第11話 戦え、己の正義の為に

 

「音無……ッ!」


 吹き飛ばされた少年。

 泰然たいぜんと、悠々と、此方を見据える金色の大狐。

 背には座り込む一人の少女。

 指示を仰ぐことなく、少年と少女を護るべく進む同胞達。


「 〈あまより降りし地祇ちぎ令孫れいそんよ 我が命を以て 扶翼を請う

   我にの者を癒しえる 白銀しろがねの如き燐光りんこうを〉 」


 俺はその少年に駆け寄る。その悲痛に歪んだ表情に、心に一筋の亀裂が入る。

 ……ならば、救わねば。

 音無のえぐられた腹部に向けて、汎用治癒魔術・甲〈平療へいりょう大光たいこう〉を詠唱する。詠唱の文言通り、患部が白銀色の閃光に包まれ、次第に癒えていく。ジャージとやらから染み出していた血は止まり、心なしか音無の表情も和らいだように見える。

 そのことに一瞬だけ安堵するが、それは前方より聞こえた声で吹き飛んだ。


「隊長! この狐、馬鹿力が過ぎます! 我々だけではとても……!」


 俺の視線の先で、金色の大狐と戦っているのは五つの勇姿。

 各々の軍刀で、果敢に応戦する彼らの額には汗がつたり、その瞳には既に苦悶と諦念が入り混じっていた。


「外村上等兵! ただちに戦闘から離脱し、一文字を居住地域まで送り届けろ!」


  俺は音無から目線を外し、一人の兵に指示をする。


「……しかし! この状況で、私が抜ければ!」


 圧倒的な体躯を持つ〈八尾仙狐〉の腹をめがけた斬撃を巨大な爪で防がれながら、首だけ振り向く外村の表情には余裕の「よ」の字さえも無かった。

 だが、八尾仙狐に吹き飛ばされないような間合いの取り方はしっかりと意識している。流石は俺以外で小隊最年長なことはある。


「お前の馬術と愛馬を以てすれば、居住地域まで行って戻ってくるまで10分もかからないはずだ! 俺も加勢する! 心配するな!」


「……了解! 音無は良いのですか?」


「大丈夫だ! 後で俺が目を覚まさせる! とにかく行け!」


 外村は何も言わず、敬礼をしてから戦闘を離脱。未だ放心状態の一文字をひょいと抱きかかえ、愛馬〈駿想しゅんそう〉の元へと走っていった。


 外村上等兵。

 彼は、丸刈り頭で生真面目そうな印象とは裏腹に温和かつ協調的な性格で、特に愛馬〈駿想〉に対しての愛情は並外れたものである。

 その駿馬と元より外村が得意とする馬術が相まって、越之宮鎮台第一中隊の中でも一、二を争う名騎手・騎馬として有名である。


 だから、俺は彼に託した。彼ならば他の誰よりも速く、そして正確に任務を全うするはずだ。……そして。


「俺も参陣する! 貴様らだけに任せてなどいられぬからな!」


 音無を戦場から少し離れた巨木の陰に隠し……、抜刀。両手で力強く、しかし力みすぎないように〈烈辰〉を握り、戦場へと向かう。

 ―――刹那、両手に激痛が走る。焼けるような痛みが。

 ほんの一瞬だけ、ぐにゃりと表情が歪む。

 だがそんなことに構ってはいられない。俺は抵抗するように、グッと力を込めた。


「太田! 島原が崩されかかっている、助太刀せよ! 桐生は後方で魔装まそう術式じゅつしきを展開させ、合図と共に放て! 小隊長は桐生の代わりとして、左方から攻撃を!」


 俺が戦場へと駆けていくのを見て、佐久間は俺に対しても指示を出す。

 彼は、上官に対しても一切の躊躇なく。ただ小隊全体の勝利の為に、動くのだ。

 決して、俺の補佐だけではない。


 俺の代わりになり得るだけの、俺にを持ち合わせている。


 それこそ〈佐久間さくま明比古あきひこ〉兵長が、たる所以ゆえんである。

 だから、俺も佐久間をできるだけ、最大限助けなくてはならないのだ。


「了解した! 桐生、頼んだぞ! 

