第3話 目覚め


 長い、長い、夢を、見ていた。 



 それは走馬灯の続きなのだろうか。

 目の前に広がっているのは、白い空間。

 遠くがほんの少しだけ光っていること以外で、ここが空間であることを認識させるようなものは無かった。

 俺は意識など存在しないかのように、自分の体があるのかさえ分からず、ただぼんやりとそこに在った。

 時折脳裏をかすめるのは、らしき世での記憶。

 友人だとか、家族とか、恩師とか。色々な人達の顔が浮かび上がってきて、俺はその度に感謝した。やはり走馬灯というやつなんだろう。

 一体、この空間は何だ? 俺は死んだんじゃなかったのか……?

 疑問は浮かんだ傍から、粒子のように霧散した。

 体を動かすチカラも、考えるチカラも、何も。今の俺にはない。

 ただただぼんやりと、そこに在るだけの存在。

 今の俺はそうだった。いや、生前もそうだったかもしれない。


 ただ現世に生きているだけの存在。

 

 本当に、心の底から、為したいと思ったことが、一度でもあったか。

  

 ただ毎日を何も考えずに、普通の、無難な、凡俗らしい生き方をしていただけ。

 生前の俺と、今現在の俺。根本的に何が変わっているのか? 

 変わっていないのだ。

 

 俺は生前も、今も、だ。


 ふと、そんなことを想った。

 ……心なしか、遠くの光が強くなっている気がする。それは気のせいなどではなく、確かにこちらへと迫ってきていた。

 これに飲み込まれたら、俺はどうなるのだろう。来世とやらに行くのだろうか。


 、俺は弱いままなのだろうか。


 分からない。

 俺は、迫りくるその光に飲み込まれた。


 

 長い、長い、夢から、目覚めた。




「―――はッ!」


 俺は目覚めた。

 眼を開けて最初に飛び込んできたのは、木目が綺麗に浮き出ている和風な天井だった。そして、反射的にガバッと飛び起きる。

 俺の手が掴んでいたのは、一般的な羽根布団。その布団が敷かれていたのは畳の上だった。やはり西洋風ではない……のか。

 今、俺がいる一室はふすまによって囲まれていた。そして周りを確認すると、右からは障子を通してほのかな陽光が差し込んでいる。

 ここは一体何処なのだろう。いやそれより、俺は死んだんじゃ……。

 

「―――あっ! 傷、脇腹……!」


 俺は意識を失う前の記憶を思い出し、咄嗟とっさに右脇腹へ手を伸ばす。


 ……無い。


 聞こえないほど微かな声で、俺は驚愕の念を発露させる。

 あの時確かに、小鬼の打刀によって俺の脇腹は綺麗に斬り裂かれたはずだ。それが跡形もなく、消え去っている。そしてここは何処だ……? 

 誰かに助けてもらったのだろうか。あんな凶暴な小鬼達のいる山で。

 そんな都合の良い話が有り得るのであろうか。

 疑問は次々に浮かび上がり、既に脳の処理能力は限界近くまで達していた。

 やはり疑問というのは一つ一つ潰していかねばなるまい。俺はむくりと起き上がって、左の部屋へ続く襖を開けようとした。

 その時。


「あっ……」


「……起きたようだな」


 ちょうど襖が開かれ、俺と鉢合わせたのは二人の男だった。

 どちらも千歳緑の鮮やかな軍服を身に纏い、同じ色の軍帽を被っていた。元の世界における大日本帝国陸軍のような服装だが、服装を全体的に見てみると俺が知る限りの日本軍の服装とは明らかに違う部分があった。

 二人の両腕にはめている軍手である。

 元より軍手とは〈軍用手袋〉の略なので、着用していても何らおかしくはないのだが、それには普通のものとは違う点が幾つかあった。軍手にしては指まで覆っていないようだし、逆に肘の方まで伸びている。もしかしたら軍手に似た何かかもしれない。そして何より、一人の男の軍手が異様に焼け焦げている。

 それも遠い過去ではなく数時間前に付けられたように……。


「……どうした。そこまで〈神祇じんぎ手甲てこう〉が珍しいか?」


 俺の視線が不自然に下がっていたことに対して不審に思ったのか、一人の軍人が声をかける。迂闊にじろじろ見すぎると、後々困るかもしれない。

 だから俺はすぐに目線を離し、ちょっとした弁解をする。


「すいません。随分焼け焦げてるな、と思いまして」


 内心、めっちゃ怖い。

 俺と同じか少し高いくらいの体躯たいくなのに、二人いるだけでかなりの圧迫感だ。しかも二人とも左腰に、あの小鬼が持っていたのとは比べ物にならないほどの大きな日本刀を提げていることも俺の強迫観念を揺すぶっている。

 ……小鬼?


