第12話 何故救い、何を護るか


 ここは……。

 ああ、前来たか。相変わらず、真っ白で遥か前方に仄かな光が見える。

 一体、ここは何処なのだろう。

 ……考えても仕方ないので、ちょっと回想でもしようか。


 俺はまた、殺されかけた。いや、今回はもしかしたら本当に死んだかもしれない。

 まったく、護る理由だの何だの言って一日で二度もこんな目に遭うとは。一回目は理不尽に近いが、二回目は……自業自得だがな。

 それにしてもあの八尾仙狐とかいうデカブツ、強すぎだろう。言い訳をするわけではないけれど、あの蹴りの速さは……ヤバい。俺が小太刀を振り上げた瞬間に、もう防御陣が反応していたからな。

 しかも、1秒も数えることもないままにそれが破られ、一撃ノックアウトだ。

 流石、冠三位といったところか。とはいえ、他の魁魔を殆ど見たことがないので、強さの比較が難しいが。


 それよりも、あの少女を……〈一文字綾香〉を救えただろうか。


 俺の眼前で殺されかけた、あの命を、護ることはできただろうか。それだけが、今の俺の中に残る気掛かりだった。

 俺がやられた後、彼女がまた八尾仙狐に襲われでもしたら……。

 俺が命を賭してまで護った、たった一つの意味が消える気がして。

 ……いいや、そんな思考は捨て去ろう。

 彼女は必ず、生きている。月島達だって付いていたじゃないか。

 

 俺は信じる、救った意味を。


 自分の手で救った命さえ信用できないなんて、それは強さじゃないから。


 ……また、遥か遠くの白光はっこうがこちらへ迫ってきている。

 はてさて、次に俺が向かうのは。

 

 皇國か、冥界か、はたまた元の世界か。

 俺は眩い閃光と共に、目を閉じた。




「―――ッ、起きたか!」


 目を開けると、そこには月島の安心したような表情。まだ陽は昇らず、薄暗い闇が一帯を覆っている。とりあえず、俺は生きていたようだ。

 もしかしたら、俺が一回目に死にかけたときと同じように、治癒魔術のお世話になったのかもしれない。

 ……そうだ、最初に確認しなければならないことがあるんだった。

 

「月島さん……。彼女は、一文字綾香は、大丈夫ですか?」


 そう言うと、月島は俺の額を小突いた。

 小突いた月島の右手にはめている神祇の手甲からは、酷い血の匂いがする。未だ周囲は暗いが、よく見ると月島の表情は疲れているように思えた。

 だが、そのことについて指摘するのは無粋な気がした。


「目覚めて、開口一番がそれか? お前は、もっと自分をいたわるべきだ。

 ……心配無い、一文字は無事だ。今は東命町に避難している村民たちと一緒にいるそうだ」


 よかった、俺は一文字を護れたらしい。

 額に右手を当てながら、俺は起き上がる。周りを見ればそこは、一文字家の前だった。俺が意識を失った場所から、殆ど変わっていない。

 

「そうですか。……今回も、月島さんが俺を?」


「ああ、傷は汎用治癒魔術・甲〈平療大光〉を使用して治した。腹が半分えぐれていたからな、もう今日は魔術を使えん」


 腹が半分……。想像するだけでもぞっとする。だが『もう今日は魔術を使えん』とはどういうことなのだろう。


「魔術には使用限度みたいなものがあるんですか?」


「少し違うな。魔術を使用するときは、当然魔力を消費する。〈平療大光〉はその必要魔力供給量が多いというだけだ。因みに、人によって魔力所持量は違うといわれており、魔術を詠唱するほど、魔術の威力・精密さ・効果や魔力量は増大する」


 なるほど……。そこらへんは、しっかり異世界なのか。

 しかし、具体的な数値があるわけではないらしく、むやみやたらに使用してもいいという代物ではないようだ。

 俺はふと周囲を見回てから月島の軍服を一瞥いちべつし、ぎょっとした。

 暗闇の中でもはっきりと分かる、返り血と泥汚れ。……ということは、だ。


「奴は……八尾仙狐は倒されたんですか?」


「奴ならば、何とか我が小隊だけで撃破し得た。だが、俺を含めてみな疲労困憊だったのでな。佐久間達には居住地域での待機を命じた。今は、我々だけだ。それと、他の二つの村で起こった襲撃は比較的小規模だったようで、無事に撃退したそうだ」


