第20話 生き抜くこと


 西暦1853年 皇紀2513年 明応7年4月4日 午前6時30分頃

 大日本皇國 〈皇都〉皇京 越之宮市 越之宮鎮台衛戍地 第一食堂


「萩坂へ……ですか?」


「そうだ。飯を食べたらすぐに〈咲銀杏〉と共に行く」


 越之宮市・国浜町での観光を、一悶着ありながらも楽しんだ翌日。

 俺はいつも通り、月島と一緒に食堂で朝食を摂っていた。食事は相変わらず美味しく、麦飯に豆腐の味噌汁・青菜のおひたしなどの献立は俺に活力を与えてくれる。

 そんな感じで元気にもぐもぐと、つくってくれた担当の兵士たちに感謝を述べながら食事を楽しんでいると……。月島が『飯を食べ終わったら、萩坂村へ行く』と告げたのである。一体何の用だろうか?


「萩坂でまた何かあったんですか?」


「いいや。魁魔襲撃は2日前の深夜を境に一切止んだそうだ。村民も全員帰還し、我々が衛戍地に戻った後も後続の工兵中隊が昼まで作業をして、復旧はほとんど完了とのことだ。……無論、怪我をした者も死んだ者も大勢いる」


 俺は月島の言葉の前半に対し安堵、そして後半に対して唇を噛んだ。

 月島はそんな俺の様子を確認しつつも、話を続けた。


「軽傷程度ならば何十人いたとて治癒魔術を施して対処できるが、重傷の者は何人も一度に治癒できるものではない。実際あの時、俺は音無に〈平療大光〉を既に使っていて、その他諸々の魔術詠唱によって魔力が枯渇していた。

 だからその後も、重傷者に十分な治癒が行うことができなかった。それは他の隊員も一緒だった。あの激戦を制したのだ、当たり前だとも言えるがな。

 ……結局、俺達が村に残して帰還したことで工兵たちに治癒を任せてしまった村民もいる。俺が萩坂へ行くのは、それに対する贖罪の意味もあるのかもな」


 贖罪、か。この世界に来てから何度も耳にし、口に出した言葉だ。

 俺が元いた世界だったら、殆どの人間は口にしない言葉でもある。

 それだけこの世界は、この国は苦難に満ちているということだろうか。贖罪なんて負に満ちた言葉が何度も心の中でこだまするような、厳しい世界。

 思わず息が詰まって『こんな世界は嫌だ』と叫んでしまいそうになる。けれど、そんな弱音は吐いていられない。俺はあの白い夢の中で告げられた。

 これは使命なのだと。乗り越えるべき……試練なのだと。

 そして俺は知っている。この国の命運を、辿る一つの結末を。

 それを変えることができるのは、俺なのかもしれないということ。確証なんてない。全てはあの神を名乗る奴が言っている、でまかせなのかもしれない。

 ……それでも俺は進む。前を向く。贖罪という言葉が、使い古された陳腐な紛い物にならないように、俺はこの世界で生き抜いてやると。 

 そう決めたから。


「萩坂へ行く理由は、その他にもあるんですか?」


 俺は一旦脳をリセットするように他の疑問を呈し、味噌汁を啜った。

 月島はすぐに応える。


「まあ……そうだな。色々と小野大佐大隊長並びに白澤中尉中隊長から指令が下って、小隊全員でではなく俺単独で萩坂へ行くよう命じられたのだ」

 

 だが返ってきたのは、あまり詳細ではないというか……煮え切らない回答。

 まるでそのとやらを教えない為に、はぐらかしているような感じ。

 気のせいだろうか。何にしても、あまり詳しくは聞くまい。


「単独で、ですか? ってことは佐久間さんたちは一体何を?」


「昨日と同様に小隊の指揮権は一時的に佐久間へ移り、午前中は国浜町から見て北西方面の巡回任務に当たるそうだ。……音無も共に来るか?」


 なるほど。基本的に月島単独に課された任務おつかいがある場合は、佐久間が他の4人を指揮して任務を遂行するわけか。……佐久間って凄い。

 それはともかく俺も月島に同行して、萩坂に行けるのか。そういうことだったら、ぜひとも行ってみたいな。3日前に衝撃的な初対面をしてから、一文字に一回も会ってないし。復旧して一時の平穏を取り戻した萩坂もぜひ見てみたい。


