Chapter2「危機、到来」
phase1「非常事態」
必ず返す。必ずすぐ返すから、どうかこの箱を貸して欲しい。
そう頼むと、さすがの源七も渋った。困ったように笑いながら「どうしてだい?」と聞いてきたし、「ただの箱だよ?」とも言ってきた。
貸して欲しいと頼む理由を教えてほしいと願っていることは、箱を握りしめる目を見ればすぐにわかった。
けれど、美月も穹も、まさか本当のことを言うわけにはいかなかった。しかし、祖父が拒み続けるのであれば、祖父にだけは、本当のことを伝えなくてはいけないと考えた。
お願い、と頭を下げながら、どう言えば祖父は信じてくれるのかまで考え始めていたときだ。
降ってきたのは予想外なことに、「わかった」の一言だった。顔を上げると、目の前に箱が差し出されていた。
「でも、どうか、無くさないでくれな」
早くに承諾が取れたことは確かだ。だが、祖父があっさりとした気持ちで言ったわけではないことは、懇願するような眼差しから明白だった。
美月も穹も何度もお礼を言って、箱を手に病院を後にした。
それからハル達と共に、裏山に向かう道を進んだ。宇宙船に戻って、どこにトラップを仕掛ければ一番パルサーが引っかかりやすいかを分析するというハルの為だった。
頭はまるで追いついてはいなかったが、ただ一つ、とにかく走らなくては、急がなくてはということだけは理解していた。
だから混乱で体が動かなくなるということもなく、進み続けることが出来た。
見慣れた裏山が前方に見えてきた時は、皆の走る速度も上がった。このまま進めば、裏山に辿り着く。最後の直線に入った、その時だった。
後方から、低い唸り声のようなものが聞こえてきた。
振り返ると道路のずっと向こうに、大きなトラックがあるのが見えた。
大型トラックは狭い住宅街の道にすっぽりと嵌まるように止まっている。
珍しいな、と美月が不審に思った直後だった。
突然、トラックが猛スピードで発進した。そのまま全く躊躇い無しに、こちらに向かって突っ込んできた。
「うわーーー!!!」
全員急いで逃げ出した。といっても今歩いている道は直進で、曲がり角がなく、つまり逃げ場が無い。真っ直ぐ走るしかなかった。背後から激しい走行音が迫り来る。
「あのトラックは、今分析したところクリアモードになっている!」
そんな折、ハルが信じられないことを口にした。それって、と美月は目を丸くしてトラックを見た。よく見ると、運転席は無人だった。
「あれは地球の車ではない。恐らくダークマターの自動走行機能が搭載された、特別な車だ!」
「えええ、どうすればいいの?!」
「姉ちゃん、変身は?!」
あ、と穹の言葉に我に返った。そうだ、変身してぶっ飛ばせばいい話なのだ。
だが実際にコスモパッドで変身する前に、異変が起こった。
走った勢いで美月達が全員裏山に辿り着いた瞬間、猛然と追いかけて来ていたトラックが突然停止したのだ。それだけでなく、きゅるきゅると道を引き返していった。
「お、お待ち下さい!」
先程からずっと頭を手で抑えていたアイが声を荒らげた。
「熱感知、金属探知、周波数測定……感知系統の動きが上手く機能しません!」
アイは忙しなく辺りを見回した。裏山の森が風に揺らめき、一斉にざわざわと音を立てた。吹く風が刺すように冷たかった。
「裏山に入った瞬間にこうなりました……。この状況、明らかにおかしいです。今すぐ退くべきかと!」
「確かに私のほうも、機能はしているが上手く感知ができない。その上至るところから電磁波の反応がある。――異常事態だ。ここから離れよう」
美月は人間なので、ハルやアイのように何らかの反応を感知して分析することはできない。
しかし、何かおかしいことは、心で感じ取っていた。妙に落ち着かず、胸がざわつく。ここから離れたいことは美月も同じだった。
だが、ハルの指示を実行に移すことはできなかった。
裏山から出ようとした体が、どん、と音を立てて止まった。
「……え?」
何も無い。それは確かだ。しかしその何も無い空間より先に、進めない。
だが、確かに自分は、何もない空間に、寄りかかっている。
未來が慎重な足取りで傍に立ち、宙に向かってそっと手を伸ばした。
山道と道路の境目。ちょうどその部分で、未來の手が止まった。壁を触った時のように、未來の手が平らになった。
「え~っ?!」
「何これっ?!」