「そうでした。僕を小鬼から救ってくれたのは貴方達なんですか?」


 俺は思い出したように二人に尋ねた。すると、30代ぐらいの威風堂々とした男がそれに応えた。


「ああ。貴様は我々によって保護された。〈群鬼ぐんき〉にやられ倒れているところを、治癒ちゆ魔術まじゅつをかけてな」


 群鬼……。十中八九、あの小鬼達のことだろう。

 って、治癒魔術? 魔法とかがある世界なのか。

 

「そうですか。ありがとうございました。……それで、貴方達は兵士ですか?」


 感謝しつつ、俺は確認の意味での疑問を口に出した。すると、二人ともいぶかしむような顔をした。もしかしたら今までで初めて顔に出した表情かもしれない。


「当然だ。此処は、皇國陸軍越之宮鎮台の衛戍地えいじゅちだ。俺は月島つきしま伍長ごちょう。そして彼は副官の佐久間さくま兵長へいちょうだ」


 やはり此処は日本に似た国家……〈皇國こうこく〉らしい。それで、此処は軍隊の駐屯地のような場所か。

 

「貴様も名乗ってもらおう。そして居住している地域、何故あのような場所で倒れていたのか、全て話してもらおうか」


 なるほど、事情聴取が始まるわけか。……って、それはヤバいかもしれない。

 多分この人達は俺を家に帰そうとしているのだろう。だが、そんなことを言っても俺にはこの世界で〈帰る家〉なんて一つも無い。


「……俺の名前は、音無雄輝って言います。年は15です。言いにくいのですが……。

 俺には帰る家が無いんです」


 とりあえず端的に事実を伝える。


「何? 孤児……にしては年を食いすぎているな。家から追い出されたのか」


 そんな風なことを言われると分かっていた。だから、次に俺はこう応える。


「信じてもらえないことを承知で言います。俺はこの国……いえ、この世界の人間ではないんです」


 襖と廊下の中間、敷居をへだてて向かい側に立つ月島・佐久間。その表情は更にいぶかしみをあらわにさせ、険しくなっていく。

 ……地雷を自分から踏み抜いていることは分かっている。だからといって、嘘をついて何になるというのだ。

 転移物でありがちな中世ヨーロッパ風世界であったならば〈海を越えた遥か遠い国から来ました〉みたいな嘘でごまかし切れるかもしれない。だけど、月島達の服装はどう考えても近代軍のそれ。19・20世紀ぐらいの世界観であることは間違いない。そこまで文明が発達し戸籍なんかも管理されているであろう世界・国家で、軍隊に対して住所の虚偽報告なんてしてみろ。どうなるか分かったもんじゃない。

 とはいえ、事実を言ったところで不利な状況には変わりがないのだが。


「もう一度、言ってみろ」


「……俺はこの世界の人間じゃないんです」


 しばらくの沈黙。そして月島は傍らの兵士に、一つ耳打ちをする。それを聞いた佐久間は表情一つ変えることなく、廊下の奥に歩いて行った。


「……にわかには信じ難いが、此処で問い詰めたところでどうにもなるまい。今、佐久間に貴様……音無雄輝の身元を調査するように頼んだ。貴様の処遇は、私のような一下士官の一存では決められない可能性がある」


 ……よかった。

 「ふざけたことを言うな!」とか言われて牢屋行きで拷問攻めなんてやられたら、本当に笑えない。ひ弱な現代人の俺の精神なんか、すぐにノックアウトだ。


 俺はこの世界で、ずっと留まっているつもりなんて無い。

 勿論死ぬなんて論外だ。

 俺は絶対に元の世界に戻って、吾妻の伝えたかった想いを聞く。本当に戻ることができるかなんて問題じゃない。できるできないじゃない。やるしかないんだ。

 あまり好きじゃないそんな精神論も、今は心の中に響く。

 帰還するためには、この基地にいつまでも居るわけにはいかないんだ。


「さて……身辺調査が終わるまで、少し話すか。本当に貴様が〈異界いかいじん〉なのか。興味はあるしな」


 月島は微笑を浮かべた。見たことのない表情だ。それを失笑か、冷笑か、好意と受け取るべきか。

 ……

 その言い慣れたかのような表現と口ぶりに、俺の心の中で不自然さが出現する。だが、すぐにそんな感情は消え去った。


「分かりました。じゃあ……僕を見つけてから、助けるまでの経緯を教えてもらっても良いですか?」


 俺は思いつきの会話のネタを疑問形で言った。純粋に知りたかったことだし、これでこの〈皇國〉について少しでも情報を得られるかもしれない。

 

「ふむ……了解した。まあ、とりあえずそこに座れ」


 俺は言われた通りに、畳の床に正座をする。


「では話すとするか。お前を救出したのは、今から3時間ほど前のことだ……」


 月島は俺の対面の壁に、腰掛けるようにして胡坐あぐらをかいた。

 そして、回想を始めた。

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