「はい、行ってみたいです」


「よし来た。では、これを食べ終わったら早速厩舎へ行くぞ」


「了解です」


 俺はまた萩坂へ行けるということに胸躍らせながら、朝食を美味しくいただいた。そして〈咲銀杏〉がいる第一厩舎へ赴いた。




「2日ぶりだな。咲銀杏」


「相変わらず、俺には懐いてないみたいですね……」 


 さて、俺達は第一厩舎に到着。時刻は7時を少し過ぎた頃だ。

 そして馬房の中から出てくるのは咲銀杏。月島が繰る黄褐色の猛き駿馬しゅんめだ。

 月島が綱を引きたてがみの毛を触っている時は極めて落ち着いているのだが、俺が少しでも触れようとした瞬間に躰を揺らして、鼻息を荒くする。やっぱり嫌われているのだろうか。慣れていないだけかな。分からないけど、仲良くしたいものだ。

 

「じきにこいつも、お前のことを認めるだろうさ。動物であろうとも、誰だってよく知らない相手に対して親しくしようとは普通思わないものだ。

 次第に打ち解けて……場合によっては互いに通じ合った、深い関係になる。俺と咲銀杏のようにな。そういうものだ。最初から築かれた関係など無い」


「なるほど……」


 月島が言うことに感服しながらも、俺は少しだけ残念な気持ちでいた。

 互いに通じ合った、深い関係。そういう一種の信頼関係ってやつを、俺はまだ月島と築けていないということに。

 まだまだ出会って4日目だし、当たり前かもしれないけどさ。


「よし、では騎乗しよう」


「……あ、はい。分かりました」 


 少し頭の中で考えていたので、月島の言葉に対して反応が遅れた。だが彼は特に気にしていない様子で咲銀杏の背にひょいと乗り、俺に右手を差し出す。

 俺はその手をしっかりと掴み、月島の前へ跨る。

 

「さあ行こうか。2日ぶりの萩坂村へ」


「はい……!」


 月島の言葉に俺は力強く応える。次第に咲銀杏は、月島が繰る手綱によって前へと動き出していく。最初はゆっくりとした歩みで厩舎を抜け、段々とスピードが上がっていく。そのまま衛戍地の正門に向けて走り抜けていく。

 とても気持ちが良い。今の俺は昨日まで着ていた藍色の着物ではなく、新しく月島が兵舎から持ってきたらしい常盤ときわ色のものを着ている。

 そのおかげで、3日前の夜にジャージで咲銀杏に乗った時よりも風通しが良く、とても気持ちの良い走り心地だ。そして正門前まで辿り着くと一旦咲銀杏の走りを止め、二人の守衛に馬上から敬礼を行った。守衛である兵士二人も、お互いに少し笑みを堪えながらも敬礼を返した。

 そして俺達は再び走り出す。正門を抜けて左へ曲がり、寿狼山へ通ずる道を駆け抜ける。すると後ろから『気をつけろよー!』という男たちの声が聞こえた。

 振り返りつつ少し体を横に向けると、やはりあの守衛たちが笑いながら手を振っている。その様子に俺は歓喜し、危ないながらも右手を振り返した。


「行ってきまーす!」


 そう快活な声で応え、俺は再び前を向く。

 古き良き武家屋敷が立ち並ぶ通りを抜けて、咲銀杏に乗った俺達は越之宮城址前へ。そして更にそれを右に曲がって、寿狼山の山道へ向かって直進を続けた。

 3日前は夜だったのでよく見えなかった町の様子も、今ならよく分かる。それに萩坂村が襲撃されていたときは、俺の心も少なからず尋常ではなかった。俺の今の落ち着いた心が、陽光に照らされる町並みを更に美しく見せている。

 このまま行くと寿狼山に着くが、その景色はまた壮麗に見えるのだろう。

 何となくそんな気がした。




「―――やっぱ、そんな気しねぇよ……」


 前言撤回。といっても、30分以上前のことだが。

 俺達は今、寿狼山の中腹あたりにいる。咲銀杏から下馬し、互いに背中を預け合ったまま月島は愛刀〈烈辰れっしん〉を。俺は名も無き小太刀を構えている。

 そして周りには―――十数匹の角が生えた魁魔〈群鬼ぐんき〉が打刀を揺らしていた。


「けど、負けられねぇ……。俺は月島さんと約束したんだ」


 俺は小さく呟きながら、回想する。

 遡るのは、数分前に起きた出来事だ。




 西暦1853年 皇紀2513年 明応7年4月4日 午前7時45分頃

 大日本皇國 〈皇都〉皇京 寿狼山 山道


 俺と月島を乗せた咲銀杏は3日前ほどスピードを出すことなく、いわゆる安全運転で山道を進んでいた。萩坂が襲撃されている時や隊員たちが疲れて腹を空かしていた時と比べ、今は特に急ぐ理由も無いからな。

