第8話 出撃せよ
同日 午後7時頃 越之宮鎮台衛戍地 第一中隊室
何故だか、俺も月島・佐久間と共に第一中隊室へと向かい、ちゃっかり会議に参加させられることとなった。
とはいえ、ただの少年もとい謎多き異界人たる俺が何か発言を許されるわけもなく、ずっと〈第一中隊室〉と称された板の間の一角に正座状態だ。
白澤の状況報告・作戦説明を聴く、恐らく50名は超える兵士達の眼には、夜番だというのに眠たさの欠片もなかった。
「……これにて、作戦説明を終わりとする。総員、行軍準備の
『了解!』
五分間程度の短い作戦説明が終わり、隊列から離れ話を聞いていた俺に、月島が駆け寄ってきた。
「お前は俺の馬に同乗して、我が第二班に追従しろ」
了解です、と小さい声で頷くと、走り去る月島の背を追った。
他にも佐久間は勿論、多くの兵士が月島に付いて行っているのだが、どの兵士も深刻そうな顔を崩していない。まったく俺なんかには目も止めていないのだ。
彼らは一体どんな気持ちでいるのだろう。
白澤中隊長曰く、
『南東の三つの村にて、中規模な魁魔による襲撃が発生中。戦闘開始から約一時間経っており、既に兵士2名・民間人11名死亡。その他、負傷者多数』
自分たちが護りきれなかった命の数を突き付けられて。
それが自分たちのせいではない、と理解してはいても。
護れなかった、消えてしまった命があるという事実を目の前にして、彼らは一体何を想うのだろう。
「音無、余計なことを考えるな。でないと、魁魔はお前をいとも容易く
廊下を駆け足で進む中、佐久間が俺に近づいてそう言う。
「今回の襲撃は何かが違う。最低限は我々が護るが、乱戦になればそれも危うい。下手な思案は、三途の川の渡し賃代わりになるぞ」
……確かに。また、群鬼に殺されかけるなんてことはしたくない。それに兵士たちが想っていることなど決まっている。
これ以上、護るべき人々を殺されたくない。
それは当然の共通意思だ。考える必要なんてない。
「すみません、肝に銘じます」
「それでいい。……白澤中隊長はお前を護るべき対象ではないと言ったが、月島小隊長も俺も、そして中隊長本人も本心ではそう思っていないだろう。存在が未だ謎とはいえ、我ら越之宮兵はお前を信用足り得ると一度は決断している。それを曲げたりはしない。……大丈夫だ、安心しろ。必ず護る」
演技中の佐久間は何だか俺を嫌悪しているようだったが、案外話してみると良い人じゃないか。やっぱり第一印象だけで決めるというのは良くない。
「……まあ、それでは連れてきた意味がない。最低限の働きはしてもらうぞ?」
……前言撤回。口角を少し上げて微笑む佐久間の悪戯めいた相貌を見て、一抹の不安を覚える。だが、俺にはそれを笑って返すしかないのだった。
同日 同時刻 鎮台衛戍地
鎮台衛戍地の本棟である、一部を西洋風改築した巨大な武家屋敷を出ると、すぐ近くに厩舎があった。どうやらこの基地は、本棟やその他の建物が南の正門付近に集まり、周りは広漠な演習場となっているらしい。夜でしかも曇りだったので、とても暗く奥まではさっぱり分からないのだが。
厩舎自体もかなり大きく〈第一厩舎〉と称されたこの木造建築物の他に、五棟ほど同様の建築が連立していた。多種多様な建物。しかし、一つの共通点があった。
全ての建物の屋根には風に揺られ誇るかのように、
「あれは皇國軍の旗なんですか?」
「陸海軍の旗でもあるが、我が国の国旗でもある〈
横を歩く佐久間からは、そう返された。ますます大日本帝国と同じである。とはいえ、大日本帝国でも旭日旗はあくまで海軍旗だったのだが。
そんなことを考えているうちに、厩舎の中へと吸い込まれるように入っていき、外からも十分聞こえていた軍馬の鳴き声が更に大きくなる。建物内は幾ばくかのガス灯で照らされていて、少し目が眩む。外がかなり曇っていて、真っ暗だったことがそれに拍車をかけていた。
「第二班、集結せよ!」