 ―――うおぉぉぉぉぉ――ッ!」


 俺は愛刀を上段に構え、喚声かんせいを出しながらの全速前進。桐生が魔力を集中させるべく、戦線を離脱するところが視界に映る。

 

『グギェェェェェェッッ!!』

 

 およそ狐とは思えない雄叫びを上げながら、その鋭い爪で我が同胞達を襲う八尾仙狐。流石は冠三位魁魔というところ。俺を除いても5名の精鋭達の猛攻を1体だけで防ぎ切り、逆に戦友達の方が防戦に回る一方である。

 斬ろうとしても、その脚が、その爪が、その闘志が、攻撃を阻み続ける。

 ……ならば。

 俺は、次第に近付いていく大狐と戦友達を見て、神経を研ぎ澄ます。

 

 このまま戦ったとて、此方が消耗するだけ。できるのならば、外村が帰還するまで持ちこたえるに留まらず、仕留めたい。

 そもそもの話、〈冠三位魁魔に対しては皇國軍将兵10名を以て相対すべし〉という旨が戦闘教義でも記載されているのだ。しかし、居住地域での被害抑制と負傷者・遺体回収の為に、他の兵士達も動き回っている。

 今、この大狐と相対できるのは俺達6名の小隊だけ。

 それに今は、外村が抜けてたったの5名。10名の半数。

 絶望的な状況。疲弊する武士共もののふども

 そして―――。


 後ろには、一人の

 ……負けるわけにはいかない。

 護るべきを護る。だから、全てを護るわけではない。


 自らの正義の為に、敵対する者はことごとく……!

 を繰り返さない為にも……ッ!


「――そこだッ……!」


 桐生が抜けたことによりできた、左方の間隙に食らいつき――。


 一太刀。


 鮮血。


『グゥッ……ギィィヤャァァァァァァ……ッ!』


 桐生が離脱したことで、八尾仙狐は瞬時に爪を、右方・中央の太田・島原・佐久間に差し向けた。俺の存在を無視して。

 ……その瞬発性が、命取りだったのだ。


 一度勢いよく振り降ろした脚は、そう簡単に方向を変えられないのだから。


 俺が唸り声を上げて突撃しているにも関わらず、目先の敵を優先し、自らの高い瞬発性という長所で、巨大な脚・爪という最大の長所を塗り潰したのだ。

 前脚2本だけで応戦している八尾仙狐は、どうしても多人数で掛かられると弱い。しかし、ただ闇雲に数を増やしたとて、その速い脚捌きの前に薙ぎ払われ、蹂躙されるだけだ。だから、逆に考える。

 

 相手の手数が追い付かないようにさせるのが無理であれば。

 逆に相手に、先手を打たせればよい。


 無論、これは俺が考えた策略ではない。佐久間が考え指示を出し、桐生が実行。

 その意図を俺が読み取り、一撃を当てただけのこと。

 俺の斜め斬りにより八尾仙狐の腹部はズタズタになり、出血は止まらない。

 目の前の大狐は更に大きく唸る。だがその叫びは、苦悶の色を帯びていた。

 そして俺は、一旦斜め右に飛び退き……。


「桐生! 今だ、放て!」

「太田、島原! 氷結魔術で脚を潰せ!」


 ほぼ同時に放たれた、俺と佐久間の指示に呼応するのは3人のゆう

 桐生は後方で、太田・島原は右方で。

 詠唱。


「 〈天津神より生まれし火産霊ほむすびよ 我が命を以て 扶翼を請う

   我が具足ぐそくに 燃え立つ灼炎の御加護を〉 」

 

「「――〈麗氷凍鎖れいひょうとうさ〉」」


 桐生が唱えたのは、軍用魔装魔術・えん煌装焔頼こうそうえんらい〉。

 桐生はまだ二等兵であるため、下士官(伍長以上)任官時に与えられる、銘が刻まれた刀を持っていない。だが、もう既に3年間は苦楽を共にした軍刀は、喜々として焔に呑まれる。体内の魔力を基に、神祇の手甲を媒介して発現した幻影の如き紅焔は、軍刀を焼き焦がすことはなく、おぼろげに揺れる。

 

 太田・島原は双方、汎用氷結魔術・乙〈麗氷凍鎖〉を短縮詠唱した。

 両手の神祇の手甲から吹き出される凍てつく強風は、たちまち俺の斬撃により唸っていた八尾仙狐の前脚2本を氷塊で潰す。

 前脚はその場で、地面と同居することとなった。

 攻撃の手段を封じられた瞬間である。

 

 しかし、たかが汎用魔術の、それも乙型。

 冠三位魁魔の膂力りょりょくの前には、ただの足止めにしかならない。――だが。

 

