第4話 真の強さ

 

 西暦1853年 皇紀2513年 明応7年4月1日 午後2時頃

 大日本皇國 〈皇都〉皇京 寿狼山じゅろうざん 山道


 月島慶一郎は、皇國陸軍のしがない伍長である。一応、ただの兵士から成り上がった経歴を持つ俺が、小隊長を任される地位である自らの階級に〈しがない〉と付け加えたのには理由があった。

 答えは単純明快。


 その地位で満足して歩みを止められるほど、は軽くないからだ。


 過去に俺が犯した、決して許されざる罪は。

 だから、進み続けなくてはならない。

 ただ、その想いだけであった。

 

「霧が出てきているな……」


 俺は、鬱蒼うっそうとした森林が広がる寿狼山でそう呟く。俺達は、皇國陸軍第四師団・歩兵第十聯隊・第一大隊〈えつ宮鎮台みやちんだい〉の第一中隊・第二小隊である。

 肩書が長いのでわずらわしいが、この大隊のように一部の歩兵大隊は平時における最高指揮階梯である鎮台の名で呼称される為、普段はずっと短い呼称である。


『……こちら越之宮第一中隊本部。状況報告を』


『……こちら越之宮第一中隊・第二小隊。現在、寿狼山の中腹ちゅうふく辺り。巡回任務は順調。ただし濃霧により視界悪化が進行中。晴れる気配はなし』


『越之宮第一中隊本部、了解。通信を断する』


『第一中隊・第二小隊、了解』


 ちょうど軍用通信魔術〈導報伝来どうほうでんらい〉により、中隊本部の上官と聴覚が繋がった。何のことはない、ただの定期報告だ。俺は小隊長としてそれに応え、通信を切る。

 ふと周囲を見渡してみれば、真昼にもかかわらず霧が発生し、高く屹立するブナの原生林を覆い隠している。

 

「今日はやたら霧が出ていますね」


「そうだな……。早く任務を終わらせたいものだ」


 俺の横を駆けながら、副小隊長の〈佐久間さくま明比古あきひこ〉兵長が呟く。彼は……いや俺も、他の四名の隊員達も、またがって駆けている。

 我々は騎兵ではない。単なる皇國陸軍歩兵だ。それも将校や軍の高官ではなく、ただの一兵卒である。

 ならば何故馬に乗っているのか。

 これは敵に突撃し粉砕するための馬ではない。


 の馬だ。


 では何故、迅速に移動する必要があるのか。

 そうでなくては、があるからだ。

 では、何から護るというのか?


「助けてくださーーーーい! 小鬼に、襲われていまーーーす!!」


 突然、思考を遮るように聞こえてきたのは、少年と思わしき叫び声。

 何処からか。目星は既に付いていた。


「この道の先にいるぞ! 各員、襲歩しゅうほ!」


『了解!!』


 脚で馬の腹部を強く圧迫し、慣れた所作で馬を加速させる。

 皇國の在来馬は大陸のそれとは異なり、小さく足が遅いことが挙げられるが、軍用として駿馬しゅんめ同士を交配させた軍馬は力強く、それでいて忠実だ。今まで常歩なみあしだったのが、ものの数秒で速歩はやあし駈歩かけあしを経て、全速力である襲歩へと変わっていく。

 一層、風を切っている感覚が感じられる。しかしその心地に浸っている暇などない。我々は、霧を切り裂いて進む。

 

 絶望に涙するその人が、少年であろうが、老婆だろうが。

 救いを待ち望むその人が、一人であろうが、万人だろうが。

 薄弱な手を伸ばすその人が、高貴であろうが、下賤だろうが。


 俺は、護るべきを護る――!


「ギェェェ……」


 現れた。俺達の進路を妨害するように草むらから躍り出たのは、一体の鬼。

 我ら、大日本皇國臣民全ての敵……!


「〈魁魔かいま〉だ!!」


 300年前、八百万の神々の手によって、降り立った存在。我ら、大日本皇國臣民の罪の象徴、たたりの具現。その異形はやはり神によって創りだされたものなのか、皇國に古くから伝わる伝承の妖怪・怪異といったものに酷似している。

 その中で、最も脅威に足り得ないとされるのが冠八位魁魔かんはちいかいま群鬼ぐんき〉である。単体では臆病で、刀を無茶苦茶に振るうことしかできない最弱の魁魔であるが、同族を呼び寄せ、集団で囲み殺す戦術を得意とする。

 少数精鋭・質実剛健を体現したかのような皇國軍からは、非常に忌み嫌われている魁魔……とはいえ、俺はそう嫌いではない。

 

「ガァァェェ……」

「グラゥゥゥ……」


 襲歩で進みゆく我々を恐れることなく、更に二体が現れ打刀を構える。

 あと10(約20m)もない。

 基本的な対魁魔たいかいま戦闘教義せんとうきょうぎでは、下馬戦闘が推奨されているものの、たった三体を相手にして律儀に守るものではない。

 とはいえ、他の隊員がそれをできるかと聞かれれば、少し怪しくなる。なるべく早く救出に向かうならば、先頭にいる俺が素早く奴らを仕留めるべきだろう。

 