 ブナやカエデなどの木々が左右に生い茂り、蛇行しながらも勾配が緩やかな道をパカラッパカラッと気持ちの良いひづめの音を聴きながら進む。

 逆に言えば国浜町ではどこでも多少の人通りがあったので、あまり蹄の音が明瞭に聞こえなかった。それに比べれば、山はとても静かだ。


「あとどれくらいで萩坂へ着くんですか?」


「お、やはり来たかその質問。だが、3日前よりは聞いてくる時機が幾分か遅い。落ち着いている証拠だな。……あと30分ぐらいで着くはずだ」


 ああ、そういえば3日前にも同じような質問をしたな。けどあの時は衛戍地を出てからすぐに月島に尋ねていたっけ。やはりあの時に比べれば、色々と変わってくるものがある。己の心境然り、町並み然り……。

 前はただ切羽詰まって、国浜の町並みや寿狼山の景色なんて、殆ど目もくれなかった。早く萩坂に着きたいと思う気持ちで一杯だった。

 しかし今は違う。勿論萩坂に行って改めて村の景色も見たいし、一文字や村民たちにも会ってみたい。けれどそれと同じくらい、道中の光景を目に焼き付けておきたいんだ。何故かって言われたら困ってしまうけれど……多分心の余裕だろう。

 まるで魔法の言葉だな、心の余裕。けどそれぐらい人間にとっては、いやそれは飛躍し過ぎか。少なくとも俺にとっては大事なことなのだろう。

 すると突然、右方の草むらからガサゴソッと大きな音がする。咲銀杏の足がピタッと止まる。草むらの枝葉末節が揺れ、今にも何かが飛び出してきそうだ。

 そして俺には、その飛び出してくるであろうに心当たりがあった。


「月島さん……もしかして」


「ああ、魁魔・群鬼やもしれん。後を追いかけられても億劫だ。一旦俺は下馬し、警戒行動を取る。……音無はそのまま騎乗していてくれ」


 月島も、草むらの中にいるであろう存在の正体に目星が立っているようだ。

 だがしかし……。月島だけ下馬し、俺は騎乗したまま?


「俺はそのまま……ですか?」


「そうだ。危なくなったら、すぐに咲銀杏の手綱を引け。

 若干乱暴ではあるだろうが、速やかに戦場を離脱させてくれるだろう」


 そう言いながらスタッと下馬し、愛刀である〈烈辰〉を構える月島。

 俺が跨る咲銀杏を背にし、音が聞こえた草むらの方を見据えている。彼の言葉と選択は恐らく、俺を危険な目に合わせたくないという気持ちからだろう。

 だけど、俺は。いつまでも、でいたくないんだ。

 その想いをはっきりと月島に伝える勇気は、まだ今の俺にはないけれど。

 俺は唇を少し噛んだ。何もできないという無力さが、俺の心を揺さぶるから。

 ……またか、またなのか。俺はまたこうやって、何もできず、何もせず。

 何かに甘えて、一時的な凌ぎに過ぎない逃げを選択するのか……?


「グゥォォォォッ!」


 大きな唸り声が聞こえ、草むらから飛び出すのは打刀を持った赤鬼。

 ―――群鬼だ。その名にそぐわず、今回は一体だけか?

 と、思っていたのも束の間。


『ガァァァゥッ!』


 左方から、複数の怒声にも似た叫びが聞こえる。

 月島は前方の群鬼にも対応しなければならないので、少しだけ振り返って横目で様子を確認する。その表情には、若干の焦りが伴っているように感じた。

 恐らく月島一人だけでは、俺や咲銀杏も護りながら群鬼たち複数と戦うのは厳しいと思っているのだろう。月島は俺だけでも咲銀杏に乗せて逃がすつもりだろうが……。その後、月島はどうなる? 

 月島は俺よりも遥かに強い。心配するのは烏滸おこがましいことなのかもしれない。

 けれどどんなに力が強く、戦いに長ける者であろうとも、孤独には勝てない。

 彼は一昨日の夜、俺に言った。


『……そう思うのなら、次の行動で示すことだ。

 人というのは、助け合いによってできている。その助け合いの輪を徐々に大きくすることによってしか、己の世界を広げることはできないのだ。

 俺は、お前にそれができると信じている。俺はお前を信用している。

 だから音無。お前は俺の行動に応えてくれ』

 

 そして俺は、その言葉にこう応えた。


『分かりました。必ず応えます』


 俺が月島に感謝し、その想いを伝えたいと願うなら。

 俺は……俺は……!