他の場所も確認してみたが、どの部分にも見えない壁があって、裏山から出ることができなかった。どうやら山全体をぐるりと囲むようにして、透明な壁で覆われているらしかった。
あ、と穹が声を発した。
「この状況、京都の山の時と同じだ……。あの時もこんな風にして壁に遮られて、だから山に閉じ込められたんだった……」
「ハル、これもあの時と同じなのか?」
返答はなかった。振り向いたクラーレが、そのまま「ハル?」と聞き返した。
テレビ頭の側面に手をやり固まっていたハルは、かぶりを振った。
「あの時の一件で学習し、同じような装置を使われても検知できるようにアップデートした。だから同じ手は通じないはずだ。だが……」
ハルは山を見上げながら、コートのポケットから本型のパソコンを取り出し立ち上げた。
「私に内蔵されている金属探知機含め、機器類の検知が出来ない。コンピューターで検知しようにも、妨害されていて使えない」
「……新型を使用している可能性が高いですね。わたしも先程からずっと妨害されているのか、上手く検知が出来ません」
深い緑色の山の向こうに広がる空には、灰色の雲が混じっていた。今朝見た天気予報では一日中晴れだと言っていたのに。
何が起こっているか、詳しい事はわからない。ただ一つわかることがあるとすれば、この状況が「罠」であるということだ。
そしてこんな罠を仕掛けてくる存在など、一つしか思い当たらない。
「せめて、誰かがこの山に入ろうとしてくれれば、裏山がおかしいって気づくのに……」
穹が真っ青な顔をして言った。確かにそうなれば騒ぎになるだろうが、望みが薄いのは穹も知っているだろう。普段裏山に入ろうとする人間など、美月達を除いて滅多にいない。
「お父さん今日お休みだし、裏山に撮影しに来てくれないかな……。でも今日は別のとこに行くって言ってたっけ……」
未來が腕組みをして呟いたときだった。
すぐ傍の木から、プシュッという霧吹きのような音が聞こえた。
直後、ぱたぱたと飛び回っていたシロの頭が、かくんとたれ下がった。はためいていた翼の動きが止まり、ふらふらと地面に落ちていった。
落下の直前、シロを受け止めたものがあった。植物の枝だった。
傍に生えている木の枝が、ゴムのように伸び、シロを受け止めていた。そのまま枝は上へと持ち上げられた。
その先には大きな黒い虫が飛んでいた。虫の背中にはプロペラのようなものが飛び出していた。
虫は糸のような手足を長く伸ばすと、シロの体と絡ませ、森の向こうへと飛んでいった。プロペラの回転音が遠ざかっていった直後、状況を理解した。
「シッ、シローーー!!!」
「姉ちゃん駄目、絶対に罠だ!」
「だからってこのまま放っておけねえだろ?!」
「クラーレさんも落ち着いて下さいっ!」
その時だった。すぐ隣を歩く人影を視界の端に捉えた。
ハルがパソコンを手にしていた。
「助けに行く」
「お言葉ですが、間違いなくこれは罠です! せめて師匠だけでも逃げるべきです!」
「……監視もされている。この状況では、別行動のほうが危険だ」
ハルは立ち止まり、わずかに俯いた。
「罠だという事は、ちゃんと、承知している」
そうして山を見上げた。美月も目で追った。風が吹き、木々が揺らめき、波打っている。灰色の雲は、更に多くなっていた。
シロを捕まえた虫のような機械は、決してこちらが見失わない位置に現れ、しかし近づけば捕まらない程度に距離を取る、を繰り返している。
一度クラーレが弓でその虫だけを撃ち落としたが、シロを助ける前に、別の虫が現れ回収された。
虫に危機が及んだら、すぐさま新しい虫が代わりに現れる仕組みになっているようだった。
おまけに、虫が通った場所以外の道は、不自然な形で草木に塞がれ、通れないようになっていた。
通ってきた道を振り返れば、後方が明らかに不自然な木が生えていて引き返せないようになっているのだから、引き返すことも別の道にこっそり向かうこともできない。
「ダークマター製品の一つ、人工樹ですね。植えたらすぐに成長する特徴を持ち、反対に成長を逆行させて種に戻すこともできます」
アイが振り返りながら言い、辺りを見回した。
「人工樹にも、あの虫型の機械にも、他にも至る場所に監視カメラが仕掛けられているようです。ジャックされているので詳細の場所まではわからないですが、存在は確認できます。……セプテット・スターの反応は……。確認こそできないですが……」
「十中八九いるだろう。それも、多分……」