「先へ行け!」


 その一言だけで、他の小隊員は全てを理解したかのように一列になった。そして、鈍い群鬼共の横を突破する。さあ、俺が相手だ。

 俺は愛刀である16代目〈烈辰れっしん〉を鞘から引き抜いた。その間に、俺の眼前には一体の群鬼がまさに鬼気迫った面持ちで、刀を上段まで振り上げていた。

 

「グァァァ……!」


 俺は抜き様に〈烈辰〉で、群鬼の打刀を跳ね飛ばす。馬は突然止まることはできないため、しばらく進んでから転回させる。そして駈歩のまま、打刀を失って慌てている群鬼の腹に得物えものを突き刺す。


「ッ――ガハッ……!」


 瞬きをせず生気さえも感じられなくなったのを確認し、右腕に神祇の手甲を付けたまま、死骸を〈烈辰〉から無慈悲に引き剥がす。

 流石は皇國の誇る刀工とうこうが鍛えた玉鋼たまはがねだ。研磨したとはいえ何一つの引っ掛かりもなく、するりと引き抜くことができる。その際に濁流のように溢れ出てくる赤黒いモノは、もう気にすることはない。もう何百回と見ているのだから。そして、引き抜いたむくろを乱暴に草むらへと投げ込む。

 ……考えてみればこのような弱卒じゃくそつ一体の為に、無駄に愛刀を汚すのは得策ではなかったなと後悔しつつも、俺の眼は次の獲物を捉えていた。

 

「ギィィィィィィ……ッ!」

「アガァァァッ!」


 同族がやられたことで、集まっていた二体も憤怒の雄叫びを上げる。弱いくせに、同族・集団意識だけは高い。だが、それもまた一つのなのだろう。そのことだけが、俺が群鬼を嫌うことのできない唯一の理由であった。

 そう、最弱と呼ばれし群鬼の強さは。

 

 お互いに、他者にすがることのできる強さ。


 それを弱さとする者もいるだろう。だが少なくとも、一人で戦うよりは賢い。

 全て一人で抱え込むよりはよっぽど強い。……ならば。


「ギィィ……――グラァッ!」

「ダァァァァ!!」


 その強さを乗り越えること。それすらも、強さなのだ。


 俺は騎上で中段から一体を薙ぎ、命を刈り取る。

 そのまま慌てふためいた群鬼の喉元に向かって、一閃いっせん


 クロユリのように妖艶な飛沫しぶきが飛散する中で俺は、仲間と護りたい人の元へと、ただ真っすぐに向かっていった。




「……すいません。ちょっと話の途中なのに、具合が……」


 舞台は変わり、此処は越之宮鎮台の衛戍えいじゅ。俺は月島の話を聞きながら、若干の寒気に襲われた。いや、無理もないだろう。想像したら普通にグロい。

 なんちゃらハザードやら、サイレントなんとか、のようなホラー・グロゲームをやったことのあるゲーマーならともかく、俺はあまり興味がなかった。だから、あまり耐性がない。そもそもゲームに関しては、一つのものを集中してやり込む人間だったからアクションとRPG以外は無知だ。おっと、話がずれたな。


「魁魔の血など皇國男児であれば、齢が十にもなれば見慣れるものを。貴様は本当に、異界から来たのやもしれぬな」


 いやいや、10歳で血を見慣れるのは中々にヤバくないか? そんなに魁魔ってやつは多くいるのだろうか。

 ……それよりも、随分と異世界転移に関する理解が速い。普通、もう少し疑うものだろう。まあ、疑われちゃマズいのだが。


「もしかして月島さんは、異界人の存在を信じていたりするんですか?」


「信じるというか……皇國にはそのような伝承があるのだ」


「伝承?」


「ああ。300年ほど前……ちょうど魁魔が出現した頃に、民衆の間で急速に広まっていった伝説のようなものでな。

 〈安寧あんねいが終わりを告げ、惨禍さんかが再び振り撒かれるとき、異界より来訪する者あり……〉というものだ。通称〈異訪いほう来説らいせつ〉という」


 ……それが俺だというのだろうか。

 いや。安寧だの惨禍だの、抽象的な単語が多すぎる。今、皇國がそのような状況にあるのかも知らず、そう考えるのは早計だ。

 

「はぁ……それで。身元調査というのは、俺の名前・音無雄輝の戸籍を調べてるんですね?」


「そうだ。もし仮に戸籍がなかった場合は、拷問でもして本名を吐かせるがな」


 ……ちょっと待ってくれ。月島は俺が偽名を使って、異界人のフリをしているのだと思っているらしい。それは非常にマズい。


「……どうしたら、拷問を受けずして異界人だと証明できるでしょうか」


「うーむ、そうだな。魔術は……幾らでもごまかしが効くか。……そうだ。貴様が今着ている服。その材質を説明しろ」


 ああ、これか。確かにこの時代、石油を使った繊維の開発なんてオーバーテクノロジーもいいところだろう。よし、拷問をされないための糸口が降りてきた。


「えーと、これはジャージといって、材質は確か……」


 俺はジャージを脱いで、裏生地に付いている製品表示を見せる。


「ポリエステル100%……ですね」


「ポリエ……何だそれは。少し私に見せろ」


 真剣な表情の月島が興味津々で、ジャージをふんだくり、ピラピラという名の製品表示を熱心に見ている。かなり面白い絵面えづらだ。


「アシ、ア○ックス……? ウ、ウエスト……82……。え、L? お客様相談室……。て、TEL 0120……」


 おっと変なところまで読み始めたぞ……?