『はっ!』
月島が隊列から少し離れ、号令をかける。すると、第二班(第二・三・四・六小隊)総員25名が無駄な動きなど一つもなく、集結する。俺は佐久間に促されるままに、隊列の最前列に立った。
「先程の作戦指導の通り、我々第二班は此処より南東の〈
一つは……当然、察しが付く。第二班の全員の兵士の目線が俺に集中する。
「一つ目は、その少年。音無雄輝だ。まだ完全に信じ切れている者は多くないだろうが、少なくとも俺は音無を信用に値すると考えている。そして、こいつはまだまだ魁魔……いや、この国のことすら勉強途中だ。もしもまた魁魔に襲われたとき、こいつが生き長らえる為の術を教える。それも我々、武人の務めだろう。
だが、こればっかりは座学だけではどうしようもない。実戦を見せて体で覚えさせなければな。……貴様らも
そう月島が笑みを含みながら言うと、班の全員が笑った。
「ええ、そりゃあもう!」
「要は我々が、そいつの再教育係というわけですか!」
「その通りだ。だが、最低限は護れ。萩坂村の前で
防御魔術……。そんなものもあるのか。とりあえず、俺の身の安全は保障されるらしい。それにしても、月島の俺を優先するかのような命令にも何一つ悪い顔をしない、この兵士達はなんて聖人なのだろう。
「さて、二つ目の異例な事態というのが、あまりにも死人が多すぎることだ。中規模な襲撃にしては、民間人も兵も死傷者数が異常だ」
中規模な襲撃というのがどれくらいの数で攻め込んでくるかは分からないが、兵士2名・民間人11名の被害はそこまで大きいものなのだろうか。
いや、俺が救ってもらった時の月島の話を思い出せ。
この国の兵士は、当たり前のように一人で何倍もの魁魔を討つ。
そんな精鋭と、彼らが護っている民間人が10名以上殺されていることが既にありえない話なのだろう。
「それに、本部が萩坂の常駐部隊から受けた報告は通信魔術への魔力供給が不足していて、途切れ途切れにしか聴こえなかった。先程、白澤中尉から受け取った情報も、やっと聞き取れた断片的なものを繋ぎ合わせたものだそうだ。だから、襲撃している魁魔の種類が分からない。唯一分かるのは、少なくとも我らが向かう萩坂村は激戦の地となっているということだけだ。……貴様ら、覚悟はできているな?」
情報が、少ない。ただそれだけでも、兵士にとっては致命傷になりかねない。
もしかしたら、この数ではどうしようもない程の強力な魁魔が攻め込んできているかもしれない。
もしかしたら、既に村は壊滅して他の地域に戦火が及んでいるかもしれない。
もしかしたら、もしかしたら……。不安の種は尽きることはない。
それに兵力は限られている。現在、西と北東でも小規模な襲撃が発生しているらしい。当然、その鎮圧に兵力を回す必要があるし、此処に駐屯する兵力も必要だ。元より夜番の小隊は少ないという。となれば今、動けるのは白澤中尉率いる第一中隊のみとなる。しかも現在夜番として衛戍地にいるのは一個中隊に十六ある小隊の内、九個のみ。
だが、戦いをやめるわけにはいかない。
眼前に、いくら強大で圧倒的な敵が待ち構えていても。
その先に、護りたい人がいるのならば。……俺なんかとは、格が違う。
自分を護ることさえできなかった俺とは。
「音無、
月島の言葉に、気持ちと共に自然に下がっていた顔を上げる。
「消沈した顔をするな。……見ろ。お前以外の者は全員、覚悟を決めたぞ」
俺は振り返る。そこには、口元を歪めて笑う第二班の勇士たち。
「
だから今は、自らの強さを自覚しろ。自分の弱さを知ったお前ならば、できるはずだ。自分が今、何ができて、何を為し得たいのかを」
……馬鹿か、俺は。月島に言われたことを、もう忘れてしまっている。
弱さを知っているからこそ、強くなれる。
そして、強くなるためには今の自分の強さを知るべきだ。
俺が、できること。
俺が、為し得たいこと。