 何とか今回の一連の襲撃は終わったようだ。

 それにしても、あんな強い奴をたった6人で……。その事に決して軽くない衝撃を受けるが、それよりも大きな疑問が二つ、俺の心の中ではくすぶっていた。


「……八尾仙狐の死骸は一体何処へ?」


 八尾仙狐をこの近くで撃破したというのならば、一体どこに死骸がある。しかも、あんなデカブツから一切の死臭がしないというのはありえないだろう。


「奴は……山に還ったさ」


「……それって」


「魁魔は元々、山・谷・森・川・湖・草原……あらゆる土地に住みつく精霊だ。それが、八百万の神々の手によって現世うつしよに具現したもの。だから我々が撃破したとしても、死骸は瞬く間に消え去り、魁魔は精霊として元の土地へと戻る。また神々によって具現され、再び魁魔になる場合もあるらしいがな」


 魁魔=精霊……。某ジブリ作品の木霊コダマみたいなアレか。

 ちょっとイメージと違うな。しかし再び魁魔になる場合もあるってことは、いつまで経っても、魁魔は消えず人々を襲い続けるというわけだ。八百万の神々とやらは随分と非情……いや、それだけの大罪を先人達は犯してしまったのだろうか。


「八尾仙狐が今回の襲撃における元凶だったようで、奴を倒してからは全く魁魔の姿が見えなくなった。東命町に向かった魁魔たちも第三・四小隊が撃破。今は他の部隊に、村民を帰還させるように指示した」


 あのデカブツが今回の元凶……指揮官とでもいうべきか。とりあえず、今回の襲撃は終結したらしい。それは良かった。そう言うべきなのだが……。


「……そうだ。一文字の母親は……どうなったんですか。何処かに、避難してるんですよね?」 


 八尾仙狐が現れたことによって、一文字の言葉が遮られていたのだ。多分だが、一文字より先に避難したのだろう。そう推測する。

 ……いや、最悪の可能性を考えたくないだけかもしれない。娘を置いて一早く逃げるような人間が、母親なはずがないから。もしかしたら、もう……。

 そんなことを考えたくない。ただ、それだけの想いで発した疑問だった。

 そして……。月島は言った。



 「……一文字の母は、〈一文字いちもんじ陽子ようこ〉はによってな。この家の土間の奥、板の間で発見された。……強姦ごうかんされ、四肢をもがれた状態で、な」



 その月島の言葉に、俺の心の中に一つひびが入ったのが分かった。もはや咄嗟に声も出ない。そして、俺の体は自然と一文字家の方に向いていた。

 俺は今、どんな顔をしている? 見当もつかない。

 ただただ静かなる怒りだけが、心の中を支配していくのが分かった。


「殺されたって……! 殺したのは一体、誰なんですか!?」


「……何者か、と言っているだろう。まだ分からん。魁魔、ではないことだけは確かだがな」


 強姦された。……確かに魁魔ではないのだろう。

 精霊であり、皇國の民に対する祟りの具現化である魁魔が、自らの欲求を満たす為だけの醜い行為をするとは到底思えない。

 月島の考えとしてはそういうことだろう。……だが。


「そんなことを……、魁魔の襲撃のどさくさに紛れてやったってことですか?」


「どさくさ……。どうだろうな。確実とは言えないが、一つ目星は付いている」


「目星って……。一体誰がそんなことしたっていうんですか! それに、どさくさじゃなくて計画的なことだったのなら、それは何が目的でどんなことを仕組んだって言うんです!? 教えてください! 月島s……ぐはっ」


 眼前の軍人の名を呼ぶ途中で、その本人から軽い手刀しゅとうを脇腹に撃ち込まれる。それも、群鬼にやられた右の脇腹。全く意地が悪い。だが、そのおかげで俺は冷水を掛けられたように正気に戻った。

 