 それだけで、十分だったのである。


「――失せろぉぉぉぉッ!」


 桐生の炎剣から繰り出される、豪焔の一振り。

 それによって生み出された突風のような勢いの熱波は、炎を乗せて。

 八尾仙狐を直撃した。


『――ギィ、ィィィギィャァァァ……ッ!』


 叫び、喚く大狐。からだの全てが、炎に呑まれている。

 混乱したことでその馬鹿力が更に増し、足元の氷塊を打ち砕く。

 しかし、時すでに遅し。


「佐久間!」

 

「了解!」


 名を呼ぶ俺。

 それだけで呼応する佐久間。


 そして、戦いは終わりへと向かっていく。


「我がやいば、受けてみよ――ッ!」


 佐久間は混乱する大狐が纏う炎を掻い潜り、一閃。その剣閃は、哀れな魁魔の四肢を斬り落とす。黒い飛沫しぶきが上がる。


『―――――――……ッッ!』


 もはや声とも思えない唸りを無視し、俺が続く。駆ける。

 四肢を失い、倒れこんだ八尾仙狐のただ一点を。


 だけを、見据える。


「音無のかたき、此処で晴らさせてもらうぞ……!」


 俺は真っ直ぐ、力強く〈烈辰〉を振り降ろす。

 

『――――ァ』


 絶命。

 

 五体不満足となった八尾仙狐が、静かにくずおれる。

 四肢、そして首を討ち取られたこいつは山へと還るのだろう。

 魁魔は倒しても、倒しても、八百万の神々によって甦る。何度でも。

 しかし人の命は、たった一つだけ。


 ……俺がやっていることに、意味などあるのだろうか。

 終わりの無い魁魔との戦い。

 死にゆく戦友と無辜の民。

 何回も、何度も、幾度となく見た。見続けてきた。

 大切な人達との別れを、何十年も。

 その度に、俺は強くなって。

 救うべき誰かを護る為に、その強さを使ってきた。

 だが、どうしても見つからないのだ。


 己の正義を貫くことができる。


 絶望し、助けを待ち望み、手を伸ばす、全ての人を救うことができる。


 そんな〈真の強さ〉が。



「小隊長!」


「……どうした」


 斬られた大狐の頭部に足を掛ける俺に、佐久間が声をかける。

 

「音無を連れて、居住地域へ帰還しましょう。既に外村には、そこでの待機を命じてあります」 


「了解した。だが、貴様らが先に帰還しろ。その後に俺が音無を連れて帰還する」


「承知いたしました。おい、貴様ら! 先に帰還するぞ!」


『了解!』


 佐久間達、4人の兵士が棚田を下って、見えなくなる。

 今此処にはいない外村も含めて、全員がこの勝利の立役者だ。


 28歳であり、前述の通り馬術に天賦てんぷの才を持つ上に実戦経験豊富な

 小隊随一の戦巧者せんこうしゃ。〈外村そとむら圭司けいじ〉上等兵。


 未だ血気盛んな22歳で、魔装術式を始めとした攻撃的な魔術を得意とする

 小隊随一の火力屋。〈桐生英嗣きりゅうひでつぐ〉二等兵。


 25歳であり、他の兵士に対しての援護詠唱・射撃を得意とする

 小隊随一の名射手。〈太田おおた信五郎しんごろう〉一等兵。


 太田の同期であり、小隊全体への援護詠唱、特に治癒を得意とする

 小隊随一の魔導兵。〈島原征慈しまばらせいじ〉一等兵。


 そして俺の副官である26歳で、小隊全体への的確な指揮を得意とする

 小隊随一の規律の鬼。〈佐久間さくま明比古あきひこ〉兵長。


 彼らの活躍で、俺は勝利できたのだ。俺は心からそれに感謝し、歩みを進める。

 向かっていたのは、大木の陰。

 そこには一人の少年が、先程と同じ表情で横たわっていた。


「お前の勇姿、見届けたぞ」


 俺は音無に向けて言う。そう、この少年。

 〈音無おとなし雄輝ゆうき〉も、この勝利の立役者である。


 動けなかった一文字を多少手荒だったにしろ、護ったのだから。


 無力だった筈の少年が命をしてまで、会ったばかりの少女を助けたのだ。

 

 これを〈強さ〉と呼ばずして何と言う。

 ……本当に、この少年に出会ってから驚くことばかりだ。

 まだ、半日すら経っていないというのに。


「……お前となら、もしや」


 〈真の強さ〉を見つけられるのではないか。


 そう小さな声で、呟く。

 過度な期待だと自分でも思う。そんな重責を、彼に負わせるわけにはいかない。

 しかし、今。こう思ったのは事実だ。

 音無とならば、何かが変わるかもしれない。

 そう思ったのならば、俺ができることはただ一つ。


 ……戦え。


 戦え、己の正義の為に。


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