「月島さん! 俺に小太刀を!」


 俺は咄嗟に下馬し、固い地面を己の靴で強く踏みしめる。

 そして月島に向けて叫んだ。


「なっ……群鬼と戦うつもりか! やめろ、お前はすぐに逃げるんだ!」

 

 彼はまたも少し振り返りながら、俺をたしなめる。

 だけど、俺は覚悟を決めたように目線を返す。まだ訓練もしてないんだ、勝てるかどうかなんて分からない。元より無謀な賭けだ。

 それでも戦うって決めた、俺のちっぽけな勇気に全てを賭ける。

 その意志を感じ取ってくれたのか、月島は呆れたようにこう言いながらも左手で腰から小太刀を引き抜く。


「言っても、もう聞く耳を持たないだろうな……お前は。

 それでいい。音無、お前はそういう男だ」


 そして右方の草むらを向きながら、後方に小太刀を投げる。

 投擲とうてきされた60㎝程の小太刀は、見事にすっぽりと俺の右手に収まった。やはりずしりと重い。だから両手でその柄を握る。力強く、だが力み過ぎないように。


「俺の背中を任せる。……死ぬなよ」


「勿論です……!」


 咲銀杏を挟みながらの状態から脱却すべく、お互いに呼吸を合わせながら山道を戻るようにして横歩きを行う。腰を少し落として、月島は群鬼の方向を。俺は草むらの方向から片時も目を離さないようにゆっくりと歩き……。

 俺と月島はお互いつるぎを構えながら、肩を触れさせ背中を預け合う。


『グゥルァッ!』

『ダィァァァァ!』

『ガゥゥゥゥ!』


 次第に前方の草むらから、次々と群鬼が躍り出てくる。恐らく月島の方も、どんどん敵が増えていることだろう。そして、その数は……。

 俺達を取り囲むほどに多く、ざっと15体ぐらいはいる。転移直後、群鬼に取り囲まれて殺されかけた時のことを思い出した。嫌な記憶だ。今から起こる戦いはその再来になるのだろうか? ……いいや、違う。今の俺には月島がいる。

 一方で、咲銀杏は何とも賢いことに独りでに危険を察知して、此処から少し離れたところに退避。此方をその凛々しい眼で見据えている。あれって突撃準備でもしてるんじゃないか? しきりに後脚で小刻みに地面を蹴っているし。

 そんなことはともかく。俺は目の前の敵に集中せねばならない。

 ……すると。


「―――グラァッ!」


「ッ……おらぁっ!」


 一体の群鬼が俺に向かって、突撃。

 80㎝程の大きさがある打刀を上段に振り上げ、俺の脳天を貫く為に振り下ろす。俺はそれを何とか小太刀で受け、薙ぐようにして弾き返した。群鬼は少しだけ後方に下がって、また俺の出方を伺っている。……刀同士をぶつけ合わせた時、キィンと鋼が強く打ち付けられる音がした。俺の方が押されているような感情を抱いた。

 群鬼はかなりの膂力りょりょくがあり、ただ受け流すだけでもかなり骨が折れる。一体倒すのだって、命がけの戦いになるだろう。

 群鬼は魁魔の中でも最弱らしいが、かなり強いぞ。……いいや、俺が弱すぎるだけなのか? 分かっていたことだけれど。

 そんな化け物が俺の周りに10体以上いて、俺に牙を剥いている。

 ―――やっぱり俺には無理だ。そんな言葉が脳内でちらつく。

 もう心の余裕なんてものは、今の俺にはない。焦りはただ俺の心の中で増大し、寿狼山の景色なんぞただの木々の集合体にしか思えない。


『このまま行くと寿狼山に着くが、その景色はまた壮麗に見えるのだろう。

 何となくそんな気がした。』


 だと? 30分前の俺を殴ってやりてぇ。


「―――やっぱ、そんな気しねぇよ……」


 そんな諦念にも似た感情の吐露。だけど。


「けど、負けられねぇ……。俺は月島さんと約束したんだ」


 月島に聞こえないように、小さな独り言のように呟く。

 小太刀を改めて強く構える。中段の構え。流派だとか正しい構え方とか、あんまり分かんないけどさ。それでも今の俺が繰り出せる、精一杯の構えだ。

 そして、その体躯に似合わない巨大な刀を揺らす群鬼共を、ただまっすぐ見据える。これは一種の威嚇だ。俺はお前らをいつでも殺せる覚悟がある、という意志を目線と表情で訴えかけるのだ。