「少し興奮しすぎだ。……お前が己の命を賭してまで助けた少女だ。

 その少女が悲しむ……いやそんな程度ではないか。とにかく、その一文字が苦しむことになった原因を求めようとするのは、至極真っ当な道理だ。

 だがな。少なくとも今のお前には一文字を助けることはできても、本当の意味で彼女を〈救うこと〉も〈護ること〉もできてはいない。

 ……それ以前の問題で、理解すらできていない。そんなお前に、俺が一文字の母親について教えられることは、何も無い」


「本当の意味で救うこと……。護ること……?」


 それはどういう意味か。聞こうとするな否や、月島は棚田の方へ歩き出す。


「話は中断だ。来い。俺達も居住地域に戻るぞ」


 宵闇の中で何処か神妙な面持ちをした月島は、幾枚もの棚田を駆け下りようと歩みを進める。俺は釈然としない気持ちを覚えながらも、それに付いて行った。



 

「――月島小隊長! こちらです!」


 棚田から降り、待っていた〈咲銀杏〉に乗って畦道を抜けると、上方から声がした。声がする方向に目を向けると、小高い台地の上で敬礼しながら微笑む佐久間と4名の兵士の姿があった。全員疲れを知らないかのような感じだが彼らの軍服にはやはり、かなりの血痕と泥が残っている。

 俺達は一気に勾配を駆け上がり、居住地域へと到着する。

 そこで見た景色は、魁魔から襲撃を受けていたときとは大分変わっていた。

 前は炎に呑まれていた家屋も鎮火されたようで、今は道端に点々と置かれた、煌々と燃える篝火かがりびに照らされている。それでも薄暗い中で、復旧作業に奔走している人々の姿も見受けられた。

 

「ただいま……とでもいうべきか?」


 俺と共に下馬しながら、月島は佐久間に尋ねる。


「あいにく、此処は我らの場所ではありませんので。おかえり……とは返せませんが」


「そうだな。……さて、村民はどれほど帰還している?」


 佐久間と小洒落た冗談を交わし、事務的な会話を続ける。

 

「幼い子供がいて帰ってこられない家もありますが、およそ6割近くは戻ってきています。村の資材庫は無事だったようで、家屋の修繕に第三・四小隊、そして我々が村民に加勢しております。また、村の常駐小隊と第六小隊が遺体の回収と身元確認を行っています」


 佐久間の的確な報告に心の中で平伏しながら、俺は一際ひときわ喧騒けんそうが大きい方向に目を向ける。そこには、兵士と村民が談笑しあいながら共に木材や工具を運ぶ、そんな温かい風景があった。

 彼らは皆、あの地獄のような戦いを経ても、朗らかに笑っていた。死線を乗り越えた者同士だからだろうか。

 

「遺体はどこにある?」


 〈咲銀杏〉を居住地域入り口にあった小さな桜の木に縄で繋ぎ、居住地域の奥へ進む月島に俺と佐久間・他の隊員は続く。


「……この奥です」


「そうか」


 そう短く応え、通りを足早に進む。

 居住地域といっても、小さい農村。あまり軒数もなく、すぐに奥へと辿り着く。

 少し開けた道に敷かれた無数のむしろの近くに、何人かが立っている。そこで見たものは、想像できてはいたがやはり見るに堪えないものだった。


「ごめん……ごめんよ……!」

「この仇は絶対、取ってやるから……!」

「………」

「どうして、あの時……ッ!」


 我が子の潰された四肢を見ながら涙を浮かべ、悲哀を発露させる母親。

 父親の食い破られた頭を見ながら激昂げきこうし、復讐を志す少年。

 息子と娘の手を繋いだ屍を見ながら呆然と、ただただ涙を流す父親。

 絶望と共に死んだ戦友を見ながらその手を取り、後悔の言葉を紡ぐ兵士。


 彼らの家族は、知己は、魁魔によって殺された。

 これからどうやって生きていくか。

 それよりも目の前の消え去った命を見て、彼らは何を想うのだろう。

 千差万別だ。悲哀、憎悪、放心、後悔。

 他にどのような感情があったって、構わない。


 ならば俺は、たった一人の少女すら俺は、何を想えばいい? 

 彼らに寄り添えるような、そんな資格……強さがあるのか?


 残された彼らに慰めの言葉をかけたり、ましてや弁解なんてしない。

 そんな資格が俺にはない。

 慰めて、自分は善処したのだ、と言って誰が救われる?


 失った命に別れの言葉をかけたり、ましてや美化などしない。

 そんな資格が俺にはない。

 別れを告げ、遺志は必ず受け継ぐ、と賛美して誰が救われる?