 

「えーっと……そろそろいいですか?」


「あ、ああ。すまん。未だ心の中では収拾がつかんが……。本当に貴様は、異界人なのだな?」


 ジャージを返しながら、神妙な面持ちで月島は言う。

 それに対して俺は、ジャージを再び素早く着てから応えた。


「はい。断じて嘘は言っていないと誓います」


「………」


 月島はその精悍せいかん面差おもざしで、俺を見る。そして、しばらく考えているのか沈黙が続く。だが、すぐに考えがまとまったのか、おもむろに口を開く。


「貴様……いや、音無と呼ぼうか」


 その呼び方は、俺を不穏分子ではなくれっきとした異界人として認めた、ということだろうか。歴とした異界人というのもおかしい表現ではあるが。


「音無、お前は〈しんつよさ〉を信じるか?」


「……真の、強さ?」


 突拍子もなく、今までの会話を無視したかのような質問。

 俺はしばらくの間、黙考する。

 〈強さ〉っていうのは多分、人それぞれの考え方に拠るものだ。何か一つ、決まったものがあるわけじゃない。しかも、そんな曖昧なものに〈真の〉を付けるのだ。あるかもわからない、宇宙の果てのようなものだろう。


「……〈真の強さ〉なんてあるんでしょうか。単に強さだって人それぞれなものなのに、〈真の〉なんて」


「……ならば音無、お前は、強いか?」

 

 何故か分からないが、その質問こそ月島が俺に一番問いたかったこと。

 本当に伝えたかったことは、それなんだと分かった。それに対して俺は、こう応えるしかなかった。


「そんなわけ……ない。僕、いやは……弱い」


「何故だ? それは、身体的な弱さか? 精神的な弱さか?」


「転移した後、ものの数分で俺は群鬼に襲撃されました。足はすくんで動かなくて、それでも一回は勇気を振り絞って逃げました。だけど、それだけで相手を侮って……みすみす包囲されて、最後に斬られること覚悟で突破しようとしたのに。痛みに耐えきれずに〈生きること〉さえも諦めました……ッ!」


 嗚呼ああ。無様だ。弱い、弱すぎる。

 そう強く自覚する。だがじゃないだろう?


「俺は、転移前もそうだった。とにかく弱かった。……だって。

 ……ッ!」


『音無、あんたって本当に馬鹿だよ』。


 強くフラッシュバックする。

 あの時の彼女の言葉を、表情を、今でもはっきりと覚えている。

 それは、俺が元の世界に残した罪。俺が弱かったから、その罪科つみとがを残してしまった。具体的に言うことさえも思い留まってしまうほどの。


「だから……俺は、元の世界に戻らなければいけないんです……! ……これが、俺の弱さです」


 赤裸々なんていう言葉では足りないほどの罪を。まだ出会って間もないこの人に。断片的でしかないけれど、打ち明けた。

 気づけば、俺の目の周りに違和感を覚えた。手を伸ばしたら、やっぱり泣いていた。そっちの方が無様なくらい。

 だが、月島は俺の言葉を黙って聞いていた。そして喉を震わせ、こう告げる。


「確かに音無、お前は弱すぎる。あらゆる部分がな」


 同情だとか憐憫れんびん、ましてや否定もない。そんな無慈悲な言葉だったが、今の俺の心にはそれが一番の救いだった。しかし彼は「だが」と言葉を続ける。


「だが……お前には一つ、明確な強さがある。何か分かるか?」


 明確な、強さ……? そんなもの、俺にあるのか?

 俺は小さく首を横に振った。


「それは、〈弱さを知っている〉という強さだ」


 ……なんだ、それ。ただの屁理屈じゃないか。だけど俺の心には、それを鼻で笑うほどの余裕は残っていなかった。


「無知の知、というやつを知っているか?

 〈自分は自分が何も知らないことを知っている〉。

 ソクラテスというギリシャの哲学者の考えだ。それと同じようにお前のような人間は弱さを知っているからこそ、これから強くなれる。俺は、そう信じている。この世の中には、自分の弱さを認めない輩が跋扈ばっこしているからな」


 これから、強くなれる……か。その言葉、決して忘れはしない……!

 俺は涙を右手で豪快に拭い、こう伝える。

 

「なら……俺は、強くなりたい!」


 そうでないと、多分、元の世界に戻っても別れを告げられないだろうから。

 俺は、絶対に強くなってやる。そして絶対に還るのだ、元の世界へ。


「……そう言えるのならば、きっと強くなれる」


 月島は、今度こそ失笑でも、冷笑でもなく、純粋に、笑った。やはり、今まで見たことのない表情だった。

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