 ……群鬼共が少しだけ後ずさりした。

 心の中でだけど、俺は少しだけ強がりな笑みを浮かべた。


「月島さん!」


 俺は唐突に、背中を預ける男を呼ぶ。

 だがその男は一切動じることも無く、こう返答した。


おう!」


 月島が微かに笑ったような気がした。そして。

 俺は一気にクラウチングスタートを決めるように、脚をバネとして飛び出す。突然の行動に困惑した目の前の群鬼一体。その心臓目掛けて、俺は小太刀を押し出す。

 ……三日前に八尾仙狐と相対したときはこの小太刀を振るうことも無く、易々とやられてしまった。それは、仙狐が群鬼なんかよりよっぽど強かったからという理由が一番に来るだろう。だが、それだけじゃない。

 そもそも俺に戦う意志が無かったから。一文字を助けてすぐに離脱しようという考えがあったから、先手を取られてぶっ飛ばされた。

 けれど、今の俺は違う。実力は変わらなくたって、強くなったものがある。

 生き抜く為に、月島との約束を果たす為に、俺には戦う意志がある……!

 

「グッ、アァァァァァァッッ!」


 ―――命中。赤く、生臭く温かい液体の飛沫が顔に掛かった。

 群鬼は打刀を空中で手放し、苦痛の叫びを撒き散らしながら痙攣を続ける。相手が一体だけだったのならば悠長に小太刀を刺したままにしておけるのだが、まだ敵は大勢いる。俺は群鬼の肉を横に裂くようにして、小太刀を抜いた。

 初めての群鬼、もとい魁魔討伐。この小鬼が八百万の神々とやらが遣わした、意志も命すらも無い精霊だとしても。それを己の力で殺すというのは、中々に恐ろしい。

 本当ならこんなことしたくはないし、大抵の人間は残酷なんて知りたくはないだろう。けど、俺が殺さなければ俺が死ぬ。命のやり取りってやつだ。

 だからこのバクバクと跳ねる心臓鼓動の奥底で発現する、形容し難き恐怖も。何もかも忘れて、封じ込めて。俺は戦い続ける。


「ダァァァァ!」

「グギェェェッ!」

「ゴォァァァァァ!」


 一方。月島の方も、その愛刀で同時に3体の群鬼を屠る。鮮血がほとばしる。

 今まで背を預け合っていた時は、月島単独で出ていけば俺が危険に陥る可能性があった。しかしその状態を、俺自身が破るのならば。

 月島はもう何の心配もなく、他の群鬼を俺に任せることができる。


「うおらッ!」


「グガァァ!」


 俺はくずおれた群鬼の屍をよそに、更に横跳びを行って他の群鬼一体の斜めに躍り出る。そして斜めに刀を振り下ろすが、その群鬼はそれを打刀で防いだ。

 奇襲も、二度は無いというわけか。……つば迫り合いになる。

 やはり正々堂々と真正面からやり合うと、今の俺じゃ力不足だ。何とか小太刀を押し返されないように踏ん張ることはできるが、その逆は無理。

 手間取っている間に別の群鬼が走ってきて、俺の左肩を刀で抉ろうとする。

 ―――だが。


「ッ……〈臨盾りんじゅん光衛こうえい〉!」


「グ、ガァッ!?」


 月島が咄嗟に短縮詠唱した防御魔術。それが銀杏の紋様をした魔術陣を左肩に展開させ、群鬼の攻撃から俺を護ったのである。本当にギリギリの詠唱だったのか、魔術陣は攻撃を防いだ後すぐに光となって霧散した。

 俺はそれに感謝しつつ、鍔迫り合いとなっていた群鬼を右足で蹴り上げ一旦退散させ、方向を転換。自らの攻撃を防がれたことに驚きを隠しきれないでいた、もう一体の群鬼の首をザクッという奇妙な音と共に斬り落とした。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉッ!」