それを自分の手で見つけるべきだ。そして、それを俺はもう見つけ出している。
「俺はこの第二班を……いや、萩坂村の人々を助けたい。無力で、この国の人間でもない俺が言うのは、おかしいですか?」
俺は、ただの非力な少年だ。
だが俺は、本来いるはずのないこの第二班の隊列に混じっている。
理由はどうあれ、月島や佐久間・第二班の兵士達と同じ土を踏み、居場所を共にしている。ならば、自分の弱さをいつまでも引き
……できるはずがない。
彼らに少しでも追いつくために、自分の強さを知るために、戦う。なにより、今も何処か遠くで人々が殺されていることが分かっているというのに、馬鹿なことでいつまでも悩んでいる自分自身に腹が立つのだ。
「誰も、おかしいなどと言うものか。それがお前の為し得たいことならば、そうすればいい。……俺に追従し、今お前ができる最大限のことをやれ」
「――はい……!」
そう力強く、頷いた。月島も、傍にいた佐久間も微笑を浮かべ、そして俺を包み込むかのような温かい空気は少しずつ第二班へと波及していく。
「もう他の班は出発した。さあ、各員出発の準備だ。時間を取り過ぎたが……お前が煮え切らないまま萩坂に赴いて、また怪我でもされたら大変だからな。
少し笑いを交えながら、月島は厩舎の奥の方へと向かっていく。他の兵士達も各々、自らの
「よし、音無は俺の前に乗れ。でないと、振り落されてしまうからな」
干し草が敷き詰められた一角から、月島と共に一頭の黄褐色の馬が現れる。日本の在来馬は欧州のそれと比べ小さいと聞いているが、あまり馬自体を生で見ない俺にとってはそこまで大きな体格差を感じない。体長は150㎝ぐらいだろうか。
「この馬の名前はあるんですか?」
「当然だとも。〈
咲銀杏……か。何処となく良い響きだ。俺は、目の前の巨躯に手を伸ばす。そしてその豊かな
「そう鳴いているのは、威嚇している証拠だな。それに耳も絶えず動いている。かなり嫌われたものだな」
それを聞いて、俺はちょっとガックリする。
「まあ、そう落ち込むな。こいつは元から、まあまあ気難しいのだ」
「それじゃ乗せてもらえないんじゃ……」
「いや、無理やりにでも乗らせる。俺が手綱を握れば落ち着くだろうしな。……乗れ。時間がない」
月島は軽い所作で、馬に飛び乗り手綱を握る。俺は少し恐怖感を抱きながらも、月島の助けを経て、月島の前に乗ることができた。乗ってみると少し平衡感覚が崩れるが、
「どうだ?」
「……良い感じです。動いてもらっていいですか?」
ああ、と短く応じ、軽く〈咲銀杏〉の腹を蹴る。
「おお……」
ゆっくり動き出し、左右に揺られる感覚に最初は驚いたものの、少しずつ落ち着いてきてだんだんと楽しくなってきた。
だが、それよりも驚いたのが〈咲銀杏〉が全く疲れている様子がないことだ。俺も月島も170㎝はある。150㎝ぐらいの馬には、結構辛いはずなのに。
「この馬……俺も乗ってしっかり走れるんですか?」
「心配するな。
そう軽く言うが、随分と複雑な術式のようだ。だがそれならば、この中型馬でも速く駆けられそうだ。
「もう、他の兵士は集結しているようだな」
そう呟き、〈咲銀杏〉は厩舎前の
月島・俺、そして〈咲銀杏〉は、その列の最前を任する。
それにしても伍長という最下級の下士官なのに、これほどの数を任されるなんて月島はどれだけの実力者なのだろう。……さて。
「――これより、萩坂村救援作戦を開始する……! 我に続け! 越之宮第一中隊・臨時編成第二班、前進せよ!」
後ろを振り返りながら叫ぶ月島の勇ましい号令に、兵士達は夜空に高く昇るかのような雄叫びを上げて、進みだす。
土を踏みしめる蹄の音が低く、闇の中に反響していく。
「さあ、行くぞ。音無」
「……はい!」
俺と月島、〈咲銀杏〉は助けたい人々を護るために、走り出した。
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