 俺が何を言って、どう行動したって、誰も救われやしない。

 残された者達の思念も、失った命も、けして。 

 ……何となく、月島の言った意味が分かったような気がした。


 救うこと、護ることの意味が。


 助けることとは同じなようで、少し違う。

 今までの俺は、それら全てを混同していたんだ。

 多分俺が、今まで誰かの為にやってきたことは全部。

 月島が言う通り〈助けること〉なのだろう。

 それはただただ道徳心とか、ルールとか、周りの目に起因してやっていること。

 ……端的に言えば、一時的に、当然のように行う扶翼・援助だ。

 俺は〈人を助けるのに理由なんて要らない〉っていう考えが正しいと信じ、今まで行動してきた。だから、今回も初対面とすらいえない一文字のことを助けた。

 実際そういう気持ちや行動は大事で、美徳とされるべきこと。

 

 だけど、それだけじゃ駄目なんだ。

 それだけじゃ、ただの自己満足なんだ。

 

 ……確かに、一文字を俺は助けた。

 だけど、それで一文字は救われたのか?

 自分だけ死地を乗り越え、母親を〈何者か〉に強姦され殺された、少女を。

 〈人を助けるのに理由なんて要らない〉なんてただの理想論を振りかざし、正義の味方みたいに出しゃばって、一文字を本当に護れたのか?

 

 否、否、否。


 結局、あの少女の心には亀裂が走ったまま。

 救うことも護ることも、できちゃいない。

 母親が殺されたのは自分にはどうしようもなかったことで、自分は悪くない。

 そうやって逃避したくなる。いや、実際そうだ。俺の落ち度なんかじゃない。

 だけど。


 ……だけど、そうやって終わりにしたくなかった。


 しょうがなかった。一文字だけでも助けることができたから、良かったんだ。

 そうやって諦めることを、俺は心の中で認めちゃいない。

 何でだろうな。だって、初対面……いやそれ未満の少女だぞ? 

 確かにその母親が、月島が言ったようなむごい死に方をしたってのはショックがデカいに決まってるし、俺自身未だ信じられない。でも、それにしたって彼女を救うこと、護ることに固執し過ぎだ。

 そんなことは自分だって分かってるんだよ。けど。


 こんな終わりを迎えることを享受するなんて、それは〈弱さ〉だから。



「……月島さん。俺、これから〈真の強さ〉を見つけるためにすべきことを、見つけました」


「言ってみろ」


 月島は夜風に吹かれながら、そう短く言葉を促した。


「俺は……一文字を救いたい。

 失ったものは、還ってこないけれど。残された人を救う為に、これから生きていく命を護る。それだけは……それしか、俺にできることは無いと思うんです。

 今はまだ弱くて、この国の人々のことすら殆ど知らない俺が、そんなことを言うのは烏滸おこがましいことなのかもしれません。

 でもその決意が、その想いがあれば……いつか。〈真の強さ〉を見つけ出せる。

 ……そう思うんです」


 俺は唇を強く噛む。できるだけ強く。これは、一つの覚悟だ。

 これ以上人々が殺されないように、それで悲しむ人がいなくなりますように、と願い、それを実行する覚悟。そんな理想、夢幻ゆめまぼろしだって分かってる。

 だけど、この覚悟で、これから多くの命を救えるのなら。

 俺は、この覚悟を決して忘れはしない。


「救うこと、護ること。それを達成するには、二つのものが必要だ。

 一つ目は、断固として揺るがない〈救う理由〉。

 二つ目は〈それだけは護ってみせる〉と決めたもの、だ」


 並んでいた俺と月島は、向かい合う。

 そして、硬い月島の表情はほんの少しだけだが、笑ったものに変わる。


「……合格だ。何故救い、何を護るか。それを理解できたお前ならば、きっと一文字を救えるはずだ」


 お褒めにあずかり光栄です、と心の中で一言。


「お前はきっと、強くなれる。……いいや。きっとそれ以上……。

 〈真の強さ〉を本当に、見つけ出すことができるやもしれん」


 またも称賛。身の丈に合わない期待は、あまり得意ではない。……だが。

 最初は全くイメージも沸かなかったもの。そんな〈真の強さ〉がどんなものか、分かってきたような気がする。

 そして俺は少しずつだが着実に、それに向かって歩み続けている。

 それだけは、歴然とした事実であった。


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