 俺は、木々がその一部を覆い隠す蒼穹に向かって叫ぶ。

 その迫力に、群鬼共がまた臆病にも及び腰となる。

 そして月島の方を向いた。見れば彼は烈辰で一体の群鬼の刀を受け流しつつ、攻撃の機会を伺っていた。しかし周りにはまだ、群鬼が4体ほどいる。

 あまりあの群鬼一体に掛けられる時間は長くないはずだ。俺は助太刀に向かう。


「……っ、音無! 怪我は無いか!」


「ええ。返り血は結構ヤバいですけどね」


 俺は再び月島の背を預かるようにして、小太刀を強く構える。

 ……実のところ、ヤバいのは返り血だけではない。俺自身でも分かってるんだ。いくら一時的に力が出せたとて、それが続かなくてはしょうがない。俺の息はかなり上がっているし、腕も足もパンパンの状態。小太刀を握る両手も、ぶるぶる小刻みに揺れ始めている。とにかく疲れているのだ。

 このままじゃ……。まだまだ群鬼はいるというのに。

 俺は歯を食いしばる。目をギラギラと瞬かせ、次の獲物を睨み付ける。

 だが、動いてそれを駆逐する体力は殆どない。どうする?


「―――咲銀杏ッ!」


 刹那、月島が愛馬の名を叫んだ。そして右手の指で口笛を吹く。

 低いながらも山全体に響き渡るような音が響き渡る。一瞬、群鬼共も水を打ったように静まり返る。……それを突き破ったのは、咲銀杏の鳴声。

 俺は、咲銀杏がいるはずの山道の向こうを見た。ヒヒーンと力強い鳴声を立てながら、此方へ猛進するは黄褐色の駿馬。

 あっという間に咲銀杏は俺達と距離を詰め、道中にいた群鬼を3体ほど纏めて轢き潰した。あの速度には、群鬼も打刀を振り上げる余裕すらなかった。


「音無! 俺が乗った後に、お前も飛び乗れ!」


 未だなおスピードを落とさず此方へ進撃する咲銀杏を見やりながら、月島は言った。流石にそれは無理だ、と言おうとしたが無駄だと分かった。

 月島は、急な軍馬の襲来に驚いた群鬼2体を続け様に斬り結びながら、並行作業で俺を呼んでいたのだから。……ほんとクレイジーだよ、皇國軍人って奴は!


「はい、了解です!」


 そう言った瞬間に月島が勢いよく、咲銀杏の鞍の上に乗る。その直後に俺も覚悟を決めて咲銀杏に飛び乗った。とても強い衝撃が全身に走っていく。

 だが俺達二人が乗ったことで若干減速したので、体勢をしっかり戻すことができた。月島は手綱を器用に繰り、山道を一通り走り抜けた後に反転。

 山道の通りの群鬼は残り5体ほど。それらを蹴散らすように、騎乗突撃。

 高山特有の山頂から吹き抜ける風を受けながら、俺達と咲銀杏の人馬一体となった進撃は誰も止めることができぬものとなる。その勢いに、草むらへ飛び込んで逃げる群鬼が視認した限りでは3体。疾風の如き咲銀杏の突撃と共に繰り出される月島の斬撃と、俺の刺突で殺された群鬼が2体。

 ……咲銀杏が山道を往復する頃には、其処には十数体の群鬼の屍と。地に落ちた同じ程度の数の打刀、量なんて数えきれないほどの血だまりが残されていた。


「終わった……」


 俺は馬上でへたり込むように、左手を馬体につけた。

 その手の甲は……赤黒い血にまみれていた。今小太刀を持っている右手だってそうだ。俺の着物も、顔も、手も、足も。全てが血に染まっていた。

 俺は、生き抜いた。月島や咲銀杏の力も大分借りてしまったけれど、大量の群鬼による包囲下から転移直後とは違って、生き延びることができたのだ。

 その代償が、この鮮血に濡れた己自身だとでもいうのだろうか?

 いいや、生き抜くことというのは元来そういうものなのかもしれない。

 誰かを、何かを犠牲にしながら、己の活路を拓く。

 ……だとしたら、俺はこれから何を犠牲にして明日を生きる?

 今回は八百万の神々の命によって、群鬼から攻撃を仕掛けてきたのだから正当防衛なのだと言うことができるだろう。けれど、あの神が言っていた通りこの国が大陸の大国によって攻め込まれた時。俺がこの国を護る為、戦うことになった時。

 決して自らの意志で攻め込んできたわけではない、他国の兵士たちを。

 群鬼のように〈生き抜く為〉の犠牲として、殺すことができるだろうか?

 〈神州を救いし者〉とやらになるには、そうするしかないのか?

 今の俺には、まだ答えを出すことができないでいた。

 俺は馬体に揺られながら、山道を進む。

 萩坂までは、あとどれくらいだろうか?

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