父親は一文字の家族なんだ。ならば、俺と月島みたいに血縁じゃない奴が家族になるためには何が必要なのか。

 答えは一見して、単純明快だ。


「共に、生きていく。

 家族の前には困難や難題、それだけじゃ済まされないような壁が立ちはだかるかもしれない。けど、それに対して、一緒に考えて行動し、立ち向かっていく。

 そういう〈強さ〉が必要だと思う。

 それができなければ、俺には一文字と月島さんの家族になる資格はない。

 俺には、その資格があるのかな? ……急に言われても困ると思うけどさ」 


 自分でも、変な理屈をこねているんだと思う。

 すぐに一文字と家族としての挨拶を交わし、新しい生活を始めればいいというのに。はじまりのまちで、ずっと留まっているようなもの。

 鬱陶しくて、理屈っぽいのは分かってる。

 だけど、確認しておきたいんだ。


 家族とは、一体何なのか。


「……ある。あるに決まってるよ」


 小さく呟いた後に、はっきりと彼女は言った。


「さっきも言ったけど、音無君は私を助けてくれた。

 他の全てよりも価値がある、自分の命を賭してまで。

 そこまで〈勇気〉のある人が私達の家族になる資格がない?

 そんな馬鹿げたこと、ないよ」


 一文字は、その天真爛漫で純真無垢な笑顔を此方に向けた。

 何だか照れくさい。でも、俺はこの〈家族〉にも認められたみたいだ。

 人から認めてもらうっていうのは、本当に嬉しいことだ。

 当然、相応の責任を請け負わなくてはならないのだけれど。

 ……己のうちに神を宿したとしても、自分一人だけではどうしようもないことだってある。そんな時、人は。信頼できる知己や家族を、えにしを頼る。

 どんな無理難題であったとしても、縁を大切にしていれば乗り越えられる壁だって確かにあるはずだ。俺はそれを元の世界で既に知っている。

 だから俺は、己の至上命題を再構築する。それは一つの道しるべだ。

 己のうちに神を宿し、縁こそ最上さいじょうとせよ。

 それを護り続けることも、一つの〈強さ〉だと思うから。

 

「ありがとう、一文字」


 俺も、一文字に笑顔の応酬を返す。

 月島はこちらを横目で見て微笑を浮かべ、こちらへ寄る。

 ……そして。


「改めて、これから宜しく……! 一文字!」


「こちらこそ!」


 ああ、これが家族ってやつなのか。まだ実感は沸かないけどさ。

 それでも俺はこの人たちと家族になるって決めた。これから少しずつ、打ち解け合えれば良い。そんな風に思う。

 すると月島は珍しく、朗らかな笑みと共にその白い歯を見せて言った。


「二人とも、宜しくな」


「「はい!」」


 この、桜満開には少し早い日。4月4日。

 空は澄みきり、爽やかな春風が吹く中。


 俺と一文字・月島は、拳をぶつけ合い―――。

 

 一つの〈家族〉になった。


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