ハルは呟き、下を向いた。依然としてパソコンを操作し続けているものの、エラーの音を弾き出し続けているのには変わらない。
その内諦めたのか、パソコンを閉じ、ココロに渡してしまった。
ココロは興味深そうに両手でパソコンをいじった。
美月はその様子を見ながら、一体どこまで登るのだろうと前方を見た。
進んでいった先に、何が待ち構えているのか。耳がごろごろという遠雷を捉え続けており、冷たい汗が勝手に滲んでいく。
上り始めてからもうだいぶ時間が経過した。山の中腹は過ぎたのではないだろうか。
そういう風に誘導されているからか、比較的進みやすい道を進んできたとはいえ、こんなに長期間歩き続けることになるとは思っても見なかった。
標高の低い山とは言え、自分も含め、さすがに疲れが滲み始めている者も出てきていた。
美月はその中の筆頭ともいうべき人物に声をかけた。
「クラーレ、大丈夫?」
「い、いや、平気だ」
クラーレは汗を拭いながら言った。笑ってはいたが、その顔には明らかに疲れていた。
靴紐が解けかかっていることにも気づいていないようで、それを指摘しようとしたときだった。
クラーレが解けた靴紐を踏んだ。
「っ!」
「クラーレ?!」
体がよろめき、道から逸れた先は坂だった。そこを滑っていく形となったクラーレは、少し行った窪地のような場所で止まった。
いたた、と体のあちこちをさすっている姿が見えたが、大きな怪我はしていないようだった。穹が身を乗り出した。
「今助け」
「アイ、助けに行ってあげなさい」
「えっ? ……は、はい」
動揺を隠せていないアイだったが、頷いて、同じく動じているクラーレのもとに歩いて行こうとした。
と、ハルが「アイ」と呼び止めた。振り返ったアイの両腕に、抱っこ紐ごと、ココロが乗せられた。
ココロはハルに向かって両腕を伸ばしていたが、ハルはゆっくりと体を離した。
「頼んだ」
ハルは背中を見せ、前へと進み出した。
「あれっ、ハル?!」
「先に行こう。どのみち誘導されているから、何も変わらない」
すたすたと進んでいく後ろ姿を見ていると、何も言えなかった。
結局美月は穹と未來と共に、道を進んでいった。
空から唸り声が聞こえた。雷が、更に近づいているようだった。
クラーレとアイと分かれた後に差し掛かった道は、人一人がなんとか通れそうな、岩肌に囲まれた狭い上り坂だった。
ごろごろとした石があちこちに転がっている為登りづらく、息を切らしながら進んだ先にあったのは、周りを高さが様々な崖に囲まれた開けた場所だった。
木は生えておらず、人工樹と思しき木も見当たらない。あの機械の虫も、影も形も見えなかった。シロもいなかった。
「広い場所では、固まらずあちこちに散らばるのが定石だ」
ハルが周囲を見回しながら言ったので、美月達は頷き、お互いある程度の距離を保ちながら慎重に一歩一歩足を進めていった。
一体どこにいるのだろうと、平野の真ん中辺りにまで来たときだった。
突然何かが目の前を上から下へと通過し、両腕が重くなった。
見ると、そこにはずっと探していた姿があった。
「シロ!!!」
大声を出したが、シロは尻尾一つも動かさなかった。小さな寝息を立てて、深く眠っていた。
両腕でしっかり抱きしめながら、「無事だったよ!」とすぐ近くにいるハルを振り返った。
振り返った先の空に、稲妻が走るのが見えた。次いで、爆発が起きたのはと感じたほど、大きな雷鳴が駆け抜けていった。
けれども、それに驚きはしなかった。更に信じがたいことが、目の前で起きていたからだ。
ちょうど、ハルの立っている地面。そこが、ハルを囲むように、光っていた。
警告音の鳴る中、光が下から伸びていき、それが散った時。そこには、今まで無かった檻が、出現していた。
その場にいる全員が呆然とする中、ケージ越しのハルが、伏せていた頭をゆっくりと上げた。
「──君か」
大きな稲妻が、空に走った。天が裂けたかのような雷鳴が轟いた。
美月は振り返り、前方の崖を視界に入れた。
「久しいな、ハル」
崖の上に人が佇んでいた。
紫の髪に、切れ長の鋭い紫紺の瞳。
美月達がAMC計画を知った際に、ハルが見せてくれた映像。その中で、聴衆に対して、演説をしていた者。
「貴様には必要無いだろうが、名乗っておこう。
ダークマター最高幹部社員集団、セプテット・スターの〈サターン〉だ」
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